■ 第四話 『カレーの王子様(×10辛)』 土曜日の放課後は立ち稽古、衣装合わせ、また立ち稽古と忙しい。 立ち稽古と衣装合わせの間に花寺からのゲストを迎えに行き、衣装合わせが終わったらゲストを交えた立ち稽古、という段取りだった。 『シンデレラ、掃除は終わった?』 そして今はまさに、一回目の立ち稽古の真っ最中である。 『はい、お姉さま』 『ちょっと、何なのこれは。ちっとも綺麗になっていないじゃない』 『……申し訳ありません』 『窓には埃、廊下には塵。駄目ね、もう一度やり直しよ』 『はい……』 「――はい、カット!」 声を張り上げたのは、舞台監督(らしい)の その声が第二体育館を 「祐巳ちゃん、良くなってきたじゃない。昨日までとは比べ物もならないぐらい、いい演技だったわ」 「うん。祥子も中々だけど、祐巳ちゃんも結構はまり役だね」 「というか、祐巳ちゃんが祥子に苛められるっていうシチュエーションがいいんじゃない?」 「 「落ち着きなさい、祥子。返り討ちにあうわよ」 祥子さまはそう言われてご立腹だけど、実際 「さあ、次のシーンにいきましょうか」 次のシーンは、継母とその連れ子たちが舞踏会に行ってしまうシーンだ。 悲しいかな、祐巳が上手く演じられるのは祥子さまに叱られているシーンのみである。 「次のシーンでは私が祐巳さんを苛めてしまうけど、許してね」 そう言って舞台に立ったのは、志摩子さん。可憐な少女の代表みたいな志摩子さんに苛められるというシチュエーションじゃ、祥子さまにお叱りを受ける時よりも、ずっと現実感が薄れてしまう。 (きっと、さっきみたいにはいかないだろうなぁ) 考えて、祐巳はかぶりを振った。 こんなんじゃ駄目だ。祥子さまに相応しい妹になると決心した手前、こんな所で弱気になっている場合じゃない。 奮起一番、祐巳は自分を叱咤した。 「はい、スタート!」 しかし志摩子さんは。 『いーい、シンデレラ。しっかりとお留守番してるのよ?』 予想以上に演技派なのだった。 昼の二時を回った頃、調理室からの差し入れがきた。 「二年桜組です。当日カレー屋を開くので、お味見おねがいします」 しかし体育館で食べるわけにはいかない、という事で、一同は薔薇の館に戻り、件のカレーを頂くことにした。 カレーは二種類あり、ご飯を真ん中にして、右に完熟トマトベースの赤いカレー。左にココナッツミルクベースの白いカレー。 丁度小腹が空いたきた時に、嬉しい差し入れだった。 「あれ、一つ多い」 しかしカレーのお皿は、九つもあった。 「では、頂きます」 「試作品ですから、率直なご感想を頂きたいんです」 「そうね。カレーが二種類食べられるというのはいいけど、ちょっとご飯に対してカレーが多いかな」 「なるほど。 「うーん、普通に美味しいけど、パンチが足りないかな。せっかく個性的なことしてるんだから、味にも個性が欲しい」 二年桜組の生徒は、ふむふむと頷きながら、意見をメモ帳に書きとめていく。それから紅、白、黄と順番に訊いていって、祥子さまの答えはというと―― 「トマトが完熟しているのが気に入らないわ」 なんて、カレーだけにスパイスのきいた意見を提示したのだった。ただ「美味しいです」なんてつまらない感想を言う祐巳に比べればマシ……なのかどうかは、よく分からなかった。 「ご感想ありがとうございました。カレーのお皿は後ほど取りに参りますので、そのまま置いて置いてくださいね」 そう言って二年桜組の生徒が薔薇の館を去った時には、殆どのカレーが半分ぐらい残っていた。だというのに、 「あ、待って。