■ 紡いだ絆の温かさ 四話『乙女チック愛情爆弾』 「イブにデート? やったじゃない。もうゲットしたも同然ね」 それは十二月第二週の、ある日。 部活が終わって寒天の下、帰りぎわの会話だった。 「ゲットって、何をよ?」 「そりゃ、誘ってくれた彼をでしょ」 銀杏並木を歩きながら、ちさとさん(呼び捨てから格上げ)が言う。 最後に見た時計の針の位置から察するに、下校時間をとうに過ぎている夕刻。夕陽の赤が濃い藍色に変わり、一陣の北風が夜の足音を運んでくる。何故こんな時間まで残っているかと言えば、ちさとさんが「あれからどうなの?」と根掘り葉掘り訊いてくるからに他ならない。 「まったく、順風満帆じゃない」 「そうなのかな」 マリア像の前でお祈りを済ませると、由乃は顔を上げて呟いた。先にお祈りを終えていたちさとさんは、続けて語る。 「だって、クリスマスイブにデートに誘うなんて、『あなたに気があります』って言っているようなものじゃない」 「うーん……」 「何、うなり声なんて上げちゃって。まだ何か心配ごとでもあるの?」 「そりゃね、色々」 確かにイブにデートって言ったら、否応なくよい想像も膨らむだろう。しかし、まだ悩みの種が取れたわけではないのだ。 「クリスマスプレゼントはどうしようかな、とか、本当に私に気があるから誘ってくれたのかな、とか」 「……ちょっと、プレゼントで悩むのは分かるけど、後のはないんじゃない?」 「そう思う? でも私、その人の好きなタイプとは違うんだもの」 今でも悩むのは、祐麒君の好きなコのタイプ。由乃がしめじめとしていると、祐麒君は「由乃さんらしくない」って叱咤してくれるけれど、果たしてそれはいいことなのだろうか。 由乃が祐巳さんと知り合ったばかりの時に聞いたように、女の子らしいコが好みのはず。だというのに由乃は人がバッサバッサ切られる話が好きだし、性格だって自認するほどアグレッシブ。ちっとも女の子らしくなんてない。 「タイプとは違うって、その人はどんなコがタイプなの?」 「……たぶん、もっと優しくて女の子らしいコ」 「なるほどね。じゃあさ、由乃さんが彼を好きな理由って何?」 ――好きな理由。 改めて問いかけられると、今までそんなことを考えもしなかったことに気が付いた。 漠然と、好きなことだけはちゃんと分かっていて。一体どこに惹かれたのか、単純なようで難しい。 「やっぱり、容姿が重要?」 「やっぱりって何よ」 恐らくちさとさんは令ちゃんのことを視野に入れて話しているようだけど、それは何か違う気がする。祐麒君は、こう言っちゃなんだけどカッコイイ方ではない。 「強いて言えば、性格かな」 由乃は喋りながら、リリアンの正門をくぐる。由乃は徒歩通学で、ちさとさんはバス通学。だけど話は終わっていないから、由乃はちさとさんに合わせてバス停で待つことにした。 「性格って、どんな感じなの?」 「そうね。優しくて、包容力があって、しっかり者って感じかな」 「なるほど、令さまに似ているっていうわけね」 ちさとさんの指摘はズバリ的を射ている。というか、由乃もそう感じたのだ。性格的なカッコよさというか、そう言うものが祐麒君に備わっている。 「ふーん、じゃあ顔は?」 「どっちかっていうと、可愛い感じ。なんか、安心できる雰囲気ね」 ちさとさんは由乃の言葉を聞くと、ふむふむと頷く。そして何を思ったのか、こんなことを言い出した。 「はぁ。……よくないわね」 その言葉を聞いた瞬間、心がピリリと痺れた。 よくない、――と。由乃と祐麒君の関係を否定する言葉が、グサリと胸を刺す。 「……何でよ」 「あのね、今の状態だと、由乃さんは彼に甘えているのよ」 「甘えている……?」 「そう。おそらく包容力のあるその彼のことだから、ありのままの由乃さんを受け入れてくれるでしょうね。