■ 紡いだ絆の温かさ
    一話『それぞれの思惑』
 
 
 
 
 例えば糸や繊維が、何度も交差を重ねて布や編み物になるように。
 そんな風に人の絆は紡がれ、強くなっていくのではないかと思う。
 何度も絆を編んで、けっして解れないように、強く。
 ――強く。
 
 

 
 
「祐巳さんさ。ずーっと前に、私のことを『弟が好きそうなタイプ』って言っていたよね」
「え?」
 
 それは放課後の薔薇の館。
 何の前振りもなく由乃さんの口から飛びだしたのは、祐巳が全く予想もできなかった質問だった。
 
「うーん……」
 
 さて、そんなこと言ったことあっただろうか。ずーっと前、というのがいつ頃なのか分からないから、中々思い出せない。……と言うか、全然記憶にない。
 
「……そんなこと言ったっけ?」
「多分、言った。ほら、祥子さまの妹になってすぐぐらいに、私の教室にきた時に」
 
 状況を指定されると、どんどん記憶の引き出しが開いていく。
 そう、確か去年、学園祭が終わってから初めて由乃さんが登校した日に、教室でお喋りしていたことがあった。
 
「あ、うん。言ったね、多分祐麒が好きそうなタイプって」
「そう、……よね。そう言ったわよね」
 
 由乃さんは祐巳の答えを聞くと、意味深長に頷いた。
 せっかく用意した紅茶に、由乃さんは一口も口をつけていない。
 
「じゃあさ、今でもそう思う?」
「え……?」
 
 今でも、と言うのはあれだろう。あの時の祐巳は、由乃さんのことをあまりよく知らなかった。
 しかし、今は違う。一年以上も付き合ってきて、お互いに親友と認め合う仲になって。十分に由乃さんを知ったその上で、今でもそう思うのかと訊いているのだ。
 
「うーん。正直に話すと……」
 
 果たして、これを言っていいのだろうか。
 思い出せば夏休み、祐巳は祐麒の好みの女の子像を聞いて、由乃さんは好みと違うかなと思ってしまったのだ。
 
「何? いいから言ってみてよ」
 
 しかし、この真摯な瞳の前で嘘をつくことができるものか。きっと由乃さんは祐巳の表情から真意を見抜く気がする。そういう未来は、容易に想像がついた。
 そうなると、正直に話すしかなくなるわけで。
 
「……祐麒はね、元気で優しい女の子が好きって言ってた」
 
 祐巳がそう言った瞬間、由乃さんの表情に影が差す。
 
「……そう」
 
 声のトーンが暗い。言わなくていいことを言ったかな、と思ったけど、言わなければならない状況だったというのも事実だ。
 優しくて元気な子、という条件に、祐巳は心当たりがない。元気と言ったら由乃さんだけど、優しさと言ったら志摩子さん。でも志摩子さんは元気と言えるほど弾けるタイプではなく、由乃さんは優しさと言うより手厳しいタイプである。強いて山百合会から選出するなら令さまだろうけど、それを口にしたらややこしくなりそうだ。
 
「どうしてそんなこと訊くの?」
「別に」
 
 別に、って。何となく訊くようなことじゃないだろう、それは。
 このところ、由乃さんの様子は少しおかしい。
 いつも通りのように見えて、ちょっと気を抜くと考えごとをしていたりするのだ。
 由乃さんがそんな風になったのは、祐麒が女装してリリアンを徘徊してからと言うもの。だからその理由を祐麒にあると考えてしまうのは、当然のことだと思う。
 
