■ 二人でクライシス -最終話-
 
 
 
 
 
 S駅には、電車を一本乗り継いで行く。
 わざわざ電車を乗り換える必要があるせいで、普段は中々足を運ばない。そんな場所を、由乃さまは集合場所に指定してきた。
 
「……」
 
 日曜日の午後は、それはもう麗らかで。冬真っ盛りだと言うのに、車窓から差し込む日差しは肌を焼くよう。うっかり寝てしまったら、日焼けしてしまうのではないかと思われる。
 そんな午後一時を過ぎた電車の中は、思っていたよりは込んでいない。休日の移動ラッシュは、朝方に終わったのだろう。
 カタン、カタン――。
 昨晩は十分に寝たというのに、その揺れは眠気を思い出させようとする。目を擦ってそれに耐えていると、やがて目的地の駅名がアナウンスされて、一気に眠気が吹っ飛んだ。
 
「よし、っと」
 
 菜々はS駅の北口から外に出ると、人の邪魔にならないように柱に身をよせ、ポケットに入っていた地図を開いた。由乃さま直筆の地図だ。この地図は事前に用意していた物だったらしく、由乃さまの性格からすると珍しいことに、定規を使って描かれたものだった。
 それを見ながら目的の方向を確認すると、菜々は一つ頷いてから歩き出す。大きな通りに入り、人を避けながら歩き、そして狭い路地へ。一度も迷うことなく辿り着いたそこは、どこかの雑誌に掲載されてもおかしくないような、お洒落な喫茶店だった。意味は同じだけど、『喫茶店』と言うより『カフェ』と言った方が似合うようなお店だ。
 
「さて」
 
 目的のお店は、発見した。今何時だろう、と思って腕時計を見てみれば、短針は一時と二時の中間を指している。待ち合わせの時間は三時だから、まだ一時間半もあることになる。
 全くどうして、由乃さまは三時なんて中途半端な時間を指定したのだろうか。前みたいに午前中からではなく午後から、しかも休日に出かけるにしては妙な時間に集合ということが、菜々には疑問だった。
 まあしかし、こんな時間についてしまったのは菜々の責任だ。正午を回って、いても立ってもいられなくなって、家を出てしまったのだから。
 しかし、ここは前向きに考えようと思う。滅多にこない街を散策するいい機会だし、何故この時間なのか、一体誰と会わせようとしているのか、考えるにはいい時間だ。
 
「――」
 
 菜々は一度だけ振り返り、喫茶店の居住まいを目に焼き付けた。
 そうして菜々は再び雑踏の中へと足を溶け込ませると、不思議と胸が高鳴っていることに気がついた。
 
 

 
 
 由乃が喫茶店についたのは、午後一時四十分頃だった。
 以前来た時と何も変わらない店内。その一番奥のテーブルを陣取ると、「後から友達が来ますので」とだけ店員に伝え、ダージリンを頼んだ。
 
「はぁ」
 
 肩の力を抜きながら、流石に早く来すぎたかなと思った。約束の時間は午後二時。同席するはずの待ち人は、諸事情によりギリギリでこちらにつくはずだ。
 早く来ないかな、なんて机を指で叩く。そうして五分も経った頃に現れたのは、待ち人ではなく先ほど頼んだダージリン。
 由乃がそれを口にしながら十分ぐらい経ったところで、やっと待ち人は現れた。店内を見回しながら、まだ由乃に気づかないのかゆっくりした足取りでこちらに近づいて来る。
 
「祐麒っ」
 
 由乃は他の人の会話の邪魔にならない程度の声量で、その名前を呼んだ。
 その声で由乃に気づいた祐麒君は、心なしか表情を和らげてこちらに向かってくる。その瞳は祥子さまに呼ばれた祐巳さんそっくりで、なんだか嬉しくなった。
 
「お待たせ。本当にギリギリになっちゃった」
 
 言いながら祐麒君は、由乃の対面ではなく隣に座り、通りがかったウェイトレスさんにモカを頼んだ。
 
「それで、由乃」
 
 祐麒君は両肘をついて、顔だけを由乃に向けて言う。真摯な視線に、由乃は紅茶のカップから口を離した。
 
「本当に受けるの? 新聞部のインタビュー」
「……あのね、ここまできて受けないわけないでしょう」
 
 由乃は紅茶から立ち登る湯気を吹き飛ばすように、はぁと大袈裟に息を吐いた。
 
 ――そう、受けるのだ。新聞部のインタビューを、二人で。
 
 逃げるのが由乃らしくないというのは本当だし、もうコソコソしたくない。菜々を売るような真似なんてできるはずもないし、スキャンダルみたいに報じられるぐらいなら正々堂々と受けてたとう、って話だ。
 わざわざ休日を指定して、私服でインタビューを受けるのは『あくまでもプライベートでの付き合いである』ということを強調するため。もちろん日程が合わなかったという理由もあるけど、制服でインタビューを受けるのと休日スタイルで受けるのとでは、印象がまるで違うはずだ。例えば学校ですれ違った時なんかに、「あ、あの人は」みたいなイメージの定着を防ぐためである。
 
