≫Chapter.03■■
ミス・勘違い
ミス・勘違い
* * *
『祐麒』
自分の部屋に居ると言うのに落ち着かなくて、そわそわと歩き回っているところにくぐもった声がかかった。その声の主は、言うまでもなく聖さんだ。
コンコンと叩かれたドアに「どうぞ」と返すと、扉が開かれる。
「祐麒、暇」
「と言われましてもね」
って言うか、まだ十分しか経ってないじゃないですか。祐麒がそう続けると、聖さんは子供みたいに「だってさー」と返す。
「初めて上がる人の部屋でじっとしてるって、かなり暇よ? あれこれ弄るのは、祐巳ちゃんが帰って来てからにしようって決めてるし」
いや、弄るつもりだったんかい、と祐麒は心の中で突っ込んだ。いまいち聖さんの流儀というか、考え方が掴めない。
「というわけで、この際だから祐麒の部屋のガサ入れを始めようと思います」
「というわけの意味が分かりませんけど、お断りします」
祐麒がきっぱり言うと、聖さんはまた口を尖らせた。さっきみたいに大人の配慮を見せたかと思えばこれなんだから、ますます聖さんという人が分からない。
「それって、やましいものがあるってこと?」
「それは……別にないですよ」
言った後、しまったと思った。これは誘導尋問だ。
「じゃあさ、友達とか家に呼んだ時に、勝手に本棚や机の引き出し、開けられたりしない?」
「……そりゃ、たまにありますけど」
「じゃあなんで私は駄目なの?」
そんなの聖さんだからに決まってるじゃないですか。……と言いたかってけど、喉の奥にひっかかって出てこない。言ったが最後、それってどういう意味? と話がこじれて、結局「ガサ入れ」をされるのがオチだ。
「えっと、プライバシーの侵害ですよ」
「そっか、それはいけないよね。だけど私は凄く暇だから、部屋の中の探索ができない代わりに祐麒の一挙一動を見て暇を潰そうと思うんだけど、それもプライバシーの侵害? だとしたら私はもう目隠しをされるしかないね。そんなことしたら祐麒は立派な変態だよ。さあ、どうする?」
「……勝手にして下さい」
「それってガサ入れのこと? それとも祐麒ウォッチングのこと?」
「どっちもです」
はぁ、と深い溜息をついた。まったく、この人には適わない。下手に言い返そうものなら、こうやってあの手この手で丸め込まれてしまう。
「物分りがよくてよろしい」
聖さんはそう言った後、「さあ、宝物はどこかなー」と言って『ガサ入れ』を始めた。絶対からかって楽しんでるだろ、この人。
しかし祐麒だってただ策もなくそれを了承したわけではない。鍵をかけちゃいけないという決まりがある以上、『宝物』の隠し場所には最新の注意を払っている。空き巣がはいっても見つけられまいという場所に、アレは隠してある。
「うーん」
聖さんはぐるりと部屋を見渡すと、まず壁をコンコンとノックし出した。……流石に壁の中に隠すほど、手は込んじゃいないが。
「さては」
次に聖さんは、本棚に並べてある単行本を次々に捲りだした。木を隠すには森の中、とはよく言うけど、流石にそんな危険な場所には置いてない。
次々と宝物のありかを探っていくうちに、聖さんの顔が本気になっていく。どうでもいいけど、もし聖さんが探しているのだろう成人向けの本が出てきたら、いったいどうリアクションを取るんだろう。
ないなぁ、と唸る聖さんの背中を見ていて、ふと気付いた。そう言えば、自室に家族以外の女性を招くのなんて初めてだ。いや招いたというより、勝手に入ってきたんだけど。
「やっぱり、定番のベッドかな」
そう言って聖さんがベッドを探り出して、少し心臓の動きが早くなった。――マズイ、段々と近づいてきている。
「何を探しているか知りませんけど、多分聖さんの探しているものはないですよ」
しかし、ここで平静を乱すわけにはいかない。振り向いた聖さんに、祐麒は微笑んでそう言った。
「祐麒ってさ」
それを見た聖さんが、ふっと薄い笑いを浮かべた。
「やっぱり祐巳ちゃんの弟だよね」
「へっ……?」
聖さんはそう言って、本格的に祐麒のベッドを調べ始めた。背中に冷ややかな汗が伝う。
「あの、聖さん? そろそろ祐巳が帰ってくる頃じゃないですかねぇ?」
「まだ十分も経ってないわよ」
聖さんはベッドのマットを持ち上げた。惜しい、そこは二週間前までの隠し場所だ。
「いやでも、いつ帰ってきてもおかしくないわけですし」
「そうね。でもちょっとここを調べてからにするわ。……あ、何だこれ」
聖さんの手が、マットの裏の中にある何かを探り当てた。――その瞬間、背中に緊張の糸が張り巡らされる。
「せ、せせ、聖さん、それは」
「ねえ祐麒、プライベート侵害してもいい? 私実は前から、男ってのはどんなのを読むのか興味があってね」
「駄目です、絶対駄目です。本当に、それだけは」
「おや、じゃあ強行突破しかないようだ」
「あーっ! 駄目ですって、あー、もうっ!」
マットについていたチャックを下ろそうとした瞬間、祐麒は自棄になってベッドにダイブした。手の危険を察した聖さんはさっとチャックから指を離し、ベッドは元通りになる。
「祐麒、観念しなさい」
「駄目です。絶対、引きますから。それは俺が耐えられな――うわっ、ちょっ!」
「ええい、そこをどけー!」
