■ 紡いだ絆の温かさ
    三話『青信号にて、突撃』
 
 
 
 
 十二月の上旬ともなると、すっかり秋の香りはなくなっている。
 北風は冷たく、日も短い。流石に霜が下りているのはまだ見ていないけど、すっかり冬なんだなぁ、と切に感じる。
 
 そんな、金曜日のお昼休み。
 薔薇の館の二階では、祐巳と祥子さま、それに黄薔薇姉妹が昼食をとっている。
 
「……」
 
 もくもぐと咀嚼しながら、祐巳はボケっとお弁箱の仕切りを見詰めていた。……いや、ボケっとというのは語弊があるか。一応、考えていることはある。
 
「祐巳ちゃん、考えごと?」
 
 祐巳の向かいでお弁当箱を広げている令さまは、微笑しながら言った。
 流石令さま、大当たり。まあ、また祐巳が百面相していただけなのだろうけど。
 
「最近の祐巳さん、何かおかしいわよねー」
 
 由乃さんは令さまの隣で、お弁当箱をつつきながら言う。
 いや、それはあなたでしょう。――と祐巳は突っ込んだ。今祐巳が考えているのは、ズバリ由乃さんのことなのだから。
 
 このところの由乃さんの様子は、本当におかしい。ちょっと前まで重い溜息なんかついていたりしたのに、最近は妙に元気だし。
 思い出してみれば、それは由乃さんから祐麒に電話をかけてからだ。祐巳はお母さんが『由乃さんからお電話』と祐麒を呼んでいたことから、由乃さんの方から電話をかけたということは知っている。でも話の内容なんて知るはずもないし、由乃さんからその件について話してもらったこともない。
 
「祐巳? 何か悩みがあるなら、相談にのるわよ?」
「あ、いえ。悩みとかじゃなくて、本当に何でもないんです」
 
 そう。こんな風に、『相談にのって上げるよ?』と言えればいいんだけど。由乃さんから話してくれないということは、祐巳には話し難いことなのだろう。
 じゃあ話し難いことって、何なのかなと予想してみる。第一に思い浮かんでくることは、やっぱり――。
 
(やっぱり、祐麒に惚れた?)
 
 男女関係に疎い祐巳でも、昨今の由乃さんを見ればそうとしか思えない。祐巳に言ってこない理由も、それに起因しているのだろう。
 しかし、由乃さんなら真っ先に言ってきそうなのにな、と思う。
 あなたの弟をモノにしたいから協力してちょうだい――とか。いや、それはないか。
 もしかしたら、場所柄がそうさせているのかも知れない。だとしたら、一度落ち着いて話しが出来る状況を作らなければ。
 
 
 
「由乃さん」
 
 祐巳は薔薇の館から教室に向かう道すがら、由乃さんの袖を引っ張った。教室のすぐ近くだから、もう令さまや祥子さまとは別れた後だ。
 
「何?」
「あのね、明日空いている?」
「明日? 空いているけど、どうしたの」
「うん。よかったら、うちに遊びに来ない?」
 
 祐巳が真剣な目をして言うと、由乃さんも察してくれたのか真面目な顔つきになった。
 顎に手をそえ、「うーん」と五秒。やがて由乃さんは、小さく笑って口を開いた。
 
「いいわよ。色々話したいことがあるし」
「……うん。私も」
 
 よかった、ちゃんと話してくれるつもりだったんだ。
 祐巳は安心すると由乃さんに微笑み返して、それからゆっくりと教室の扉を開けた。
 
 

 
 
 土曜日の、放課後。
 しっかりと昼まで授業を受け、家に帰ってご飯を食べて。身支度をしてから福沢家に向かうと、到着した頃にはもう午後二時半を過ぎていた。
 
(何も問題ないわよね)
 
 自分の身なりを見て、最終確認。お気に入り(令ちゃんが)のシフォンスカートには皺一つないし、髪型もクセを取ってきたからサラサラ。
 よし、問題ない――。そう意気込んで、見上げた福沢邸。祐巳さんの家であり、また祐麒君の家でもある。過去にも遊びに来たことはあったけど、今回ばかりは状況が違う。
 一応由乃は、祐麒君と鉢合わせする可能性を見越してやってきた。あの時の写真も、会えたら渡そうと思って持ってきている。
 