「それよりさ。あの後、祐麒君は何か言っていた?」
「あの後って、祐麒がリリアンに来た後ってことだよね」
「そうよ。それしかないでしょ」
 
 由乃さんは、口を少しだけ尖らせて言う。それにしても、「祐麒が何か言っていた」か。
 そう言えばあの日、家に帰ってから祐麒はこう言っていたっけ。
 
「『リリアンの生徒ってみんな優しいよな』 ……とか言っていたような」
「みんな優しい、ね」
 
 祐巳の答えを聞くと、由乃さんは腕を組んで俯いた。
 そして、また思案タイム。こうなると、祐巳も色々考えてしまう。
 由乃さんが祐麒のことを気にしていて、やたらと考え込んでいて。いくら男女の間柄について疎い祐巳でも、つい勘ぐってしまうのは、自然な流れと言えた。
 
「ねえ。ひょっとして――」
 
 由乃さん、祐麒に惚れちゃった?
 そう続けようとした瞬間、出入り口の扉が開いた。
 
「お、早いね。二人とも」
 
 軽やかな身の運びで現れたのは、令さま。珍しいことに、乃梨子ちゃんも一緒である。
 
「祐巳さん。さっき何を言おうとしたの?」
「いや、ううん。何でもない」
 
 しかし、こんな状況じゃ訊きようもないではないか。
 祐巳は流しに立つ乃梨子ちゃんの背中を見ながら、そう溜息を吐くしかなかった。
 
 

 
 
「はぁー」
 
 由乃はお風呂から上がって部屋に戻ると、パタリとベッドに倒れこんだ。
 時刻は午後十時前。今日は楽しみにしている時代劇とかスポーツ番組とか、そういうものはやっていない。まったく、こういう時ほど、テレビの力が必要だというのに。
 由乃はごろんと大の字になると、天井を見詰める。まるで由乃を見詰め返してくるような、天井の木目。それを見ながら、今日あったことを反芻する。
 
『祐麒はね、元気で優しい女の子が好きって言ってた』
 
 一番に思い出すのは、今日の祐巳さんの言葉。
 
「……はぁ」
 
 何度思い出しても、落ち込む。……というのも、祐麒君との一件があってからだ。こんな風に感じるのは。
 
(流石に、女装はやりすぎたかな……)
 
 いつもイケイケ青信号。それがモットーの由乃だって、たまには周りを省みたりはする。そんな時頭を過ぎるのは、いつも祐麒君の顔だった。
 祐麒君が女装してリリアン女学園内を自由に行き来する――。あの時は疑う余地もなく名案だと思っていたけど、思いだせばかなりムチャだった。
 自分がこうと決め込むと周りが見えなくなるクセは、由乃自身も自覚している。それが原因で周りに迷惑をかけまくったとなったら、反省しないわけもない。
 令ちゃんや祐巳さんとか、気心の知れている仲なら、ここまで深く考えはしないだろう。でも今回は、相手が相手だから。
 
 祐麒君は『嫌だ』とは言わなかったけど、内心戸惑っていた、もしくは嫌がっていたはずだ。
 以前、祐巳さんが言っていたように『弟が好きそうなタイプ』だったら許して貰えるかな、何て思って訊いてみたけど、甘かった。よくよく思い出してみれば、あの時の祐巳さんは『女の子女の子』した由乃を想像して言ったのだ。理想とかけ離れているに決まっている。
 元気、というのは歳相応にあると思うけど、お世辞にも「優しい」とは言えない。人は顔じゃなくて性格、なんてよく言うけれど、我ながらその性格に問題がある。
 
(……何か、嫌になってきた)
 
 由乃が男の子側だと想定して、考えてみよう。
 全然好みじゃないコに、いきなりデートに誘われる。その上散々振り回されたとなったら、どうだ。由乃なら、絶対に鬱陶しがるだろう。
 少なくとも祐麒君は鬱陶しがっているそぶりをしないけど、それは彼が優しいから。そう考えると、ほとほと自分が嫌になってくる。
 
「あーっ、もう」
 
 こんなに悩むのは、由乃らしくない。それでも、祐麒君にはどうしても嫌われたくないと、心の奥底で思っている。
 
(やめやめ)
 