それは食べちゃ駄目よ」 「え? どうして」 「私たちだけスパイシーじゃ、気の毒でしょう?」 「……つまりゲストの為に取って置けと。でも、ちょっと手遅れかも」 どうして? と 「 令さまが訝しげに訊くと、 「何って、ハバネロパウダー」 「ハバネロ!?」 「……って何ですか?」 皆が驚いている所に水をさして悪いと思いつつ祐巳が質問すると、隣に座っていた由乃さんが教えてくれた。 「ハバネロっていうのはね、世界一辛いって言われる唐辛子のことよ」 「はあ……なんで 「この前買った、ハバネロを使ったカップ麺についてたんだ。そのままでもすっごく辛かったから、使わずに残しておいたの」 そのままでも凄く辛かった、って事は、 「ま、いいんじゃない? 男の人ならこれぐらい食べられるわよ」 と言ってまとめてしまったのは、楽しそうな笑顔を浮かべた 皆も「まあ男の人なら」なんて納得してしまうのが、ちょっと怖い所だ。 「そろそろ時間ね」 気付けば、もう花寺からのゲストを迎えに行かなければいかない時間だ。何かとばたばたしている時の時間の流れって、早い。 「それじゃ祐巳ちゃん、お願いね」 「え、私ですか?」 「シンデレラが王子を迎えに行くっていうのも面白いでしょ。はい、いってらっしゃい」 「は、はあ」 花寺からのゲストには、校門まで迎えに向かうと伝えてあるらしい。祐巳は少しだけ緊張してきた。何せ、劇の中でのパートナーであり、祥子さまの男嫌いを直す手助けになる人なのだ。もちろん、本人にその自覚はないだろうけど。 銀杏並木を歩いて行くと、やがて校門が見えてくる。 そして校門に近づくにつれ、はっきりと見える花寺の制服を着た人物。 「あの、失礼ですが」 「あ、山百合会のお迎えの人? 柏木優です。今日は一日よろしくお願いします」 祐巳は最初、祥子さまの男嫌いが悪化する程の人じゃないといいな、と思っていたけど。 これは中々、上手くいきそうである。 柏木優さん。花寺学院高等部の三年生。 柏木さんは薔薇の館への道すがら、三年のこの時期に生徒会の仕事なんかやっていられるのは、優先入学が決まったためだと祐巳に教えてくれた。 花寺学院の優先入学を受けれるのは、成績上位三十名ぐらい。 つまりここまでの情報で分かるのは、頭脳明晰であるという事。 「凄いですね、柏木さん」 「それはさっき言っていた優先入学の事かな?」 スラっとした体躯に、完璧と言っていいほど整った顔立ちであるという事。 「それもありますけど。女子高という場所に単身でいらしたというのに、落ち着いていますね」 「はは、僕は男にしか興味ありませんからね」 そして、男色家であるという事。 「まあ、そうなんですか」 おほほほほ。 ――ってちょっと待て、さっき凄い事言ったぞ、この人。 「きみは一年生?」 しかし祐巳が流してしまったために、問いただすタイミングを逃してしまった。問いただしてどうなる、って話だけど。 「そうです。……あっ、申し遅れました。一年の福沢祐巳といいます」 「祐巳ちゃんは、劇に出るのかい?」 「はい。若輩者ですが、シンデレラを努めさせて頂きます」 「そうか。それは可愛らしいシンデレラになるだろうね」 柏木さんは、何の含みもない笑顔で言った。 容姿端麗、頭脳明晰、物腰も柔らかく、社交辞令も忘れない。それで、男色家。 もしかしたら、祥子さまの男嫌いを直すのに持ってこいの人なんじゃないだろうか。これだけ揃うものが揃っていて、文句のつけどころなんてないだろう。祥子さまがいくら素敵だからって、男色家の彼が手を出すとも思えない。 「するとダンスの相手は祐巳ちゃんになるわけか」 「はい、初心者なもので、足を踏んでしまうかも知れませんけど」 「構わないよ。