■ 手をのばして -distortion my affection-




 五月の中ごろまで、私は文化系のクラブに入っては止めるという事を繰り返していた。
 バスケの穴埋めを、打ち込める何かを探していたのだ。
 私の長身を見込んで勧誘してくる、運動部では駄目だった。干渉される事が目に見えている。
 だから文化系のクラブを選んだはいいが、どのクラブも私にしつこく干渉しようとする。
 結局私はクラブを転々とするだけで、何も得られなかった。
 
 相変わらず縦ロールは、私に対して五月蝿い。
 協調性が無い事なんて、百も承知だ。だからと言って、彼女の一人よがりな義憤に付き合う義理はない。
 この頃には、中学受験で入ってきた私の世話を焼こうとする人間は居なくなっていた。
 
 私が『あの人』を初めて見たのは、そんな時期の事だ。
 
「一年生の皆さん。まずは、入学おめでとう」
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)こと小笠原祥子さまが、お聖堂に集まった一年生たちに言った。
 普通なら、誰もが認めるほど顔立ちの美しい彼女に注目がいくだろう。
 でも私は、全く別の人を見ていた。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の後ろに佇んでいる、紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)と呼ばれる少女――福沢祐巳さま。
 
「さて、我がリリアン女学園高等部生徒会は――」
 
 歓迎の挨拶の間、私はずっと彼女を見詰めていた。
 直感的に、彼女に惹かれるものを感じたからだ。
 ひたすら祐巳さまを見て感じとったのは、夕子先輩に雰囲気が似ているという事だった。
 髪型が似ているわけでもなければ、声なんか聞いた事もない。似ている所と言えば、ころころ表情を変える所ぐらいだ。
 何となく似ている。私が感じたのは、ただそれだけだった。
 
「マリア様のご加護がありますように」
 
 やがておメダイの授受が始まった。
 李組と桃組は紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)から、私のいる椿組と菊組は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)からおメダイを頂く。
 私は李組や桃組が羨ましかった。私もそっちの組に紛れて、出来れば祐巳さまをもっと近くで見てみたいと思った。
 そんな事をつらつらと考えていると、私の背後から大きな声が上がる。
 
「お待ちください!」
 
 その声の主は、縦ロールこと松平瞳子だった。
 彼女はあれよあれよという間に前に出て、薔薇さまたちに「その人はおメダイを頂く資格がない」と言った。
 その人というのは、私より数人分前でおメダイを受け取ろうとしていたクラスメート・二条乃梨子さんだ。
 私と同じく中学受験でリリアンに入ってきた彼女は、可哀想なことに縦ロールに付きまとわれている。
 しかしその彼女が、縦ロールに何かを紛糾されているのだ。
 
「あなたにはこれがお似合いよ!」
 
 縦ロールは哄笑(こうしょう)して、手に持った巾着袋から数珠を取り出した。
 さっぱり意味が分からない。この人たちは、一体何をしているのだろう。
 黙って観察していると、乃梨子さんはどう理由だか分からなかったが白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)をかばっていた。
 やがて今度は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が乃梨子さんをかばって、数珠は自分のものであると告白した。
 私が話についていけない間もドラマのようなやり取りが続き、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は自分の家が仏教の寺であると言うと、乃梨子さんが彼女に泣きついた。
 
 お聖堂のあちらこちらから嗚咽が聞こえる。
 もうさっぱりわけが分からなかった。
 私にとって見れば、あらすじの紹介もなしに、映画のクライマックスを見せられたようなものだ。
 一体何人の生徒が、この状況を完璧に理解して泣いているのだろう。
 
 確かに抱き合い、かばい会う彼女たちは美しい。
 だからと言って、美しければ泣けるのか。
 そう疑問に思っていた時、私は視界の端に映った祐巳さまに気を取られた。
 
「―――」
 
 祐巳さまも、泣いていた。
 酷く、胸が苦しくなる。
 きっと彼女の涙は感動の涙で、何も心配する事はない。
 それなのに私の胸は締め上げられ、呼吸も出来ないぐらい。
 