正しく擬音をつけるならズッタンバッタンと言った調子に、宝物を守る攻防が繰り広げられる。ベッドから祐麒を引き剥がそうする聖さんに圧し掛かれるような格好になると、何とも説明しがたい光景になる。こんなところ誰かに見られたらあらぬ誤解を――。
「祐麒、何ドタバタしてる……の」
突然扉が開かれたと思うと、部屋の中を見た祐巳が絶句していた。
「あ……祐、巳……?」
――なんてことだ。勝手に騒いでいて祐巳が帰ってきたのに気付けなかっただけでなく、こんな所を見られるなんて。
「えー、と、祐巳、違うんだ、これは」
「祐巳ちゃん、おかえり」
ありきたりな言葉で取り繕おうとする祐麒に反して、聖さんは待ってましたと言わんばかりの笑顔で祐巳を迎えた。祐麒ともみ合いになっていたことなんて、まるですっかり忘れたみたいな調子だ。
「待ってたよ。はい、これ誕生日プレゼント。きっと祐巳ちゃん、喜んでくれると思うんだけど」
口をパクパクさせている祐巳に、聖さんは問答無用でプレゼントの入った紙袋を渡した。そして祐巳の頭の上辺りを狙ってクラッカーを鳴らす。まさかとは思ったけど、この人さっきまでのことは完全に無視して押し切る気だ。信じられない。
「……か」
水槽の中の金魚みたいに口を開いたり閉じたりしていた祐巳は、やっとのことで言葉を紡ぎ出した。そして次の瞬間、叫ぶ。
「顔が似てれば誰でもいいんですかっ!? 聖さまっ!!」
言うにこと欠いてそれかよ、と祐麒は頭を抱えた。リリアンって、大学になってもやっぱり変わってる。もの凄い勘違いというか、流石にその発想はなかった。
「違うのよ、祐巳ちゃん」
そう言って聖さんはようやっと弁解を始めた。できれば祐巳の顔が真っ赤になる前にやって欲しかったが。
「祐麒が襲い掛かってきたから、私抵抗して――」
「祐麒っ!!」
「あ、ごめん、嘘、さっきのは無し」
最悪なタイミングで最悪の冗談を言った聖さんは、両手を振って撤回した。凄い形相をした祐巳に、結構驚いているようだ。身内にだけに露にできる感情というのは、往々にして激しい。
「本当はね、祐巳ちゃんをビックリさせようと思って、祐麒に頼んで家に入れてもらったの。それで待ってるのも暇になっちゃって、祐麒の宝物を見せて貰おうとしたら、暴れだすもんだからさ」
「祐麒の宝物?」
ぎくっ、という音が聞こえそうなぐらい、祐麒はその言葉に反応した。正直に話したら話したらで、問題がある。
「何です、宝物って」
祐巳は祐麒の方を見ず、聖さんの方を見て言った。珍しく強い視線で、いい訳は許さない目をしている。
「えーっと、エ――」
危機を察知した祐麒は、祐巳に見えないように聖さんの背中を小突いた。聖さんはキュッと口を閉じて、逡巡しているのが分かる。
「エ。なんです?」
「え、……映画? そう、映画のDVDよ。限定物の」
「何の映画です?」
「ポルノ映画?」
「ぶっ」
思わず祐麒は吹き出した。折角言い留まったのに、全てが水の泡じゃないか。というか、最初より酷くなっている。
「祐麒……。夜中下でTVを観てると思ってたら、そんな物観てたのね」
「ち、違うっ」
それは本当に違う。普段は観ないTVショッピングに何故だか見入ってしまったり、お目当ての深夜番組があったりしただけだ。決して――いや少しはそう言うのもあったかも知れないが、やましい事の為にTVを観ていたのではない。
「あ、ごめん、間違えた。ポルノグラビディのライブDVDだって。初回限定、数量限定の」
「はぁ……聞いたことないアーティストですけど」
そりゃそうだろう。聖さんがたった今考えたアーティストなんだから。そんなアドリブ利かせるなら、最初からそうして欲しい。
「まあそんなことはいいから、開けて見てよ」
聖さんが強引にそう言うと、祐巳は「『そんなこと』じゃないのに」とかブツクサ言いながら、紙袋を開けた。床にぺたんと座り込むと、皺くちゃになった祐麒のベッドをテーブル代わりにして、包装を解いていく。
やがてキャップをした状態のルージュが目の前に現れると、祐巳は目を輝かせた。そしてすぐにその表情を引っ込めようとして、なんだかくしゃみを我慢しているかのような顔になる。
「どう? 嬉しい? 感激? いつでも私の胸に飛び込んできてもいいよ」
「……ありがとうございます」
両腕を広げた聖さんを無視するように、祐巳は努めて素っ気無く言った。努めて、というより、無理して、という感じだった。
「あれ?」
聖さんは顔に笑顔を張りつかせたまま、疑問符を浮かべた。
ううーん、と唸ると、気を取り直して言う。
「祐巳ちゃん、お礼はチューでいいよ」
「いいえ、お礼にお茶を淹れますから私の部屋で待っていて下さい」
祐巳はまだ納得していないのか、聖さんに「嬉しい」と小文字で書かれた顔を見せないように、彼女の背を押して行く。祐麒とじゃれ合っていた、という勘違いで不機嫌になるなんて、本当「女の人」ってのは分からない。
「祐巳」
祐巳が部屋を出る直前に、祐麒は声をかけた。ややこしい事にはなったけど、これだけは言って置かなくてはいけない。
「誕生日おめでとう」
「……ありがと」
扉を閉める、その数瞬前の表情。
緩く笑った祐巳の顔を、祐麒は見逃さなかった。