■ 可愛いあのコはリリアン生? -中編-
 
 
 
 
「あー。ヒリヒリする……」
 
 赤くなった脛を押さえながら館の外に出ると、来た時よりも日が傾いている気がした。
 何故だか祐巳に扮することになってしまったが、本来の目的はボールの回収。何とか日が暮れるまでに遂行しなければいけない。
 
「もう、しっかりしてよ。男の子でしょ?」
「……今は女だけどね」
 
 男の子だからこそガムテープの悪夢を見せられたわけだが、それはもう済んだこと。今の祐麒は、『福沢祐麒』ではなく『福沢祐巳』なのだ。
 
「さて、じゃあ祐麒君は――」
「あ! 由乃さま、祐巳さま!」
 
 祐麒君は、何だったのだろう? 突如としてかけられた声に、由乃さんの言葉は遮られる。
 振り向いて見れば、その声の主はカメラを持ってこちらに駆け寄ってくる。セミロングの髪がふわふわの天然パーマになっている、可愛らしい女の子だ。
 
「あ、あら、笙子ちゃん」
「しょ、ショウコちゃん。ごきげんよう」
 
 なるほど、ショウコちゃんというのか――と解釈して、リリアンでお決まりの挨拶。勿論、声は一オクターブ高く。我ながらヘンな声だった。
 
「あ、……祐巳さま。風邪ですか?」
「え、ええ。そうなのよ」
 
 ああ、物分りのいいコで助かった、と胸を撫で下ろす。
 しかし、ショウコちゃんの疑問はそれだけで終わるはずもなく。
 
「あの、祐巳さま。急に背が伸びませんでしたか?」
「さ、最近牛乳をよく飲んでいるからね」
「それに髪もいつもと違いますね。イメチェンですか?」
「そう、そうなの。イメージチェンジ、イメージチェンジ」
 
 何故二回言う、と自分に突っ込みながら、祐麒は結構イッパイイッパイだった。女の子喋りも、女の子の立ち振るまいも、結構度胸のいることである。
 
「そう言えば、笙子ちゃん? あなた写真部に入ったんですってね」
 
 そんな祐麒を見かねたのか、由乃さんが助け船を出してくれる。
 
「はい。それで祐巳さまと由乃さまを撮らせて頂こうと思って、お声を掛けさせて頂いたんですが……」
「ええ、いいわよ」
「えっ、いいの?」
「ちょっと祐巳さん、どうしてあなたが驚くの」
 
 由乃さんは笑顔で祐麒の方を見ながらも、その視線は凄い威圧を与えてくる。
 とにかく話を合わせろと、目で語っていた。
 
「それでは。祐巳さまにはしゃがんで頂いて、由乃さまは……そう言えばどうして体操着なんですか?」
「自主トレに行くところだったのよ。気にしないで続けてちょうだい」
「そうでしたか。では手短に。由乃さまは縦膝で祐巳さまの後ろから手を回して頂いて、……そうです。そんな感じです」
 
 祐麒がしゃがみ込むと、由乃さんは言われた通りに手を回してくる。由乃さんの手がちょうど顎の下にきて、ふわりと抱き締められているような格好だった。
 
「はい。ではそのまま一枚」
 
 ショウコちゃんがそう言ったカメラを向けてきたので、ニコリと作り笑顔。心臓が早鐘を打ってうるさいせいで、あまり上手く笑えている自信がない。それでも、無情にシャッターは切られるのだ。
 
「では次なんですけど」
 
 まだあるのか――。
 祐麒はそう心の中でそう突っ込んだが、ショウコちゃんは楽しそうに言ったのだ。
 
「お二人とも、抱き合ってもらえますか?」
 
 

 
 