 私が感じたのは、ただそれだけだった。
 その時はまだ、それだけ。
 
 

 
 
 次に祐巳さまを見たのは、梅雨の日の事だ。
 
「あれ、紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)じゃない?」
 
 雨が降り続ける中、私がバスを待っている時だった。
 同じくバス待ちをしていた生徒たちの誰かが、そう言ったのだ。
 
 彼女たちの視線の先を見ると、確かに祐巳さまがいる。
 傘は持っているのに、ずぶ濡れになって、泣いていた。
 涙が見えたわけではない。ただ雰囲気で分かった。
 
(まただ)
 
 また祐巳さまは泣いている。
 今度ははっきりと、悲しみで泣いている。
 大学生らしき人に抱き付いて、いやいやと首を振っている。
 その近くにいるのが紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)だと、長い髪から見て取れた。
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は大学生らしき人に一礼すると、校門近くで待っていた車に乗り込んだ。
 祐巳さまは紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)を追いかけたけれど、黒塗りの車は気付いた様子もなく走り去った。
 
 くずおれる祐巳さまが、昔の私に重なって見える。
 この前は夕子先輩に似ていると感じたというのに、今度は私だった。
 雨の中で打ちひしがれる姿は、まるであの日の私だ。
 
 ――まるで捨てられた子猫のよう。
 
 けれど、彼女は私じゃない。
 夕子先輩でもなければ、私でもない、一人の少女。
 状況だって、全然違う。祐巳さまには、傘を差し伸べてくれる人がいる。
 
(――泣かないで)
 
 私は強くそう願った。
 祐巳さまの雰囲気が夕子先輩に似ているとか、私に重なって見えたとか。
 そういう気持ちもあったかも知れない。でも私は、純然と彼女に泣いて欲しくないと思った。
 
 きっと、この時からだ。
 他人に干渉しまいと思っていた私が、誰かと関わろうとしてしまったのは。
 
 

 
 
 初夏の日。
 私は昼休み、図書館で『リリアンかわら版』のバックナンバーを読み漁っていた。
 読む記事はほとんど昨年度のもの。この年度のかわら版はゴシップめいた見出しと内容で、頭の弱い感じがした。
 しかしどうしたことか、書き方の妙で、私はどんどん記事に飲み込まれてしまった。
 私が探している記事は、祐巳さまについて書いてある部分だけだったのに、ついつい他の記事まで目を通してしまっていたのだ。
 
 結果、分かったことがある。
 山百合会の幹部たちは皆、人を惹きつける魅力を持っているということだ。
 容姿のように外から見えるものだけではなく、内包している人としての魅力。
 そういったものが、記事から滲み出ている。
 それは人それぞれ違っていたけれど、やはり私は祐巳さまの魅力に惹かれていた。
 
 秋ぐらいのかわら版から、祐巳さまに関する記述と写真が増えている。
 私は食い入るように記事を読んだ。何故だか分からない。得体の知れない感情に突き動かされ、私は祐巳さまの情報を求めていた。
 
 ――福沢祐巳。
 幼稚舎からリリアンで学び、特に目立った行動もない、ごく普通のお嬢様。
 その祐巳さまが、高等部の憧れの的である山百合会の幹部入りした経緯、その後の行事での子細など、私は集められるだけの情報を手にした。
 
 かわら版に掲載されている写真は、どれもよく撮れている。
 私は新しい写真を見るたび、すり減らしていた心が満たされるような錯覚を覚えた。
 写真の一枚いちまいに、魂が吹き込まれているよう――。私はほとんど何も考えず、司書役らしい図書委員会の生徒にカラーコピーを頼んでいた。
 
 
 