「……よし」
 
 心の準備はできた。堂々と、チャイムのボタンを押す。切り込み隊長って、こんな気分なのかなと思う。
 暫くするとドタドタと走る音が聞こえて、玄関の扉が開いた。
 
「いらっしゃい、由乃さん」
「うん。お邪魔します」
 
 祐巳さんが手の平を家の方に向けて『さあどうぞ』ってポーズをしたから、由乃は恭しく靴を脱ぎ、家に上がらせてもらう。
 祐巳さんの部屋に通されると、すでにテーブルとお菓子が用意されていた。紅茶は淹れ立てのを、ということで蒸らし中。何とも手厚い歓迎だ。
 
「一応、先に言っておくとね」
「え?」
 
 祐巳さんは、カップを並べながら言った。
 
「祐麒はまだ帰って来てないから。それによっぽど大きな声を出さない限り、話を聞かれる心配もないよ」
 
 はっとして祐巳さんの顔を見ると、笑っていた。
 流石は親友と言うか、やっぱりバレていたのだ。けれどそこには言わなかったことへの後ろめたさとか、何で言ってくれなかったのと責める視線はなくて。視線で交わす、『分かっているよ』って言葉があった。
 
「まさか、祐巳さんに看破されるとはね」
「近くにいればね。分かるよ、何となく」
 
 ピピピ、とタイマーが鳴る音。その音は、紅茶の蒸らしが完了したことを知らせている。
 カップに注がれる薄い赤茶の液体と、立ち上る芳香。まずは一口飲んでから話そうと、由乃はそう決めた。
 
「それじゃ、何だか色々お疲れさまってことで」
「何それ」
「細かいことは気にしないで。はい、乾杯」
「うん、乾杯」
 
 カチリと、カップを触れ合わせる。そこまでする必要はなかったけど、これは気分の問題だ。
 ふぅ、と少しだけ息を吹きかけ、一口目を飲む。熱い液体が舌を転がり、お腹に向かって駆け下りる。
 それから鼻腔で遊ぶ香りを十分に満喫した後、由乃はゆっくりと口を開いた。
 
「私ね、祐巳さん」
「うん」
「どうやら祐麒君のこと、好きになっちゃったみたいだわ」
「やっぱりねぇ」
 
 由乃の言葉に、祐巳さんはまったく驚かなかった。予想がついていたんだろうから、当然だけど。
 それから祐巳さんはガレットに手を伸ばしたから、由乃も「いただきます」と言ってガレットを齧る。何だか、時間がゆっくり流れているような感じだった。
 
「それでさ、由乃さんはどうしたいの?」
「どうしたい、って?」
「付き合いたいとか、そういうの」
「付き合いたい、ねぇ……」
 
 正直どうなのよ? と自分自身に訊いてみる。
 付き合うというのは、お互いが好きであることが絶対条件。世の中には複雑な事情で、そうじゃない場合でも付き合っている人はいるだろうけど、この際そのケースは省こう。
 お互いが好き合っていて、休日には一緒に出かけたり、手を繋いだり、そんなこんなしたり。……最後のは置いておくとして、付き合うっていうのはそう言うことだろう。
 
「総じて言うなら、付き合いたい。付き合うっていうことを、完全に理解できてないだろうけど」
「……だよねぇ」
 
 やっぱりと言うか何と言うか、『付き合いたい』か『付き合わなくてもいい』かで言えば前者。好きな人に自分を好きでいて欲しいのは当たり前だし、それを『付き合っている』という形で約束できるのなら、その方がいい。
 しかし付き合うということは、そんな簡単に行くものじゃない。
 
「でもね、その為には祐麒君が私のことを好きじゃなきゃダメじゃない?」
「それはそうだけど。少なくとも祐麒は悪い反応してないでしょ?」
「うん、それはね。この前デートに誘われたから、少なくとも嫌われてはいないと思う」
「で、ででっ」
 
 祐巳さんは紅茶の入ったカップを落としそうになりながら、テーブルを叩いて言った。
 
「デート!?」
「……ちょっと。驚きすぎよ、祐巳さん。デートならこの前もしていたじゃない」
「いや、私が驚いているのはそっちじゃなくて。祐麒の方から誘ったっていうのが驚きなの」
 
 祐巳さんは思いのほか興奮して、熱弁を奮う。何でも『祐麒はもっと奥手だと思っていた』とか。
 なるほど、確かに女の子にホイホイと声をかけるタイプではないな、と考えていると、階下で物音がした。ガチャリと扉が閉じる音と、くぐもった「ただいまー」という声。
 
