≫Chapter.04■■
ご飯を食べに
ご飯を食べに
* * *
「どうした、ユキチ?」
机に突っ伏していると、左隣から小林の声が聞こえた。二限が終わった直後の事だった。
「もの凄い眠気に襲われてる」
「それは舟漕いでるところを見てたら分かる」
傍から見ていて頑張っていた方だよ、と小林はよく分からない褒め言葉を口にして、祐麒の隣に座った。祐麒と比べると、小林の方が何倍も元気そうだ。
「小林って、バイトしてたよな。塾だっけ?」
「いや、家庭教師」
「数学以外が嫌いなお前が?」
「あのなぁ、俺がここ入るのにどんだけ勉強したと思ってるんだよ。それに比べたら、小学生や中学生に勉強教えるのなんて朝飯前よ」
朝飯前って久しぶりに聞いたな、と思いながら祐麒は頭を上げた。昨日の疲れが思いっきり残っている。頭が重くて、自分の身体なのにバランスが悪く感じられる。
「いいな、楽そうで」
「そりゃ肉体労働じゃないけどさ、結構大変だぜ。初めていく所なんかいっつも迷子になるし、スパルタママの気を損ねないようにとか、思春期の子はデリケートに扱わなくちゃとか、色々あるんだよ」
「ふーん」
まあ、どんな仕事にもマイナスの面はあるだろう。けれど余裕で時給千円を超えるバイトなんだから、そのぐらいの気遣いはあって然るべきものだと思う。つまりは楽して稼ごうなんて甘い考えという、分かりきった節理なのだ。
そこまで考えて、祐麒は自分が矛盾している事に気がついた。働いている事を実感したくて、あえてお客さんと触れる機会の多い喫茶店を選んだのではなかったか。
「で、ユキチは何でそんなにお疲れなわけ? 昨日休みだったじゃん」
「いや、俺バイトだった。しかも初日」
「ああ、あの喫茶店だっけ?」
小林が「あの」と言ったのは、祐麒と一緒に行った事があるからだ。買い物の帰りにふらりと寄って、アルバイト募集の張り紙を見つけたのだ。
「で、どうだった? バイト初日の感想は」
「……由乃がいた」
「客として?」
「いや、同じ日にバイトとして入ってきた」
「マジかよ」
小林は今日一番のリアクションで身を乗り出した。それほど驚くのも無理がないぐらい、これは稀有な出来事だ。
「でもあれだろ、祐麒の方から振ったわけなんだから気まずくないか? 双方同意の上、って感じじゃなかったんだろうし」
何故そこまで知っている、と言いたかったが、止めておいた。自分から振ったと言ったら、そういう答えに行き着いてもおかしくない。
「まあな。でも『やめない』ってメールで言ってたよ」
「なんでちゃっかりメール知ってるんだよ。じゃあそんなに雰囲気は悪くないのか?」
「まあ、普通だよ。意外なぐらいに」
本当に、意外だった。健二や爾衣ちゃんが場を明るくしてくれていたから、というのもあるのかも知れないけれど、やりとり自体は普通だった。
何より気まずく思いながらも、自然にそうする出来た自分に驚く。思いのほか、時間の流れというのは人との関係を平らにしてくれるものなのかも知れない。由乃の方が無理して普通を装ってない限りは。
「となるとこれは、運命の再開ってヤツか! 時を経て再びめぐり逢った二人、再び燃え出す恋!」
囃し立てるように言う小林に、祐麒は更に頭が重くなるのを感じた。小林のヤツ、一人で楽しそうだ。
傍から見れば、そんな風に感じるのだろうか。運命なんて言葉、偶然があればいくらでも生まれてきそうだと思った。
「そんなんじゃないだろ」
恋愛感情を失くしてしまったのは確かだし、そんな一方的に切り捨てた祐麒を恨んでいてもおかしくはないのだ。仮にもう一度やり直せたとしても、同じ結末にならないと、誰が証明できるだろう。