気にしないで、のびのびやろう」 そんな会話のリレーを 館の扉を開けると、皆一斉に立ち上がったので、祐巳は少し驚いた。客人が来たと言うのに座ったまま「ようこそ」なんて、とても淑女の態度とは言えないから、当然のことなのだけど。 「ようこそ柏木さま。お待ちしていましたわ」 「ああ、荷物はこちらにお置きになって」 「お招きどうもありがとう。今日は一日よろしくお願いします」 しかし予想通りと言うか、何と言うか。 柏木さんはリリアンを訪れた時と同じく、女性ばかりに囲まれていると言うのに臆する様子がない。 流石ホモ。もし囲まれているのが女性じゃなくて男性だったら、彼はおどおどするんだろうか。いや、そりゃないか。 「ところで、柏木さま」 柏木さんが荷物を置いて顔を上げた所で、 「お腹は空いていらっしゃるかしら? 実はさっき、二年生のクラスでカレー屋を開く生徒が、試食を依頼してきたんですの。よろしければ、ご試食と感想をお願いできないかしら」 「もちろん、ご相伴にあずかります」 こちらがそのカレーです、って、 「いただきます」 これまたごく自然に手を合わせてそう言うと、柏木さんはカレーを食べ始めた。爽やかな食べっぷりで、まず赤いカレーを二口。それから白くてちょっとだけ赤が混じっているカレーも二口。さてまたもう一口、という所で、柏木さんの動きが止まった。表情を変えなかったのは偉いと思う。 「中々、……本格志向なんですね」 それは多分褒め言葉なんだろうけど、柏木さんの顔は少しひきつっている。じわじわと辛さが効いてきたんだろう。白いカレーを食べ進めるにつれて瞬きの回数が増えていき、額には玉のような汗が噴出していた。 まあ、甘いマスクの彼には、ちょっとスパイシーなぐらいが丁度いいだろう。 「あ、ところで、お姉さまを見なかった?」 カレーの件から意識が離れると、この場に祥子さまが居ないことに気がついて、近くに居た由乃さんに訊いてみた。 「先に被服室に行くって言っていたわ。……それにしても、祐巳さん」 「何?」 「祥子さまを『お姉さま』って呼ぶの、大分慣れたみたいね」 由乃さんはくすくすと、上品に笑った。なんだか、妙に照れくさい。 「さて、じゃあ先に行きましょうか」 「え? 柏木さんたち、置いていくの?」 「どうせ衣装合わせするのは別の場所ですもの。それに祐巳さんのドレスには、発明部が作ってくれた仕掛けがあるのよ」 そう言えば、台本にそんなような事が書いてあった。何でも魔法で変身するシーンで、紐を引くと服が変わるように仕掛けが施してあるらしい。 「あ、私もいくよ。それじゃお姉さま方、先に被服室に行っていますので」 令さまも合流して、祐巳たちは薔薇の館をでた。 体育館の使用時間は予め決められているから、早くしなければいけない。 「わぁ……」 被服室のドアを開けた所で、祐巳は目の前の人に心奪われた。 「お姉さま、凄い。とっても素敵ですっ」 祐巳たちが被服室に着く前に、祥子さまは既に仮縫いの試着を済ませていた。 姉Bという脇役の衣装なのに、この華のあることと言ったら、筆舌に尽くし難い。それだけ祥子さまの生まれ持ったオーラとか容姿が、ずば抜けているっていうことだ。 「そう?」 褒められた祥子さまは満更でもないのか、優雅にその場で一回転した。祥子さまの試着を手伝っていた手芸部員たちが、きゃあきゃあ騒ぐ。祐巳も一緒になって騒ぎたかったけど、はしたないって怒られそうなので止めておいた。 「さあ、祐巳も」 「あ、はいっ」 興奮した状態に声をかけられたものだから、元気よく返事してしまったけれど。