■好きだと言えない唇に -Don't let the bells end-
 
 
 
 
 それからそのブティックを見て回ったり、他のお店も覗いてみたり。
 気付いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
 
 夜の帳の下りた聖夜は、思っていた以上に冷える。
 未だ鳴り響くクリスマスソングと、色とりどりの電飾に飾られた街。
 そんな中を聖と二人で歩き、そしてたどり着いたこの場所。
 
「聖は、『とっておきのディナーにご招待する』って言ったわよね?」
「うん、言った」
「確か昼間、『クリスマスらしいものを食べよう』とも言ってわよね?」
「あれはディナーのことを言ってたんじゃないけど。それがどうしたのよ」
「どうした、って。どうしてここなのか、って訊いてるのよ」
「何よ。いいでしょ、ラーメン食べたかったんだから」
 
 聖の『とっておきのディナー』というのは、『博多めんたいこラーメン』だった。
 屋台が空き地に根を下ろしたような、プレハブでできたラーメン屋。それは勿論、聖の『とっておき』には違いないのだろうけど、ちょっと肩透かしをくらった気分だ。
 
「あ、もしかしてラーメン嫌いだった?」
「そんなことないけど」
「じゃあオッケー。ほら、遠慮せずに食べなさいって」
 
 聖は本当に美味しそうに、麺を口に滑り込ませる。いや、たしかにここのラーメンは美味しいのだけど。
 
「はあ……。聖には振り回されてばっかりね」
「えー。高校の時は、蓉子の方が振り回していたじゃない」
「果たしてそうだったかしら?」
 
 蓉子が目を逸らして答えると、聖は思い当たったのか、「あ」という顔になった。
 ちょうど二年前。あの日も、こんな寒い日だった。
 
「ごめん。また寒い中で待たせちゃった」
「いいのよ、もう慣れたから」
「あー、蓉子の皮肉が耳に痛い」
 
 両目をつぶって、耳を抑える聖。
 その姿を見て、ほっとした。何となくでた言葉だったけど、聖がいきなりシリアスな顔になったらどうしようかと、内心怯えていた。
 
 
 
 ラーメンを食べ終え店を出て、S駅に向かう。元来た道を戻るより、そっちの方が駅に近かった。
 駅に近づくたび、光のオーナメントが増えていく。そして駅前の大通りに面した時、蓉子たちは目の前の光景に息を飲んだ。
 
「――」
 
 街路樹の脇にある背の低い木々に、青の電飾が飾られている。街路樹には赤、緑、黄の電飾が、ランダムに明滅を繰り返す。
 それが通りに沿って延々と続いているのだ。冷静な感想を言うと整合感がないというか、静謐さにかけているのだが、そのスケールに圧倒される。まるで大通りに沿って、川が流れているようだった。
 
『綺麗』
 
 蓉子は声を発さず、ただその言葉を唇の動きだけで呟いた。
 
「――綺麗」
 
 その唇の動きに合わせるように、隣でそんな声が聞こえた。
 
「……ふふっ」
 
 無為に聖の顔を覗き込んで、思わず笑いが漏れる。
 
「うん? 何がおかしいの?」
「だって、聖に似合わない」
「あ、酷いなぁ。私だって女の子なのに」
「でも、今日は男役なんでしょ」
「そりゃ、そう言ったけどさ」
 
 不貞腐れる聖が、なんとも可愛らしい。蓉子が尚も笑い続けていると、聖は「そうだ!」と言って蓉子に向き直った。
 
「よし、これから都内のイルミネーション、制覇しよう」
「……え?」
 
 らしくもなく、気の抜けた返事をしてしまう。
 聖の言っていることは支離滅裂だ。どうして拗ねていた次に、そんな考えに辿りつけるのだろう。
 
「どうしてそうなるの?」
「だって、大抵のイルミネーションは明日で終わってしまうでしょ? 見るなら今日ぐらいしかないわけよ。蓉子はどうする? 行くか、行かないか」
 
 行くか、行かないかって、蓉子が行かないと言った場合、聖は一人でも行く気ということか。
 ――本当に聖は人を振りまわすのが好きというか、生来の世話好きが祟ったというか。
 
