■ 二人でクライシス -第四話-
 
 
 
 
 
 そりゃ、乃梨子ちゃんから話は聞いていた。
 偶然江利子さまにお会いして、不覚にも由乃さまの情報を流してしまいました、とは聞いていたけど。
 
「ごきげんよう、令、由乃ちゃん」
 
 水曜日の放課後、部活が終わって令ちゃんと帰っている時のことだった。数日の内にコンタクトを取ってくるだろうな、とは思っていたけど、まさか話を聞いた翌日とは。ご苦労なことというか、暇なんだなぁと思った。
 
「お姉さま――。ごきげんよう、お久しぶりです」
 
 令ちゃんも江利子さまの表情から何か企んでいることを読み取ったのか、挨拶も少しぎこちなくなっている。
 現在地は、校門を出てすぐの通り。部活終了後という時間もあって人はまばらだけど、追い越していく人はみんな江利子さまと令ちゃん、そして由乃を見て行く。まさかこの場であのことを言わないだろうな、と由乃はヒヤヒヤした。
 
「ごきげんよう、江利子さま。わざわざこんなところでお待ちになっていらしたなんて、私たちに何か御用でしたか?」
 
 御用があるなんて分かりきったものだけど、いきなり牙を剥くと窘められそうなので止めた。
 江利子さまは由乃の演技くさい台詞に、表情も変えずに答える。
 
「ええ、由乃ちゃんに話があって。ここでは往来の邪魔になるから、歩きながらにしましょうか」
 
 そう言って由乃たちの先を歩き始めた江利子さまを見て、少しだけホッとした。そしてその気遣いがなんとも憎たらしく感じるのだから、もどかしいことこの上ない。
 令ちゃんは由乃と視線を合わせると、何かに頷いてから江利子さまに続く。当然由乃だって家に帰るわけだから、結果して令ちゃんと同じ選択をせざるを得ない。
 
「由乃ちゃん、彼氏ができたって本当?」
 
 人通りのない路地に入った途端、江利子さまは訊いてきた。ここで隠したりはぐらかしたりすると、後から突付かれそうだ。
 
「ええ、本当ですけど?」
 
 だから由乃は自信満々に言うと、江利子さまはわざとらしく微笑んだ。
 
「そうなの、おめでとう。妹はいなくても、彼氏なら作る暇があったわけね」
「……」
 
 由乃がその言葉にこめかみをヒクヒクさせていると、令ちゃんは「抑えて」とでも言うように由乃の背中にそっと手を置いた。江利子さまはそれを知ってか知らずか、鷹揚に続ける。
 
「それで、順調なのかしら?」
「……もちろん、順調です」
「まあ、それはそうよね。付き合いたてだし、『あーん』ってしてあげるぐらいだものね」
「なっ――」
 
 どうしてそれを、と由乃が動揺を声に出すと、それを打ち消すように「うぉっほん」と令ちゃんが咳払いをした。乃梨子ちゃんたら、相当深い事情まで喋らされてしまったらしい。
 由乃は気を取り直すと、江利子さまの瞳を直視して言った。
 
「そういう江利子さまはどうなんです?」
「順調よ。何なら、今度ダブルデートでもしてみましょうか」
「……善処します」
 
 誰が江利子さまたちとなんか、と由乃は心の中で舌を出した。しかし即答で順調と答えられるとは思っていなかったから、出鼻を挫かれた感じだ。
 
「お相手は祐巳ちゃんの弟さんですって? さぞ可愛らしい彼氏さんでしょうね」
 
 江利子さまのその言葉には少しの揶揄が感じられて、由乃は胸をドンとせっつかれた気分になった。
 
「ええ、少なくとも髭モジャではありませんわ」
「――」
 
 由乃が微笑みながら言うと、江利子さまはやっと表情を崩した。これは結構効いたらしい。
 
「由乃」
 
 令ちゃんが諌めるように言ってきたけど、由乃は構わず続けた。
 
「それで、江利子さま。話と言うのはそれだけですか?」
「……いいえ。由乃ちゃん、そのことを公にしたくないから、新聞部と駆け引きをしてスクープを探しているって言うじゃない。そのことで、気になることがあるのよね」
 
 何個目かの角を折れると、江利子さまは由乃の瞳を覗き込みながら言った。
 
「もちろん由乃ちゃんは、もうあるんでしょう? 特ダネが。ないとは言わないわよね?」
「えっ、……ええ。もちろんです」
 
 ああ、まただ、と由乃は思った。分かり切ってはいることだけど、「出来ないわけないわよね?」とか、「ないわけがないわよね?」なんて挑発されると、とっさに「もちろん」なんて言ってしまうのだ。
 江利子さまにとってそれは予想通りの反応だったようで、満足そうな顔をして続ける。
 
