美しい人
 
 
 
 
≫Chapter.13
  On the 芋煮会
 
*        *        *
 
 斯くして、小笠原家主催の芋煮会は特に合図もなく始まった。
 庭園のど真ん中に鎮座する土鍋は、それだけで目立つというのに、背景とのギャップで更に目立つ。その周りを囲む女の子たちはそんな事には気にもかけてないように、味見したり、火の通り具合を確認しながらワイワイやっている。
 祐麒はアール・デコ風の白い椅子に深く腰かけながら、「これって凄い状況だよなぁ」と今更認識しつつ、その光景を眺めていた。
 本日の芋煮会の参加メンバーは、祐麒が知っている限りの紅薔薇姉妹と、白薔薇姉妹。令さんと由乃さんと、「菜々」と呼ばれていた女の子。それに清子小母さま。こんな女性だらけの場に、柏木先輩はよく自分から行こうと思ったものだ。ひょっとしたらだけど、居心地悪そうだから、祐麒を連れて来たのかも知れない。
 普通の男ならこの状況に万々歳と喜ぶところだろうが、生憎祐麒は心底楽しめるほどの容量はなかった。終いには、ここにいてもいいんだろうかと思う始末だ。
 しかしこうも人数が多いと、祐麒まで仕事が回ってこない。具材はもう切ってあるし、重い物の運搬はもっと後で、下手すればお手伝いさんが片付けてしまうだろう。――ということで、祐麒は今現在頬杖を付きながらその様子を見守っているのである。
「祐麒さん」
 ぼけっとしていたら、不意に呼ばれて顔を上げた。視界に映った志摩子さんは、祐麒と目があるとふわりと微笑んだ。
「どうぞ、召し上がられて」
 そう言って志摩子さんは、出来たばかりであるらしい芋煮を盛り付けた器を祐麒の目の前に置いた。立ち上る湯気に、一瞬志摩子さんの姿が霞んだ。
「あっ、どうもありがとう」
「いいえ、硬かったら言って下さいね」
 志摩子さんはそう言うと、笑顔のパーセンテージを上げた。美人だ、とは知っていたけれど、間近で見るとやっぱり違う。その上祐巳情報では、これですっぴんらしい。まさにこの世の奇跡だ。
 辞去した志摩子さんの背中を見ながら、聖さんも妹を見習えばいいのになぁとか、余計な事を思った。でもまあ、志摩子さんと全く同じ立ち振る舞いになった聖さんを想像してみたら、何か怖い気がするからやっぱり今のままでいいのかも知れない。
 で、その聖さんはと言うと――目の前にいた。右手に芋煮が盛り付けられた器を持って。
「志摩子に惚れちゃダメよ」
 聖さんは祐麒の向かいの席に座ると、食器をテーブルに置いた。まさか見惚れてたのを、見られていたのだろうか。
「惚れませんよ」
 だって、という言葉を、祐麒は必死で飲み込んだ。だっての続きなんか、考えてもいないのに。
「祐麒、見惚れてたでしょ?」
 じろっと見られて、祐麒は言葉を失った。その瞳に嫉妬の色が見えなくて、少しがっかりする。
「だからって、そんなに惚れっぽくないですって」
「どうだかねー」
 ――と、そう言われてみれば、あながち否定できなかった。祐麒が初めて聖さんを見た時、もろにその容貌と表情に惹かれたのだから。
 しかしだからと言って、美人なら誰でも、というわけじゃない。実際のところ、みんな暫く見ない内に凄く綺麗になった。美人が何人居ようが、結局のところ好きになるのは一人だけだろう。
「あ、意外と美味しい」
 それにしても聖さん、それは随分な感想である。祐麒も一口食べてみたけど、確かに見た目以上に美味しかった。
「それ、何気に失礼ですよ」
「もう、うるさいなぁ」
 聖さんはそれなり以上の社交性はあるというのに、祐麒の前じゃ少しだけ子供っぽくなるのは何故なのだろう。祐麒の歳の会話レベルに合わそうとしているんじゃないかと思う時すらある。
 まあ、二つしか変わらないわけだけど、学生時代の二つというのは結構大きい。大学に入ってからはそうも感じないけれど、中等部や高等部ではその差は顕著だ。
「ところで、あの人……元黄薔薇様はどうしたんですか?」
 祐麒は庭を見回して、一人だけ知っている顔が居ないことに気が付いた。祐麒が高等部一年の時に一度だけ見たことがあるだけだから、名前を失念してしまった。
「ああ、江利子のこと?」
 そう言えばそんな名前だったっけ、と思い出しながら、祐麒は頷いた。
「あれはね、男の所」
 不意に男という単語が出てきて、祐麒は違和感を感じた。年頃の女の子なら彼氏がいても何もおかしくないし、むしろここに居る誰もに恋人がいない、と言ったらそりゃ嘘だろうって話だ。
 だけど、全員あのリリアンOG。リリアン出身者の「スレてなさ」は、東京という土地を忘れても珍しい。まあ「スレてない」と言ったら、祐麒も似たり寄ったりだけど。
「ここにいる子らって、ある意味みんな不健全よねー」
 聖さんは自分の事はさて置いて、土鍋の周りを目を細めて見ていた。
 