「……祐麒が帰ってきたみたい」
 
 祐巳さんの言葉に、由乃はゆっくり頷いた。
 大丈夫。声が聞こえた時は少しドキっとしたけど、緊張はしていない。心構えもしっかりしているし、何も問題ない。
 
「それで、デートっていつ?」
「まだ日は決めてないけど」
「……オッケー」
 
 ととと、と階段を上る音。続いて廊下を歩くかすかな音は、扉が開閉する音に飲み込まれる。
 全ての音が消えた瞬間、祐巳さんは由乃の手を握った。
 
「じゃ、今から決めてきたらどうかな」
「祐巳さん、それって」
「由乃さん。どうしてわざわざ私の家に呼んだか、分かる?」
 
 そう言って、祐巳さんは含みのある顔で笑う。
 これは一本取られたなと、由乃は親友の笑顔を見ながら思った。
 
 

 
 
「祐麒! 私お母さんにお使い頼まれちゃったから、由乃さんの相手お願いねっ」
 
 ……状況を説明しよう。
 祐巳が、由乃さんを、祐麒の部屋に放り込んでいった。そりゃもう凄い勢いで、部屋の様子を確認することもなく。文字通り放り込んだのだ。
 
「……あー」
 
 更に状況を説明しよう。
 由乃さんは少しだけ頬を赤らめて、そっぽを向いた。それは何故か。
 
「私、後ろ向いてるね」
 
 それは、祐麒が着替え中だったからである。
 ありえない。ありえているから現実なんだけど、本当にありえない。
 大体友達が家に遊びに来ているのにお使いを頼む親がどこにいる。どこにいるって言ったら、車庫に車がなかったから家にはいないんだろうけど。……ダメだ。混乱している。
 
(落ち着け、落ち着け)
 
 由乃さんは流石に二回目ともあってか、比較的冷静に対処している。一人だけ動揺しているのは格好がつかない。
 祐麒はささっと着替えを進行しながら、もう一度状況を回顧してみる。
 由乃さんは祐巳とお喋りなり遊びなりするために、この家を訪れた。それから、何故か祐巳が暴走した。
 
「あ。もういいよ」
「……うん」
 
 そして、祐麒の目の前には私服姿の由乃さん。サラサラと流れるストレートヘアは思わず触りたくなるほど綺麗で、服装も女の子らしく決まっている。ついでに言えばまだ少し頬が赤い。可愛い。……ダメだ、ちっとも落ち着いていない。
 
「……適当なところに座って」
「うん、お邪魔します」
 
 言った後、クッションなどを出してないことに気付く。しかしそれも後の祭りで、由乃さんは祐麒が何か言う前に、ちょこんとベッドに腰掛けた。
 
「あ、そうだ。これ」
「え?」
 
 これ、と言って差し出されたのは茶封筒。中身を確認すると、写真が二枚。もしやと思って見てみれば、やっぱり『あの時』の写真だった。
 
「よく撮れてるね」
「そうね、思ったよりは」
 
 祐麒は勉強机用の椅子に腰かけると、机の引き出しに写真をしまった。この写真は、祐麒にとっての危険因子。祐巳に見られたら、何て言われるか。
 
「それにしても。祐麒君の部屋って、やっぱり片付いてるね」
 
 しかし由乃さんは写真のことを引きずらず、明るい声で言った。由乃さんにとってはあの写真は、あまり話題にしたくないものなのかも知れない。
 
「やっぱりって?」
「何か、几帳面そうだなって思ってたから」
 
 由乃さんはそう言って、長い髪を弄くりながら部屋を見渡す。そういう何気ない仕草が、途轍もなく愛らしい。そういうことを、分かってやっているんだろうか。
 
(さて、何を話したらいいものか)
 
 何とか落ち着かせようと努力していると、次第に心臓は静かになってきた。そうなると、『由乃さんの相手』とは何をしたらいいか、ということになる。
 やはりここは、この前誘ったデートの話だろうか。この時期にデートといったらクリスマスイブが一番に思い浮かぶけど、それを言ったら驚くか。多分由乃さんも予定あるだろうし、断られたらちょっと落ち込む。……しかしデートに関してはOKを貰っているんだから、断られても大した痛手にはならないだろうし。
 ダメ元で言ってみるか、と祐麒がいきり立つと、それより先に由乃さんが口を開いた。
 
「ね、祐麒君ってよく音楽を聴くの?」
「え? あ、うん」
 
 出鼻を挫かれたな、と思いながら由乃さんの手元を見ると、そこには音楽情報誌。ベッドの近くに置いてあったものだ。
 
「例えば?」
「例えば、か。……そうだな、バンプとかミスチルとか」
「ふふっ、らしいね」
 
 由乃さんは情報誌のページをパラパラと繰りながら、ふわりと笑った。
 
「らしい?」
「うん。何か似合うって言うか」
「そうかな。……あ、じゃあ由乃さんはどんなの聴くの?」
「私? 私はこれって決めているアーティストはいないかな。一番よく聴くのは時代劇のサントラだし」
 