「なら、どうして『私の妹はこの子です』って公言しないの?」
「それは――」
 
 当然ながら、答えに詰まる。だって由乃はまだ、菜々にロザリオを渡す約束なんかしていないのだ。
 家まではもう、何百メートルもない。令ちゃんは由乃を助けるように何かを言おうとしたけど、「令は黙っていて」の一言で沈黙させられてしまった。
 
「まさか、まだロザリオを渡す約束をしてないなんて言わないわよね。妹にする自信がないのかしら?」
「そんなこと!」
 
 由乃は、大声で否定した。また釣られてしまっているとは分かっているけど、そう言わずにはいられなかった。
 そりゃ、まだロザリオを渡す約束どころか、そうなるかすらも分からない。それでも菜々は由乃の妹第一候補であり、妹にしたいかしたくないかで言えば前者。いざとなったら絶対妹にしてやるんだ、って自信はある。……自信、というか、気概と言う方が当てはまるかも知れないけれど。
 
「そう、それじゃ何も心配要らないわけね」
「……ええ、江利子さまに心配して頂くことなんて、何も」
「それならいいのよ。ただ記事にするべきことから逃げ回るようなこと、由乃ちゃんに似合わないなと思ったの」
 
 家まで後二十メートル。江利子さまは言いたいことを言葉に詰め込むようにして、グッサグッサと由乃の痛いところを刺してくる。
 もしかしたら。いや、もしかしなくても、江利子さまは由乃の反応から『菜々をまだ妹にすると決定していない』と分かっているのだろう。そうでなければあんな挑発するようなこと、言うわけがないのだ。
 やがて島津・支倉両家の前につくと、江利子さまは嬉々として言った。
 
「それじゃ、次のリリアンかわら版を楽しみにしているわ。当然、見せてくれるんでしょう?」
「もちろんですわ。お届けに上がりましょうか?」
 
 もちろん、届ける気なんて更々なかったけれど、由乃は皮肉を込めてそう言ってみた。
 
「いいえ、結構。聖に一部押さえてもらって置くことにするわ」
 
 江利子さまはそう言うと、令ちゃんの「折角だからお茶を一杯ぐらい」という申し出も断り、来た道を颯爽と歩いて行った。
 さあ、いよいよ逃げ道はなくなってしまったぞ、――と。由乃は静かに拳を握り締めた。
 
 

 
 
 さて、由乃のやるべきことが決まってからは早かった。
 由乃はもとから考え込むより行動派。だから菜々を捕まえようと昇降口に張り込むなんてこと、いくらでもしてやろうって、最初の頃は思っていたけれど。
 
「ううっ、寒っ……」
 
 土曜日の朝八時前は、心なしかいつもより冷えているように思う。息の白さだって、断然いつもより濃い。
 菜々を、待ち伏せ。
 木曜日、金曜日は失敗した。木曜日は風邪で病欠。金曜日はうっかり失念していたけど、剣道部の朝練があったのだろう、待っていても会うことはできなかった。
 そういう事情もあって締め切りの金曜日は過ぎ、最終締め切りの月曜日に間に合わせるためには、なんとしても今日中に菜々とコンタクトを取りたかった。
 
(あれ、でももし今日も朝練があったら、武道館に行ったほうがいいような)
 
 いや、そもそも菜々は中等部は剣道部に所属していたっけ。もし朝練という由乃の予想が外れていた場合、菜々と入れ違う可能性がある。
 菜々と会えない、というのは最大の痛手。そうならないためには、由乃が一番苦手な「待ち」の手を取るしかないようだ。
 そうやって待ちだして、およそ二十分か三十分ぐらいは経っただろうか。
 靴越しに寒さが滲んで足はカチカチになり、手が痛いぐらいになって来た頃になって、やっと待ち人は現れた。
 
「菜々っ」
 
 今度は「田中さん」なんて間違いはせず、そしてあまり大きな声にならないように。
 狙いを定めて放った声は的確に相手に届いたようで、周りはあまり由乃を気にするようなことはせず、菜々だけがクルリと振り返った。
 
「……由乃さま」
 
 菜々はそう言うと嬉しそうに笑って、じゃれつく犬のように由乃に駆け寄って……来てくれればいいのだけど、当然そんな反応はない。
 由乃の方に歩み寄ってくる菜々は、特に何の感情ももっていないようで、ニコリと笑いもしなかった。無愛想だなんてことは言わないけど、わざわざ待っていたのだから、もうちょっとリアクションをくれてもいいのに。
 
「ごきげんよう、菜々」
「ごきげんよう、由乃さま。あの……」
 
 由乃は何かを言いかけた菜々の言葉を遮り、グイとその手を引いて歩き出した。こんなところで、誰かに嗅ぎ付けられたりしたら厄介だ。以前も昇降口で菜々を捕まえたのだから、二回目ともなれば勘繰る人がいるかも知れない。
 校舎の端まで歩きながら、由乃は「菜々の手って思っていたより温かいだな」なんて、そんなことを思っていた。
 