実はあまり、自信がない。祐巳がシンデレラのドレスを着たところで、祥子さまと同じ天秤にかけられることすら侭ならないからだ。 「じゃあ、福沢さんはこちらへ」 手芸部員の人に言われるがまま、祐巳はシンデレラのドレスを着込んだ。何だか、胸元がスースーする。 するとそこに、いつの間に被服室にきたのか、 「あら、祐巳ちゃんって意外と胸がないのね」 ガーン、って効果音が、頭の中に鳴り響いた。 確かにこのドレスは、祥子さまを基準にして作られたもの。だというのにウエストだけぴったりで、胸元スースーなんて悲しすぎる。 「これは上げ底が必要ね」 「よっしゃ、任せとけ」 これまたいつの間にきたのか、 「志摩子」 「はい、お姉さま」 志摩子さんの名が呼ばれると、祐巳のすぐ後ろから彼女の声が聞こえた。何故こんな至近距離で? と思って振り返ろうとしたけど、それは出来なかった。何故なら、祐巳はしっかりと志摩子さんに羽交い絞めにされていたから。 「祐巳さん、ごめんなさいね」 「し、志摩子さ――」 「はいはい祐巳ちゃん、谷間作ってあげますからねー」 「た、助けてっ」 「しょうがないでしょ、祐巳ちゃん胸小さいんだから。ほれほれ」 「どうして胸を揉むんですっ」 「揉んでるんじゃなくて押し上げてるの。はい、完成」 志摩子さんから解放されて、祐巳は恥ずかしさから急いでドレスを着た。するとどうだろう。 「うーん、谷間が出来てても、横から見ると不自然ねぇ」 見事に失敗してるじゃないですか、 落胆している祐巳を余所に、薔薇さま方は「タオルの他に何かないかしら」って会議を始めてしまった。 「あの、これなんかどうですか?」 そこに声をかけたのは、祐巳の試着の手伝いをしてくれた手芸部員。彼女の手には、ソフトフェルトを織生地で覆った、肩パッドと思わしき物が握られていた。 「ああ、それはいいわ。パフパッド代わりにぴったり」 「 「祐巳ちゃん知らないの? バストをサイドや下から押し上げて、谷間を作ってくれるパッドよ」 「……お詳しいのですね」 「なぁにその失礼な視線は。いくら孫とは言え、怒るわよ」 怒った風に言いながらも、 「ひっ」 思わず後ずさりすると、柔らかな感触が背中を撫でる。顔だけで振り返ると、祥子さまが祐巳を包み込むように背後に立っていた。 「お姉さま、助けて下さい。わざわざ上げ底なんてしなくても、服を調整すれば」 「お黙りなさい!」 「そこで叫ぶ意味が分からないです……」 「いいから黙ってじっとしていなさい。お姉さま方を困らすんじゃないの」 「……はい」 観念して従うと、 「まあ、素敵」 金と銀の刺繍を施したアイボリーのドレス。祐巳のタヌキ顔に対して、些か雰囲気の違う装い。 皆は口々に「可愛い、可愛い」と言ってくれるけど、「似合ってる」という声は一つも聞こえてこないのが、生まれ持ってきたものの違いってやつである。この清楚かつ華美なドレスは、やっぱり祥子さまが一番似合うだろう。 「さ、それじゃ早速体育館に移動ね」 「え。このままの格好でですか?」 「当然でしょう。体育館を使える時間は限られているの。ほら、制服を持ちなさい」 祥子さまに制服を手渡されて、祐巳は世話を焼かれてばかりだと反省した。 「ほら、ボケっとしているんじゃないの」 ぐい、と手を引かれる。反省する暇も与えてくれないらしい。 まあ祥子さまは時間に厳しそうだから、仕方ないか。なんて考えながら、祐巳はドレス姿のまま被服室を出た。
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