■愛することが罪なら
二章『Crucify heart』
 
 
 
 
 時刻は、午後七時を少し過ぎたところ。
 民宿での夕食は、本当に美味しかった。抹茶塩で食べる天ぷらも、地元牛の網焼きも絶品。そんな夕食に舌鼓を打った後、私たちは再び温泉街へと繰り出していた。
 
「どこがいいのかしら」
 
 志摩子さんは浴衣の上に着たコートを引き寄せながら、温泉情報誌と暖簾たちを交互に見る。民宿にお風呂はあるけど、温泉じゃない。折角温泉街に泊まるのだから、ということで、私たちは温泉浴場を探して街に出たわけである。
 
「志摩子さんは、どんなところがいい?」
「そうね。折角だから、露天風呂の方がいいかしら」
「うん、それは私も賛成」
 
 そりゃ折角の温泉だから、露天風呂の方が風情も気分もいいに決まっている。
 私たちは相談の末に、温泉街を東西に分かつ川のほとりに建つ、とあるホテルの露天風呂に行くことにした。大抵のホテルや旅館では、入浴料さえ払えば浴場を利用できるのだ。
 
「どんなところか、楽しみね」
 
 脱衣所で服を脱ぎながら、志摩子さんは無邪気に笑う。
 不意に現れた白い下着にドキっとしたけど、そこは同性。必要以上に動揺したりはしない。――つもりだったけど。
 
「……志摩子さんって」
「え?」
「あ、ううん。気にしないで」
 
 やはりというか、何と言うか、志摩子さんは着痩せするタイプだった。肩のラインもくびれも鮮やかな曲線を描き、身長の割りに長い足というバランスは正しくモデル体型。もろに標準体型の私から見れば、羨ましいことこの上ないプロポーション。
 
「はぁ……」
 
 服を脱ぎながら、思わず溜息も出るってものだ。
 
「乃梨子。さっきから様子がおかしいけど、大丈夫? 体調が悪いの?」
 
 しかしその溜息を聞き逃さなかった志摩子さんが、髪を結い上げながら聞いてくる。
 
「そんなことは全然ないんだけど……」
「でも、あまり元気がないわ」
「えっと……。多分、疲れてるんだよ。温泉入ったら元気になるって」
「そう? それならいいのだけど」
 
 私はさっさと服を脱ぐと、志摩子さんと同じくバスタオルを身体に巻いた。行こう、と志摩子さんの手を取っていざ外に出る。すると出迎えるように一陣の風が吹き、私と志摩子さんは揃って「ひゃっ」と短い悲鳴を上げた。
 
「寒い、寒い……」
「早くお風呂に入りましょう」
 
 その場に縮こまりそうになった私を、今度は反対に志摩子さんが引っ張って行く。身体を洗ってから入りたかったけど、あまりに寒いので掛け湯をしてすぐにお風呂に入ると、周りにほとんど人がいないことに気が付いた。
 
「なんか、思ったより空いてるね」
「ご飯時だからでしょう。それに、ほら」
 
 志摩子さんが視線で指した方には、ガラスの向こうに浴場が見えた。来た時は気付かなかったが、露天風呂に隣接して建物内にも浴場あり、どちらかというと室内の方が人が多かったのだ。
 
「せっかく露天風呂があるのに、何だか勿体ないね」
「そうね。でも満足度は人それぞれだから」
 
 そう言ったきり、会話は途絶える。無言が気になって志摩子さんの方を見ると、ただぼんやりと宙を見ていた。きっと温泉を心行くまで堪能することにしたんだろう。
 私も志摩子さんの真似をして、宙を仰ぐ。
 相変わらず舞う雪は、照明でライトアップされて神秘的。苔むした岩に囲まれた露天風呂は風情たっぷりで、いくら見ていても飽きない。
 
「――さて」
 
 沈黙が流れて、五分ぐらい経ったころだろうか。
 志摩子さんはおもむろにそう言うと、浴槽から立ち上がる。白い裸体が寒空の下眩しくて、私は思わず息を飲んで固まる。
 ――なんて綺麗なんだろう。
 脱衣所では敢えて見ないようにしていたけど、一度見てしまえば目を離せない。まるでとり憑かれたかのように、視線が釘付けになる。
 
「身体を洗いましょうか。ほら、乃梨子も」
「……あ、うん」
 
 手を引かれて、やっと我にかえる。いけない、志摩子さんの裸ったら、魔法みたいだ。
 
「志摩子さん、背中流してあげる」
「本当? 嬉しいわ」
 
 そう言って、志摩子さんはにっこり。無為に出てきた言葉は、予想以上に志摩子さんを喜ばせてくれた。
 見惚れてしまった志摩子さんの身体も、見慣れてしまえば問題はない。……たぶん。
 
「はい、座って」
 
 ひのき製の椅子に志摩子さんを座らせると、タオルにボディソープをつけ、あわ立てる。そして優しく、志摩子さんの背中を洗い始めた。
 肌理(きめ)細かく、透き通るように白い志摩子さんの肢体は、魔性のものにすら近いと思う。もっとも、敬虔なクリスチャンである志摩子さんにとって『魔性』なんて表現は適していないけれど、同性にまで影響を及ぼすほど蠱惑的なのだ。
 
