■好きだと言えない唇に -Don't let the bells end-
 
 
 
 
 
 十二月の下旬ともなると、流石に冷える。
 蓉子はツイードジャケットの襟を寄せながら、腕時計で時間を確認する。午後一時五十八分。なんてことだ。もう四十分も待たされている。
 
「……はあ」
 
 待たされるのはいつものこと。でも、ここはS駅を出たところで、つまりは屋外。長い時間を待つには堪える。
 
「や、待った?」
 
 午後二時ちょうど、やっと待ち人は現れた。
 
「待ったわよ、学園祭の時と同じく、四十分もね」
「でもそれは、四十分早くきた蓉子が悪いんでしょ?」
「何言ってるのよ、待ち合わせの時間は一時半でしょう」
「あれ、二時って言わなかったっけ?」
 
 首を傾げる目の前の人物の名は、佐藤聖。別名、待たせ魔。
 お気に入りのカシミヤのコートをきた聖は、とても温かそうだ。こんなに待たされるのだったら、もうちょっと暖かい格好をしてくるべきだったと、蓉子は溜息を吐いた。
 
「まあ、いいわ。とにかく、どこか入りましょう」
「え? さっきご飯食べてきたばっかりなのに」
 
 ムートンブーツとタイトスカートでは保護しきれなかった足が、温もりを求めている。文句を言う聖を引きずり、蓉子は近くの喫茶店へと向かった。
 

 
「で?」
 
 席について注文を済ませるなり、蓉子は切り出した。
 
「で、って?」
「今日この日に、私を呼びつけた理由よ」
 
 今日この日というのは、世間一般でいうクリスマスイヴ。特別な夜――特に聖にとっては重大な事件のあった日。それももう、二年も前の話になるのだが。
 
「今日って、何か特別な日だっけ?」
「聖、本気で言ってるの?」
 
 しかし呆れたことに、当の本人は自覚なし。今日がクリスマスイヴだってことすら忘れていたらしい。てっきり人恋しくなって呼び寄せられたと思っていた蓉子は、思いっきり肩すかしをくらってしまった。
 
「私は曜日で約束を覚えているから。ああ、そうだ、今日はクリスマスイヴ。だから江利子は誘わなかったんだった」
 
 江利子には一緒に過ごすべき人がいるから、誘わないのは友情の形のひとつだろう。しかし私ならいいのか、と蓉子は届いたミルクティーを飲みながら思った。
 適当に選んだ喫茶店だったけど、中々の味。店内はけっして静かだとは言えなかったけど、逆に話し易くていい。
 
「もしかして、悪いことしちゃったかな?」
 
 聖はコーヒーの入ったカップを両手で持って、殊勝にも蓉子にお伺いを立てる。神妙な顔なんかしちゃって、なんて珍しいことだろう。
 
「別に? 予定もなかったし、家でゴロゴロしてたら親に文句を言われてしまうわ」
「あれれ、さぞやおモテになるだろう蓉子さんが、誰からもお誘いを受けなかったの?」
「先約があったし、一緒にいて楽しいと思う人じゃなければ、行きたくもないわ」
「へー、じゃあ私といると楽しいんだ。そりゃ光栄」
 
 にしし、と笑う聖は、やはりどうしても憎めないやつなのだ。
 蓉子はアナナのパウンドケーキを一欠けら食べてから、逆に訊いた。
 
「そういう聖は、お誘いを受けなかったわけ?」
「私も先約があったからね。心優しい祐巳ちゃんがクリスマスパーティーに誘ってくれたけど、卒業してから頻繁にお邪魔するのも、ねえ?」
「志摩子と乃梨子ちゃんに、遠慮したんじゃないの?」
「さて、どうでしょう」
 
 それちょっとちょうだい、と言って、聖はパウンドケーキを一摘み持っていった。どうでしょう、ってはぐらかしているけど、答えは分かったようなものだった。
 
「けど寂しいわね。私は祐巳ちゃんに誘ってもらえなかった」
「そりゃ私が言っといたもん。蓉子と江利子はデートの約束があるから誘っても無駄だよ、って」
「……犯人は聖か。何がデートの約束よ」
「私とデート」
「単に遊びに出てるだけでしょ」
「いいじゃない、言い方ぐらい。分かった、私が男役でいいから」
「誰もそんなこと言ってない」
 
 はあ、と溜息を吐いてまたミルクティーを一口。
 でもまあ、ほっとした。自分だけ誘われなかったのだったら、寂しすぎる。勿論、祐巳ちゃんはそんな子じゃないけれど。
 
「それにしても、聖は本当に祐巳ちゃんに慕われているわね」
「祐巳ちゃんはいい子だから、可愛がった分だけ慕ってくれるのよ」
「あら。なら私ももっとベタベタ接すればよかった」
 
 言って、二人笑い合う。可愛い孫の顔を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。
 
「私、時々思うわ。あなたが志摩子より先に、祐巳ちゃんに出会っていたら、どうなっていただろう? って」
「うーん、少なくとも妹にはしなかったと思うけど?」
「そう? 祐巳ちゃんと聖、結構相性いいと思うのに」
「そりゃどうも。でも祐巳ちゃんは祐巳ちゃんで、私じゃないから」
 