『お二人とも、抱き合ってもらえますか?』
 
 それは例えるなら、ブレーキの合図のような言葉だった。
 行く先々は青信号で、アクセル全開。しかしそこに突如として一時停止の表示が出てきたような、そんな状況だ。
 
「あの、由乃さま?」
 
 固まっている由乃を不審に思ったのか、笙子ちゃんは首を傾げる。
 いけない。ここで疑われては、今までの苦労が台無しになってしまう。
 由乃と祐巳さんは、大抵どんな写真撮影も受け付けてきたのだ。さっきのポーズはいいのにこのポーズは拒否、というのは、不信感に繋がる。
 
「……何でもないのよ。でもどうして抱き合っているポーズがいいの?」
「いえ、修学旅行の時を写真を見せて頂きまして、お二人はとても仲がよさそうだと思いましたので。せっかくお二人が揃っているので、そういうポーズも撮ってみたいと思いました」
 
 そういうポーズも撮ってみたい、と。たったそれだけの理由なわけだ、笙子ちゃんの中では。
 しかし、考えてみて欲しい。それはつまり、祐麒君と由乃が抱き合うっていうことなのだ。
 由乃だって年頃の乙女。同年代の男の子と人前で抱き合えと言われれば、そりゃ躊躇いもする。
 
「あの……。お嫌でしたか?」
 
 だけど、笙子ちゃんはこっちの事情なんて知らない。笙子ちゃんの目から見た由乃たちは、『祐巳さまと由乃さま』なのである。
 
「いいえ、そうじゃないのよ。いいわよね、祐巳さん?」
「えっ? あ、……うん」
 
 祐麒君は明らかに動揺していたけど、それでも「うん」と言った。自分の意思でそう言ったのだ。
 ならば、そろそろ覚悟を決めなくてはいけない。祐麒君とは、手を繋いだり腕を絡めたりしたではないか。あれは演技だったけど、今回だって演技。何も変わりはない。
 
「さあ、どうすればいいの?」
「そうですね。ではまず正面から抱き合って下さい」
 
 言われて由乃は、真正面から祐麒君を見る。祐麒君の澄んだ瞳を見て、少し安心した。大丈夫、抱き合うことに嫌悪感はない。
 よし、と心の中で気合を入れると、由乃はゆっくりと祐麒君の背中に腕を回し、引き寄せた。ドキドキと、心臓がうるさい。
 
「では視線をこちらへ」
 
 笙子ちゃんの方を向くと、不意に鼻腔をくすぐる匂い。それは間違うことのない、祐巳さんと同じ優しい匂いだった。
 それが妙に安心できて、自然と心臓が落ち着きを取り戻す。これ以上早鐘を打たれたら、また心臓が悪くなってしまう。
 
「それでは――」
 
 さあ、もう何でも来い! と思った瞬間だった。――笙子ちゃんの口から、とんでもない一言が飛び出したのは。
 
「祐巳さま、もう少し腰を落としていただけますか。それから、由乃さまの鎖骨にこめかみを当てる感じでお願いします。ちょっとヘンな姿勢ですけど、アップで撮りますので」
 
 何だって? 由乃の鎖骨に、祐麒君のこめかみを当てる?
 それって抱き合ったままするわけだから、由乃が抱き寄せて、祐麒君の頬を胸に押し付けているような格好になるではないか。
 
「……」
 
 祐麒君はこっちを見て、顔で「どうすりゃいいの」って言っている。どうすりゃいいのって、今更後にも引けないし。
 
「……いいわよ」
「え……?」
「ほら、祐巳さんボサっとしてないで」
 
 祐麒君が恐る恐るといった感じで頭の位置を下げると、そのまま抱き寄せる。ムニ、と、祐麒君の頬が胸に触れる感覚。もうどうにでもなれ、だ。
 
「はい。じゃあ撮りますよ」
 
 そう言って笙子ちゃんはカメラを構えたけど、中々シャッターを切らない。
 そのうちこの姿勢が辛くなってきたのか、祐麒君がプルプルと震え出した。
 ああもう、動くな。くすぐったい。
 
「ま、まだ……?」
「二人とも、もう少し笑顔でお願いします」
「ここ、こう?」
 
 恐らく、今までで一番ヘンな笑顔を作ると、笙子ちゃんはすかさずシャッターを切る。あれでよかったのか疑問だけど、カシャという音が聞こえた瞬間、二人して崩れるように抱擁を解いた。
 