「最終確認だけど、祐麒はいいのよね?」
 
 由乃がそっと祐麒君の腕に触れながら言うと、彼は自然な動作で頷いた。
 
「前も言っただろ、由乃の好きにしたらいいって。それが由乃のためなら、俺は少しも嫌じゃないよ」
 
 さらりと言ってくれるけど、なんて殺し文句。こういう台詞を真顔で言える辺り、本当に祐巳さんに似ている。
 由乃は腕に触れさせていた手を、祐麒君の眼前で組まれた両手に持っていく。その時になって、そう言えばと思い出した。
 
「あのね、祐麒」
「うん?」
「アレ、来たから」
 
 由乃は祐麒君の片手を絡め取ると、その手をテーブルの下に隠した。
 
 

 
 
「アレ、って?」
 
 祐麒はそう口にしながら、絡められた指に答えるように、手に力を入れ直した。
 
「アレって言ったら、アレでしょうが」
 
 それが分からないから、訊いているのだけど。由乃さんははぐらかすように、ゴソゴソと指を動かした。
 さて、『来る』ということに心当たりがあるのは新聞部のインタビュアーだけど、それらしき姿はない。祐麒がうーんと頭を捻っていると、どうしたことか由乃さんの頬が少しづつ赤くなっていって、ますます疑問に拍車がかかる。
 
「だから、来たって言ったら。……その、せい――」
「あ、ストップ。分かった」
 
 それを最後まで言わせるわけには、と祐麒は、絡めていた指を解き、手をかざして言葉を遮った。そうだ、この時期に「来た」って言ったら、それしかないじゃないか。
 祐麒が自らの思慮不足に対して額に手を当てていると、不意にテーブルが揺れた。視線を上げて見れば、そこには――。
 
「ふーん。誰が『来た』って?」
 
 おそらく、新聞部の人なのだろう。目の前には髪の毛をピシッとピンで留めた女の子と、どこかで見たことのある女の子が立っていた。七三のコの従者のように立つ女の子は……そう、祐麒が女装をして(させられて)リリアンに潜り込んだ時に会ったことがある。ということは、この二人が新聞部のインタビュアーで間違いないらしい。
 
「ごきげんよう、真美さん。蔦子さんは一緒じゃないのね?」
「お願いしたのだけど、笙子ちゃんとデートですって。まったく、ヤキが回ったものよね」
 
 由乃さんはさっきの質問を流して言うと、真美さんと呼ばれた女の子も気にした風もなく会話を続けた。「来た」云々に関する言及はないらしい。
 席についた真美さんは、注文を取りに来た店員にミルクティーを二つ頼むと、無為に時計を見る。そしてコホンと咳払いして、祐麒を見てから言った。
 
「それでは時間になりましたので、早速ですがインタビューの方に移らせて頂きたいと思います」
 
 はぁ、と小さく会釈を返すと、早速質問が始まった。
 
「まず、知り合ったきっかけは何でしたか?」
 
 その質問に由乃さんが「生徒会の関係で」と答え、祐麒もそれに頷くと、真美さんの隣の女の子はメモ帳にペンを走らせる。それから「お互いを意識し始めたのはいつから?」とか、「告白したのはどっち?」とか言う質問に正直に答えていく度、インタビュアーの二人の表情は色めき立っていった。
 
「祐麒さんに質問です。ずばり、彼女のどこが好きなんですか?」
 
 目を輝かして訊いてくる真美さんの視線から逃げるように、祐麒は由乃さんの方を見た。由乃さんは「正直に言って」とばかりに頷いたから、祐麒も頷き返して言った。
 
「もちろん、全部です」
「右に同じ」
 
 真美さんは祐麒たちの答えに「それは素晴らしい」と言うと、カメラを取り出した。はいそのままで、と言われたけど、やっぱりカメラを向けられると笑おうとしてしまって、結局二人して笑顔のままシャッターが切られた。
 
「最後の質問になりますけど」
 
 真美さんは半分ぐらいまで飲んで冷めっぱなしになっていたミルクティーを一気に飲むと、由乃さんと祐麒を交互に見て言った。
 
「キスは、もうしたんですか?」
 
 その質問に由乃さんは目を丸くした後、笑いながら言った。
 
「なんなら、今ここでしてみせても構いませんけど?」
 
 

 
 