 図書館を出て、私は家庭科室に向かった。
 五、六限目は家庭科なので、ちゃんとその用意も持ってきている。
 その道すがら、祐巳さまを見かけた。
 
「あ……」
 
 さっきまで写真で見とれていた人が、すぐそこにいる。
 連れ立って歩いている友人らしき人の姿もなく、特別急いでいる様子もない。
 以前見た時のように、悲しみに打ちひしがれてもいない。きっとあの状況から立ち直れたんだろう。
 自分の事じゃないのに、それに喜びを感じる私がいた。
 
 心なしか上機嫌にみえる祐巳さまは、写真の中同様可愛らしい。
 写真では表現しきれない瞳の輝きが、私の心を締め付ける。
 
「―――」
 
 もうすぐ、すれ違う。私の中に、焦りが生まれる。
 もっとこの人を見ていたい。声を聞きたい。その瞳に私の姿を映して欲しい――
 欲望が渇望に変わる。このまますれ違ってしまえば、私に話しかける機会はない。
 
「ごきげんよう、祐巳さま」
 
 私は意を決して話しかけた。
 最初私の身長に驚いていたようだったけど、祐巳さまは次の瞬間には微笑んでいた。
 祐巳さまは高等部のアイドルのようなものだから、下級生に声をかけられるのなんて日常茶飯事だろう。
 
「ごきげんよう。……えっと、一年生?」
「そうです。祐巳さまは、薔薇の館からの帰りですか?」
「ええ、そう。あなたは、……これから調理実習?」
 
 祐巳さまは私の手に持っている、エプロンを見て言った。
 
「はい。オレンジピールを使ったお菓子を作るんです」
「そうなの? 美味しくできるといいわね」
 
 それでは、ごきげんよう。
 そう言って、どちらともなく別れた。
 
 ごく短い、祐巳さまとの会話。
 時間にして一分もないその間に、私は足の先から頭の頂まで恍惚感で満たされる。
 祐巳さまが向けてくれた微笑みは、きっと仮面の笑顔。
 きっと祐巳さまは私の事なんか、すぐ忘れるだろう。
 それでいい。それだけでも、いい。
 
 祐巳さまは、みんなの優しいお姉さまだから。
 気さくで可愛い、みんなのお姉さまだから――
 
 

 
 
 やがて夏休みを向かえた。
 私は宿題以外には別段やる事もなく、家の手伝いと軽い運動で日々を過ごした。
 これでも女の子だから、急に怠けて筋肉が脂肪に変わるのは避けたかった。
 
 極めて健康的な生活。だけど、心は病んでいた。
 コルクボードには破り捨てた父の写真の代わりに、カラーコピーして貰った祐巳さまの写真を貼り付けてある。
 おかしい、と何度も思った。
 祐巳さまは特別親しい上級生でもなければ、私と一緒に映った写真があるわけではない。
 
(……バカらしい)
 
 こんなのは変だと。そう思っても、結局コルクボードから祐巳さまの写真が無くなることはなかった。
 
 夏休みの課題を全て終えてしまうと、いよいよやる事がなくなってしまった。
 だから私は図書館の開館日には必ず学園に赴き、本を読んだり探したり。
 けれど本当に探していたのは、きっと祐巳さまだった。
 山百合会のメンバーたちは、夏休み返上で学園祭の準備に勤しんでいると聞いたから、どこかで会えるかも知れない。
 そんな小さな希望が、私には確かにあった。
 
 夏休みが終わっていく。
 私の中で、価値が変貌していく。
 祐巳さまに抱いていた淡い憧憬は確かな憧れに変わり、やがて信奉に近いものになっていく。
 
「祐巳さま……」
 
 彼の人の甘やかな声を思いだして、脳が痺れた。
 紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)。いずれリリアン女学園を引っ張っていく人。
 清純で、無垢で、潔白で。絶対に穢されてはならない人。
 
 

 
 