でも、男女関係っていうのは、そういう甘えが問題なのよ。いい? どちらかに依存する関係は好ましくないし、相手が我慢してくれているのをいいことにそれを続けるのは、引いては二人の破局に繋がるわけよ」 いや、そもそもまだ付き合ってもいないのだけど。けれど思いのほか熱く語り出したちさとさんは、いつもイケイケの由乃でさえも止められない。 「上手くいく男女関係っていうのはね、ちゃんとお互いのことを考えて、その理想に近づこうとすることなのよ。このままじゃ、由乃さんは彼に甘えっぱなしになる、って言うわけ。じゃあ由乃さんはどうしたらいいかっていうと、もっと女の子らしく、乙女チックになるべきってことなのよ」 もっと女の子らしく、乙女チックに。そうは言うけど、由乃だって一応乙女だ。ちさとさんは、その事実を忘れてはいないだろうか。 それにしてもちさとさんは、いい目を持っている。甘えるだけじゃなくて、対等でいたい。そう思ったから由乃は、一度令ちゃんにロザリオを突き返したのだ。あの顛末のリテイクなんてごめんである。 「それで、具体的にはどうしろって言うのよ」 「ふふふ。そこでプレゼントの出番なんじゃない」 ちさとさんは人差し指をチッチッチと振ると、得意そうな顔を作る。我に策あり、そんな表情だ。 「由乃さんが悩んでいるクリスマスプレゼント。これは『手編みのセーター』で決まりね」 「は……?」 手編みのセーター、って。 何だ、そのコテコテっぷりは。 「あのね、それはいつの時代のプレゼントなのよ」 「何を言っているの。真心のこもったプレゼントに、時代も何もないでしょう」 「でも私、編み物なんてロクに編めないし」 「そこがいいんじゃない。得意でもないのに編み物に挑戦して、彼のために頑張る。なんて健気。なんて乙女チック。そういうのが、効果的だと思わない?」 「まあ、それはそう思うけど」 ちょっと打算的だなぁ、と思う。かと言って、他にプレゼントの案はない。男の子が貰って喜びそうなものなんて、今まで考えたこともなかったのだ。 「何を戸惑っているのよ。ああ、分かった。こうしましょう」 そう言うとちさとさんは、由乃を指差して言った。ちょうど、バスが方向指示器を出しながら停車するところだった。 「由乃さんが作るのは、編み物じゃなくて爆弾。精一杯の愛情を込めて、相手に渡った瞬間爆発するような、そんな爆弾を作ってしまえばいいじゃない」 由乃に、爆弾。 それは実に、由乃らしい例えだと思った。 「女の子へのプレゼント?」 アリスはそう言うと目を見開いて、その瞳に祐麒を映した。 「ああ。こういうことは、アリスに訊いた方が分かるかなって」 「あら。嬉しいこと言ってくれるのね」 口に手を当てたアリスは、コロコロと笑う。時は放課後、生徒会室で雑用をこなしながらの会話である。 由乃さんとイブにデートしようと約束して以来、ずっと悩んでいるのがプレゼントのこと。クリスマスイブにデートと言ったら、プレゼント交換のイベントは必至だろう。しかし祐麒は、女の子が貰って喜ぶようなものが今一つ分からなかった。 最初は祐巳に相談しようかと思ったが、誰とどこに行くのかしつこく訊いてきそうなので止めた。祐巳になら言っても困るようなことにはならないだろうが、そう言うことを姉に相談するというのは、中々気恥ずかしいものなのだ。 故に、女の子に最も近いだろうと思われるアリスに相談した、というわけである。 「何、祐巳さんにクリスマスプレゼントでも贈るの?」 「えーっと、それは」 アリスは古ぼけた机を指先で叩きながら、首を傾げて訊いてくる。 さて、これにはどう答えたらいいべきか。アリスなら『祐巳に贈る』と言っても、シスコンだ何だとからかってはこないだろう。しかし、嘘をつきながらアドバイスを貰うというのも気が引ける。 