春の歌
 
 
 
 
≫Chapter.26
 パーティーの準備
 
*        *        *
 
 
「クリスマスパーティー?」
 という言葉を今年初めて口にしたのは、健二くんでも爾衣ちゃんでも、勿論祐麒でもなかった。
「って、あるんですか?」
「あるのよ、今年からね。お店が終わった後からするの」
 智恵さんは右手に持った包丁をキラン、と光らせて、楽しそうに笑った。珍しく平日の朝からシフトに入った日だった。
「ついでにクリスマスの少し前から店に飾り付けをしようと思うの。だからね」
 はい、と財布を渡された。釣銭が無くなった時に銀行に行ったり、買出しに行ったりする時に使う、お使い用の財布だ。
「飾り付けのお使い頼んでいいかしら。あ、祐麒くーん」
 そう知恵さんが呼んだ方向には、ちょうどキッチンの前を通り過ぎようとしていた祐麒の姿があった。かすれた声の「おはようございます」が、由乃の耳にも届いた。
「おはよう、ちょっと由乃ちゃんとお使い行って来てくれない?」
「え、でも今二人抜けたら」
「大丈夫よ。こんな朝っぱら来る人、そうそういないわ」
 それは確かにそうなんだけど、そんな明るく言い切っちゃってていいのかな、と由乃は思った。
「いいですけど、何を買ってくればいいんです?」
「パーティーの飾り付けよ」
「パーティー?」
「はいはい、詳しい事は由乃ちゃんに聞いてね。何を買ってくるかは二人のセンスに任せるから。行ってらっしゃい」
 有無を言わせない知恵さんの言葉が大きな手となって、由乃たちをキッチンの外に追いやった。
 さて、よくよく考えて見ると。お使いとは言え二人っきりになるのは、前にご飯を食べに行った時以来だ。あんなシーンを見てしまった後だから、余計に気まずい。
「とりあえず、行こうか。歩きながら話を聞くよ」
「あ、うん」
 今度は祐麒の言葉に引っ張られて、店の外に出た。昨日よりも冷たい空気は、より一層透明に、眩しい太陽の光を届けているように思える。
「で、パーティーって何?」
「あぁ、クリスマスパーティーするんだって。お店が終わった後に。それでクリスマスの期間中は飾り付けして置くから、飾り付けを買ってきて、って事なの」
 何故だか早口になる自分が、ちょっと恥ずかしい。どうして由乃が、そうなるんだ。爾衣ちゃんをフる所を由乃が聞いていたと知ったら、きっと祐麒の方が気まずいだろうに。
「そういう事か。けど飾り付けって、どこで買おう? 雑貨屋かな」
「百均でいいと思うよ。去年もこの時期になったら、売ってるの見たし」
「そっか。じゃあ駅前にあったな」
 そう言って歩き出した祐麒は、話している間もずっと由乃の目を見なかった。
 避けられているのだろうか。当然だと思うのに、妙に寂しくて空しい。
「なぁ」
「え?」
「……いい天気だな」
「あ……うん」
 と思ったら、そうでもないらしい。
 何か喋ろうと思って、結局出てきた話題が天気の話題なんて。なんとも祐麒らしいじゃないか。
 