 由乃さんの答えを聞いた瞬間、祐麒は「ははっ」と声を上げて笑ってしまった。あんまりにも『らしかった』から。
 
「ちょっと、どうしてそこで笑うの」
「だって、らしいって言うか、似合うって言うか」
 
 由乃さんはふくれっ面で文句を言ってくるけど、祐麒は顔に浮かんでくる笑みを消せそうになかった。
 由乃さんとの会話は、不思議だ。さっきまで不意打ちをくらって動揺しまくっていたのに、こんなに自然に笑えてしまう。
 
「そう言えば前見に言った映画のBGM、よかったよね」
「あ、それは私も思った。やっぱり尺八ってカッコイイわ」
 
 尺八ってカッコイイ、とは由乃さんならではの意見。そういう個性的な面が、妙な親しみ易さを出しているだなと思う。
 
「あ、これなんだ」
 
 続いて由乃さんは、音楽情報誌の下に置いてあった地域情報誌を手に取る。
 あれはデートコースやら日にちやらに悩んで買ったもの。その情報誌からデートの話に持って行けるかな、と思っていたら、由乃さんはパラパラとページをめくっただけですぐ元に戻してしまった。
 
「ね、ちょっと本棚見せてもらってもいい?」
「うん、別にいいけど」
 
 またタイミングを逃してしまった――。と祐麒が思い悩んでいるのとは反対に、由乃さんは「どんな本を読んでるのかなー」と楽しそうに髪を揺らしている。
 由乃さんは本棚の前に立つと、上から順番に本を眺めていく。まあ、別に見られて困るものはない。少なくとも、本棚には。並んでいるのなんて、コミックか文庫本ぐらいしかないのだ。
 
「残念ながら、剣客ものはないよ」
「そうみたいね。……あ、でもスポーツマンガはあるわね」
 
 由乃さんはそう言うと一冊だけ本を抜いて、パラパラとめくった。一昔前に連載が終了した野球マンガ。しかし由乃さんのお目がねにはかなわなかったのか、すぐに元に戻されてしまった。
 
「なるほどねぇ」
 
 何が「なるほど」なのか分からなかったけど、由乃さんは一通り本棚を眺めるとベッドに戻った。
 またもちょこんと腰かけ、後ろ手をついて中空を仰ぐ。それから何を思ったのか、由乃さんは上半身だけをベッドに倒した。
 
「これが祐麒君のベッドかー」
 
 由乃さんの髪がベッドに広がって、小さな湖みたいになる。寝心地いいね、と軽く寝返りをうつ姿は、例えるなら妖精か。
 ……無防備すぎる。
 
(知ってるのか。タヌキって、もともとは肉食なんだぞ)
 
 考えて、ちょっと自己嫌悪。由乃さんは、祐麒はそんなことしないって信用してくれているから、あんな振る舞いができるのだろう。もしくは、襲われるなんて可能性すら考えていないのか、はたまた誘っているのか。……最後のだけは、ありえそうもないが。
 
「ん……?」
 
 由乃さんは寝返り状態から姿勢を正すと、ベッドの下の方からガタッという音が聞こえた。由乃さんの足が、ベッドの下に備え付けられている引き出しに当たったのだ。
 
「あ、こんなところに引き出しあるんだ」
「う、うん……」
 
 由乃さんはひょいと身を起こすと、身体をずらして引き出しを開けた。そりゃもう、躊躇いも何もなく。
 
「あっ、遅くなったけど見てもよかったかな?」
「……どうぞご自由に」
 
 事後承諾である。……というか、何が「ご自由に」だ。
 しかし、断れば怪しまれること間違いないわけであり。
 
「雑誌?」
「あ、ああ。古くなった雑誌はそこに入れてるんだ」
 
 そう、あくまで表向きは。
 しかしその実そこは、宝の眠る洞窟だ。奥に潜れば、そこに秘宝がある。
 例えるなら由乃さんの手は探求者。その探求者は、どんどん奥へと歩みを進めるのだ。
 
(まずい、まずい、まずい――)
 
 頭の中でアラートが鳴り響き、ハザードが東奔西走。
 止めなくては、と思っても、上手いいいわけが思いつかない。
 
「格闘技の雑誌とかないの?」
 
 ない。一冊もない。あるとすれば寝技について詳しく書かれている雑誌ぐらいである。
 由乃さんの手が一冊、また一冊と雑誌をどけていく。勿論、雑誌の名前や表紙を確認しながら。
 
(神さま仏さまマリアさま……!)
 