「実は、……違うんだけど」 「へえ、違うのか。それじゃ一体誰なんだい?」 何だ、急に声とキャラが変わったぞ。……と一瞬錯覚したが、違う。 分かったような口調と、鷹揚な態度。この声の主は――。 「……柏木先輩」 生徒会室の入り口の方を見れば、そこにあったのは柏木先輩の姿。人の胴ぐらいある箱を携え、にこやかな表情で祐麒たちを見ているではないか。 「ああ、お久しぶりです。柏木先輩」 「うん、久しぶりだね。可愛い後輩達の元気な姿を見ようと思ってきたけど、他のメンバーは?」 「薬師寺先輩たちは受験勉強があるから、最近は来てません。他の人たちはもうすぐ来ると思いますけど」 アリスが受け答えしている間に、柏木先輩は颯爽と椅子に腰掛ける。それがさも当然であるかのように。 「それで、ユキチが女の子にプレゼントを贈るって? しかも祐巳ちゃん以外に」 それにしても、まずいところに来られたものだ。ばっちりさっきの会話を聞かれている。 「……それより、柏木先輩の持っているその箱は何なんですか?」 「おや、はぐらかした。まあいい、先に教えて上げよう。メイプルパーラーのフルーツゼリー、これはズバリお歳暮の余りものだ。好物だから、いつもなら僕一人でも食べてしまうんだけど、今回は流石に数が多すぎてね。そこでお裾分けに持ってきた、ってわけ」 柏木先輩は得意げに言うと、箱の包装を剥ぎだした。箱を開けて出てくるのは、色とりどりのフルーツゼリー。アリスは「うわぁ」なんて感嘆の声を上げているが、果たして安易に食べていいものか。これをだしにして、色々と事情に突っ込んでくるかも知れない。 「――ユキチ」 「何ですか」 「食べても食べなくても、さっきのことはキッチリ聞かせて貰うよ」 しかし、この人の前で小手先の駆け引きなんて意味がないらしい。 柏木先輩は満面の笑みで、グレープのゼリーを渡してきた。 「さて、話を戻そうか」 柏木先輩が先陣を切ってゼリーを食べ始めたので、アリスがそれに倣う。祐麒も『こうなっちゃ仕方がない』と諦めて、ゼリーを食べることにした。 「ユキチは女の子にプレゼントを贈りたい。だけどどんなものがいいか分からない。そういう話だったよね」 祐麒がゼリーを口につけたところを見届けた柏木先輩は、楽しそうに訊いてくる。自分の悩みがこの人に愉悦を与えているというのが、ちょっと癪だ。 「……はい」 「この時期から察するにクリスマスプレゼントっていうところかな。いいね、青春だ」 そう言って柏木先輩が笑うと、アリスは目を大きくさせて驚いた。祐麒の意向について肯定したのが、そんなに驚きなのだろうか。 「あの、柏木先輩。……いいんですか?」 「アリス、質問の意味が分からないんだが」 「その、ユキチを女の子に取られても」 「――ぶっ」 しかしアリスは、こともあろうかとんでもないことを言い出した。祐麒はそもそも、柏木先輩のものではない。というか、その認識が嫌過ぎる。 「うーん、確かに悔しいね。でもユキチは僕のものじゃないし、ユキチの意思は尊重するよ」 「……そうですか」 「ただね、プレゼントで悩むなんていうのは、感心しないな」 そこでハッとなって、柏木先輩の方を見た。いつもふわふわと浮かんでいる笑みが、――そこにはなかった。 「クリスマスプレゼントを贈りたいほど、好きなんだろう? そのコのことを。好きな人の欲しがるものが分からない、っていうのは、そのコのことを分かっていないってことじゃないの?」 柏木先輩は、試すような視線を送ってくる。 違う、そうじゃない――。そう目で言っても、瞳はその意見を寄せ付けない。 じゃあ由乃さんが欲しがるものって何なんだろう、と今一度考えて見る。 (やっぱり、……カタナ?) 由乃さんにカタナを渡すところを想像してしまったけど、それじゃコントだ。