美しい人
 
 
 
 
≫Chapter.06
  再びミス・勘違い
 
*        *        *
 
 祐巳はテーブルの上の照明に照らされながら、呆けた顔でぴったりとくっついた祐麒と聖さんを見ていた。何で祐巳がここに、なんてバカな台詞を吐くつもりはない。そんなの小林が呼んだからに決まっているのだ。連れてくる女の子の弟がここにいるというのに。
「え、小林くんの彼女じゃないの?」
 さあ、また祐巳が爆発するか、と身構えたところで石田の彼女が言った。祐巳と同じく祐麒たちを見て固まっていた小林が、跳ね起きるように身振り手ぶりで話しだす。
「あ、ああ。そんなんじゃないんだけどね、まだ」
 まだってなんだ。祐麒はジロリと睨み付けたけど、聖さんに絡みつかれながらでは迫力がない。
「ねぇー、『まだ』だって! はい座って座って、祐巳ちゃん」
 成田の彼女が、隣の椅子をバンバン叩いた。流石、酔っ払った女性の勢いってのは凄い。今にも「聖さまっ!」と叫び出しそうな祐巳も、足でもさらわれたかのように、彼女達のペースに持っていかれていた。
「はーい、じゃあ自己紹介おねがいしまーす」
「えーと、こばや」
「お前はいいっつの」
 顔を真っ赤にした坂上が、小林の頭をはたいた。女の子たちがドッと受ける。
「はい、じゃあ祐巳ちゃんどうぞ」
 石田に自己紹介を振られて、祐巳はようやく我を取り戻した。
「えーと、福沢祐巳です。リリアン女学園大学一年です」
「え、福沢って?」
 そこでようやく気付いたのか、みんな祐麒と祐巳を顔を見比べた。これだけ『似てる』と言われる姉弟なんだから、苗字を言われなくても気付くと思ったが。
「もしかして、きょうだい?」
「そう、あれが弟で」
 あれ、と物でも扱うかのような口ぶりで祐麒を指して言った。何故か知らないが、祐巳は怒っているらしい。注目を浴びている祐麒から、聖さんはそっと離れた。それが何だか名残惜しいと思ってしまう祐麒は、やっぱりいっぱしの男だ。
「へぇー、似てるー」
 名前を聞くまで分からなかったというのに、みんな口々にそっくりじゃんと言う。みんなけっこう飲んでいるから、そろそろ目の方も危なくなってきたのかも知れない。
「ねぇねぇ、祐巳ちゃん何飲む? ビール?」
「ごめんなさい、お酒は苦手で」
 祐巳は顔を真っ赤にした成田の彼女に、愛想笑いを作って答えた。もう爆発する危険はなさそうだが、逆に冷静になられた方が怖い。
「あ、リリアンっていったら聖さんと同じだよね」
 坂上の彼女が、興味深そうにそう言う。
「ええ、『佐藤先輩』とは高校の時からお世話になっていて」
 わざとらしく「先輩」と言った祐巳に、聖さんは薄っぺらな苦笑いを浮かべた。冷や汗のマークでもついていそうな表情だ。
 ――まったく、何でまたこんな面倒なことに。
 祐麒はグラスに残ったビールを一気に飲み干すと、こっそり小林に近づいた。ヤツは暢気なことに、届いたばかりのスクリュードライバーを美味そうに飲んでいた。
「おい、小林」
 小林の隣に座っていた成田に席を代わって貰うと、祐麒は肘で小突いた。
「ああ? 何だよ」
「おまえ、何でまた祐巳なんか」
「だって、他に頼める子いなかったんもん、仕方ないじゃんかよ。それにお前こそ、ありゃなんだ。彼女、白薔薇さまだった佐藤さんだろ?」
「そうだけどさ」
 なんでまた、肉親がいるって分かってる飲み会にその姉なんかを誘うか。小林も祐麒の言いたい事が分かっているのだろうけど、そう言われるのを覚悟していたのか逆に開き直ってしまっている。本当に、なんてヤツだ。
「で、本当に付き合ってんの?」
 小林は他のヤツには絶対に聞こえないぐらいに絞った声で、祐麒に言った。祐麒は、かすかに首を横に振って答えた。
「やっぱりな。なら全然人のこと言えないだろ」
