■愛することが罪なら
終章『This nameless love』
 
 
 
 
 
 
 翌朝の天気は、良好だった。
 雲一つないとは言えないが、空は健康的な青で満たされている。
 
「それでは、お世話になりました」
「はい、ありがとうございました。気を付けて帰ってね」
 
 私と乃梨子は揃って女将さんに頭を下げると、民宿を後にする。相変わらずニコニコと人懐っこい女将さんは、姿が見えなくなるまで、私たちを見送ってくれた。
 
「何だか、あっと言う間だったね」
 
 バス停に向かう道を歩きながら、乃梨子は言う。新雪を踏みしめながら、私は答える。
 
「色々あったものね」
「……うん」
 
 しみじみと乃梨子は頷き、私の手を握る。その仕草は昨日と全く同じで、けれどけれど込められた想いは全く違う。
 もうすぐバス停のある大通りに出るというところで、私は立ち止まって言った。
 
「けど、元通りになれたわよね?」
 
 乃梨子の瞳を覗き込む。きっと「うん」と言ってくれると信じて。
 
「ううん」
 
 しかし、乃梨子はかぶりを振った。そして何故か辺りをキョロキョロとうかがうと、頬を赤らめる。
 
「乃梨子?」
 
 急に不安になって、両手で乃梨子の手を握る。すると乃梨子は意を決したように顔を近づけ、――私の唇を奪っていった。
 
「の、乃梨子?」
「も、元通りじゃなくて、元以上でしょ?」
 
 しどろもどろになって言う乃梨子。そんなに恥ずかしがるならしなければいいのに、と思ったけど、決して言葉にすることはない。私だって、恥ずかしくても嬉しいのだから。
 
「乃梨子ったら。昨日の晩だけじゃ、飽きたらなかったの?」
「ちょっ、し、志摩子さん。朝っぱらから恥ずかしいこと言わないでよ」
 
 場を紛らわそうと紡いだ言葉は、しかし墓穴を掘っていて。また私たちは、一緒に頬を染めてしまう。
 
「……行こう」
 
 また、手を繋いで歩きだす。
 大通りに出ると、私たちの乗るバスが走ってきたところだった。
 
 

 
 
 少しだけうるさいエンジン音と、時折カタカタと揺れる車内。
 東京への高速バスは、出発点ということと辺鄙(へんぴ)な時間であるせいか、思った以上に空いていた。
 
「少し、眠くなってきたかも」
 
 窓際に座った乃梨子は、目を擦りながら言った。
 
「いいわよ。サービスエリアに着いたら、起してあげる」
 
 左手でそばにあった手を握ると、乃梨子は「うん」と頷いて目を閉じる。
 昨日は寝るのが遅かったし、疲れていたのだろう。乃梨子は数分としないうちに寝息を立て始めた。
 
「……」
 
 残されたのは、沈黙。
 けれど、それが寂しくない。乃梨子の寝息が、まるで私に語りかけてくるように思えて、何も無いはずなのに満たされていく。
 乃梨子のことを考えるだけで優しい気持ちになれて、そばにいるだけで満たされる。顔一杯の笑顔も、あどけない寝顔も、見ているだけに幸せになれる。
 
「……好き」
 
 穏やかに閉じられていた唇が、微かに動く。誰に向けられたわけでもない寝言。それですら、私には甘美で。
 
「私も、好きよ」
 
 思わず、そう返してしまう。本当に、誰に向けられた「好き」なのか、分からないのに。
 
「……うん」
 
 また微かに唇が動き、乃梨子は私によりかかってくる。私も肩をよせ、乃梨子の頭に頬をのせる。
 
「起きていたのね」
 
 私が問いかけると、乃梨子は何も言わず、ただぎゅっと手を握り返してきた。
 至上の幸せ。何にも勝る温もり。それは永遠じゃない、私たちが一緒に居られる時は、永遠ではないけれど。
 
『愛してる』
 
 この気持ちだけは永遠だと信じたい。例え時が二人を分かとうと、まっすぐでひたむきな愛は、消えることも輝きを失うこともない。――そんな未来を、私は望む。
 
 ふと、車窓を見やる。乃梨子の髪の向こうで、流れゆく景色。
 外では来た時と同じような粉雪が、ちらちらと舞っていた。
 
 

 
 
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