かと言って『スポーツ観戦が好きだから』という理由で観戦チケットを贈るのも、あんまりクリスマスプレゼントっぽくないし、それならデートでスポーツ観戦に行けという話だ。剣道で使うものはすでに揃えているだろうし、……そんな風に候補がないからアリスに相談したのである。 「ユキチは、本当にそのコのことが好きなの?」 試すような視線が、猜疑の色を孕む。その問いかけに黙っていることは、すなわち否定。祐麒はそんな曖昧な気持ちで、悩んでいるわけじゃない。 「俺は、本当に――」 「まあいいや。僕はそろそろ帰るよ。ユキチの顔を見ていれば、どれだけ本気か分かったしね」 ……何なんだ、その自由奔放っぷりは。 祐麒が怒るのを通り越して呆れていると、柏木先輩は空になったゼリーの容器をゴミ箱に捨てて立ち上がる。どうやら本気で帰るつもりらしい。 「そんな。もう少しゆっくりしていっても」 「ありがたい申し出だけど、しつこく顔を出すOBは嫌われるらしいからね。本当ならこれを置いてすぐ帰るつもりだったんだよ」 アリスの言葉にやんわりと断りを入れると、柏木先輩は出入り口に向かって歩き出す。そしてその扉の前まで来た時、振り返って言った。 「ユキチは、ゼリーが好物だったかい?」 「は……?」 祐麒は間抜けにも、口をポカンと開けて固まった。何故そこでそんな質問が出てくるのか、さっぱり分からなかった。 「いえ、別に好物ってわけじゃないですけど」 「そうか。でもこのメイプルパーラーのゼリーは美味しかっただろう?」 「まあ、確かに」 「つまりはそういうことさ。心を込めて良い物贈れば、相手を喜ばせることができる」 このお歳暮みたいにね――。 そう言い残すと、柏木先輩は扉の向こうに消えた。 手土産と、重要なアドバイスを残して。 さて、爆弾の作り方はというと。 火薬は愛情、外張りは毛糸、使用工具は編み針だ。 「爆弾ねぇ」 由乃はベッドの端にころがる毛糸玉を眺めながら思う。意気込み的にはそれでいいかも知れないけど、その例えはちっとも乙女らしくない。 ……まあ、それはさて置いて。 由乃はつい三十分ほど前から、この毛糸玉と格闘している。道具と手引きは家にあったから、それを使う。毛糸は自分で色を選びたかったから、学校帰りに買ってきた。 コーディネイトしやすいように、毛糸の色はブラウン。それを決めたのはいいけど、セーターというのがあまりよくない。編み物の手引きによると、セーターは編むのに時間がかかる上に失敗したら着られないものが多いらしい。間に合わなかったら元も子もないし、着られなくても一緒。――というわけで、初心者向けのマフラーを編むことにした。 しかし、このマフラーというのもあなどれないものだった。初心者なら一ヶ月ぐらいを見積もっておいた方がいいらしいけど、クリスマスイブまでもう二週間と少し。これはかなり、気合を入れていかないといけない。 「あー、もうっ」 また編み針から毛糸が抜けた。元に戻すのは大変だっていうのに、これで何度目だろう。 由乃は、自慢じゃないが手芸のセンスはない。つまり、細かい作業は得手ではないのだ。 それでも、これはしっかり完成させないと。爆弾がどうとか言っている場合じゃない。 (何か、他の例えはなかったのかな) そんなことを考えながら、編み棒を繰る。――と、いい例えを思いついた。それは筆舌に尽くしがたいほど、恥ずかしくも乙女チックな例えだったけど。 「よーし」 由乃はもう一度意気込んで、編み棒に立ち向かう。努力した分だけ、込められた愛情に繋がる。そう思えば、きっといくらでも頑張れるだろう。 「……」 ひたすら無言で、マフラー作りに励む。こんがらがったり、毛糸玉を蹴飛ばしてしまったり。それでもさっきまで感じていたイライラは、祐麒君のためだと思うと自然に収まってくる。 本当は、ちゃんと教えてくれる人がいればいいんだろう。