 悩んで、悩んで。それでもどうしようもない時は、別のこと考えるに限る。
 そうなると一番に浮かんでくるのは、有馬菜々のことだった。
 
 祐巳さんに『三年生になっても妹ができなかったら菜々を妹にする』と断言したように、菜々は今の所一番の妹候補だ。
 しかし、だからと言って今更考えることは少ない。菜々に関する情報は集められるだけ集めた。あくまで『三年生になっても妹ができなかったら』の話であって、今からロザリオを受け取ってと約束を取り付けにいくのもおかしな話だ。
 
「はー」
 
 本来なら、もっと妹のことで悩むはずなのに。――と、由乃はつらつらそう思う。
 こんな風に自分が分からなくなったりするのは、祐麒君とデートしてから。今思えば、『KEN-KAKU』の試写会招待券が当たったことが全ての始まりだったのだ。あれがなければ、祐麒君との接点はほとんどなかったはず。
 そう思うと、本当に些細なきっかけだったわけで。悩みの種は、思わぬところに転がっているものだ。
 
(頭割れそう……)
 
 これからどうするべきなのか、どうしたいのか、何もかもが霧の中で。
 由乃は今日も、寝つきが悪そうだった。
 
 

 
 
「ユキチは最近おかしい」
 
 それは、十二月に入って最初の週のことだった。
 
「何だよ、急に」
「急じゃない。前からユキチは何かおかしい」
 
 放課後の生徒会室。残飯処理みたいな仕事をちまちまとしながら、小林は祐麒の方を見る。
 おかしい、と言えば、小林のその言動こそがおかしいのであるが。
 
「俺は至って正常だ」
「いいや、おかしい。二、三週間前から、ボケっとしてることが多くなったぞ。それに何も言っていないのに憂鬱そうにしてたり、かと思ったら思い出し笑いしていたり」
「……おい。それじゃ俺が変なヤツみたいだろ」
「実際変なんだっての。何回言わせるんだよ」
 
 変。その言葉を頭にインプットして、昨今を回顧する。
 祐麒自身は、普通に生活してきたと思う。朝起きて、学校へ行って、帰ってきて、色々して、寝る。その生活サイクルは、全くもって正常にまわっているのだ。
 
「うーん。これはアレだな」
 
 だと言うのに小林は、未だ舐めまわすように祐麒を見てくる。顎ヒゲをたっぷりとたくわえた小父さんがそのヒゲを撫でるように、顎に手をやり首を傾げる。
 
「さては、誰かに惚れたな?」
「……何を言ってるんだか」
「誤魔化すなよ。最近のユキチの言動は、恋する男そのものなんだよ。うん、間違いない」
 
 小林は一人で勝手に頷き、勝手に決定している。以前から思っていたのだが、妄想癖があるんじゃないか、この友人は。
 
「まさか祐巳ちゃんに恋したとか言うまいな?」
「……小林さ。全力で俺を誤解しているだろ」
「何だ、違うのか」
「当たり前だろ」
 
 小林はしきりに祐麒をシスコン呼ばわりするように、祐巳との間柄を勘違いしている節がある。
 そりゃ祐巳のことは大切だけど、そう思うのは家族として当然なわけで。それに、何せ祐巳なのだ。あの天然は、非常に危なっかしい。
 
「ふーん。それじゃ――」
 
 小林は顎を撫でる動きを止め、人差し指を突きつけて言った。
 
「由乃さんだろ?」
「――」
 
 その名前が出た瞬間、心の中で『何か』が揺れた。
 
「お、当たった」
「小林……。それで俺が何も反応しなかったら、次は志摩子さんって言っていただろ?」
「当然。しかし否定しないってことは、本当に惚れているわけだ。由乃さんに」
「ち……」
 
 違う、と言いかけて、それは声にならなかった。『違う』と否定することを、頭が否定した。
 即座にその言葉を口にできるほど、祐麒の考えはまとまっていない。それすなわち、黙認という形になるわけであって。
 