 もう一口、と言って、聖はパウンドケーキを摘んでいく。すでに三分の一ぐらい食べられているのは気のせいか。
 
「まあ、分かる気もするわ」
「私はむしろ祐巳ちゃんの妹になりたいよ。祐巳ちゃんは、私の憧れの人だしね」
「憧れの人?」
 
 カップに俯角を付けて、ミルクティーを飲み干す。そのカップがソーサーに置かれるのを待ってから、聖は言った。
 
「うん。憧れない? 祐巳ちゃんみたいな生き方」
「考えたことなかったわ。でもそうね、……楽しそう」
「でしょ?」
 
 愉快そうに、聖は笑った。
 確かに祐巳ちゃんの百面相を思いだしてみると、彼女になってみるのは楽しそうだ。
 
「さ、そろそろ出ようか」
 
 カップや皿は、全て空になっている。蓉子は「そうね」と返してから、椅子にかけていたジャケットを羽織った。
 
 

 
 
 今日ほど、緑と赤のコントラストが映える日はない。
 G駅近くの遊歩道の街路樹は、すっかりクリスマスツリーに変身している。リースにボール、雪を表現する綿。街は華やかだ。
 
「で、こんなところまで来て、どうするの?」
「どうするって、デートでしょ」
 
 ああそうだった、と蓉子は頷いた。聖は特に理由があって、蓉子を連れ出したわけではない。故に、聖の行動に理由を求めるほうが間違い。蓉子はそう納得して、黙って聖に付き合うことにした。
 
「ここ、前から行きたかったんだよね」
 
 遊歩道に沿って歩き、着いた先はショッピングモール。ガラス張りが目に眩しい、大きな建物だった。
 
「さ。入ろ、入ろ」
「ちょっと、引っ張らないでってば」
 
 子供みたいにはしゃいで手を引いてくる聖に、少しだけ呆れた。そんなに行きたかったのなら、一人でも来ればよかったのに。でも一人では嫌だけど誰かと一緒にならよくて、その相手に自分が選ばれたことに、嫌な気はしない。
 回転式の扉を開け、建物の中に入る。ショッピングモールの中は、クリスマスソングと、幾多のカップルで満たされていた。
 
「うわー、カップルばっかり」
 
 楽しそうに、専門店が並ぶ通りを眺める聖。そこはもっとうんざり言うところだ。
 
「よし、私たちもクリスマスらしいことするか」
「ちょっと、何をする気?」
 
 つかつかと歩いて行った先は、入り口から近い所にあったカーネルおじさん。彼も今日はクリスマスらしい装いで、赤い帽子なんかかぶっている。相変わらずカーネルおじさんは腕を直角に曲げ、まるで握手請っているようだ。――何て思っていたら、聖が本当に握手しようとしたので、慌てて止めた。
 
「止めなさい、聖はただでさえ目立つんだから」
「ちぇ、怒られちゃった」
 
 ちぇ、じゃない。聖の場合、沈みそうになる気持ちを晴れさせるためにやったのと、天然でやったのと、両方だから憎めない。
 
「じゃあクリスマスらしいものを食べよう。あっ、あの桜餅なんかどう?」
「聖、三秒前に自分の言ったこと、覚えている?」
「違うわよ。蓉子、ちゃんと見なさい」
 
 聖に指差された桜餅を見ると、『クリスマス限定商品!』とプラカードが立ててある。その桜餅はというと、イチゴとホイップクリームでデコレーションされていて、どうにもハズレっぽかった。
 
「本当に食べるの?」
「うん」
 
 聖の目を見る限り、どうも本気らしい。蓉子は物をねだる子供ような聖の視線に背中を押され、『クリスマス桜餅』を二つ買った。
 
「あれ、蓉子ちゃんの奢り?」
「これが誕生日のプレゼントでいい?」
「それはヤダなぁ」
 
 別に蓉子には、誕生日のプレゼントを渡そうというつもりがあったわけじゃない。元から、律儀にプレゼントを渡すような間柄でもない。
 もしプレゼントが欲しければねだってくるだろうと思っていたから買ってみたけど、やはりこれでは不服らしい。
 
「これはクリスマスプレゼントってことにしよう」
「あら。じゃあお返しを期待してもいいのかしら」
「勿論。とっておきのディナーにご招待するよ」
「それは楽しみね」
 
 棚から牡丹餅ではこのことか。桜餅一個と夕食では釣り合いがとれないけど、誕生日プレゼントがあれでは嫌ということは、他に欲しいものがあるって言うことだ。それで埋め合わせさせて貰おう。
 通路の脇で桜餅を食べてから、今度は二階に上がった。ちなみに、クリスマス桜餅は『ハズレ』だった。
 様々な店の前を通るたび、定番のクリスマスソングが代わる代わる聞こえてくる。『Happy Xmas』、『Christmas Time』、『I wish it could be Christmas everyday』。明るかったり、静かだったりするクリスマスソングたちは、姦しくも今日という日を演出している。
 
「お姉さんたち、一回どうですか?」
 
 ブティックの前を通りかかった時、声をかけられた。声の主は中年の男性。その男性の前には、福引きの回転くじ。
 
「タダでできるの?」
「ええ。どうぞ回していってください」
「ならやってみようかな」
 
 聖は腕まくりして、回転くじを回した。
 どうせこのブティックで使える商品券なんかが貰えて、折角だからちょっと見て行こう、という算段なのだろう。
 
「おめでとうございます、五等です」
 
 カラーン、と一回だけベルが鳴らされた。手渡された賞品は、予想とは違って赤い帽子だった。
 
「やった。カーネルおじさんとお揃いだ」
 
 聖は嬉しそうに帽子をかぶったけど、カシミヤのコートには全く似合わなかった。
 
 

 
 
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