 確かにやっていることだけを見たら小林と一緒だが、もし居るとも知れない小林の姉をこの飲み会に誘って着ていたとしたら、同じことが言えるだろうか。
 おまえなぁ、と恨めしい目付きで小林を見ると、視界の端に祐巳がテーブルを離れるのが見えた。どうやら、お手洗いに行ったらしい。
「それにしても、よくあの人もオッケーしたよなぁ。祐麒と佐藤さんじゃ全然吊り合わない」
「うるさい」
 祐麒は気にしていることをズバズバ言ってくれる小林の言葉を受け流しながら、一分ほど待って席を立った。
「ちょっと、トイレ」
 誤解は、さっさと解いておくに限る。祐麒はトイレに向かうと、みんなから見えなくなったところで立ち止まった。
 通路の壁に背中を預けていると、しばらくした後祐巳がお手洗いから出てくる。
「祐麒――」
 祐巳は祐麒の顔を認めると素の表情で目を見開いて、すぐにさっきまでの作ったような顔になる。相変わらずポーカーフェイスは下手だ。
「どうして話してくれなかったのよ」
 祐巳は祐麒が喋るよりもはやく、責めるような口調で言った。
「は……?」
「聖さまと付き合ってるんでしょ?」
 祐巳は面白くなさそうな顔で、確かにそう言った。まさかとは思ったけれど、祐麒たちが本当に付き合っていると勘違いしているらしい。
 だけど何と言っても、祐麒と聖さんじゃバランスが悪すぎる。見た目だけじゃなくて、多分性格だって合わないだろう。祐麒のことも聖さんのこともよく知っているはずの祐巳なのに、よくそんな勘違いができるものだ。
「あのなぁ……俺が聖さんと付き合えると思う?」
「違うの? 聖さま、タヌキ顔が好きだし、ありえない話じゃないと思うけど」
 こんな時になってまで自虐ネタはいいっての、と祐麒は思った。聖さんが本当にタヌキ顔フェチだと言うなら、話は別だけど。
「情けない話だけどさ、聖さんに俺が頼んだんだよ」
「そのわりにはベッタリだったんじゃない?」
「いや、あれは、聖さんがどうせやるんだったら彼女役だって――」
「祐麒、鼻の下伸ばしてた」
「……そんなわけあるか」
 ただでさえいっぱいいっぱいなのに、鼻の下を伸ばしてる余裕なんてあるか。――ときっぱり言い切ってやりたいけど、そうできないのが悲しいところである。
「それより祐巳、なんで小林となんか」
 そう、祐麒のことはひとまずはもういいだろう。こうも面倒なことになってしまったのは、そもそも小林が祐巳を連れてきたからだ。
「仕方ないじゃない。今日買い物してたらばったり会って、いきなり土下座しようとしたんだもの」
 前に誘われた時にはっきり断ったんだけど、と祐巳を付け加えた。誰も捉まらずに一人で街をブラついていた小林の姿を想像すると、ちょっと泣ける。そしていやにリアルだ。
「それに祐麒が、人の事言えたクチ?」
「……それは」
 言えない。まったく言えない。小林ほど虚しい状況じゃなくても、やっていることは一緒だった。
 祐巳は祐麒を避けて通路を出ると、振り返って「二十秒ぐらいしてから来て」と言った。別に同じタイミングでテーブルに戻っても不審には思われないだろうけど、祐巳の方は気になるらしい。
「あ、おかえりー」
 きっかり二十秒数えてから席に戻ると、隣には聖さんが戻ってきていた。心なしか頬が赤くなっている。ちょっと、新鮮だ。
 それからグラスを確認すると、どうもまた新しく頼んだらしい琥珀色の液体が氷を解かしていた。これはちょっとどころじゃなく、結構飲んでいる。なんだかテンションも、自棄っぱちっぽいし。
「あの、聖さ――」
「聖、でしょ」
 聖さんが小さな声で制した。だけど年上の人を呼び捨てにするのって、これが中々難しい。
「それにしてもさぁ」
 そんな祐麒たちの様子なんか気にもかけずに、酒が入ってすっかり上機嫌になった石田が言う。