「ごきげんよう、祐巳さま。夏休みはいかがお過ごしでした?」
 
 夏休みが明けて、私は積極的に祐巳さまに話しかけた。
 他人に干渉しないようにしていた自分が嘘のように、何度もただの一年生を装って。
 
「最近、お忙しいのですか?」
「そうね。学園祭もいよいよって感じで近づいてきたから」
「でしたら私、お手伝いに参ります」
「え……?」
「掃除でも雑用でも、祐巳さまの手助けになる事がしたいんです」
「でも、悪いわ」
「いいえ。私の希望なんですから、祐巳さまが気になさることじゃありません」
 
 いつしか私の行動は、思考の枠を飛び出していた。
 祐巳さまの手助けになる事をしたいというのは嘘じゃなかったけれど、それだけかと言われれば違った。
 側に居たい。声を聞きたい。横顔でもいい、見ていたい。
 
 私は人手の足りなさそうな日を見計らって、何度か薔薇の館を訪れた。
 
「――それでね、弟は深刻そうな顔で言ったの。『ちょっと、焦る』って」
 
 祐巳さまは押しかけ女房みたいに世話を焼く私に、優しく接してくれた。
 世間話をしたり、こんな風に軽く家族の話をしたり。
 以前までは厭っていた家族の話も、祐巳さまの口から発せられる言葉なら心地よく聞くことが出来た。
 
「精神年齢は絶対弟に抜かされてるって思ってたんだけど、弟は弟で考える所があるのかもね」
 
 そう言って祐巳さまは小さく笑った。
 ――仮面の笑顔。
 少しだけよそいきの態度に、少しだけぎこちない笑顔。
 それでいい。突然手伝いたいなんて言ってきた一年生に、すぐに心を許すような人じゃ困る。
 私と祐巳さまは、仮面をかぶったままの付き合いでいいのだ。
 
 もし仮面を外して、夕子先輩と同じように心を許してしまったら。
 そう考えるのが怖い。
 もし祐巳さまが穢され、傷つけられてしまったら。
 私はきっと、立ち直れない。
 

 
 その日の帰り、私は信じられないものを見た。
 
「祐巳さぁん」
 
 何とした事か、祐巳さまは校門で花寺の制服をきた男子と話していた。
 ――止めて!
 そう叫びそうになるのを、必死に抑えた。
 祐巳さまは、祐巳さまだけは、男の手に触れさせてはいけない。
 
「会いにきちゃった」
 
 相手はナヨナヨとした、まるで女の子みたいな男だった。
 だからと言って、女と認識できるはずがない。あれでも、花寺の制服を着ているという事は男なのだ。
 そう――。裏切り、簡単に人を傷つける、男という性別の人間。
 彼が無害だなんて保障はどこにもない。
 
 
 
「それじゃ、学園祭がんばりましょうね」
 
 私は祐巳さまと彼が別れた後、彼をつけた。
 もしかしたら、彼が引き返してきて祐巳さまに何かするかも知れない。
 そう考えたら、ストーカーのように彼をつけていた。
 
 結果、彼はシロだった。
 家までつけて、私はやっと安心できた。
 
(何をやっているんだろう)
 
 そう思っても、また後日の放課後、他の花寺の生徒が祐巳さまに話しかけているのだ。
 祐巳さまは紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)だから、隣の花寺とコネクションを持たなければならないのは分かる。
 それでも心配で、不安で堪らない。
 まるで過保護な親。――いや、それ以上だった。
 
 

 
 
 私は一つ、大きな過ちを犯した。
 
「いいから、いくら?」
「……いりません」
 
 とある昼休みの事。
 私がミルクホールにいくと祐巳さまの姿が見えたので、声をかけた。
 祐巳さまは人並みに溺れて中々パンが買えないようだったので、私がお使いを買って出たのだ。
 
