≫Chapter.11■■
デートは点と点
デートは点と点
* * *
「随分遠くまで行くんですね」
祐麒がそう言ったのは、電車に揺られて小一時間経った頃だった。何度か電車を乗り継ぎ、景色や駅名を見ていると港区に向かっているのが分かる。
「もうちょっとよ」
電車の中は平日の午後、しかも中途半端な時間とだけあって空いていた。二人がけの席の窓際に座った聖さんは、ずっとぼんやりと外を見ている。
祐麒は窓の外を見ているフリをして何度か聖さんの表情を伺ったけれど、そこからは何も読み取れなかった。何か驚かしてやろうとか、凄い楽しみだとか、そんな感情も読み取れない。まるで一人旅でしているみたいな落ち着き方だった。
本当に自分が着いて来る意味があったんだろうかと思っていた時、聖さんは窓の外を見たまま「次の駅で降りるよ」と言った。とりあえず空気とまではいってないらしい。――というのは、卑屈になりすぎか。
ゆっくりと停車し、開いたドアから出て行く人の波に乗って外へ出た。そのままその流れに乗って外に出ると、微かな潮の香りを含んだ風がそれぞれの髪を揺らす。
「目的地って、ここですか?」
「そう、ここ」
祐麒は駅の出口から正面に見える建物を見上げてそう言った。なんてことはない、東京にはありふれたコンセプチュアルなショッピングモールだ。
まさか遊園地に行くとは思っていなかったけれど、普通にショッピングモールに行くとも思っていなかった。具体的にどこ、とも考えていなかったわけだけど。
「ここが『一人じゃ行きにくい場所』ですか?」
歩きながら、祐麒は聖さんに言った。
「あ、何、デートの行き先がここじゃ不満?」
またデートなんて単語を出されて、どきっとする。聖さんのことだから、デートとも何とも考えてないだろうに。
「だって、一人じゃ行くには虚しい場所だよここ。遠いし」
たしかに、このショッピングモールは遠いし、なんとなく友達同士でいく所みたいなイメージがある。聖さんにとって『誰かと一緒に行く所』という既成概念があるのかも知れない。
「まあ、確かに」
「でしょ」
周りを見て見れば女性同士の二人組みや、カップルが多い。勿論、一人でそこに向かう人がいないわけではないけれど、かなりの少数だ。
聖さんは目の前を歩くカップルの、指を絡ませて繋いだ手を見ながら不意に言った。
「祐麒、せっかくのデートなんだし、手でも繋ぐ?」
祐麒を見る瞳は、明らかに面白がっていた。
「別にいいです」
「ちぇ、さっきから可愛くなーい」
それを言われるのは今日二度目だ。じゃあ繋いで下さい、って言ったら、聖さんはどうするんだろう。素直で可愛い弟分、みたいに思うんだろうか。
そう考えると、咄嗟に断ってしまったのが惜しく感じてくるから不思議だ。祐麒と聖さんが手を繋いでいるところなんて上手く想像できないし、無理にした所でむず痒い。それなら以前の飲み会の行きの時みたいに腕を組む方が、まだ現実味がある。なんと言っても、現実に起こったことなのだから。
モールの中に入ると、聖さんの歩みは遅くなった。今までモールという行き先が会ったから真っ直ぐ歩いて来たものの、特に目的地は決めていなかったのだろう。このモール自体が目的地なのだ。
「うーん」
それから聖さんはひたすら店頭に出されているマネキンの着た服を見て、そのどこにも入らなかった。「もしやウインドウショッピングをしに来たんじゃないだろうな」と思い始めた頃、聖さんは祐麒の腕を引っ張った。
「ここ入ってみよう」
もしやこのまま前みたいに腕を組んだままいるつもりか? と思ったけど、聖さんの手は店に入ったらするっとその腕から抜けていった。少しばかり寂しい気になるのは、もう仕方のないことだと思う。
その店はレディース向けのアパレルショップだった。当然ながら、女性向けの衣服がひたすら並んでいる。とは言っても店自体が大分広いので、ところ狭しと言った感じではない。いわゆる薄利多売型の量販店ではなく、ブランドショップってやつなのだろう。
「これ、どうかな」
聖さんが手に取ったのは、白いブラウスだった。襟元に入った刺繍がソリッド感を醸し出す、何となく高そうな感じの服だ。
「あ、こっちの色の方がいいかな」