「祐巳ちゃんて高校時代の時から聖さんのこと知ってたんでしょ? その先輩が弟と付き合うのって、どんな心境?」
 お前はどこのTV番組の不躾な司会者だ、と祐麒は思った。よくもまあ、訊かれたくない質問ばかり思い浮かぶものである。
「うーん、そうだなぁ。……最初は驚いたけど、今思うと『佐藤先輩』って趣味悪いなぁって」
 祐巳がそう答えると、男たちの「ぶぁっはっは」という遠慮のない笑い声が響いた。流石元紅薔薇さま、棘も立派なもんじゃないか。
「そういうお前も、よく小林なんかについてきたよな」
 祐麒は止めておけばいいのにそう言い返すと、今度はみんなが声を上げて笑った。小林以外のみんなが、だけど。
「おいおい、こんなところで姉弟喧嘩は止めてくれよー」
 祐巳は何かいい返してくるかと思ったけど、仕切り役の石田の一言で口を噤んだ。確かに、ここでネチネチ言いあっても仕方ない。
「で、どうですか、佐藤先輩。うちの弟は?」
 ようやく難を逃れたと思ったら、今度は祐巳が訊かなくていいことを訊きだした。さっき聖さんと本当に付き合っているわけではないと説明したばかりなのに、何のつもりだ。
「そうねぇ」
 しかし聖さんは落ち着いたもので、取り乱した様子もなくクイッとグラスを傾ける。それにしても聖さん、飲みすぎだ。顔も結構赤くなってきている。
 果して聖さんは、この質問に何と答えるんだろう。アルコールの回った頭をフル回転させて、祐麒は考える。
 ――結構、いい男よ?
 いやそれはない。いくら完璧に彼女役を演じると約束したからと言って、そこまでサービスはしないだろう。
 ――確かに、祐巳ちゃんの言う通りかも?
 これなら、しっくりくる。何せ祐巳は『聖さんが愛人にしたい女の子』なんだから。まあどこまで本気は知らないけれど、こんなところで祐巳の機嫌を損ねてどうする。
「結構いい男よ? 流石祐巳ちゃんの弟って感じ」
 だけど、違った。聖さんはやっぱり、祐麒の想像以上の人だった。祐麒をかばいつつ、祐巳を立てる。機転が利くとはまさにこのことだろう。男たちがまた「ひょおーぅ!」と変な声を上げた。
「本当、あついよねー」
 聖さんの絶妙な返しに黙った祐巳の代わりに、石田の彼女が言った。
「さっきも写真撮るときキスしてたし」
 祐巳のこめかみがピクンと反応した。キスした覚えもなければ、それで祐巳を怒らせてしまう覚えもないというのに、何なんだこれは。
「ほらこれ、見てみて」
 そう言うと石田の彼女は、さっきまで坂本が手にしていたデジカメで撮った写真を祐巳に見せる。そんな写真あるわけないと祐麒も覗き込むと、思わず絶句した。
 液晶画面の中には、目を閉じた聖さんが祐麒の頬に唇を寄せている。
 聖さんも画面を見て言葉を失った。多分二人とも、三秒ぐらい思考が停止していた。
「ねー、聖さんって異国風の顔立ちしてるけど、恋愛スタイルもアメリカンなんだね」
 石田の彼女が訳の分からないことを言っている間にも、祐麒は食い入るように写真を見詰めていた。一体こんな写真、いつ撮った――?
「い、いやーまさか撮られてるとはなー」
 聖さんは冷や汗を隠すような作った笑顔でそう言った後、祐麒はその写真がどうやって撮られたかに気付いた。これはさっき、聖さんが祐麒に頬擦りした瞬間にとられた写真だ。目を閉じた聖さんの悩ましげな表情と、斜めから撮られたという条件も相まってキスしているように見えるけれど、唇は頬に触れてはいない。
「は、はは……」
 だからって聖さんがああ言ってしまった後は、笑って流すしかない。
 
 それからみんなが聖さんと祐麒のことをかき混ぜて、生きた心地がしなかった。祐麒に出来ることと言えば、この時間が早く終わってくれるようにと、祈ることしかない。
 
 
 
≪05 [戻る] 07≫