■ ディベロップメント山百合会 -本編-
 
 
 
 
「はい」
 
 凛とした声だった。決して優等生タイプの人間が出す声でもなければ、気分が昂じた者のだす大きな声でもない。
 言うならば『活き活きした声』というのが正解だろう。活力に満ちたその返事と鋭い挙手の主を認めると、祐巳はいたく納得した。
 
「はい、では江利子さま」
 
 とりあえずありきたりなツッコミは止めて、先を促してみた。
 
「トイレに行ってきてもいいかしら」
「張り切ってどうぞ」
 
 江利子は勇み足で扉まで進むと、そのままの勢いで部屋の外に出た。閉まった扉を指差して「ママー、あの人なんだったのー?」と菜々が言い、「春になるとああいう人が出てきたりするのよ」と可南子が言った。あやとりの次はおままごとである。
 
「はい、じゃあ他に意見があ――」
「って止めなさいよ! 突っ込みなさいよ!」
 
 出ていったばかりの扉を開けて、江利子は叫んだ。主にお凸で叫んだ。
 対する祐巳の反応は冷ややかで、『こんな時にまでしゃばってくんじゃねーよオーラ』が湯気の如く立ち昇っている。
 
「さっきのボケ、百点満点で言えば三点ぐらいです」
「祐巳ちゃん、中々言うようになったじゃない」
「それはもう、私だって『薔薇さま』なわけですから」
 
 先々代薔薇さまと、現薔薇さま。体格(とお凸)で言えば江利子に軍配が上がるが、威容ではいい戦いをしている。祐巳がここまで変貌したのは、恐らく祥子に色々なものを抑圧されていたからであろうことは、この場にいる誰もが理解できた。
 
「で、江利子さまは何しに来たんですか」
 
 会話の節目を見つけて由乃が言った。口調は些か厳しい。
 
「何、ちょっと後輩たちが思い悩んでいるという噂を聞きつけてやってきただけよ。アドヴァイスをしにね」
「お気使いは大変ありがたいのですが、今は私たちが生徒会長としてやっているんです。オールド・ガールの出番はありません」
 
 由乃が「オールド・ガール」の単語を強調して言うと、江利子は「ほほほ」と笑った。棘のある言葉でも、江利子にとってみては蚊に刺された程度なのだと伺い知れる。
 
「そう? でも相当煮詰まっているようだし、部外者を招いているのに私の意見を拒絶するとなると、それは矛盾しているんじゃないかしら」
 
 それに私は、山百合会の悪いところをいっぱい知っているわよ。江利子がそう付け足すと、由乃は返す言葉を思いつけないのか黙り込んだ。
 ママー、お姉ちゃんが言いくるめられているよー。菜々が言うと、「お姉さまとお呼びなさいと言っているでしょ!」と由乃がキレた。おままごとについて言及はしないらしい。
 
「山百合会の悪いところとは?」
 
 先ほどまで発言の少なかった志摩子が訊いた。訊いていいのよね、と志摩子が視線を送ると、祐巳は渋々頷いた。
 
「殊勝な姿勢ね」
 
 江利子は勝ち誇ったように笑うと、全員の顔を見渡しながら言った。
 
「まず、『薔薇さま』と言う称号がのぼせ上がる原因なのよね。薔薇さまと呼ばれる生徒はご覧のように調子に乗るし、下級生から必要以上に距離を置かれてしまう。それに生徒会室だって、こんな感じに一戸建てにしちゃ踏み入りがたいでしょ? 祐巳ちゃんが山百合会を変えたいって言うのは、『薔薇の館が生徒で賑わう所をみてみたい』って言う蓉子の意思を引き継いでのことなのよね。もっと親しみ易い山百合会を目指すなら、薔薇だなんだって言い気になってちゃ駄目なのよ」
 
 江利子は珍しくまともなことを言ったが、この人も薔薇の称号の許に好き勝手やっていた人間である。説得力こそなかったが、言っていることは半ば事実であり、それぞれの胸を深く穿った。
 
「江利子さま……」
 
 一歩。祐巳が江利子に歩み寄った。薔薇の館の二階は息を飲む音に満たされ、視線は交錯する。
 ――さあ、何が起こる。図星を突かれて逆上か、それとも素直に俯くのか。
 全員がその一挙一動に注目する中、祐巳はそっと手を伸ばした。愛しそうに江利子の肩から腕をなぞり、やがて手を握った。
 