「行くわよ。最後まで付き合おうじゃないの」
「よしきた」
 
 親指を立てた聖は、ウインクを一つ。
 元より今日は聖のために開けておいた日なのだ。こうなったら、どこまでも付き合おう。
 
 駅近くのコンビニで、地域情報誌を買って、イルミネーションの情報をチェックする。まずは歩いて行ける範囲から、そして次からは二人が行きたいと一致した所へ。
 H駅に近いホテルでは、約五万球の電球で彩る、光の庭園を見た。Y駅からすぐのオープンモールでは、幻想的なクリスマスツリーでできた森を見た。
 赤、緑、青、黄、白。それぞれの色の光が、暗い夜の街をを芸術に変えている。
 
「ねえ、蓉子はどんなイルミネーションが好き?」
 
 イタリアの芸術家とのコラボレート作品だという、光でできたパッセージ・ウェイを歩きながら、聖は言った。
 
「そうね。……やっぱりオーソドックスなツリー型かしら。葉を落とした木も、ああしていると温かそう」
「木が温かそうか。蓉子さんったら詩人だねぇ」
 
 聖は肩で笑う。
 クリスマスイブも、もう夜半。吐く息は白く、吹く風は身を切るほど冷たかったけど、二人で歩いていると気にならない。
 
「さあ、次で最後かな」
 
 いくらクリスマスイブと言えど、いつまでも点灯しているわけじゃない。終電を逃しても困るし、そろそろ切りをつけた方が良さそうだ。
 また二人で相談して、最後に行きたい場所を決めた。行き先は、ここから歩いて十分ぐらいの所にある、ファッションビル。
 そのファッションビルは、午前零時を目前に控えながらも、情報の通りまだ開いている。降雪イベントをしているらしい吹き抜けホールに近づくたび、カップルの数が増えていく。しかしその数は、想像していたよりもずっと少なかった。やはりこの寒い時間に雪を見にくるというのは、中々に奇特らしい。
 
「おー、写真で見た通りだ」
 
 たどり着いたホールの中央には、巨大なクリスマスツリー。リースやボールなどのオーナメントはなく、青白い光で覆われている。派手さよりも、雰囲気を重視したツリーだった。
 
「本当、写真から飛び出してきたみたい」
 
 目の前には情報誌に掲載されている写真そのままの風景。降る雪に、目を奪われる。
 しかし。
 やはり寒すぎる。人口降雪機で雪を降らせているせいなのか、少し風もあった。
 
「蓉子、寒い?」
 
 蓉子が自分の肩を両手で抱いているのが気になったのか、聖は訊いてくる。
 
「ちょっと。……いいえ、かなり」
「それじゃちょいと雪を避けますか。誕生日プレゼントも貰いたいしね」
 
 なんだ、やっぱり欲しい物があったのか。そう思って、聖に肩を抱かれるがまま、ツリーの前を後にする。ご苦労なことに、いくつかのカジュアルショップやアクセサリー店が、今も営業を続けている。
 しかしどうしたことか、聖はそのどの店にも目もくれず、本当にただ雪を避けるためだけに、柱の近くで立ち止まった。わざと人目につかない場所を選んでいるように思えるのは、考えすぎだろうか。
 