 
 竈の火が落とされて、二時間と少し。
 どうやら土鍋の底が見えたところで芋煮会を終わらせて、今度はお茶会にシフトしたらしい。祐麒は後片付けを手伝ったりお茶を頂きながら談笑していると、いつの間にか周りが薄暗くなっているのに気が付いた。
(そろそろお開きかな)
 みんなまだまだ口を閉じる様子はないけれど、近頃朝晩はめっきり冷える。流石に夜までよばれてしまうわけにはいかないだろうし、解散も時間の問題だろう。
 そう言えば、聖さんはどこ行ったんだろう。――って、近頃ちょっと顔が見えないだけでそう考えてしまう。まさかずっと目の届く場所にいるわけでもないだろうに。
 庭を見回して見ても、聖さんの姿はなかった。小笠原家の敷地内はちょっとした森だから、散歩でもしているのだろうか。
「ちょっとごめん」
 大して喋ってはいないけれど、一応会話していた輪からそう言って抜け出した。急に会話から抜けた祐麒を、瞳子ちゃんは不思議そうに見ていた。
 芋煮会が開かれていた庭からは、森に向かって三本の道が伸びていた。そのどれもが生い茂った木々に隠されて、どこに続いているか分からない。
 聖さんだったら、どの道を選ぶだろうか。――そう考えた祐麒は、あえて石畳の敷いていない道を歩き出した。一歩踏み込めばそこは深く暗く、一歩進むたびに夜が進んでいく気がした。まるで月明かりを頼りに歩いているように、道は不確かだった。
 だけどこの道を行って聖さんに会ったとして、どうしようと言うのだろう。何も考えずにここまで来たけど、無意識に彼女に会えることを求めてるってことなのだろうか。
 考えれば考えるほどそれは難しくて、心の中は煩雑になっているのだと知れる。まあ、どうせ会えたとしてもまた聖さんの軽口に、祐麒が応えを返すだけのことだ。
 ――そう思っていた時だった。聖さんの姿が、道の先に見えたのは。
「――え」
 祐麒は小さく声を出してしまった後、口を噤んだ。何故なら、聖さんは一人じゃなかったからだ。
 道の先は少し開けた所になっていて、古めかしい石像が立っていた。それを正面から照らすように、真新しい外灯が光っている。
 その小さな光の下で聖さんは――蓉子さんに抱きしめられていた。
「……っ」
 不意に血が冷たく沸騰して、頭に上ってくるのを感じた。目は見開いているのに、頭の中は真っ白だった。
 ――そうだ。
 祐麒は張り裂けそうな心臓を押さえつけながら、思い出した。聖さんが好きなのは、蓉子さんじゃないか。それを忘れて、ただ会えたらいいななんて思ってふらふら歩いて、祐麒は何をやってるんだろう。
 さっさとここを立ち去ったらいいのに、足は金縛りにあったかのように動かなかった。見れば見るほど辛くなるって分かっているのに、目を逸らせない。
 蓉子さんが、聖さんの耳元で何か囁く。風に乗って運ばれてきそうなそれは、しかし耳に届く事はなかった。
 よく見てみれば、蓉子さんが抱き締めているというより、聖さんが蓉子さんに寄りかかっているというのが正しい体勢だっという言う事に気がついた。その事実が、更に祐麒に追い討ちをかける。
 また蓉子さんが、聖さんに向けて囁いた。なだめるような優しい表情と、その言葉に聖さんはかぶりを振る。聖さんの顔は見えない。何を言っているかも聞こえない。そこには祐麒という存在を許す一ミリの隙間さえなかった。
 未だに心臓は落ち着かず、耳の奥で鼓動の音を聞いていた。すると不意に二人は身体を離し、また蓉子さんが何か言った。声だけは聞こえてくるのに、言葉は聞こえてこない。
「いいの」
 今度は、少し強めの聖さんの声だけが聞こえた。その言葉に蓉子さんは目を伏せ、踵を返して祐麒のいる反対側の道へと消えて行く。
 これは、一体どういうことだろう。どちらにしたって早くこの場を離れたらいいのに、祐麒が動き出す前に、聖さんが動いてしまった。
 振り返るその間、その動作はスローモーションのように見えた。まるで映画のワンシーンのように髪をなびかせ、その瞳に祐麒が映るまで、全ての時を忘れてしまっていた。
「……祐麒」
 そして祐麒は、見てしまった。その瞳が大粒の涙を零す瞬間を。
 どうして涙を流すのだろう、と思うよりも早く、祐麒はまた心が握られる感覚に見舞われていた。焦がれる気持ちというのは、こういう事を言うのだろうか。
 祐麒は自分の器なんか顧みずに、守りたいと思ってしまった。この指で涙を拭えたら、どれだけ安心するだろう。腕に抱いて慰める事ができたらどれだけいいだろうかと、そう思ってしまった。
「聖さん」
 また一筋、涙が流れて、祐麒は確信した。今頃かと自分でも呆れるぐらい、はっきりと。
 祐麒は多分もう、引き返せないぐらい、聖さんの事が――。
「――どいて」
 聖さんはそう言うと、体当りするような勢いで祐麒の横をすり抜けて行った。
「聖さん!」
 振り返って叫んだ祐麒に、聖さんは立ち止まる。
「追ってこないで」
 駆け寄ろうとした矢先に、聖さんは同じぐらいに強い声でそう言った。その言葉が魔法のように、祐麒の足を縛り付ける。
「……お願い」
 涙に潤んだ声に、祐麒は何も返せなかった。そうする事が正しいとは思わないのに、何も言えない。
 そうしているうちにも、聖さんの背中は暗闇へと消えて行った。追いかけたい。でも、聖さんに何を言ったらいいのかが分からない。
 
 遠くから、はしゃぐ高い声が聞こえる。
 魔法が解けても祐麒は、その場を動けなかった。
 
 
 
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