「祐巳さま、由乃さま。ご無理ばかり言ってすいませんでした。写真ができたら、お届けに参りますので」
 
 笙子ちゃんはそう言うと深々と頭を下げ、早足で立ち去っていった。きっと、次なる被写体を求めて。
 その姿が見えなくなった瞬間、やっと完全に肩から力が抜けた。本当、中庭に誰もいなかったのは、不幸中の幸いだった。
 
「あの、由乃さん……」
「……何」
 
 呼ばれけど、振り向かない。だって、絶対に真っ赤な顔をしているに違いないのだ。そんな顔を祐麒君の前で晒すなんて、出来そうもない。そう考えると、自然と背を向けていた。
 
「三十分後に、古い温室で。それじゃね」
 
 話を聞く前に、由乃は早足で歩き出す。
 祐麒君がどんな表情をしているか興味があったけど、絶対に振り向かない。
 絶対に。
 
 

 
 
 さて、これからどうするべきか?
 祐麒がそう考えたのは、目的を忘れたからではない。ボールが先か、祐巳が先かである。
 リリアン側はボールの件について承知していた。特に文句を言ってこないということは、ボールを投げ込むのを止めれば黙殺される、ということだろう。
 ならば後はボールを回収するだけなのだが、祐巳の行方も心配なのだ。
 
(それにしても、さっきのは……)
 
 ――と、いけない。ちょっと気を抜けば、さっきの出来事を反芻してしまう。
 しかし、あれは忘れなければいけないのだ。由乃さんのために、何としても。
 
(ところで、古い温室ってどこなんだろ)
 
 そもそも、ここはリリアンのどこら辺に位置するのか。人を避けて歩いていたら、全然知らない所まで来てしまっていた。
 四角く、質素なこの建物は講堂だろうか。銀杏並木ほどではないが、ここら辺にも銀杏の木が立ち並んでいる。
 
「ん……?」
 
 と、そこに見知った姿。あのふわふわの巻き毛と真っ直ぐな黒髪が対称的な二人は、志摩子さんと乃梨子ちゃんではないだろうか。
 二人は片手にビニール袋を持って、あちこち動き回ってはしゃがみ込み、何かを拾い集めている。ゴミ拾い、というわけでもなさそうだ。
 
(何やってんだろ)
 
 この辺りに落ちているものと言ったら、落ち葉か銀杏の実ぐらいである。二人が何を拾っているのか興味があるが、今の祐麒は変装状態。ヘタに近づいたりしたら声をかけられてしまうし、祐麒のことを知っている二人ならすぐ正体を見破るだろう。
 ならば早々に立ち去るのが一番、と二人に背を向ける。そして講堂の角ぐらいに来たところで、いくつかの声がした。恐る恐る覗いてみると、講堂の近くで数人の生徒がお喋りしているではないか。
 
「まずい……」
 
 こんな小手先だけの変装、いつバレてもおかしくないのだ。出来ることなら、人との接触は避けたい。
 ならば、どうするか。
 振り返れば、今も志摩子さんたちは何かを拾い、こっちへと距離を詰めてくる。これでは挟み撃ち。逃げられる場所があるとすれば、講堂の反対側しかない。
 
(隠れるしかないか)
 
 幸いなことに、近くには小屋みたいに小さな建物があった。おそらく何かの設備なのだろうが、助かった。仏教系学校の生徒である祐麒にも、マリア様はご加護を下さったのだ。
 暫くすると、おしゃべりをしていた生徒たちの声が消える。その代わりに、志摩子さんたちの声が聞こえてきた。
 
