春の歌
 
 
 
 
≫Chapter.12
 レストラン事情聴取
 
*        *        *
 
 
 ようやく祐巳とゆっくり話す機会できたのは、七月に入ってからだった。
「で?」
 注文を伝え終わった由乃は、ウェイターが居なくなるなりそう言った。人がいないお店をあえて選んだだけあって、話しにくい事を聞くにはちょうどいい場所と空気だった。
「で、って」
「決まってるでしょ。柏木さんとの事」
 お冷をコースターの上に置いた祐巳は、やっぱりなあって顔でため息をついた。やっぱり訊かれるだろうなあって事は、分かっていたのだろう。
 はっきり言って、今日の由乃は強い。由乃と祐麒が同じバイト先だった事を言わなかっただけで、祐巳はあれだけブツブツ言ってきたのだ。今度はこっちが、はっきり聞かせて貰う番なのだ。
「……どこから話したらいいのかな。というか、どこが始まりなのか分からないけど」
 そう言って祐巳さんは、グラスの水を飲むわけでもなく、ただ傾ける。視線はどこか遠くへ行っていて、由乃は部屋の片隅にある置物にでもなった気分だった。そんな遠い目、祐巳には似合わない。
「どういう事?」
「そのまんまだよ、私にもどうしてこんな風に頻繁に会う事になったか、よく分からないんだ」
 困ったような顔で、祐巳はようやく由乃を見た。困っていて、だけど本当は嫌じゃないって顔で。
 そう言えば祐麒も、「柏木先輩には昔からよく丸め込まれる」なんて言っていたっけ。似た者姉弟な所があるから、やり手の柏木さんのことだ、上手いようにやったんだろう。
「でもさ。祐巳は柏木さんの事。嫌いじゃなかった?」
「嫌いなわけじゃないんだけれど」
 祐巳は即答した。今だからそう言うのか、昔からそうなのかは分からない。
 薄々感じていたけれど、祐巳は柏木さんと会う事について満更ではないのではないか。というか、そうじゃなければ「頻繁に」なんて会わないだろう。
「そもそもさ、柏木さんってその、男色家じゃなかった?」
「私もそう思っていたんだけどね」
 あえて分かりにくい表現で言ったつもりだったけれど、祐巳はちゃんと理解していた。その上で否定するって事は――?
「優さんが言うに、『僕はバイだから』って事らしいのね」
「――あぁ」
 それは、それは。由乃もバイの意味が分からないほど、箱入りお嬢様はやってない。
 けれどそれって、どういう事だ。じゃあなんで祥子さまとの婚約を解消したりしたんだろう。柏木さんは祐麒の事を凄く気に入っているらしいから、その延長線上で祐巳の事を気に入っているだけじゃなかったのか。祐巳にはっきりそう言うって事は、つまり別の意味を持たせているっていう事だ。
「で、祐巳としてはどうなのよ」
「え?」
「その話の流れだと、もう『好き』ぐらいは言われてるんじゃないの?」
「それは、言われたけれど」
 祐巳はそう言ってセミロングの髪の先を弄った。大学に入ってから高等部に通していたツーテールを止めて、伸ばし始めた髪。昔とはまるで印象の違う友人の姿と発せられる言葉に、不意に時間の流れを感じた。
 ちょうど料理が運ばれてきて、否応なく会話は中断されてしまった。波打つコンソメスープが、不安定に祐巳の顔を映し出している。
「それって、女性として好きって事?」
 ウェイターが充分離れてから、由乃は詰め寄るような勢いで祐巳に訊いた。辺に間が出来て、焦らされていた。
「うん、そう言われた」
「はぁっ!?」
 思わず声がひっくり返った。近くの席の視線がチラホラとこちらに集まった気がしたけれど、気にならないぐらい由乃にとってそれは衝撃だった。
「で、なんて答えたの」
「答えるって。だってその時はバイだって言われる前だったし、つまり恋愛対象としてじゃなく好きだよって言われてるんだと思って」
 じゃあそれって、『僕はバイだ』発言をした時に、祐巳に告白しているようなものじゃないか。
「つまりあれって告白だったのかな?」
「……まさか今気付いたとか言わないでしょうね?」
「だって笑いながらだったし、そんな雰囲気じゃなかったんだもん」
 由乃は決して柏木さんの味方じゃないけど、これはちょっとかわいそうだ。いや、柏木さんの事だから、後から気付かせて悶々とさせる作戦なのかも知れない。というか、そう考えると策の内と考える方が正しい気がしてくる。