*        *        *
 
 まだやっていないんじゃないかと危惧していた百円均一の店は、祐麒の記憶よりも一時間早く開店して、安っぽいブルースハープのメロディを流していた。
「こんなのでいいのかなぁ?」
 そう言って由乃が手に取ったのは、シルバーのモールだった。ツリーに巻きつけるあれだ。
「あ、綿もある」
 そう言って飛びつくように手に取ったのは、綿の詰まった袋だった。ツリーに乗せて、雪の代わりをするやつだ。店の観葉植物にはあまり似合わないかも知れないが、ちゃんとクリスマスを演出するアイテムにはなってくれるだろう。
「これ、お店の中の観葉植物に飾り付けたらおかしいかな」
「いいんじゃない? ダメなら店の外の木に飾ればいいよ」
「あ、そしたら、遠目には雪が積もってるように見えるよね。雪が降ってなかったら、あれ、あそこだけ積もってるぞってなって、客寄せになるかも」
 そう言って「ふふふ」と笑う由乃は本当に自然体で、心の芯がとろけるような安心感を覚えた。
 ――ずっとこの笑顔が見れたらいいのに。
 そう思ってしまうほどに、その笑顔は強烈だった。
「あ、ねえ。五百円でスノースプレーもあるよ」
「何それ?」
「知らないの? この一緒についてる型の上からスプレーをかけて、窓に字や模様を描くの」
 そう言って由乃が指差したのは、『Merry Chrismas』の文字が刳り抜かれた紙の型だった。他にも雪の結晶の形が刳り抜かれた物もある。
「ああ、あれか」
 よくシーズンになると、ウインドウディスプレイに施される装飾だ。こういうのを使って描くとは、ちょっと想像すれば分かるものだけど、初めて知った。
「お店の装飾には、最適だよね」
 いつの間に持ってきていたのか、由乃は買い物籠にバサバサとスプレーや型を入れた。もちろん綿もだ。祐麒が何も言わずに手を差し出すと、由乃も何も言わずに買い物籠を渡した。
 クリスマスコーナーは棚一つ分しかないというのに、よくぞここまで種類がそろっているものだ。由乃の目が、剣豪物の小説や映画を見ているように輝いている。そう言えばまだ、剣豪物が好きなんだろうか。
「ねえ、祐麒も選んで。二人のセンスに任せるって、知恵さんが言ってたでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな」
 なんだかこうしていると、昔を思い出す。
 あの頃はいつだって、こんな風に何でも楽しんでいた。それが今この時のように、懐かしいと感じるなんて、どうすれば予想できただろう。
 永遠という言葉を、それほどリアルに考えた事はなかった。それでも、この時間がずっと続けばいいと、この関係はずっと続いていくものだと、本気で思っていた。
「リースも要るよな」
 それが、思い出す度切ない。せっかく由乃が楽しそうにしている時に、何を一人でセンチメンタルになっているのだろう。女々しすぎて、いっそ笑えてくる。
「もっと大きいのにしようよ。営業中も飾るんだから」
 由乃はそう言って祐麒の持っていたリースをふんだくると、一回り大きなリースを買い物籠に入れた。
 こうして買い物をしていると、ほのかな幸せを感じるのと一緒に、ちくりとした切なさを感じる。現実を忘れるなとでも言うように、それはいつも祐麒の心の隅にある。
 街に溢れるクリスマスソング、楽しそうな由乃の姿――同じなのは、シチュエーションだけ。後は何もかも変わってしまった。
 何故今更、後悔する気持ちが沸いてくるのだろう。別れを切り出した後は、どれだけ鋭い喪失感に見舞われても、決して後悔だけはしないつもりだったし、していなかったと思う。
 恋は盲目。その状態を抜け出して、冷静にお互いを見つめて。やがて来る、よく言う『次のステージ』が、『別れ』だったという事。それだけだったと、自分には言い聞かしていたのに――。
「祐麒?」
 どうしてこんなに、かき乱されるのだろう。
「え? 何?」
「どうしたの、ずっと文房具の所なんて見て。ついでに何か買ってくの?」
 覗き込んで来る瞳が、心の底に滞っている感情を攫うようだった。ピンポン玉のように簡単に、心臓が跳ねる。
「いや、考え事してただけ」
「あのね、ちゃんと選んでよ。二人のセンスで、って言われたでしょ? これ言うの、さっきから二度目」
 呆れた顔を見るのは、随分久しぶりだ。思い返してみれば、大学に入って再会してからと言うもの、あまり素の表情というのを見た記憶がない。
 笑ったり、真剣な顔をしたり、それが偽りの表情だったというわけではない。他の人の前では見せないような、感情ありのままの表情――由乃のそんな顔を見ると、懐かしさすら感じてしまう。
「ああ、ごめん」
 もどかしい――心の底からそう思った。手の届かない歯がゆさで、どうにかなってしまいそうだ。
 
 この気持ちをなんと言うか、祐麒は知っているはずなのに。素直に認められないのは、何故なのだろう――。
 
 
 
 
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