 ――おかずは持ってきたから、一つでいいよ。
 
 しかし私は、その時すでに失敗していた。
 何が好みかと聞いても埒が明かないようなので、勝手にパンを三つ買ってきたのだ。
 
「いくらだったの?」
 
 私が個々の値段を説明しようとすると、祐巳さまは「そうじゃなくて、全部で」と言った。
 祐巳さまは一つだけでなく、私が買ってきたパンを全部買い取ると言ったのだ。
 
「私が勝手に買ってきた物です。祐巳さまが負担することはありません」
 
 一個だったら、私は素直に代金を受け取っていた。
 それを受け取るのを拒んだら、祐巳さまに対して失礼だからだ。
 だからと言って全部買われてしまったら、私が勝手に行動したせいで、祐巳さまに迷惑をかける事になる。
 身勝手だとは思ったが、それは避けたかった。
 
「ストップ」
 
 暫く祐巳さまと押し問答を続けていると、不意にフラッシュが焚かれた。
 祐巳さまの友人らしき眼鏡の二年生が、私たちの仲裁に入ってその場を収めた。
 祐巳さんとこじれたいの? と言われては、私もパンの代金を受け取るしかなかった。
 
「あの、ちょっといい?」
 
 自己嫌悪を抱えながらミルクホールを去ろうとすると、見覚えのない生徒に声をかけられた。
 
「何かしら?」
 
 私は、早くこの場から去りたいのに。
 不満を込めた目で問うと、彼女は少し怯えながら言った。
 
「ほ、細川可南子さん。あなたはよく薔薇の館に出入りしているそうだけど、それは本当?」
「……それが何か?」
「えっと、……単刀直入に訊かせて貰うと、紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)(スール)になるの?」
 
 はっ、と私は笑った。
 彼女たちはいつもそうだ。(スール)候補がどうとか、すぐ耳をそばだてる。
 
「そんな俗っぽい野望、持っていませんわ」
「じゃあ、祐巳さまが是非にと望まれたら?」
「お断りします」
 
 私は切り捨てるように言った。
 姉妹(スール)制度については、正しく理解しているつもりだ。
 その上で、私は祐巳さまの(スール)になりたいとは思わない。
 今だって、祐巳さまに干渉しすぎている。これ以上近づいたら、私は逃げ道を失う。
 
「そう。ありがとう」
「ちょっと待って。あなたが持っているその手帳、何?」
 
 私は質問してきた生徒の持っている、赤い手帳を指差して言った。
 
「もしかしてあなた、新聞部?」
「そう……だけど?」
「……なら、さっきの受け答えは記事にしないでちょうだい」
「え? でも……」
「するな。と言っているのよ」
 
 私が凄むと、彼女は小さな声で「わ、分かりました」と言って去って行った。
 このぐらいしておけば、彼女も強行はしないはずだ。
 
「……はぁ」
 
 どうして、私を放っておいてくれないのだろう。
 私が祐巳さまに対して抱いている憧れは、決して真っ直ぐとは言えない。
 歪んだ愛情に近いとさえ思う。それでも、私は祐巳さまを慕う。
 祐巳さまを穢すことは、絶対に許さない。
 
 

 
 
 花寺の学園祭の前々日、また祐巳さまに近づく男がいた。
 私はまた男をつけ、何かおかしな行動をしないか見届ける。
 おかしいのは自分の方だとは分かっていた。
 それでも、何もしないでいるなんて出来なかった。
 
 祐巳さまが親しみ易いというのは分かる。
 可愛くて性格もいい女の子が、男に好かれる事は理解している。
 だからこそ、心配なのだ。
 そんな祐巳さまが、花寺なんて男だらけの場所にいったらどうなるか。
 想像するだけで、ぞっとした。
 
 
 
「祐巳さま、ちょっといいですか」
 
 その翌日の放課後。私は祐巳さまの教室を訪ね、彼女を連れ出した。
 誰かに話を聞かれても厄介なので、人のない場所を探した。
 けれど中々人気のない所は見つからず、それを見かねた祐巳さまは古い温室に案内してくれた。
 