「由乃さま、今日はどういったご用件で?」
 
 手を離すと、菜々は由乃に向き会って訊いてきた。
 
「ちょっとね、菜々に頼みたいことがあって」
 
 菜々の目を真っ直ぐに見つめると、何故だかドキドキしてきた。祐麒君と見詰め合った時とは、また違った種類のドキドキ。どう違うかなんて説明できないけれど、これは以前にも感じたことがあったな、とデジャヴを感じていた。
 
「頼みたいこと、ですか」
「ええ。今日の放課後、空いていて?」
 
 由乃は優雅な上級生モードで、祥子さまや志摩子さんを真似て言ってみた。
 
「すみません、放課後は――」
「稽古、よね。うん、そこまでは予想済み」
 
 由乃は「オッケー、大丈夫」とでも言うように、菜々の口の前に手をかざした。優雅な上級生モードは、この辺りで止めておこう。
 
「明日、日曜日はどう?」
 
 由乃の言葉に、菜々は視線を上に上げた。頭の中で、予定を確認しているのだろう。
 
「はい、大丈夫ですけど。またケーキですか?」
「残念ながら、ケーキじゃないわ。食べたいというのなら奢ってあげるけど」
 
 そう、本当の目的はケーキじゃない。疑問の色を隠せないでいる菜々に、由乃は続けた。
 
「ちょっと、会って話をして貰いたい人がいるの」
「はあ。一体誰とです?」
「それは、……会ってからのお楽しみってことで」
 
 そう言って由乃は、少しばかり心が痛くなった。
 別に嘘をついているわけではないけど、半分騙しているようなものだ。ここでその相手を教えたところで菜々が拒否することはないだろうけど、万が一という場合もあるし、何よりサプライズとして伏せておきたい。
 
「あ、集合場所なんだけど」
 
 それから由乃は、S駅周辺にある喫茶店への行き方を教えた。そう、ことの発端となった、あの喫茶店である。
 菜々は要領よく行き方を覚えると、地図の描かれたメモ用紙を二つ折りにしてポケットにしまった。
 
「ねえ、菜々」
「はい……?」
 
 別れ際、由乃は菜々の目を真っ直ぐ見て言った。
 
「あなた、姉にしたい人はいる?」
 
 それは、最終確認のような質問だった。
 ここでもし「いる」と答えられても、それは誰だなんて訊くつもりはない。明日の予定だって、変わらない。
 けれど、きっぱり「いない」と言われるのも、中々に寂しい気がした。
 
「姉、ですか」
 
 三秒、四秒、五秒――。
 菜々の答えを待っている間は、質問する直前よりもドキドキした。
 
「……分かりません」
 
 しかし菜々は、「いる」でも「いない」でもなく、そう言って小さく首を振った。
 
「分かりません、って」
 
 由乃は言いながら、どっと力が抜けていくのを感じた。
 こっちとしては、拍子抜けな答えだ。誰かの妹になりたいか、なりたくないか以前の問題である。
 
「実の姉妹と、リリアンでの姉妹が全然違うことは知っています。でも、その中に自分を置いて考えてみたことがなかったので」
 
 だからよく分かりません、と。菜々は少しだけ申し訳なさそうにして、しかしはっきりとそう言った。
 まあ、理解し切れていない事柄に意見を求められても、そりゃそう答えるしかないだろう。由乃は少しの落胆と安心を胸にしまって、そう納得することにした。
 
「分かったわ。それじゃ、また明日ね」
「あ、由乃さま」
 
 背を向けて歩き出した由乃を、菜々が呼びとめた。
 
「さっきの質問なんですけど」
「……何?」
「もし私に姉にしたい人がいても、由乃さまには言えない気がします」
「えっ?」
 
 なんだ、それ。しかも「言えない気がする」って、曖昧な。
 由乃が頭の中を整理できないでいると、キンコンカンコンと予鈴がなった。
 
「それでは、失礼します。由乃さまもお急ぎになられた方がいいですよ」
 
 ごきげんよう、と言って小さくなっていく背中。少しだけ歪んだ、チャイムの残響。
 ――本当に、何なんだ。さっきの言葉は。その意味は。
 いくら考えても答えなんて出てこなくて、思い浮かぶのは菜々の真っ直ぐな視線だけ。ボケッと一人で待っていたって、誰も答えを教えてはくれない。
 
「あ、まずい」
 
 時計を見れば、予鈴から二分以上は経っていた。
 マリア様、ごめんあそばせ――と、由乃は心の中で呟く。そして人気のなくなった校内を猛ダッシュで走り出すと、スズメたちは道をあけるように飛び立って行った。
 
 

 
 
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