美しい人
 
 
 
 
≫Chapter.12
   どこのお土産?
 
*        *        *
 
 長袖に衣替えしてから、久しい10月の半ば。
 春とはまた味の違った、過ごし易い季節が来た。紅葉にはまだ遠いけれど、風はしっかりと秋の香りを孕んでいる。薄っすら開いた助手席のサイドウインドウから、強くそれを感じた。
「いい風ー」
 後部座席に座った祐巳は、喉をくすぐられた猫みたいな声でそう言った。振り向いて見なくても、目を細めているのが分かるような声だった。
 それにしても。
「僕には少し寒いぐらいだけどね」
 これは滅多にない状況だと、そう思う。隣を見れば、柏木先輩がハンドルを握りながら微笑みと苦笑を混ぜたような顔をしている。
 いつもの真っ赤なボディの、スポーツカー。福沢姉弟が揃って乗っているこの車の持ち主は、確かめるまでもなく柏木先輩で、さっきからあんまり喋っていなかったのも柏木先輩だ。
 この三人の組み合わせになったのって、どのぐらいぶりだろうか。確か何年か前、祐巳と柏木邸を訪れた時以来じゃないだろうか。
「それにしても」
「はい?」
 声の方向から、祐麒に向けて言ったのだろう。柏木先輩は流れていく信号を見ながら、ぼそりと言った。
「ユキチが来るって言うとは思ってなかったな」
「というと?」
「いや、変に遠慮して、来たがらないかと思った」
 変に遠慮して、って、その口がよく言ったものだと思った。最初連れてきた時は、強制的だったくせに。
 窓を見れば、見慣れない景色は消えて、見覚えのある閑静な住宅街に変わっている。道路は綺麗に舗装されて、明らかに緑の量が多くなっていく。これからもう三分もしない内につく場所こそ、今日の目的地だった。
「それって、ふてぶてしくなったな、って言いたいわけですか?」
「違う。ただ単に予想が裏切られて嬉しいって話さ」
 そうですか、と祐麒は相槌を打って、また流れる景色に視線を戻した。そうしながら、今日のこの珍しい組み合わせになった理由を思い出す。
 
 事の始まりは、清子小母さん――いや、祐巳たちの真似をするなら清子小母さまが、友人からのお土産でバカみたいに大きな土鍋を貰ったという話からだった。
 その友人というのが何を思って直径一メートル近くあるという大土鍋を送ったかは知らないが、清子小母さまは大喜びでその土鍋を使ってみる事にしたらしい。それだけ大きな土鍋を火にかけられるキッチンがあるというのも、驚きだけど。
 そしていざ料理を始めたはいいが、流石に一人では手が足りない。お手伝いさんが何人か手伝って具材を切っている時に、その内の一人が清子小母さまに向かってこう言った。
「私の故郷では、お芋が採れる時期になると、芋煮会というのを開くんです。河川敷や広場に集まって、こうやってみんなで具材を切ったり、鍋を囲んだりするんですよ」
「まあ、それは楽しそう。うちでもできないかしら?」
 今日の目的地――小笠原邸に向かっている理由は、そう言うわけだった。
 