「話があるんでしょう?」
 
 祐巳さまが訊ねたので、私は単刀直入に言う。
 
「明日の花寺の学園祭には、行かないで下さい」
「え……!?」
 
 当然ながら、祐巳さまは驚いていた。
 だって、あそこは危険すぎる。リリアンにいる時でさえ男が寄って来るというのに、学園祭なんかに行ったらどうなるか。
 私が切にそれを訴えると、祐巳さまは言った。
 
「だから、私に接触した男の人の後をつけるの?」
 
 ――ばれている。
 私は知らないふりをしたけれど、祐巳さまは弟に私の後をつけさせていたと言った。
 
「祐巳さまは、男の言うことなんか信じるんですか!?」
「男じゃなくて、弟よ」
 
 ――ショックだった。
 私があやしまれるのは、ある意味仕方がない。
 でも祐巳さまが、家族とはいえ男の方を信じるというのが、私には堪えた。
 
「最低な男の人もいるかも知れない。でも、それが全てじゃないのよ」
 
 あまつさえ、祐巳さまは男を弁護する。
 こんなのは、違う。祐巳さまじゃない。
 私の理想にある、祐巳さまじゃない。
 
「もう、やめましょう。祐巳さまが男のことを論ずるなんて、似合いません」
「似合わない?」
「そうです。祐巳さまは、ずっと天使のような存在で下さらないと」
 
 祐巳さまは、男を遮断したこの学園のシンボル。
 まるで天使のように無垢で純真な、輝かしい存在。
 男なんかと関わらず、生きていくべき人。
 
「私は心配なんです。祐巳さまは純粋だから、男に対して警戒心を持っていない。男なんて、いつ何をするか分からないのに」
「可南子ちゃんが私を心配してくれるのは嬉しい。でも花寺に手伝いに行ったって自分の責任で行動できるし、年相応の判断も下せるはずだから」
 
 しかし、私の願いは、祐巳さまには届かない。
 これだけ身を案じていても、祐巳さまは責任感で花寺に行こうとしてしまう。
 それだけは、駄目だ。それだけは、絶対に。
 
「そうじゃないんです。私が祐巳さまに求めているのは、この温室で咲くはずのロサ・キネンシスのつぼみなんです。外気に触れず、素晴らしい環境で、素晴らしい花を咲かせるはずのつぼみ。祐巳さまには、ずっと無垢なままでいて欲しいだけなんです」
 
 私の願いはいつしか哀願に代わっていた。
 花寺には行かせたくない。もし祐巳さまが傷つけられでもしたら、私はきっと耐えられない。
 
「私は、……そんなたいそうな人間じゃないよ」
 
 祐巳さまの口からでる言葉は、否定ばかりだった。
 私の中で、ショックが絶望に変わっていく。
 追い詰められていく。
 
「じゃあ、騙していたんですか」
「え……?」
「最初に私たちにそういうイメージを持たせたのは、祐巳さまじゃないですか。だったら、最後までイメージ通りに演じて下さるべきです」
「……」
「みんなの期待を、裏切らないでください!」
 
 私は自分でも気付かないうちに泣いていた。
 みんなの期待だなんて、方便もいいところだ。
 イメージだなんで、どうでもいい。
 ただ祐巳さまだけは穢されたくない。壊されたくない。
 
 身勝手だったけど、言いたい事は言った。
 これ以上自分の言葉で、祐巳さまを傷つけたくなかった。
 
「随分と酷いことを言うものね」
 
 私が温室を去ろうとすると、入り口には紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が立っていた。
 
「勝手に好きになって、まとわりついて。なのに自分の想い描いていた人物像と違うから傷つけていいなんて、本気で思っていて?」
 
 正論だ。
 言い返す言葉もない。
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の横をすり抜け、温室を逃げ出した。
 そう、勝手に好意を寄せたのは私。祐巳さまの理想像を描いていたのも私。
 
 まるで偶像崇拝のように。
 祐巳さまに(すが)っていた、私が悪い。
 
 
 
 

 
 
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