■愛することが罪なら
一章『Time's tide like snow』
 
 
 
 この気持ちを何と呼べばいいのだろう。
 焦がれる気持ちは恋愛のようで、時を分かち合いたいと思う気持ちは友愛のごとく。
 守りたいという気持ちは家族愛のようで、慈しむ気持ちは慈愛のよう。
 ひとつの形を持たない愛に、名前なんて無いのかもしれない。
 
 

 
 
 
 
 そこは(しな)びたというより寂れてはなく、かと言ってそれほど賑わっているわけでもない。
 
「やっとついたわね」
 
 そう言ってバスのタラップを降りる志摩子さんに続き、降り立った場所はリリアン女学園前――ではなく、温泉街の一角。
 今年も残すところ一週間を切った、十二月の下旬。夏休みの間に日帰りで見にいけるお寺や教会を行き尽くしてしまった私たちは、冬休みを利用し、初めて泊りがけで鑑賞旅行にきていた。そしてその宿泊先の座を射止めたのが、とある山脈に囲まれた盆地の温泉街。だから私、二条乃梨子と藤堂志摩子さんは、こうして座りっぱなしだった身体をほぐしているわけである。
 
「うー、お尻が痛い」
「六時間も座りっぱなしだったものね。無理もないわ」
 
 そう言った志摩子さんも、後ろで手を組んで腕を突っ張り、「うーん」と伸びをした。
 風に志摩子さんのふわふわ巻き毛が踊り、粉雪が宙を舞う。盆地と言えどある程度の標高があるので気温は低く、辺りは当然のように雪化粧されていた。
 
「身体を冷やすといけないから、早く移動しましょう」
「うん」
 
 志摩子さんに短い返事を返すと、私は旅行鞄を拾い上げる。
 二泊三日の旅行ということもあり、鞄の中身はそれほど詰まっていない。
 だけどそのスカスカの鞄に、思い出をいっぱい詰めて持って帰れたらいいな、と。
 同じく鞄を拾い上げた志摩子さんを見ながら、私はそう思った。
 
 

 
 
「見て、乃梨子」
 
 民宿へ向かう道すがら。
 コートに雪を纏わせた志摩子さんは、そう言って楽しそうにとある店の前で立ち止まった。
 
「足湯ですって」
 
 その店の軒先では老若男女さまざまな人たちが、足だけを湯に漬け、お茶を飲むなり会話するなりして楽しんでいる。
 温泉街にはありふれた足湯。それでも志摩子さんには目新しいらしく、嬉々として私に視線を向ける。志摩子さんがこんな小さなことで喜んでくれたのが嬉しくて、私も「あったかそうだね」と言って微笑んだ。
 
「でもね、志摩子さん。あれは民宿についてからにしようよ」
 
 しかし、ケジメをつけて置かなければいけないところには、きっちり言わないといけない。私たちは、まだ旅行鞄を持ったままなのだから。
 
「でも乃梨子、私たちは迷っているのではなくて?」
「う……」
 
 それを言われると、厳しい。事実、迷っているのだ、私たちは。
 タクヤ君に「この寺を訪問するなら」、と紹介してもらった民宿は、お土産屋さんや温泉旅館がひしめく区画とは少し離れた場所にあるため、中々分かり難い場所にある。一応目印は教えてもらってあるけど、その目印を探している状態なのだ。
 
「休憩がてら、入りましょう。ついでに道を教えてもらえば早いわ」
「それは。……そうだね」
「でしょう?」
 
 志摩子さんは勝ち誇ったようにではなく、ただ嬉しそうに笑った。志摩子さんに押し切られる形になったけど、当然嫌な気持ちにならない。志摩子さんが自発的な発言をすることは少ないから、むしろ喜んで付き合うべきなのだ、ここは。
 店内――と言うより、店の敷地内に入る。足湯は店の中ではなく、屋外にあるのだ。多分、店の中に足湯を作ると、湿気が物凄いからだろう。
 
「お二人さまですか?」
 
 訊ねてくる女給さんに「はい」と答えると、少し奥にある足湯の湯船に案内される。湯船の大きさからして、普通の飲食店に置き換えれば四人がけなのだろう、私と志摩子さんは広々と足を漬けることができた。
 
「ちょうどいい温かさね」
 
 志摩子さんが足を動かすたび、緩やかに水面が揺れる。私も隣で足を動かして、温かさを味わいながら、そうだねと言って笑う。
 通りがかった女給さんに注文を済まし、頼んだお茶と団子が運ばれてくる頃には、じんわりと身体が温まってきていた。
 
「足湯って、こんなに効果あるものなんだ」
「本当ね。以外と温まるわ」
 
 屋外だというのに、寒さはあまり感じない。時折吹く風に乗った粉雪は冷たいけど、それもまた風流。
 ゴマ団子を口に放り込み、足を揺り動かしながら笑顔を浮かべる志摩子さんが、愛に愛らしい。宿泊場所を温泉街にして良かったと、私は心の底から思った。
 