「流石に時期を過ぎると少ないね」
「そうね。食べられる状態か、後で見てみないと」
 
 さて、一体何の話なのか?
 つい好奇心に負けて、二人の様子を除き見る。すると見えたのは、ビニール袋に入った銀杏の実。片や西洋人形、片や日本人形の二人は、何と銀杏の実を拾っていたらしい。どちらかが好きなのか、それとも二人とも好きなのか知らないが、銀杏を食べ過ぎると中毒を起すことを知っているのだろうか。
 そんな余計な心配をした、その時。
 祐麒が除き見を止めて姿勢を戻そうとした時、足元でカサッと音がした。
 
「うん?」
「どうしたの、乃梨子?」
 
 まずい。非常にまずい。
 どうやら落ち葉を踏んだ音が、向こうに聞こえたらしい。
 
「いや、向こうで枯れ葉を踏む音が聞こえたから」
「まあ、誰かいるのかしら」
 
 まずい、まずい、まずい。
 見つかれば、変装がバレることは必至。それだと言うのに、二人分の落ち葉を踏む音が、どんどんこちらへと向かって来ている。
 こうなったら、常套手段で最終手段。アレしかない。
 
「みゃーお」
 
 秘技・猫のマネ。こんな誰でも出来るモノマネ、ちっとも秘技じゃないが。
 
「……」
 
 しかし、上手く騙せた……のだろうか?
 
「乃梨子」
「うん。思いっきり人の声だったね」
 
 いや、全然駄目らしい。
 近づいてくる足音は二手に分かれ、建物の両脇から聞こえてくる。挟み撃ちにするつもりなのだろう。
 もう、絶対絶命――。
 
「あ、祐巳さ……ん?」
「祐巳さ……まじゃないよね」
 
 見つかった。しかもすぐバレた。
 当たり前だ。祐巳と祐麒を見比べたことのある人間なら、誰でも気付く。
 
「祐麒さん……」
「何をしてるんです?」
「あ、いや。その」
 
 こんな時、何て説明すればいいんだろう。
 祐麒は軽いパニックを起してしまい、上手く舌が回らない。それを見かねたのか、乃梨子ちゃんが口を開いた。
 
「あの。私も仏像鑑賞なんて特異な趣味を持ってますから、人のことは言えないんですけど。女装が趣味の上にリリアンに忍び込むなんて……」
「ち、違うっ」
 
 断固として、本当に本気で、絶対に違う。それではただの変質者ではないか。
 
「乃梨子、話を聞いて差し上げましょう」
 
 と、そこに暖かい言葉をくれたのは志摩子さん。
 ああ、流石は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)だ。その優しい眼差したるや、女神さまのようである。
 
「その……。例え祐麒さんの趣味が女装でも、軽蔑したりしませんから」
 
 ……どうやらリリアンの女神さまは、心配性であるらしい。
 まあ、こんな格好をしていれば疑われても仕方ないのだが。
 
「えーっと、どこから話たらいいのか分かりませんが……」
 
 それから祐麒は、リリアンを訪れた理由と、祐巳に扮している経緯を話した。その話を聞き終えた二人は、重たい動きで頷く。
 
「……由乃さまが原因だったんですか」
「そう。由乃さんが……」
 
 二人とも全く疑うことなく信じてくれたから、祐麒はちょっと感動した。少なくとも、少しは信頼して貰えていると言うことだ。
 若しくは、由乃さんならやりかねないという意味で納得しているのかも知れないが。
 
「とにかく、二人っきりのところをお邪魔して、すいませんでした」
「まあ、およしになって」
 
 祐麒が一礼すると、志摩子さんはそう言った。
 祐巳が言うには、『姉妹二人っきりの時間は邪魔しないのがリリアンの常』らしい。だから無礼を詫びただけなのだけど、乃梨子ちゃんも「よして下さい」と言った。
 
「それより見つかるといいですね、ボール。私たちも後から祐巳さまを捜しに行きますので、どうぞそっちに専念して下さい」
 
 乃梨子ちゃんは、そう言って微笑む。リリアンの生徒というのは、優しい人が多いから本当に助かる。
 
「あ、それと花寺と面している部分は、あっちの方です」
「ありがとう。それじゃ」
 
 祐麒が言うと、二人揃って「ごきげんよう」と言った。
 
「ごきげんよう」
 
 何だかこの挨拶も悪くないな、と。
 祐麒はなんとなく、そう思った。
 
 