『お入りください』
 インターホン越しだというのにクリアなその声の後、小笠原邸の門は自動で開いていった。相変わらず、ドラマか映画みたいな屋敷だ。
 久しぶりに見る『祐巳のお姉さまのお家』は、以前と違って敷地内の道路を覆うアーチの代わりに西洋風の外灯が並んでいる。やがて見えてきた邸宅と合わせて、ますます城っぽくなったと思う。
 緩やかなカーブを抜けると、柏木先輩は客人用の駐車場に車を停めた。他にも何台か車が停められていて、すでに何人かは集まっているらしい。その車の中に見た事のある黄色を見つけて、祐麒は一瞬動きが固まってしまった。
 芋煮会は清子小母さまが言い出したことだけど、実際人に声をかけたのは祥子さんだった。だから聖さんが居てもおかしくないし、来るかも知れないとは思っていた。というか、会えるかもなとか、期待してたのが本当の所だ。
「行こうか。二人とも、まだ庭に行ったことないだろう」
 柏木先輩は黄色い車の存在を認めたものの、気にした風もなくそう言った。きっと祐巳も、「聖さまはもう来てるんだ」とぐらいにしか思ってないだろう。
 玄関に向かって歩いていくと、当然建物の中には入らずにそのまま左に折れた。壁伝いに歩いていくと、敷地内の森を切り開くように庭が広がっていた。
 河川敷や広場を使わなかったのだからそこそこ広いのだろうと思っていたら、その通りだった。その庭の中心には煉瓦で即席の竈(かまど)が作られ、その上には件の土鍋が堂々と鎮座している。イタリア風の庭園に、オープンテラスのカフェを思わせるような椅子とテーブルが並んで、芋煮会というよりお茶会という風情だ。
 そしてその土鍋を囲んでいるのは、予想通り元山百合会のメンバーだった。知っている顔も、いくつか見える。
「あ、祐巳!」
 高く上げた手を振ったのは、由乃さんだった。いつの間に呼び捨てにするようになったんだろう。
 由乃さんの声で鍋を囲んでいた全員がこちらの方を振り向いて、祐麒は威圧感ではない、何か圧倒的な圧力を感じた。何せ「絶対顔で選んでるだろあれは」と花寺で言われていた山百合会の元幹部が、全員ではないにしろ十人近くも集まっているのだ。この状況に何も感じずに入られる男がいるとしたら、まずゲイである事を疑う。
「やあ。今日はお招きいただきありがとう」
 ――と思っていたら、いた。すぐそこに、柏木先輩という人が。ゲイかどうかの言及は避けるが、この人は単身でリリアンに赴き、その上ダンスまで披露する人だった。
 いざそのリリアンではどういう扱いだったかは祐巳を見る限りでしか知らないが、女の子たちはこちらがビックリするぐらい朗らかに言葉を返した。お久しぶりね、とか、今日は登場の仕方に捻りがないのね、とか。
「祐麒くんも久しぶりね」
 さて祐麒はこの場で何と言うべきなのか、とうだつの上がらない悩みを抱えていたら、由乃さんの方から話し掛けてきた。高校自体とは違って、三つ編みだった髪は解かれて風に遊ばせている。
「まあ、よく来てくれたわね」
 祐麒が「ああ、久しぶり」と言い終わらない内に、今度は清子小母さまが現れる。その手に具材の載ったお盆があることから察するに、家の中でそれを切ってきたのだろう。後から続いてきた祥子さんも同じお盆を持っていた。――相変わらず、母と娘には思えないほど似ている。
「あ、お姉さま、持ちます」
 令さんや志摩子さん、それに由乃さんの妹らしき知らない女の子に囲まれていた祐巳は、飛び掛らんばかりの勢いで祥子さんの元まで行ってそう言った。
「いいのよ、祐巳。そんなに重たい物ではないの」
 そんなやり取りを見ていてふと顔を向けると、竈から離れた所で蓉子さんと喋っていた聖さんは、ようやくこちらに気付いたらしい。聖さんは祐麒の顔を見るなり「げ」という表情を浮かべた。
 ――いや、違う。その表情を向けたのは、祐麒の隣の柏木先輩だ。天敵であるという関係は、今も尚継続中らしい。
「やあ、しばらくぶりだね」
 で、当の柏木先輩はと言うと、聖さんの表情に気付いているのかいないのか、率先して挨拶しに行ってしまった。来たからには全員と話さなければ気が済まない、というわけでもないだろうに。
 ひょっとしたら、蓉子さんに挨拶するだけのつもりだったのだろうか。祐麒はと言えば突っ立っているわけにもいかず、一応招待を受けた柏木先輩から招待された身、という事でついていかないわけにもいかない。何より、またいつかみたいに口喧嘩しないかと心配だ。
「あら、本当にしばらくぶりね」
「あー本当、祐麒久しぶり」
 普通に挨拶を返した蓉子さんに対して、聖さんは丸っきり柏木先輩を無視した。ちなみに聖さんとは、一週間前にいつもの喫茶店で会った。久しぶりというには少し早い。
「相変わらずだな」
「それは自分に言ってるのか?」
 聖さんは今度は無視せずに、そう言った。それにしても、どうして柏木先輩と話す時だけ男言葉になるのだろう。
「その話し方も健在で何よりだよ」
 柏木先輩の皮肉に、聖さんは「はっ」と笑った。それからまるで二人で示し合わせたように、お互い逆の方向に向かって歩き出した。あんまりにもタイミングがピッタリで、祐麒も蓉子さんも目を丸くして見合わせた。
 さて、これはどっちについていくべきか。――なんて考える暇もなく、祐麒は聖さんの後を追った。普通に考えるなら柏木先輩の後をついていくべきなんだろうけど、何故だか考えるより先に身体が動いたのだから仕方ない。振り返れば柏木先輩は小笠原家の中へ、蓉子さんは土鍋を囲む輪の中へと入っていった。
「聖さん」
 祐麒が呼びかけると、聖さんは立ち止まって振り返った。祐麒の存在を認めると、はぁっ、と息を吐いた。
「本当、女性限定かどうか確かめてから来るべきだった」
 祐麒が何か言うより早く、聖さんはボヤくようそう言った。でも、それって――。
「あ、別に祐麒がいるのはいいんだよ」
 聖さんは祐麒の心を読んだように、そうフォローした。どうも祐麒の顔というのは、聖さんにとって分かり易い顔であるらしい。
「で、どうしたの。後ろついて来たりして。何か用事あった?」
 そこで聖さんは、祐麒が呼びかけた時まで時間を戻したのかそう訊いてきた。だけど勿論、何か用事があったわけではない。
「いえ、別に」
 祐麒は平静を装ってそう答えると、聖さんは怪訝そうな顔をした。そして次の瞬間、一体何を思ったのか、聖さんの右手は祐麒に伸びていた。
「……熱はないみたいね」
 祐麒のお凸に手を当てた聖さんは、一つ頷いてそう言った。
「そりゃ、健康そのものですから」
 祐麒は尚も平静を演じながら、思う。
 熱を測る場所が心臓じゃなくてよかった、って。
 
 
 
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