それからそのブティックを見て回ったり、他のお店も覗いてみたり。 気付いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。 夜の帳の下りた聖夜は、思っていた以上に冷える。 未だ鳴り響くクリスマスソングと、色とりどりの電飾に飾られた街。 そんな中を聖と二人で歩き、そしてたどり着いたこの場所。 「聖は、『とっておきのディナーにご招待する』って言ったわよね?」 「うん、言った」 「確か昼間、『クリスマスらしいものを食べよう』とも言ってわよね?」 「あれはディナーのことを言ってたんじゃないけど。それがどうしたのよ」 「どうした、って。どうしてここなのか、って訊いてるのよ」 「何よ。いいでしょ、ラーメン食べたかったんだから」 聖の『とっておきのディナー』というのは、『博多めんたいこラーメン』だった。 屋台が空き地に根を下ろしたような、プレハブでできたラーメン屋。それは勿論、聖の『とっておき』には違いないのだろうけど、ちょっと肩透かしをくらった気分だ。 「あ、もしかしてラーメン嫌いだった?」 「そんなことないけど」 「じゃあオッケー。ほら、遠慮せずに食べなさいって」 聖は本当に美味しそうに、麺を口に滑り込ませる。いや、たしかにここのラーメンは美味しいのだけど。 「はあ……。聖には振り回されてばっかりね」 「えー。高校の時は、蓉子の方が振り回していたじゃない」 「果たしてそうだったかしら?」 蓉子が目を逸らして答えると、聖は思い当たったのか、「あ」という顔になった。 ちょうど二年前。あの日も、こんな寒い日だった。 「ごめん。また寒い中で待たせちゃった」 「いいのよ、もう慣れたから」 「あー、蓉子の皮肉が耳に痛い」 両目をつぶって、耳を抑える聖。 その姿を見て、ほっとした。何となくでた言葉だったけど、聖がいきなりシリアスな顔になったらどうしようかと、内心怯えていた。 ラーメンを食べ終え店を出て、S駅に向かう。元来た道を戻るより、そっちの方が駅に近かった。 駅に近づくたび、光のオーナメントが増えていく。そして駅前の大通りに面した時、蓉子たちは目の前の光景に息を飲んだ。 「――」 街路樹の脇にある背の低い木々に、青の電飾が飾られている。街路樹には赤、緑、黄の電飾が、ランダムに明滅を繰り返す。 それが通りに沿って延々と続いているのだ。冷静な感想を言うと整合感がないというか、静謐さにかけているのだが、そのスケールに圧倒される。まるで大通りに沿って、川が流れているようだった。 『綺麗』 蓉子は声を発さず、ただその言葉を唇の動きだけで呟いた。 「――綺麗」 その唇の動きに合わせるように、隣でそんな声が聞こえた。 「……ふふっ」 無為に聖の顔を覗き込んで、思わず笑いが漏れる。 「うん? 何がおかしいの?」 「だって、聖に似合わない」 「あ、酷いなぁ。私だって女の子なのに」 「でも、今日は男役なんでしょ」 「そりゃ、そう言ったけどさ」 不貞腐れる聖が、なんとも可愛らしい。蓉子が尚も笑い続けていると、聖は「そうだ!」と言って蓉子に向き直った。 「よし、これから都内のイルミネーション、制覇しよう」 「……え?」 らしくもなく、気の抜けた返事をしてしまう。 聖の言っていることは支離滅裂だ。どうして拗ねていた次に、そんな考えに辿りつけるのだろう。 「どうしてそうなるの?」 「だって、大抵のイルミネーションは明日で終わってしまうでしょ? 見るなら今日ぐらいしかないわけよ。蓉子はどうする? 行くか、行かないか」 行くか、行かないかって、蓉子が行かないと言った場合、聖は一人でも行く気ということか。 ――本当に聖は人を振りまわすのが好きというか、生来の世話好きが祟ったというか。 「行くわよ。最後まで付き合おうじゃないの」 「よしきた」 親指を立てた聖は、ウインクを一つ。 元より今日は聖のために開けておいた日なのだ。こうなったら、どこまでも付き合おう。 駅近くのコンビニで、地域情報誌を買って、イルミネーションの情報をチェックする。まずは歩いて行ける範囲から、そして次からは二人が行きたいと一致した所へ。 H駅に近いホテルでは、約五万球の電球で彩る、光の庭園を見た。Y駅からすぐのオープンモールでは、幻想的なクリスマスツリーでできた森を見た。 赤、緑、青、黄、白。それぞれの色の光が、暗い夜の街をを芸術に変えている。 「ねえ、蓉子はどんなイルミネーションが好き?」 イタリアの芸術家とのコラボレート作品だという、光でできたパッセージ・ウェイを歩きながら、聖は言った。 「そうね。……やっぱりオーソドックスなツリー型かしら。葉を落とした木も、ああしていると温かそう」 「木が温かそうか。蓉子さんったら詩人だねぇ」 聖は肩で笑う。 クリスマスイブも、もう夜半。吐く息は白く、吹く風は身を切るほど冷たかったけど、二人で歩いていると気にならない。 「さあ、次で最後かな」 いくらクリスマスイブと言えど、いつまでも点灯しているわけじゃない。終電を逃しても困るし、そろそろ切りをつけた方が良さそうだ。 また二人で相談して、最後に行きたい場所を決めた。行き先は、ここから歩いて十分ぐらいの所にある、ファッションビル。 そのファッションビルは、午前零時を目前に控えながらも、情報の通りまだ開いている。降雪イベントをしているらしい吹き抜けホールに近づくたび、カップルの数が増えていく。しかしその数は、想像していたよりもずっと少なかった。