美しい人
 
 
 
 
≫Chapter.18
サンタのプレゼント
 
*        *        *
 
「あ、サンタ」
 あれから、一週間と少し。十二月半ばの冷たい風に身を縮こまらせながらK駅近くの商店街を歩いていると、聖さんが街頭に立ったサンタクロースを顎で指して言った。視線の先では、サンタクロースの格好をした青年が薬局の店頭に立って、試供品を配っている。
「ああ言うの見ると、冬だなぁって思いますよね」
 子供が喜んで駆け寄っていくのを見ながら、祐麒は白い息を吐いた。いつもの喫茶店を出た後、紅茶の葉を買いに行くと言う聖さんにでっち上げの理由をつけてついて来たはいいけれど、正直ここまで寒いとは思わなかった。
「もうすぐクリスマスなんだねぇ」
 聖さんは隣で白い息を噛み殺すようにそう言うと、次々現れる小さなクリスマスツリーには目もくれず、目的の店へと向かっていく。
 そう、もうすぐクリスマスだ。この前のコンパの話には、まだ返事をしていない。
 一体どうするべきなんだろう。例年通り、静かに虚しいクリスマスを過ごすべきなのか、それとも開き直ってパーッと騒ぐのがいいんだろうか。
 少なくとも後者は、今の祐麒には無理のように思えた。今日だって、縋り付く様な虚しさを覚えながら、聖さんの買い物にくっついて来ている。
「祐麒、こっち。この店」
 ボケッとしていて目的の店を通り過ぎそうになった祐麒を、聖さんが呼び止める。一緒に居る時までこんなこと考えるなんて、よくない。
 商店街に押し込められたログハウスのような店の中に入ると、ふわりと甘い香りが鼻腔を撫でて行く。カウンターを見てみると、先客が試飲しているアップル・シナモンティーの香りらしい。店内の暖かさと独特の香りに、一気に緊張が和らいだ。
「うーん、どれにいいかなぁ」
 こじんまりした店の中に、所狭しと紅茶の葉と高そうなカップ類が並べられている。聖さんは特に買う紅茶というのを決めていたわけではなかったらしく、棚を見ては首を捻っている。初めて紅茶の専門店に来たけれど、紅茶の葉にも様々な色があるのに驚きながら、祐麒も聖さんが見た物を後から追いかけた。
 カランコロンと鐘を鳴らして、茶色の紙袋を抱えた先客が店を出て行く。親しみの込められた「ありがとうございました」の後、カウンターの中の女性が言った。
「よかったら、何か試飲していく?」
 人懐っこそうな中年女性は、この店を構えて長いのだろうか。自分のキャラクターとお客さんとの距離感が掴めているようで、声をかけられるとそれだけで「よく来たね」って言われているような気分になる。
「じゃあ、これをお願いします」
 聖さんは外向きの声でそう言うと、アールグレイを指差した。アールグレイ、と言っても色々種類があるみたいだけど、祐麒には何故数あるアールグレイの中でそれを選んだのかよく分からなかった。見た目で味が分かるものでもないだろうから、多分聖さんの直感だろう。
「はい、じゃあ掛けて待っててね」
 祐麒たちはそう言われて、店の奥に用意された二人がけのテーブルを囲んで座った。テーブルの近くには手に取り易い位置に、紅茶の専門誌が並んでいる。
 紅茶を淹れてもらっている間、祐麒は何となく店の中を見回していた。商品ばかりを忙しなく見ていた時は気付かなかったけれど、こうして落ち着いて見てみると所々が洒落ていて、居心地のいい空間が演出されている。
「お待たせ」
 店主のおばさんが湯気の立つカップを目の前に置くと、今まで嗅いだ事がないぐらいいい香りがあたりを満たした。「ごゆっくり」と言われた後顔を上げて見ると、驚いた事に聖さんは何も言わず嬉しそうに微笑んでいた。残念ながら祐麒に向けてではなく、紅茶の注がれたカップに向かって。
 ……だから一々、反応するな。
 祐麒は胸が締め付けられるような錯覚を、自重するように頑張ってみた。だけど、無理だ。祐麒に向けられたものじゃなくても、こんな笑顔を見せられたら、寄せる想いが寂しく積もるばかりじゃないか。
「あっつっ」
 祐麒は動揺を悟られまいとカップに口をつけると、冷ますのを失念してもろに舌先を火傷した。慌てて紅茶を溢しそうになった祐麒を見て、聖さんは遠慮なく「ぷはははは!」と笑った。店のおばさんも、カウンターの向こうで笑っている。
「もう、何やってんの」
 くつくつと笑いながら、聖さんはカップを両手に持って紅茶を冷ましている。本当に、何をやってるんだか。
 紅茶を充分冷ましてからもう一口飲むと、漂っている香りとはまた違った馥郁とした香りが鼻から外に出ていく。火傷した舌先が、ひりひりと痛い。