「違わないんだろ? 何だ、ユキチは由乃さんみたいなコがタイプだったのか」
「それは。少し違うと言うか」
 
 細かく趣味に当てはめていくと、それはちょっと違ってくる。
 元気、というのは有り余るほどあると思うが、優しいかと言われれば素直に頷けない。
 
(あ、でも口の周りについたタルトのカス、取ってくれたっけ)
 
 思い出してみれば、そんな女性的な優しさもあった。そう考えると、ますます由乃さんの存在が大きく感じられる。
 
「ふーん。じゃあどこにそんなに惹かれるんだ?」
「惹かれる理由、か。そりゃやっぱり、強烈に可愛いっていうか……」
 
 ふと反芻して浮かんでくるのは、祐麒に向けてくれた笑顔。その一つ一つは、まるで宝物のように記憶している。
 華奢なんだけど、強引。趣味は女の子らしくないけど、仕草はやっぱり女の子らしい。そういうギャップが、大きな魅力だと思う。
 
「――って、おい」
 
 そこで、はたと気付いた。
 こんな風に女の子のことを語るなんて、まるでベタ惚れしているようではないか。
 
「ユキチって、一杯いっぱいになると天然になるよな」
 
 小林は何の遠慮もなく机を叩いて笑うと、「でもな」と神妙な顔を作った。
 
「由乃さんは、やめておいた方がいいと思う」
「何でだよ?」
 
 ……小林の言葉に、ぞわりと心がざわめいた。
 小林のこの表情を、祐麒は知っている。これは、よくない話をする時の顔だ――。
 
「だって、由乃さん男いるんだろ? 俺さ、見ちゃったんだよ。由乃さんが、若い男と一緒にいるところを」
「……え?」
 
 ――それは、黒いナイフで胸を刺されたかのような衝撃だった。
 
(由乃さんが、若い男と、一緒にいた……)
 
 小林が知らない人間、ということは、祐麒や生徒会関係の人間ではないわけで。その事実が、頭の中を羽虫のように飛び回る。
 祐麒の胸を刺す黒いナイフ。その切っ先が不快感を滲ませる。
 胸クソ悪いとか、そんな生易しいものじゃない。無数の蟲が胸の中で蠢き、心臓を沸かせ、血を凍らせる。――そんな錯覚さえ覚えるほど、感情は陰鬱だった。
 
「……どこで?」
 
 訊ねる声は、暗い。それは平静を装えなくなるほどの出来事なのだと、自身に示唆していた。
 
「それがな……」
「何だよ。早く言ってくれ」
「何と、テレビなんだよ」
 
 テレビ――。
 それはまったく、予想できない場所だった。
 
「何かの映画の宣伝だったな。由乃さんが映画の感想を喋っていてさ、その横に映ってた。肩口ぐらいまでしか映らなかったから顔は分からなかったけど、あのガタイは男だったな。背はユキチと同じぐらいでさ、髪型は全然違ってたけど」
 
 ――それって。
 何か身に覚えがあるというか、そのものズバリというか。
 
(それ、俺じゃん――!)
 
 祐麒はそう叫びたいのを、必死で我慢した。
 
「何だよ、ヘンな顔して」
「……生まれつきだ。ほっとけ」
 
 ああ――と、胸を撫で下ろす。よく分からないが、へたり込みたい気分だ。
 まさか、あの日撮影していたものが放送されるとは。小林の話を聞く限り、祐麒の分は映っていなかったようだから、不幸中の幸いと言えよう。
 
「まあ、まだ付き合っているって決まったわけじゃないから、がっつり行けよ」
「……なあ。俺は別に好きだとも何とも言ってないんだけど」
「は? 何を言っているんだか。さっきのユキチの様子見れば、誰だって分かるだろ」
「何でだよ?」
 
 祐麒が訊くと、小林は溜息混じりに言った。
 
「『由乃さんに男がいる』って言った時、世界が終わったみたいな顔してたぞ?」
 
 違う。そんなことあるものか――。
 そう言おうとしたけど、やっぱり祐麒は否定できないでいるのだった。
 
 

 
 
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