「それ、柏木さんの作戦よ」
「え?」
「祐巳は今動揺してるでしょ? つまり、後から気付かせて意識させる、そういう作戦よ」
「そ、そうなの?」
 いや、断言はできないけど。そう言うと祐巳はホッとしたような顔をした。
「多分、考えすぎだよ」
「……流石に柏木さんが不憫になってきたわ」
 よくもまあ、こんな所で天然を炸裂させてくれるものだ。こんなんだから、柏木さんにスルッと入って来られてしまうのだ。
 しかしよくも、ほとんど嫌いと言っていいぐらいの状態から、今の状態に持っていけたものだなと思う。二人きりで会っているだけで信じられないのに、最近は結構頻繁にあっているというのだから、本当に隅に置けない人だ。
「なんで優さんが?」
「あのさ、前から気になっていたけど、いつの間に『優さん』なんて呼ぶようになったの」
 その呼び方は、祥子さまが柏木さんを呼ぶ時と同じイントネーションだった。その名前を聞くたびに、違和感がある。
「最近だよ」
 こんがりと焼かれたトーストを千切りながら、祐巳は思い出すような仕草をした。
「祥子さまの呼び方がうつって、そう呼んじゃった事があって。そうしたら、そっちの方がいいって言うから」
 なるほど、祐巳の中で柏木さんが占める面積が増えてきているのは、よく分かった。これはもう、好きか嫌いかで言えば、間違いなく好きの方向に振っている。
「その祥子さまは、この事知ってるの?」
「そんなの、言える訳ないよ」
 そう言った祐巳は、今日で一番重たい表情を見せた。そりゃあなたの元婚約者と今こんな状況ですなんて話せる訳もなく、祐巳はきっと一人で悩んでいたのだろう。由乃にも話さなかったぐらいなんだから。
「時々、優さんと会っている時にね、一緒に居ていいのかなって思うの」
「……うん」
 何度も会うぐらいなんだから彼との時間はそれなりに楽しくて充実しているはずで、それなのにどこかで罪悪感を感じてしまう。それはきっと辛くて、切ない感触なんだろうなと思った。
 それに比べたら由乃は、なんて猪突猛進に恋をしていたんだろうか。そりゃデートの最中に令ちゃんの事を考えてしまう事はあった。けれどその感覚とは、また少し違うのだろう。
「それに私と一緒にいて、楽しいのかなとか、男女二人が一緒に居るにしても釣り合ってないなとか」
 なんとなく祐巳が考えそうな事だと思ったけれど、その心配は多分無用だ。柏木さんなら祐巳と居る事がこの上なく楽しいだろう。大学に入って化粧を覚えて、髪型も変えた祐巳は可愛らしさに拍車がかかっているし、女子大という特殊な学校じゃなかったらすぐ男が寄って来るだろう。世間一般的に見るなら、彼氏が居ない方がおかしいのだ。
「その辺は気にしなくていいよ、絶対に」
「そう、かな」
 由乃が言い切ると、祐巳は不安や心配を拭い切れないようだったけれど、表情に明るさは戻っていた。そうだ、祐巳はこのぐらい単純で居てもらわないと。
「でも、はぁ……告白かぁ」
 祐巳はまたその時を思い出したみたいに、複雑な表情になる。さっきから料理は、一向に減っていない。
「どうしたらいいかなんて、私に訊かないでよ」
「どうして? 一番身近な恋愛経験者なのに」
 その言葉を聞いて、由乃は確信した。好きとかどうとか思っていない、気付いていなくても、祐巳は今まさに『恋愛中』なのだ。
「私が今言える事は、別に祐巳からは何もしなくていいんじゃないのって事。アプローチがあったら、その時は祐巳が決めるのよ」
 柏木さんが告白を気付かないぐらいで諦めるとは思わないし、多分作戦だろうし。最終的にそれをどう受け止めるかは、祐巳次第だ。
 これがまだ祐麒と付き合っている時だったら、イケイケゴーゴーと背中を押しただろう。けれど今は、それは出来ない。祐巳は私の事をよく知っているから、それは分かってくれるはずだ。ちゃんと自分で考えて、傷つく覚悟とか勇気もいることをもえて、それから飛び込んで行けばいい。
 
 そうと決めたら、由乃は絶対に応援するから。
 
 
 
 
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