そう考えると、まっさきに思い浮かぶのは令ちゃんの顔。けれど、何て言って教えを請いに行けばいいのか。このマフラーは、祐麒君のためのものなのだから。 (令ちゃんは、分かってくれるかな……) 異性を好きになるっていうことを。そして令ちゃんは、このことを知ったら何て思うだろう。 由乃は、まだ令ちゃんに詳しい話をしていない。祐巳さんに切り出すのは簡単だったけど、令ちゃんには一体どう説明したらいいか分からないのだ。 「由乃、入るよ?」 それでも、言わなくてはいけない時がくる。こんな風に、唐突に。 「――令ちゃん」 確認するまでもなく、部屋に入ってきたのは令ちゃんだった。手にお盆を持ち、その上にはお皿とカップが二つづつ。そのお皿の上にのせられているのは、どうやらケーキらしかった。 「何、それ?」 「試作品のケーキ。そういう由乃が持っているのは……?」 そう言うと令ちゃんは、由乃の手元を覗き込む。扉に背を向けて編んでいたから令ちゃんの方からは見えなかったはずだけど、手元を覗かれては一目瞭然だ。 「由乃、……それ」 令ちゃんは『それ』を見ると、寂しそうに目を細めた。それで全て解ったんだろうって思って、由乃は胸が締め付けられた。 「それ、祐麒君に上げるんだね」 「……分かるの?」 令ちゃんはお盆をテーブルの上に置くと、由乃の横に腰かけた。ベッドが揺れて、網掛けのマフラーがふわりと揺れる。 「一番近くにいたからね。どうしても、分かっちゃう」 「いつから?」 「さあ、いつからだろうね。由乃が祐麒君とデートした日からだったかな、もうちょっと後だったかな」 一口だけ紅茶を飲んだ令ちゃんは、さして動揺もみせずに言う。それだけ由乃が分かりやすく変わって、それを隠せないほど好きなんだろうって、身に染みて分かった。 「令ちゃん。私、本当に祐麒君のこと――」 「ストップ。その先は言わないで」 令ちゃんはそう言うと、由乃の唇にそっと人差し指を置いた。 「その先を言うのは、由乃も辛いでしょ。私も、聞くのが辛い」 ――ああ、やっぱり。 令ちゃんは、嫌と言うほど由乃を理解している。由乃の気持ちだけじゃなくて、その中の動きまでも。 きっと由乃の言葉は令ちゃんにとって辛くて、それを告げるのも辛い。はっきりと聞きたいはずなのにそうさせないのは、令ちゃんだからこその優しさであり、自己防衛だった。 「令ちゃんは、それでいいの?」 「いい、って? そういうことは、由乃自身で決めることでしょ」 由乃の好きな人は、由乃が決めるべき。――令ちゃんは、そう言いたいんだろう。 けれど由乃は納得できそうになかった。逆の立場になったと考えたら、由乃はきっと平気じゃいられない。令ちゃんみたいに、大人の行動を取れそうにない。 理解はできるだろうし、納得しなきゃいけないだろう。そう、思っているのに――。 「どうしてよ。私のこと、そんな簡単に切り離せるっていうの!?」 気が付けば、叫んでいた。違う道を歩き始めようとするのは由乃の方なのに、由乃を傷付けないための優しさだって分かっているのに、どうしても納得できなかった。 妙に達観している態度は、きっと由乃を優しく包んでくれるだろう。けれどそれが由乃を締め付けているんだって、令ちゃんは分かっていない。 「私の気持ちが令ちゃん以外に向くのを、どうしてそんな風に受け入れられるの。私の『世界で一番好きな人』が変わっちゃうのに、令ちゃんは平気なの? 私ってその程度だったの!?」 ――違う、こんなことを言いたいんじゃない。 本当なら責められるのは由乃の方で、原因だって由乃の方。それなのに言葉は、気持ちは止まらない。 「なんで。どうしてよ。私は令ちゃんのこと大好きなのに! どうしてそんな簡単に納得しちゃうのよ……!」 「――由乃」 ふわりと、抱き締められる。