やはりこの寒い時間に雪を見にくるというのは、中々に奇特らしい。 「おー、写真で見た通りだ」 たどり着いたホールの中央には、巨大なクリスマスツリー。リースやボールなどのオーナメントはなく、青白い光で覆われている。派手さよりも、雰囲気を重視したツリーだった。 「本当、写真から飛び出してきたみたい」 目の前には情報誌に掲載されている写真そのままの風景。降る雪に、目を奪われる。 しかし。 やはり寒すぎる。人口降雪機で雪を降らせているせいなのか、少し風もあった。 「蓉子、寒い?」 蓉子が自分の肩を両手で抱いているのが気になったのか、聖は訊いてくる。 「ちょっと。……いいえ、かなり」 「それじゃちょいと雪を避けますか。誕生日プレゼントも貰いたいしね」 なんだ、やっぱり欲しい物があったのか。そう思って、聖に肩を抱かれるがまま、ツリーの前を後にする。ご苦労なことに、いくつかのカジュアルショップやアクセサリー店が、今も営業を続けている。 しかしどうしたことか、聖はそのどの店にも目もくれず、本当にただ雪を避けるためだけに、柱の近くで立ち止まった。わざと人目につかない場所を選んでいるように思えるのは、考えすぎだろうか。 「蓉子、今何時?」 「えっと、……零時二分」 「じゃあもうオッケーだね」 ハッピーバスデー、聖。 そう言う暇さえ与えずに、聖は昼間福引きで当てた帽子を、蓉子に被せた。 「聖?」 どうしてプレゼントを渡す側の人間が、プレゼントを貰っているんだ。 そう口を開きかけた瞬間――。 「じっとしていて」 聖の顔が、真正面にくる。肩に置かれた手が、少し重い。 聖の顔が、近づいてくる。その瞳に、吸い込まれそうになる。 もうこれ以上、近づけやしない。そんな距離。 「――!?」 視界も、頭も――真っ白。 二人の間に、ちらりと雪が舞いこんだ。 「……聖」 「うん」 「今、何した?」 「何って、キスでしょ」 「どうして」 「蓉子のことが好きだから。唇が、欲しくなっちゃった」 凄く真面目な顔をして、聖は言った。 思わずおさえた唇。鏡を見なくても、耳まで紅潮しているのが分かる。 「……ファーストキス、だったのに」 心臓が、早鐘を打つ。自分でも驚くぐらい動転して、ろくに物事を考えられない。 ここまで酷く狼狽したのは、生まれて初めて。 「あれ。もしかして、誕生日プレゼントにしては、大切すぎるものを貰っちゃった?」 「もしかして、じゃないわよ」 「それは、ごめん。この通り」 両手を合わせて、聖は深く頭を下げる。 「やめてよ。……怒ってるわけじゃないから」 「そう? よかった。じゃあ怒ってないってことは、嫌じゃなかったのよね?」 「それは」 どうなんだろう。 自分自身に問いかける。バクバクとうるさい心臓も、熱い頬も、奔る思考も。どれも嫌だと思った時の反応じゃない。 「嫌じゃなかった、けど」 「じゃあ聞かせて。私のこと好き? 嫌い?」 「どうしてそんなこと訊くのよ」 「答えてよ。普通、っていう答えもありにするから」 どうして。 「……聖」 こんな時に、そんな顔をするの。 「お願い、蓉子」 どうしてそんな、捨てられる子犬みたいな顔を。 「私はちゃんと言ったよ。蓉子のことが好きだって。だからお願い、聞かせてよ」 肩にかけられたままの聖の手が、震えている。懇願するような瞳が、潤んでいる。 胸を張り裂かんばかりの哀訴。想いが喉元まで上がってきて、やがて口から溢れだす。 「私も聖のこと、好きよ。すごく、好き」 「……よかった」 ギュッと、抱き締められる。 頭のどこかにいる冷静な自分が、周囲に誰も居ないことを確認する。 頭のどこかにいる抑え切れない自分が、強く聖を抱き締め返す。 「ねえ、蓉子」 耳元で、囁かれる。遠くから、ベルの音が聞こえた。 「どうやら、フライングしちゃったみたいよ?」 「そうみたいね」 腕時計の時間は零時五分をさしている。どうやら、長針がせっかちだったらしい。 「それじゃ仕切り直しってことでさ、今度は蓉子の方からして欲しいな」 「……何言ってるのよ」 だんだん冷静さを取り戻してきた。途端にさっきまでの行動が恥ずかしくなってきて、蓉子は慌てて聖から離れた。 「ウブな蓉子も可愛いよ」 「茶化さないでよ、もう」 不意に聖が、ふふっと笑った。だから蓉子も、つられて笑う。 「私は、真面目にお願いしてるんだけどなぁ」 「笑いながらじゃ、説得力がないわ」 「なら、私は蓉子がチューしてくれるまで、こうして待ってるから」 そう言って聖は、目を瞑った。なんて勝手なんだろう。 よくよく考えてみれば、女同士でキスなんて、じゃれ合いにしても本気にしても、結構恥ずかしい。そんなの、できるわけがない。 「……」 ――ああ、でも。 長い睫とか、高い鼻とか、血の気の薄い唇とか。 見れば見るほど、うっとりと惹き込まれる。つい、触れてみたくなる。 「聖」 「うん?」 「絶対に、目を開けないでね」 微かな吐息が、白くなっては流れていく。 頬が熱い。距離が縮まる。鼓動が暴れる。思考が微睡む。 「――ん……っ」 カラン、カランと。 まだ、鐘が鳴り響いている。 ずっと、飽きるぐらいずっと、鳴り響いている。 このベルが鳴り終わったら、この唇を離そう。 それまでは。その時までは。 このまま、ずっと。 どうか、ずっと。 このままで、いたい。
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