 もう誰でもいいから助けて欲しい。
 ちょっと見るだけだと思っていたら、こんなに奥までチェックするとは。ご自由に、なんて言わなきゃよかった。
 
「ふーん」
 
 尚も由乃さんは、雑誌を眺めてはどけていく。
 あと三冊、あと二冊、あと一冊、あと――。
 
「……」
 
 あとゼロ冊。――ゲームオーバー。
 由乃さんはそれを見ると肩をぴくりと震わせて、表情を強張らせたのだった。
 
 

 
 
 由乃はそれを、見なかったことにした。
 
「……あはは」
 
 下手な作り笑いを浮かべると、今までどけてきた雑誌を元に戻す。祐麒君の方を見ると、片手で額を押さえて『オーマイガー』のポーズをしていた。
 まったく、「ご自由に」なんて言うからやましいものは何もないと思っていたのに。……けれどそれは、ある種の責任転嫁。元はと言えば、由乃の行動が原因だ。
 好きだから、その人について知りたい。そう思うのは当然なわけだけど、性癖まで調べるつもりはなかった。好奇心は猫をも殺す、なんて、こういう時のための言葉じゃないか。
 
「えーと、その」
 
 由乃がバンと引き出しを閉めると、祐麒君は視線を逸らしたまま言う。由乃の行動が『なかったことに』って言っているの、分からないのだろうか。
 
「……何?」
「いやその、なんて言うか」
「だ、だから何よ、もう。私はそのぐらいで軽蔑しないってば。それとも何、カマトトぶって『きゃー不潔』とでも言えっていうの?」
 
 軽く睨みつけながら言って、由乃は『よくないな』と思った。どうしてこうも、ダメな部分ばかり出てくるのか。せめて祐麒君の半分ぐらい、優しさが備わっていればなと思う。
 
「……それならいいんだ。ごめん」
 
 唐突に訪れる沈黙は、必然と言うべきだろう。
 こんな時間は、早く払拭しなければいけない。長引けば長引くほど、自己嫌悪に繋がるだろうから。
 
「ねえ。話はかわるけど、この前『二人で出かけよう』って誘ってくれたよね」
「あ、うん」
「あれ、いつにする? この場で決めちゃわない?」
 
 ちょっと強引な話題転換だけど、気にしない。もっと前向きな話題にすれば、きっといい方向に転がってくれるだろう。
 
「いつにする、か……」
 
 そう言った祐麒君は、座った椅子をぐるりと回転させながら腕を組む。まさか忘れていたわけではないだろうけど、考えているってことはまだいつ行くか決めていなかったらしい。
 
「そうだなぁ」
 
 祐麒君は人差し指を立てて、冗談混じりに言った。
 
「今月の二十四日は?」
「二十四日って、花寺も終業式の日よね。うん、いいよ」
「そっか……。って、あれ? いいの?」
 
 祐麒君は自分から言ったクセに、目を見開いて驚いた。由乃が快諾したのが、そんなに不思議なんだろうか。
 
「何、まさか冗談だったって言うの?」
 
 だとしたら、ショックだ。十二月の二十四日と言ったら、クリスマスイブ。ロマンチックを語りたいわけじゃないけど、誰だって好きな人と過ごしたい日だから。
 
「いや、冗談なんかじゃない。ただ、由乃さんの方に予定があるかな、と思って」
「予定ね。確かに山百合会のクリスマスパーティーがあるから、夕方からしか空いてないんだけど。それでも大丈夫?」
「勿論、由乃さんさえいいんだったら」
 
 由乃はその言葉が嬉しくて、「そう?」って笑った。本当に嬉しかったから、ぽろぽろと笑顔がこぼれた。
 よかった――と、心底そう思う。祐巳さんと祥子さまみたいに、デートの日が延び延びになるのは、やっぱり避けたかった。
 
「それじゃさ、今から行くところ決めようか」
 
 祐麒君はベッドの近くに置いてあった地域情報誌を手に取ると、由乃の隣に腰かける。
 肩が触れるか、触れないかの距離。そんな距離が、十二月の部屋には温かかった。
 
「あ、これ美味しそう」
「和食? 渋いね」
 
 二人で一冊の雑誌を覗き込んで、あーだこーだ言いながら。
 由乃にとっての決戦の日は、十二月二十四日に決定した。
 
 

 
 
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