「私ね」
 
 顔だけで振り返って、志摩子さんは言った。
 
「一人っ子だから、こういうのに憧れていたの」
「こういうのって?」
「一緒にお風呂に入ったり、洗いっこをしたり」
 
 志摩子さんの言葉に、ふと回顧する。
 そう言えば私も小さい時は、妹とお風呂に入ったりしていた。志摩子さんはそういうことに、密かな憧れを抱いていたんだろう。
 
「ん……?」
 
 ふと。
 そこまで考えて、重大な発言があったことに気が付いた。
 
「ねえ志摩子さん。『洗いっこ』って、もしかして……」
「ええ。乃梨子の身体も洗ってあげるわ」
「うわ、それは恥ずかしいかも」
 
 それでも、イヤだ何て言えない。恥ずかしくても、結局何だか嬉しいから。
 
「ほら、乃梨子」
「う、うん……」
 
 志摩子さんの背中を流し終えると、代わって私が椅子に座った。ジュワジュワとあわ立てる音に続いて、タオルの感覚が背中を撫でる。
 
「うわぁっ」
「ほら、じっとして」
 
 くすぐったくて身を捩ると、志摩子さんが肩を抑えてくる。
 
「ついでに髪も洗ってあげましょうか?」
「じょ、冗談でしょ……?」
「あら、そんなことないわよ」
 
 背中越しでも、志摩子さんが笑っているって分かる。
 こんなに嬉しそうな声。こんなに温かい体温。
 この幸せな時間に、私の胸は甘く疼いた――。
 
 

 
 
「志摩子さん」
 
 民宿の部屋に戻り、コートの代わりにカーディガンをひっかけると、私は『それ』に気が付いた。
 
「なに?」
「髪がほつれてる」
 
 お風呂からでて帰る途中に、風に吹かれたせいだろう。乾かした直後は綺麗に流れていた志摩子の髪が、ところどころピョーンと跳ねていた。
 
「あら、いやだわ」
 
 志摩子さんは手鏡でそれを視認すると、鞄からブラシを取り出す。ふと思い立った私は、それを優しく掠め取った。
 
「乃梨子……?」
「私が梳いてあげる」
「じゃあ、お願いしようかしら」
 
 部屋の中はすでにテーブルが脇に避けてあり、布団が敷いてある。志摩子さんをちょこんと布団の上に座らせると、私は後ろからその髪を梳き始めた。
 肌と同じく色素の薄い髪は、ブラシで撫でるたびにくるくると跳ねる。もともと柔らかい髪質ということもあるのだろうけど、梳き始めてすぐに髪は元通りになった。
 だけど構わず、私は髪を梳き続ける。
 
「……」
 
 志摩子さんも何も言わず、されるがままになっていた。
 二人だけの穏やかな時間。まるでその世界に酔うように、私は髪を梳き続ける。
 シャンプーの香りに、少しだけ赤みを帯びた肌。着痩せする体型に、包み込むような優しい雰囲気。志摩子さんの知れば知るたびに、愛しい気持ちが募っていく。
 こんなにも好きなのに、まだまだ好きになっていく。何にかえても大切にしたいという気持ちは、愛していると言っていいのかも知れない。
 
「……乃梨子?」
 
 ――気付いたらブラシは手から転げ落ち、私は志摩子さんを抱き締めていた。
 
「甘えん坊ね」
 
 艶やかな、嬉笑。
 もっと見たい、もっと近くで。こんなにも好きなのに、私はそれを伝える術を持たない。――私は感情表現が下手すぎた。
 
「志摩子さん……」
 
 胸の最奥を責付くような疼きは、愛しい気持ちを加速させていく。
 もっと触れたい、もっと知りたい。こんなにも好きだから、私は。
 
「……っ。乃梨子、どうしたの?」
 
 私は体重をかけて、志摩子さんと一緒に倒れこむ。布団が軽い音を立て、私たちを受け止める。
 
「ごめん、けど……」
 
 気持ちを伝えられないのは、もどかしい。不安になる。
 私はこんなにも志摩子さんが好きだけど、志摩子さんは?
 こんなに好いているのは、私の方だけ?
 それを確かめようとしてしまうのは、咎なのだろうか――。
 
「志摩子さん、私……」
 
 覗き込んだ瞳には戸惑いの色。
 ほのかに上気した頬は赤色で、何か言葉を紡ごうとする唇も、また。
 
「――だめ」
 
 何を拒絶されたのか、分からなかった。自分が何をしようとしたのかすら、おぼろげだった。
 ただ私は志摩子さんの唇に惹き寄せられて。ただ、キスしようとして――。
 
「だめ、なのよ……」
 
 顔を背けて、拒絶された。そう、私のその行為が、否定されたんだ。
 
「ごめんなさい、乃梨子」
 
 志摩子さんは私のもとを抜け出し、立ち上がる。
 そしてその背中から幾重もの哀しみを滲ませて、こう言ったのだ。
 
「過去の過ちは、繰り返してはいけないのよ――」
 
 背中が遠ざかり、障子の向こうに消える。
 布団に残された温もりと、微かな残り香。
 愛しい気持ちの残滓(ざんし)は、酷く寂しげに私を責めていた。
 
 

 
 
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