祐麒が手に持っていたところで手を離されたから、自然とそのブラウスを渡される形になった。ちらと値札を見てみようとタグを見ると、Mと書かれたタグの下にあった値札には、信じられない値段が書かれていた。――こんなにシンプルでひらひらの服が、五桁もするなんて。
「これもいいなー」
と言って聖さんは、色違いのブラウスを祐麒に渡すと、別のブラウスを手に取った。言うまでもないが、祐麒はショップの店員ではない。
「こっちはどうするんです?」
祐麒は左手に白、右手にクリーム色のブラウスを持って訊いた。正直、大して変わらない気がするけど。
「祐麒はどっちがいいと思う?」
「俺に訊くんですか?」
「いいから、どっち」
これは、結構難題だ。まあどっちも似たような物だから、聖さんも迷っているんだろうけど。
「こっち、ですかね」
祐麒は左手を上げて、白いブラウスを掲げた。
「じゃあそっちにする」
そう言って聖さんは右手に残っていたクリーム色のブラウスを元に戻した。「じゃあ」って、どう言う意味だろう。
「そんなんで決めていいんですか?」
「だって、祐麒が客観的にみて私に似合うって思ったんでしょ?」
それは、確かにそうだ。
祐麒はようやく、「一人じゃ行きにくい」だけじゃない理由を見つけられてほっとした。聖さんって何でも自分で決めそうだと思っていたけれど、少しでも祐麒の目が信頼されているってのは、結構嬉しい。
それから十分ぐらい店中を見てまわって、結局買ったのはそのブラウスだけだった。だけど勿論、それだけで終わるはずがない。
「あ、このお店入ってみよ」
祐麒に荷物を持たせたまま、聖さんは次の店へと入って行った。断言しよう。これはデートじゃなくて、単なる付き添いだ。
それから聖さんは六回も店を変えて買い物を続け、いつの間にか祐麒の両手は手提げ袋に塞がれていた。時間にして、およそ四時間。女の買い物は時間がかかる、という古臭い台詞は、聖さんにも当てはまるらしい。
「いやー、買った買った」
聖さんは右手で祐麒の持った袋をぱしぱし叩きながら、そう言った。流石に祐麒に持たせ過ぎたと思ったのか、最後に買った服だけは自分で持っている。
時間は既に夕刻を過ぎて、抜き抜けから見える空には夜の帳が下りている。昼間の暑さを忘れさせるような気温に、やっぱり今は九月なのだと認識する。
「さて祐麒、今日はデートだったよね」
「はぁ」
「じゃあデートらしく、ご飯食べて行こうか」
聖さんは祐麒の生返事なんか気にせず、その問いかけの答えさえ聞かないままさっさと歩きだした。それはデートだからじゃなくて、お腹が空いてるからだろう、と祐麒は言いたい。言ったら拗ねたり、「可愛くない」とか言われるから言わないけれど。
飲食店の集まる場所に移動すると、聖さんは顎に手を添えてショーケースの中を見ていた。祐麒も同じくショーケースの中を見ていたけれど、他のモールに比べて平均価格が高い気がする。
「どこがいい?」
一通り店を回ると、聖さんが問いかけた。今までぐいぐい自分の行きたい店に行っていたから、食べる所もそうなんだろうと思っていただけに、その質問は意外だった。
「どこでもいいですよ。聖さんの好きな所で」
「もう、分かってないなぁ。……いいから祐麒が選びなさい」
そう、年上の特権みたいな言い方されると、どうにも弱い。というか、言い返せない。
「えーと、じゃあちょっと戻りましょうか」
そう言って祐麒は、来た道を少しだけ戻って一つの店の前に立った。感じの良さそうな、イタリアンのお店だ。
「おっ、気が合うねぇ。私もここがいいと思ってた」
それが本当かどうかは知らないけれど、嫌ならばもっと別の感想を言うだろう。その店に入って席に案内され、荷物を体を落ち着けるとようやく買い物から解放されたのだと安心した。
「よーし、決ーめた」
祐麒より先に注文を決めた聖さんは、パタンとメニューを閉じた。祐麒の方がずっと迷ってばかりというのも格好悪いから、無難にファミレスとかでも見かける料理にすることにして、祐麒もメニューを閉じる。
店員に注文を伝い終え、テーブルを挟んで向かい合うと、ようやくデートらしい状況になれた気がした。こうして真正面から聖さんを見ると、相変わらず綺麗だし、これって滅多にないことだよなぁとシミジミ思う。