 
 
 祐麒が自分の失態に気付いたのは、志摩子さんたちと別れて五分後のこと。それは『あっちの方』と指差された方角に向かっている最中だった。
 
(しまった。『古い温室』の場所を聞くのを忘れていた)
 
 しかし、もう遅い。講堂らしき建物はもうとっくに見えなかったし、二人の姿もない。
 それにしても、何故集合場所は『古い温室』でなければいけないのだろうか。古い、と称されるからには、新しい温室もあることが予想されるが、そこではいけなかったのだろうか。
 そんなことをつらつら考えて歩き続けると、武道館らしき建物が見えてきた。
 ――嫌な予感。
 
「……近づかない方がいいかな」
 
 そう呟くと、祐麒は武道館を避けるように歩く。
 令さんは剣道部だから、武道館から出てきてバッタリ出会う、なんていうパターンが考えられる。
 
「あ、祐巳ちゃん」
 
 そう、そんな可能性があると。ちゃんと予想していたというのに。
 
「はい……?」
 
 恐る恐る振り返って見ると、果たしてそこには令さんの姿があった。
 令さんは面と小手を外した出で立ちで、祐麒に視線を向けている。恐らく休憩中だと思われるが、――そうか、そういう可能性もあったわけだ。
 
「……あれ? 祐巳ちゃん、何かいつもと違うね」
 
 令さんは首を傾げ、尚も祐麒を見ている。さっきの二人のようにすぐ気付いたりしない、ということは、ひょっとしたら隠し通せるかも知れない。
 だって、ここに祐麒がいるということ自体、容易に想像できることではないのだ。よもや、祐巳の格好をしているだなんて。
 
「い、イメチェンです。マイナーイメージチェンジ」
 
 車のマイナーモデルチェンジみたいに言うと、令さんは「はて」と首を傾げた。
 
「その声、どうしたの?」
 
 その声とは、祐麒の一オクターブ上げの裏声である。ここまできて祐麒なのだと気付かないということは、本当に隠し通せてしまうのだろうか。
 
「実は風邪を引いていまして」
「……じゃあその背丈は?」
「私は前からこのぐらいですよ?」
 
 あまりいい訳を並べ立てるより、開き直るのも一つの手。祐麒が下手くそな作り笑顔を浮かべたまま言うと、令さんは腕組をして難しい表情を浮かべる。
 ――そして、凝視。
 
「まさか――」
 
 そのまさかです、と言えるわけもなく。
 祐麒はバレたな、と直感した。
 
「祐麒君……」
 
 令さんは、とても悔しそうに表情を歪めて言った。
 
「祐巳ちゃんを装ってリリアンに忍び込むとはね。祐麒君だけは違うと思っていたけど、やっぱり花寺の生徒だった、ってことなの……」
 
 いや、それはどんな偏見だ。
 しかし全てを否定できるほど花寺は普通の学校ではなく、令さんは鋭い剣幕で祐麒に詰め寄ってくるわけで。
 
「やっぱり祐麒君に、由乃を任せることはできない――!」
 
 何だそりゃ。――祐麒がそう思っていると、不意に令さんの手が伸びる。祐麒を捕らえようと、素早い動作で。
 
「うわっ」
 
 祐麒はそれを、本能的に避けた。そして一目散に逃げ出す。
 令さんは、祐麒が祐巳に扮している理由を聞けば納得してくれるだろう。しかし理由を聞いてくれる状況かと言えば、違う。
 ――弁解すべきことがあるなら、周囲に聞く態勢が整った時に一度だけはっきりと言いなさい。
 いつだったか、祐巳は『祥子さま名言集』の一として、祐麒にそう教えてくれた。
 
「待ちなさい!」
 
 しかし『淑女たるものスカートのプリーツを乱すな』という嗜みは、後々になって思い出した祐麒だった。
 
 

 
 
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