「さあ、今から学校に行って書くわよ。何としても今日中に印刷までするんだから」
「はい、お姉さまっ」
 
 喫茶店の中からはそんなことを喋りながら出てくる二人の少女の姿があったから、菜々は思わずその二人の顔を眺めてしまった。
 顔は全然似ていないから、本当の姉妹ではないのだろう。そうすれば、この二人はおそらく高等部の生徒だと思われたけど、もちろん二人の顔に見覚えはなく、それを確かめる術はない。
 
「……っと」
 
 こんなところで脱線している場合じゃなかった。菜々はすれ違ったお姉さま方(多分)の行き末は気にしないこととして、喫茶店の入り口を開く。お一人さまですか、と訊いてくる店員には「待ち合わせをしているので」と言って、席への案内は遠慮した。
 午後三時の、十五分前。由乃さまはもう来ているだろうかと店内を眺めていると、奥の席に由乃さまの姿を見つけることができた。
 
「菜々」
 
 由乃さまもこちらに気づいたのか、菜々に向かって手を振る。その隣にいる男性が、菜々に会って欲しいと行っていた人だろうか。どこかで見たことがあるような気がするけれど、はっきりと思い出すことができない。
 さて、誰だっけ。菜々が由乃さまたちのテーブルに近づくにつれカウントダウンの数字は減っていって、結局ゼロになっても答えが見つからないまま席についた。
 
「さっそく紹介するわね。私とお付き合いしている……」
「あ、福沢祐麒です」
 
 由乃さまが「ほら」とせっついたわけでもないのに、祐麒さんは見事な連携で自己紹介してくる。――なるほど、彼氏か。
 菜々は「有馬菜々です」と自己紹介を返しながら、心の中で首を傾げた。由乃さまに恋人がいたとは初耳だけど、顔がいいからいてもおかしくないなというか、凄く自然に受け止められる。しかし、何故それを菜々に紹介するのかが、分からなかった。
 菜々がその分からないという疑問をぶつけるように二人を見ていると、祐麒さんが口を開いた。
 
「えっと、菜々ちゃんのことだよね。由乃がいも――」
「ストップ!」
 
 祐麒さんが何か言いかけた途端、由乃さまがその口を塞ぐ。由乃さまが『芋』って、一体何と言うつもりだったのだろう。
 菜々は「言っちゃ駄目だったの?」と呟く祐麒さんは置いておくことにして、由乃さまに向かって言った。
 
「あの、由乃さま。どうして私は、由乃さまの恋人を紹介されているんでしょうか?」
 
 言った後、この言い方じゃ祐麒さんに失礼かなと思ったけれど、二人とも気にした様子はない。
 由乃さまはコホンと咳払いすると、真面目な顔を作って言う。
 
「菜々には、知っていて欲しかったからよ」
「私には、……ですか」
 
 その言葉の真意は、何なのだろう。さっきの発言と、今の発言。点と点が、線で繋がっていくような気がした。
 
「由乃さまは今後も懇意にして下さる、という意味で取ったらいいんでしょうか」
「ええ、それで構わないわ」
 
 そう言って由乃さまは紅茶を一口飲むと、「あなたも何か頼みなさい」と言った。話の展開がよく分からずにうっかりしていたけど、注文がまだだった。
 菜々は通りがかった店員にハーブティーを頼むと、由乃さまが祐麒さんに向かって言った。
 
「ね、前に言っていた通り、可愛い子でしょ?」
「うん、そうだね」
 
 決して品定めするような視線ではなく、祐麒さんは柔らかく微笑んで菜々を見た。その瞬間、ぱっと花が開くように、記憶の回路が繋がった。
 どこかで見たことがあると思ったら、ふと友達に見せてもらったことのある高等部の新聞に載っていた、福沢祐巳さまにそっくりなのだ。そして福沢という苗字からさっするに、二人は姉弟、もしくは兄妹なのだろう。
 
「でもいくら可愛いからって、変な気は起こさないように」
「何を心配してるんだか。それはありえないって」
 
 しかし、この二人。
 
「いつも言ってるじゃんか。どんなに可愛かったり綺麗だったりする人がいても、俺にとっての一番は由乃だって」
「あ、……うん」
 
 この二人、目の前に菜々がいるってことを忘れてやいないだろうか?
 祐麒さんはそっと由乃さまの手を取り、握る。そして見詰め合うその状況は、ドラマのワンシーンか。まるで陽だまりの中にいるような二人は、それは幸せそうではあるけれど。
 
「あっ」
 
 ようやく菜々の視線に気づいたのか、二人は手を離した。けど、もう遅い。さっきのシーンは、しっかり網膜に焼きついてしまった。
 だから菜々は、精一杯の祝福の意味を込めて、心の中でこう言った。
 
『……バカップル』
 
 ――って。
 
 

 
 
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