「あんまりにも長いセリフで途中からよく聞いてなかったのでもう一度最初から言って下さい」
 
 ――聞いとけよ!
 全員が脱力した。中でも乃梨子が脱力指数九十五を示して、過去最高だった。日本記録で言うと七位ぐらい。
 
「祐巳ちゃん、怒りが殺意に変わるところを見たくないのだったら、そのぐらいで止めることね」
「あら、江利子さまったら本気にしちゃって。怖いこと」
 
 祐巳は椅子に座りなおすと、「瞳子ー、お茶ー」と居丈高に言った。傍若無人とはまさにこのことである。
 
「で、本当のところどう思っているのよ。江利子さまの意見」
 
 由乃が祐巳に問いかけると、「そうねぇ」と思案顔になった。今度は真面目に考えているらしい。
 
「桂さんはどう思う?」
 
 そう問いかけられた桂はびくっと小動物のように肩を震わせた。何故こんな肝心な場所で私を使命するのよ。桂は涙目でそう訴えたが、祐巳はそもそも彼女を見ていなかった。
 
「えっと、私は……えぇっと」
「桂ちゃん、私の言うことを理解してくれるわよね?」
 
 きっと今し方桂の名前を知っただろうに、江利子は親しげに問いかけた。うんと言わなければ戸籍を抹消してよ。そんな迫力が江利子にはあった。
 
「あ、は、はいっ。江利子さまの言うこともごもっともです」
「ふーん、桂さんは私たちが調子に乗ってると思ってるんだ。ふーん」
「え、いや、その。そうじゃなくって!」
「あら、それじゃ私の意見はやっぱり間違っているって言うの?」
 
 はっきりと言ってしまおう。これはいじめの常套手段である。恐らく祐巳は、こうなると分かっていてやった。
 ママー、あの人板ばさみにあっている中間管理職のおじさんみたい。菜々が無邪気に言って、可南子は「しっ」と叱りつけた。あの人はあれが存在意義なのよ。可南子の言葉は、先ほどのいじめよりよっぽど酷い。
 
「ま、それはいいとして」
 
 祐巳はあっさりとその件を切り捨てると、今一度幹部メンバーと向き合った。
 
「江利子さまの言うことも、一理あるわ。確かに少し浮かれていた部分もあったし、『薔薇さま』って全然親しみ易くないものね」
「じゃあ、薔薇の称号を捨てると言うの?」
「捨てる、っていうのは違うかな。でも薔薇って高貴なイメージがあるから、変えた方がいいかも知れない」
 
 祐巳の言葉に、全員が固まった。結局捨てるってことじゃん。誰かが呟いたけれど、祐巳は無視した。
 
「そんな、簡単に変えるって」
 
 薔薇さま二年目の志摩子は、それがよほど大それたことのように非難の色を示した。それもそのはずであろう。薔薇の座に執着はなくとも、覚悟の上で引き受けた席なのだ。薔薇の称号は、志摩子にとっては改廃し難いものだった。
 
「でもね志摩子さん、薔薇という称号には致命的な欠点があるわ」
 
 その言葉に由乃は顔をしかめた。解せないという表情だ。志摩子が「それは何?」と先を促す。
 
「それはね、『薔薇』と『バカ』って、ちょっと似ていることよ」
「薔薇はもうそろそろ止めておきましょうか」
「早っ。志摩子さん変わり身早っ!」
「諸行無常。この世で変わっていかないものはないんですよ」
 
 由乃が思わず突っ込むと、乃梨子がフォローした。よくできた妹である。
 
「でもお姉さま、変えると言っても、薔薇に代わる称号の案があるのですか?」
 
 紅茶を淹れ終えた瞳子は、姉の前にカップを置きながら問いかけた。対する祐巳は、首を横に振って答える。
 
「いいえ、ないわ。でも、そうねぇ。タンポポなんてどうかしら」
「え? そんな、た、タ○ポンだなんて……っ」
「言ってねぇよ」
 
 全力で聞き違えた瞳子に、乃梨子が鋭い突っ込みを放った。フォローも突っ込みもお任せ。それが二条乃梨子である。
 
「白タ○ポンは新品で、黄タ○ポンはアレで、紅タ○ポンは、そのぅ……」
「黙ってろ。頼むから黙ってろ」
 
 乃梨子は瞳子に、二本のドリルを咥えさせてその口を塞いだ。新たなプレイの予感だった。
 
「タンポポは嫌な聞き間違いされたら嫌だから止めておこうかしら」
「祐巳さん、私は百合根がいいわ」
「あーはいはい、それ花じゃないから」
 
 祐巳が冷たくあしらうと、「別に花じゃなくてもいいのに」と志摩子はしょげた。その様子があまりにも可愛らしくて、乃梨子はちょっぴり鼻から出血した。
 し、志摩子さん、わ、わた、私と結婚しよう。絶対に幸せに、絶対絶対幸せにするからっ。――乃梨子はボケもいける子である。
 
「別に花に拘らなくてもいいんじゃないの?」
 
 場が混沌としてきた最中、江利子が言った。じゃあ例えば、と祐巳が訊き返す。
 
「タヌキとか?」
「ゲラウトヒア」
「祐巳さん、落ち着いて」
 
 自慢の凸に卑猥な言葉を書いてやらぁ、と暴れ出した祐巳を全員で止めた。オコジョは外見に似合わず肉食であるように、タヌキは非常に危険である。
 
「けれど、本当にどうしたものかしらね」
 
 いざ打開策が示されようと、その中身がまた決まらない。そもそも薔薇の称号を簡単に変えられるかさえも分からないのだ。
 
「ここはそれぞれ一個以上新たな称号を考えてもらって、それに投票するという形でいいんじゃないでしょうか」
 
 鼻血を止めた乃梨子が言った。上級生が頼りない時、ここぞと仕切るのは彼女の役目だった。
 
「一人一個以上、ね……」
 
 それから各々は悩みながら、いくつかの単語をホワイトボートに書き出していった。
 
 
 
 
 
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