「そう言いつつも、また惹かれあっちゃったりして。未来の事なんで、誰も分からないぜ」
――それは、確かに。可能性がある限り、誰も先の事は分からない。
だけどそんな事を言い出したらきりが無いし、まだ何もない事を大きく言うつもりもない。あくまで今はバイト仲間だ。
「……次行こうぜ。小林も同じ授業、取ってただろ?」
「あぁ、うん。そうだな」
荷物を持って、席を立った。
今考えられる先の事なんて、あまりにも少ない。とりあえず次の授業はどうやって寝ないように頑張るか。祐麒の頭はそんな事しか考えられなかった。
* * *
「祐麒くん、今日は同じ七時あがりだったよね? 終わったらご飯食べにいかない?」
由乃はホールから聞こえる爾衣ちゃんの声に、角を曲がろうとしていた足を止めた。すぐ後ろを歩いていた健二くんが由乃にぶつかりそうになって、「うわ」と声を上げた。
「しーっ」
「え、なに、なに?」
健二くんは声を潜めながら、由乃に訊いた。だけど残念ながら、相手はしていられない。
角からそっと顔を出すと、丁度ホールが見える。眩しくて顔までよく見えないけれど、そこにいるのは祐麒と爾衣ちゃんで間違いなかった。健二くんもひょっこり、由乃の上から顔を出して様子を伺う。
「あ、うん。別にいいよ」
「じゃあ、約束ね」
眩しさに目が慣れてきて、満面の笑みを浮かべた爾衣ちゃんの顔が見えた。いいな、とは言っていたけれど、爾衣ちゃんて大分行動派だ。
そう思いながら、何故だか飲み下せない気持ちになった。質量を持った灰色の雲が、胸の中をゴロゴロ転がっている感じ。別にもう付き合っているわけでもないんだし、祐麒が誰とご飯を食べに言ったって関係ないのに。
いや、そこが違うのかも知れない。仮に付き合っている時でも、同じバイト仲間とのご飯ぐらいで目くじらが立てるのがおかしいのだ。そりゃ出来れば行って欲しくないけれど、何か相談したい事があるのかも知れないし、そうやって暗い嫉妬の念に駆られたから、ダメになってしまったのに。
「おー、爾衣もやるねー」
由乃の頭上で、健二くんがニシシと笑った。あんまり見ているとバレそうだから、止めてくれないだろうか。
そう思っていると健二くんは角から頭を離した。同じく壁にべったりくっついていた身体を剥がした由乃は、健二くんと向き合う形になる。
「ねえ由乃ちゃん、俺らも晩飯どう? 今日九時あがりだったよね」
「あ……ごめん。その時間からはちょっと」
今日は午前中と、それから夕方からラストまで。夕方のシフトの前に軽くご飯を食べておくつもりだったし、そんな体力が残っているか分からない。予想以上に疲れるのだ、接客って。
「そっか、そうだよね」
じゃあまたの機会に、という言葉に、由乃は曖昧な「うん」しか返せなかった。そんなじゃあついでに俺達も、みたいな感じで言われても、あまり行く気はしないけれど。
「で、いつまでここにいる気?」
由乃と健二くんは、予想していなかった方向から声を駆けられてびくんと背筋が伸びた。見れば奥のほうから歩いてきた三越さんが、呆れ顔で二人を見下ろしていた。近くで見てみると、この人かなり背が高い。
「ちょっと家政婦ごっこが長引きました」
「何だそりゃ」
健二くんはそう言って道を空けると、三越さんは「君らも早く来なよ」と言って二人の間を通って行った。うん、三越さんの言う通りだ。
「おはようございまーす」
由乃は前よりも大きな声でそう言いながらホールに出た。祐麒の耳がぴくっと反応する。何故だかその背中に、いつもは背負ってない何かがあるのを感じた。
――何で祐麒が、そんな反応するのよ。
もう付き合ってないっていうのに、おかしい。由乃も、祐麒も。