「乃梨子、こっちのお団子も美味しいわよ」
「え?」
 
 志摩子さんはそう言うと白い団子に楊枝を挿して、そしてそのまま私の口の前へ。私はよく状況がつかめずに、というか、条件反射で「あーん」と口を開くと、優しく団子を先に付けた楊枝が差し入れられる。
 もぐもぐと、咀嚼(そしゃく)。口いっぱいに団子の甘みが広がったところで、ようやく私は凄いことをされたと気が付いた。
 
「おいしいでしょう?」
「う、うん……」
 
 が、本人はまったくその自覚なし。自覚してやっているのだったら、それは悪戯としてだろうけど。
 なおも無垢な笑顔を向ける志摩子さんに、私は心の中で溜息を吐く。
 志摩子さんの妹になって約半年。その時間を共に歩き、苦楽を喫し、そして笑い合った。
 志摩子さんが私のためだけに笑顔を咲かせるたび、愛しい気持ちが募った。これ以上ないってぐらい志摩子さんのことが好きなのに、際限なく好きになっていく。
 
『大好きだから、好きだと言えない』
 
 そう歌った歌手は数多くいるけれど、今はその意味がよく分かる。
 今更「好き」なんて言うには、私たちは近すぎた。
 
「そろそろ行きましょうか」
 
 空になったお皿に楊枝を置くと、志摩子さんは言った。
 会計を済まし、民宿への道を教えてもらうと、私たちはまた歩き出す。
 相変わらずちらちらと降る粉雪の中、少しも寒さを感じることはなかった。
 
 

 
 
 言うまでもないけど、私たちは高校生。
 一泊で何万円もする旅館やホテルには、とてもじゃないが泊まれない。
 私たちの前には、瓦葺の民家にしてはやや大きな佇まいの家。タクヤ君に紹介してもらったこの民宿は、温泉がない代わりに格安で泊まれる、私たちにとってありがたい存在だ。
 
「いらっしゃい。長旅お疲れさま」
 
 人懐っこい笑みで私たちを向かえたのは、民宿の女将さん。
 お世話になりますと言って会釈した後玄関を見回すと、居間らしきところに囲炉裏(いろり)が見えた。流石タクヤ君、いい趣味してる。
 
「志村さんから若い方だとは聞いていたけど、本当に若いのねぇ。今高校生?」
「ええ、そうです」
「あらまあ、志村さんったら、どこで知り合ったのかしら」
 
 女将さんは部屋へ案内しながら、くすくすと笑った。砕けた口調もこれぞ民宿という感じがして、何だか温かみを感じる。やがて案内された部屋は二階にあり、意外にも十畳以上はあろうかという広さ。テーブルと座布団の他にはテレビが一つという簡素な部屋だった。
 
「夕食ができたら、呼びますからね」
 
 そう言うと女将さんは部屋を去り、当然部屋には私たちだけ。
 
「はぁー」
 
 ドスン、と旅行鞄を置くと、私は座布団にへたれこんだ。途中で休憩したとは言え、長旅の疲れが出たらしい。
 志摩子さんは「あらあら」、なんて言いながら私の対面に腰を下ろした。机に肘をつく私とは正反対に、背筋は伸び切ったまま。疲れているはずなのにそう出来るのは、素行のなせる業だろう。
 
「お茶、飲む?」
 
 志摩子さんは微笑み掛けながら、私に問う。テーブルの上には、ポットと急須、それに湯飲みが二つあった。
 
「あ、いいよ、私が」
「疲れているんでしょう? いいのよ」
 
 志摩子さんは急須を私の手の届かないところまで持っていってしまうと、卒のない動きでお茶を淹れていく。茶葉を入れる動きも、急須のふたに添えられた手も楚々としていて、ただお茶を淹れるだけなのに見とれてしまう。
 それはもう、湯気が視界を曇らせてやっと、お茶が目の前に置かれたのだと気付くぐらいに。
 
「乃梨子? 私の顔に何かついている?」
「え? あ、何でもないの。ありがとう」
 
 慌ててかぶりを振ると、私は一口お茶を啜った。お茶は沸騰したてなんじゃないかってぐらい熱くて、思わず舌を火傷しそうになる。
 
「乃梨子……?」
 
 涙目になり、口を抑えて俯く私に、志摩子さんは心配そうな表情を浮かべた。
 
「何でもないの……」
「本当に? さっきから慌しいのね」
 
 頬に手をあて首を傾ける志摩子さんに、またうっとり。
 けど、言えるだろうか?
 私が動揺してしまう理由なんて。私の中にあるこの気持ちを、言葉にするなんて。
 
「見て、夕焼けが綺麗」
 
 志摩子さんは窓辺から空を見て言った。さっきまでの心配そうな表情を吹き飛ばすように、華やかに微笑する。
 私は窓辺に歩み寄りながら、朱に焦がされた空と、朱に染まった目の前の人に、ゆっくりと目を細めた。
 
 

 
 
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