 聖さんに一頻り笑われて、また穏やかな時間が流れ始めた。こうして落ち着いた今なら、訊けるかも知れない。そんな期待が膨らんで、ついにずっと頭の中に眠っていた言葉はついて出た。
「聖さんて」
「うん?」
「クリスマスの予定とか、あるんですか?」
 きょとんとした目で固まった聖さんに見つめられて、心臓が止まりそうになる。こんな顔をする聖さん、初めて見た。訊いたらマズイ事だったのだろうか。
「あるよ」
 その目のまま、聖さんはそう言った。途端に「そりゃそうだよな」って落胆が襲ってきて、祐麒の肩はがっくりと重くなった。
「いや、嘘だけど」
「……どっちなんですか」
 軽い調子でそう言われて、祐麒は別の意味でがっくりした。どうして肝心の所で茶目っ気を見せるんだ、この人は。
「本当はあったけど、なくなっちゃった」
 つまらなさそうにそう言うと、聖さんは祐麒から目を逸らした。それの意味する所がすぐに分かってしまって、祐麒はまたチクリとした痛みを覚えた。
 でも、聖さんには悪いけれど、祐麒にとってはいい知らせだった。曲がっているとは思うけれど、何故だか妙に安心した。それってまだ、祐麒にもチャンスがあるって事だ。
「クリスマスって、聖さんの誕生日ですよね?」
「そうだけど。……君は嫌がらせがしたくて、クリスマスの予定を訊いているのか?」
「違いますよ。予定がないなら、俺が祝ってあげようかなーって」
 ――言えた。言えたはいいけれど、どうしてそんな上から目線なんだと自分につっこんだ。しかも妙にぎこちない。
 だけどこんな時ぐらい、希望を抱いたっていいだろう。祐麒は真っ直ぐ聖さんを見ると、視線は一瞬だけ重なってすぐに外れる。
「あのさ」
 数瞬置いて再び視線が交錯した時、明らかに聖さんの声色は変わっていた。思いつめるような重い声に、緩んでいた気と頭のねじが締まっていく。
「私たち、しばらく会わない方がいいんじゃない?」
「……は?」
 いきなり、何を言い出すんだ。聖さんの発言に、祐麒の頭は全く追いつかない。どうしてそんな言葉が出てくるんだ。
「どうして、です?」
「私といて、辛くないの?」
 射抜くような言葉とその瞳に、祐麒は真実を針で止められたような気分になった。隠していたつもりの本心が暴かれて、寒空の下に放り出される。
「辛くなんて――」
 ない、と言い切りたいけど、無理だった。きっと全て見抜かれる。それにそう言ってしまうという事は、告白したけど振られちゃったからあっさり諦めます、と言っているようなものだ。そこまでの嘘は、つけない。
「辛くないって言ったら、嘘ですけど。でもきっと、聖さんの誕生日を祝えない方が辛いですよ」
 強い瞳で、見つめ返す。さっきまでの穏やかな空気は、そこにない。
「言うね」
 そう言って聖さんは、祐麒から視線を外した。
 確かに、聖さんの言う通りなのかも知れない。会う度に好きになって、きっとまた苦しむのだろう。
 だけど急にぱったり会わなくなって、気持ちが無くなるのを待つのも辛い。それは酷く欺瞞に満ちていて、諦めない事よりも辛辣なことのように思えた。
「前も言ったけどさ、私は祐麒の気持ちに応えられないよ」
「それでも、お互い予定のないクリスマスよりはマシなんじゃないですか?」
 本心を包み隠して、祐麒は笑いかけながら言った。でもきっとバレているだろう。きっと祐麒の目には、「諦めない」って気持ちが映っていただろうから。
「……分かった」
 すっと、視線が祐麒に戻ってくる。祐麒の顔を覗き込むその目は、心を穿つように強い。
「そこまで言うんなら、いいよ。でも変な期待はしないで。それから、プレゼント交換とかはなし」
「いいですよ」
 そう言って、やっと笑えた。ぎこちない笑みじゃなく、安心の笑みだ。希望の色は淡く薄いけれど、クリスマスを聖さんと一緒に過ごせるなら、そこまでは望み過ぎと言うものだろう。
「誕生日のプレゼントは?」
「それもなし。祝いたいって気持ちだけで充分だから」
 てっきりじゃああれをお願い、なんて言われるかもと思って訊いたら、欲のない返事に肩透かしをくらった。それは緩やかな拒絶の表れでもあるわけだけど、ダメージは受けてないフリでやり過ごす。
「分かりました。じゃあどこか行きたい所ってあります?」
「うーん、すぐには思いつかない。後で本屋に寄って、それで決めよう」
 そうですね、と返して、祐麒はようやく肩の力を抜くことが出来た。知らず知らずのうちに、身体中が緊張していたのだ。
 
 ふっとリラックスしてまた店内のぐるりと見回すと、店主のおばさんと目が合った。彼女はニコニコと笑うと、親指を立てた拳をカウンターの下から覗かせた。
 
 
 
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