「ありがとね、今日は」
「へ? あ、はい」
改まって礼を言われるとは思ってなかったから、間抜けな返事になってしまった。しどろもどろになる祐麒を見て、聖さんはぷっと吹き出す。
「祐麒って、本当に祐巳ちゃんの弟よねぇ」
「それってどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味よ」
聖さんは顔だけ笑ったまま、料理より先に届いた飲み物を手に取ると、まだ置いたままだった祐麒のグラスにそれを当てた。かんぱーい、と、それで流してしまうつもりらしい。
やがて目の前にそれぞれの頼んだパスタが揃うと、祐麒は一口目を嚥下してから言った。
「どうして俺だったんですか?」
「んー?」
聖さんは口をもごもごしながら言った。話かけるタイミングが悪かった。
「どうして、って?」
「いや、俺じゃなくても学校の友達とかでもよかったんじゃないかなーって」
「そうだけどね、三年生の就活の忙しさを舐めちゃいけないわよ」
私はもう関係ないけど、と言った聖さんは、そう言うからには就職が決まっているんだろう。
「じゃあ聖さんは、就職はどこに?」
「……どこだと思う?」
こう、質問に質問で返さないで欲しいものだ。どこだと思う、と言われても、皆目検討もつかない。
「じゃあ、じゃあ学科は何なんですか?」
「文学部英米文学科。さあ、ヒントはこれまで」
「うーん」
ヒント、ということはつまりそれに関係があるということで、英米文学科と聞いて思い浮かべる職種と言えば、かなり限られてくる。
「翻訳して、映画の字幕を書く仕事?」
「ぶー。そんな大口の仕事が新人に任されるわけないでしょ」
「じゃあ、本の翻訳」
「うーん、まあ似たようなものかなぁ。経験積むとそういう仕事も回ってくるのかも」
聖さんはパスタをフォークに巻きつけながら言った。どうにも曖昧だけど、間違いでもないらしい。
「最初は、海外のサイトの日本語ページを作る時の翻訳をする仕事だって。それから経験を積んだら、絵本の翻訳とかも任せてもらえるんだってさ」
だってさ、と、まるで人事みたいにそう言った。祐麒はパスタを口に吸い込みながらちらと聖さんの顔を見たけど、やっぱり興味の薄そうな顔だった。
「まあそんな訳で、今日のお供は祐麒に決定したのでした」
「……そりゃ光栄です」
「あ、また拗ねた。でもね、これって凄いことだよ。私が男と出かけるなんて、まずないからね」
不意に出た『男』という単語にはっとして、祐麒はもう一度聖さんの顔を見た。聖さんは目を伏せ、またパスタをくるくるやっている。
「だから祐麒といると新鮮なんだ。私男友達って、一人もいないからさ」
なんだ、何を言ってるんだ。――予想もしていなかった言葉に、祐麒は戸惑っていた。
男友達と聞いて、柏木先輩の顔が浮かんだけど、あれは友達というより天敵だろう。唯一の男友達、という言葉には、不思議な力があった。
「でも俺と一緒にいて、楽しいですか?」
――で、一体祐麒は何を言っているのか。何か言葉を返さなくちゃと思って紡いだ言葉は、自分に自信が無い男が口にしそうな、全くもって気の利いてない言葉だった。
「まーた卑屈になって。……祐麒は私といて楽しくないの?」
「そんなことないですよ」
祐麒は自分でも驚くほど早く、その言葉に反応した。今度はちゃんと、聖さんと目が合った。
「でしょ。私も祐麒と一緒にいて楽しいよ」
そう言って聖さんがニコッと笑った瞬間、祐麒の中で何かが崩れた。ピンと張られた糸が切られたというか、何かが炸裂したような、頭を横殴りにされたような――とにかく形容し難い感覚が、祐麒を襲ったのは間違いない。
初めてみる笑顔の種類だ。いつもの悪戯っぽい、擬音をつけるなら「ニッ」て感じの笑顔じゃなくて、本当に純粋な笑顔。一度観ただけで頭の中に虹がかかりそうなほど、晴れやかで鮮やかな、胸を打つ笑顔。
「……何。人の顔ぼーっと見て。私の顔に何かついてる?」
「あ、いや、何も」
顔の右半分を手で覆った聖さんを見て、祐麒はようやく目を逸らした。いくら何でもさっきのは見すぎだった。
「変な祐麒ー」
ああ、確かに変だと思う。
ちょっと笑顔を見せられたぐらいでこんなに心臓が驚いてるなんて、本当にどうかしているに違いない。