「蓉子、今何時?」
「えっと、……零時二分」
「じゃあもうオッケーだね」
 
 ハッピーバスデー、聖。
 そう言う暇さえ与えずに、聖は昼間福引きで当てた帽子を、蓉子に被せた。
 
「聖?」
 
 どうしてプレゼントを渡す側の人間が、プレゼントを貰っているんだ。
 そう口を開きかけた瞬間――。
 
「じっとしていて」
 
 聖の顔が、真正面にくる。肩に置かれた手が、少し重い。
 聖の顔が、近づいてくる。その瞳に、吸い込まれそうになる。
 もうこれ以上、近づけやしない。そんな距離。
 
「――!?」
 
 視界も、頭も――真っ白。
 二人の間に、ちらりと雪が舞いこんだ。
 
「……聖」
「うん」
「今、何した?」
「何って、キスでしょ」
「どうして」
「蓉子のことが好きだから。唇が、欲しくなっちゃった」
 
 凄く真面目な顔をして、聖は言った。
 思わずおさえた唇。鏡を見なくても、耳まで紅潮しているのが分かる。
 
「……ファーストキス、だったのに」
 
 心臓が、早鐘を打つ。自分でも驚くぐらい動転して、ろくに物事を考えられない。
 ここまで酷く狼狽したのは、生まれて初めて。
 
「あれ。もしかして、誕生日プレゼントにしては、大切すぎるものを貰っちゃった?」
「もしかして、じゃないわよ」
「それは、ごめん。この通り」
 
 両手を合わせて、聖は深く頭を下げる。
 
「やめてよ。……怒ってるわけじゃないから」
「そう? よかった。じゃあ怒ってないってことは、嫌じゃなかったのよね?」
「それは」
 
 どうなんだろう。
 自分自身に問いかける。バクバクとうるさい心臓も、熱い頬も、奔る思考も。どれも嫌だと思った時の反応じゃない。
 
「嫌じゃなかった、けど」
「じゃあ聞かせて。私のこと好き? 嫌い?」
「どうしてそんなこと訊くのよ」
「答えてよ。普通、っていう答えもありにするから」
 
 どうして。
 
「……聖」
 
 こんな時に、そんな顔をするの。
 
「お願い、蓉子」
 
 どうしてそんな、捨てられる子犬みたいな顔を。
 
「私はちゃんと言ったよ。蓉子のことが好きだって。だからお願い、聞かせてよ」
 
 肩にかけられたままの聖の手が、震えている。懇願するような瞳が、潤んでいる。
 胸を張り裂かんばかりの哀訴。想いが喉元まで上がってきて、やがて口から溢れだす。
 
「私も聖のこと、好きよ。すごく、好き」
「……よかった」
 
 ギュッと、抱き締められる。
 頭のどこかにいる冷静な自分が、周囲に誰も居ないことを確認する。
 頭のどこかにいる抑え切れない自分が、強く聖を抱き締め返す。
 
「ねえ、蓉子」
 
 耳元で、囁かれる。遠くから、ベルの音が聞こえた。
 
「どうやら、フライングしちゃったみたいよ?」
「そうみたいね」
 
 腕時計の時間は零時五分をさしている。どうやら、長針がせっかちだったらしい。
 
「それじゃ仕切り直しってことでさ、今度は蓉子の方からして欲しいな」
「……何言ってるのよ」
 
 だんだん冷静さを取り戻してきた。途端にさっきまでの行動が恥ずかしくなってきて、蓉子は慌てて聖から離れた。
 
「ウブな蓉子も可愛いよ」
「茶化さないでよ、もう」
 
 不意に聖が、ふふっと笑った。だから蓉子も、つられて笑う。
 
「私は、真面目にお願いしてるんだけどなぁ」
「笑いながらじゃ、説得力がないわ」
「なら、私は蓉子がチューしてくれるまで、こうして待ってるから」
 
 そう言って聖は、目を瞑った。なんて勝手なんだろう。
 よくよく考えてみれば、女同士でキスなんて、じゃれ合いにしても本気にしても、結構恥ずかしい。そんなの、できるわけがない。
 
「……」
 
 ――ああ、でも。
 
 長い睫とか、高い鼻とか、血の気の薄い唇とか。
 見れば見るほど、うっとりと惹き込まれる。つい、触れてみたくなる。
 
「聖」
「うん?」
「絶対に、目を開けないでね」
 
 微かな吐息が、白くなっては流れていく。
 頬が熱い。距離が縮まる。鼓動が暴れる。思考が微睡む。
 
「――ん……っ」
 
 カラン、カランと。
 まだ、鐘が鳴り響いている。
 ずっと、飽きるぐらいずっと、鳴り響いている。
 
 このベルが鳴り終わったら、この唇を離そう。
 それまでは。その時までは。
 
 このまま、ずっと。
 どうか、ずっと。
 
 このままで、いたい。
 
 

 
 
前へ  トップ  あとがき

...Produced By 滝
...since 04/12/24
...直リンOK 無断転載厳禁