溢れそうな涙が、令ちゃんの胸に吸い込まれる――。 「私は、由乃ことが好きだよ。きっと、由乃が思っているよりも」 「……なら、どうして」 「じゃあ訊くけど。由乃は他の誰かを好きになったからって、私を好いていてくれる気持ちが変わるっていうの?」 「そんなことない!」 令ちゃんの質問は、バカげている。何があったって、令ちゃんを好きっていう気持ちに変わりはない。一ミリグラムだって、その気持ちが減ることはないのだ。 「そうでしょ? それなら私は納得できる。由乃のことを、好きでいられる」 「……でも。今とは変わっちゃうんだよ? 一緒にいられる時間だって、減るかもしれない」 「それは私が卒業したら、どうしてもそうなることでしょう? それにね、私はきっと大丈夫。強くなったから」 そう言って令ちゃんは、由乃を抱き締めたまま笑った。声に出してはいないけど、きっと笑っていた。 「去年、ロザリオを返した時のことを覚えている?」 「……うん」 「由乃は、私と並んで歩きたかったって言っていたよね。私に、由乃を口実に強くなろうとするのを止めろって。それって、本当の意味で私に強くなって欲しかったから言ったんだよね」 頭の上から降ってくる言葉に、由乃は小さく頷いた。ぐすって鼻を啜ったら、鼻腔が令ちゃんの香りで満たされた。 「それなら、私は大丈夫。剣道部でも、ようやく由乃を意識せずに打ち込めるようになったし、由乃の恋も素直に応援できると思う」 「……本当に?」 「うん。私は一番由乃が好きで、一番由乃に幸せになって欲しいと願っているから」 その言葉はひたすら優しくて、嬉しくて。――だけど令ちゃんの声は震えていた。本当に微かに、震えていた。 泣いているのかなと思ったけど、違う。強くなったから、それを証明したいから、絶対に泣かない。令ちゃんは涙を流す代わりに、由乃を抱き締める腕に力を込めた。 「精一杯ぶつかっておいで。ありえないとは思うけど、傷ついたら癒してあげる。上手くいったら、祝福してあげるよ」 「令ちゃん……」 由乃は抱き締め返しながら、ギュッと目を瞑った。嬉しいけど切なくて、締め上げられた胸が涙を呼ぶ。 だけど、絶対に泣かない。令ちゃんは強くなったから、由乃も強くならないと。本当に対等に歩きたいと願うなら、由乃もそうならないといけないのだ。 「少し、寂しいね」 令ちゃんは抱擁を解くと、ケーキのお皿を由乃に渡しながら言った。 「うん……」 由乃はケーキをフォークで切りながら、一つだけ頷いた。ゆっくり口に運んだそれは、舌に甘みを伝えてくる。 令ちゃんと由乃、二人の関係が終わるわけじゃない。きっとずっと続いていくはずなのに、それなのに寂しい。 「私も何か編もうかな。寂しさ紛れに」 令ちゃんはそう言って、切なそうに笑う。――そこで由乃は、いいことを思い付いた。 「ううん、そんなことしなくていいよ。私が、令ちゃんの分も編んであげる」 「えっ?」 左手で編み棒を振って、由乃は笑った。 「クリスマスプレゼントには間に合わないと思うけど、これが出来たら令ちゃんの分も編むね」 マフラーを編むのは苦労ばかりで、まだ楽しいとは思えない。それでも大好きな令ちゃんのためなら、祐麒君にあげる分と同じような気持ちで編めると思った。 「嬉しいな。由乃に何か編んでもらえるなんて」 「うん。その代わりに、ちゃんと編み方教えてね」 由乃が「ふふっ」と笑うと、令ちゃんも笑ってくれた。 令ちゃんのことは、本当に大好きだから。きっと祐麒君用のマフラーに、負けず劣らずのものが出来ると思う。 ありったけの愛情を込めた爆弾は、この世に二つあったっていいだろう。由乃は令ちゃんの愛情たっぷりのケーキを食べながら、そう思った。
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