■ 第三話 『志摩子、ミニになさい』 『何も祐巳ちゃん一人で祥子の男嫌いを直せとは言わないわ』 『私たちも協力するから、ちょっと作戦を練って欲しいのよ』 しかし実際、「克服する」って言うのは本来自発的にするものであって、外部からの干渉では中々難しい。だからと言って、祥子さまが 昼休みを終え、祐巳は五時間目、六時間目の授業中悩みぬいた。 悩みぬいてなお、大して効果も期待できない作戦しか思い浮かばない。そうこうしている内に放課後になり、祥子さまに指示された通り第二体育館に行かなくてはならない時間になってしまった。 第二体育館の中は、ひんやりと冷たかった。 バスケットコート一枚分に敷地の中に、約二十人の姿。全員二人一組になって、身体の動きなどを検証している所を見ると、この集団はダンス部らしい。ちなみに、ヒゲダンスを踊っていたらヒゲダンス部だ。そんなクラブはないが。 「祐巳ちゃん、早かったのね」 祐巳が靴を脱いだ所で、 「スリッパはこれ。はい、じゃあついて来て」 あれこれ指示されて、祐巳は第二体育館に足を踏み入れる。すると 「皆、聞いてちょうだい。噂を聞いて知っている人もいるかも知れないけど、昨日やっと祥子に妹ができたの。彼女が福沢祐巳さん。劇では主役を努めてもらうから、皆よろしくしてちょうだいね」 「ど、どうも……」 いきなり紹介されて、かなり驚いた。何十人という人に視線を向けられるのは、やはりすぐ慣れるものではない。品定めするような目なんか、特に。 「それじゃあ、祐巳ちゃんは祥子とペアね。祐巳ちゃんも、お姉さまと一緒の方がいいでしょう?」 「……え?」 「こっちにいらっしゃい、祐巳」 ずずいと出てきた祥子さまに手を捉まれ、体育館の端っこに連れて行かれてしまった。それに合わせてダンス部の人たちの視線は祐巳を追う。ダンス部の中に祐巳と同じクラスの子を見つけたけど、彼女は目が合うとにやにや笑うだけだった。 「あ、あのっ、祥子さまがダンスを教えてくださるんですか」 「当然でしょう? それより祐巳、また呼び方が間違っているわ」 「は、はい。おお、お姉さま」 「祐巳、ダンスの経験は」 「ひ、ヒゲダンスなら少々」 「つまり踊れないのね?」 「……はい」 また緊張して変な事を口走ってしまった。祥子さまに手を捉まれただけでこんな風になってしまうというのに、ダンスなんて踊ったらどうなる事やら。 「じゃあ、まずはこれを聴いてちょうだい」 危惧する祐巳に気付く様子もない祥子さまは、足元にあった小さなラジカセの再生ボタンを押した。 <あらえっさっさー> これは、この音楽は―― 「お姉さま、これって俗にいう『どじょうすくい』じゃ……」 「そうよ?」 「どうして舞踏会のシーンのダンスと、『どじょうすくい』に関係が?」 「ばかね。『どじょうすくい』と言ったらダンスの基本じゃない」 「は、はぁ……」 「知っている? 志摩子は日舞の名取りである程の踊手だけど、あの子だって最初は『どじょうすくい』から始めたのよ」 「……あの志摩子さんが」 「さあ、始めるわよ」 「は、はいっ!」 祐巳は言われて、元気よく返事をした。祥子さまと一緒なら、『どじょうすくい』でも何でもこいだ。 ラジカセのそばに置いてあったざるを持ち、紐を通した五円玉を顔に装着。 祐巳はどじょうすくいセットを装備した。 面白さが3あがった! タヌキが5あがった! まわりの目が冷たくなった! 「ちなみに、祐巳」 「はい?」 「全部冗談よ」 「あう」 祥子さまは澄ました顔で、祐巳のおでこをちょんと小突いた。さっきから、祥子さまには振り回されてばかりだ。 「私、ちょっと祐巳の将来が不安だわ」 それは私もです、お姉さま。 祐巳がそんな事を考えている間に、祥子さまはラジカセの中のカセットを裏返しにしてまた再生ボタンを押した。 それは今度こそ、舞踏会用の音楽のようだった。 「祐巳ちゃん、ちょっと」 祥子さまとのダンスの特訓が始まって一時間ほど経った頃。 そろそろ休憩にしましょう、という事で休んでいると、 「早速で悪いんだけど、何かいい考えは浮かんだ?」 「一応考えてみたんですけど……」 「何?」 「花寺からのゲストの方とお話できる機会を設けたらどうでしょう」 「具体的な内容は?」 「はい。確か明後日、衣装合わせに花寺の方がくるんでしたよね。その後とか、示し合わせてそういう場を作るんです」 「なるほどね。普遍的だけど、手堅いわ」 それから明日の詳しい段取り等を決めて、周知徹底は 「ところで、 「どうしたの?」 祐巳は体育館に戻ろうとしている 今一度、 「私で、良かったんでしょうか?」 「……祐巳ちゃん、まだそんな事言ってるいるの?」 「そうじゃなくてっ。シンデレラの役の事です。シンデレラが私で、いいんですか? 皆祥子さまがやるものだと思って見に来るでしょうし、そこに私なんかがいたら」 「あら、大丈夫よ。まだ劇については何も告知してないもの。ご希望とあらば、ポスターに祐巳ちゃんの写真を入れておくわよ」 「そ、それだけは」 それだけは、止めて欲しい。 容姿に自信がないからそう懸念したというのに、ポスターにされたりしたら恥ずかしすぎる。 「髪型はどうしようかしら。ちょっとおろして見ましょう」 だというのに 「あーっ!」 ――と。 そこで大きな声を上げたのは、体育館から出てきた 「蓉子が祐巳ちゃん脱がしてる!」 蓉子って誰? と思ったけど、思いだして見れば 「いいなー。私も祐巳ちゃん脱がす」 しかし、ちょっと待て。 「ちょっと、聖!」 聖って誰? とまた思ったけど、やっぱり とにかく 「祐巳ちゃんのリボンは私の担当。聖はタイよ」 「あい、了解」 って、こんな時でも仕切り屋体質っすか、 しかし、そろそろ危険だ。 「お姉さま! と。 そこに響いたのは、他でもない祥子さまのお声。 まるでドラマの主人公みたいな登場の仕方に、祐巳は少し感動した。 「良かったっ。お姉さま、助け――」 「祐巳のタイは私の担当です。 ああ――祥子さまに期待した祐巳がばかでした。 祐巳が気付いた時には、リボンを解かれ、タイが注連縄になり。 そして脱がされはしなかったものの、スカートは何故かミニにされているのだった。 何なの、これ。 翌日の昼食時。 「いつもこんな場所で、お弁当を食べているの?」 「季節限定なの。春と秋の天気のいい日は、大抵ここにくるわ」 祐巳は志摩子さんに「お昼、ご一緒しない?」と誘われて、彼女に着いて行った先がここだ。てっきり薔薇の館に行くものだとばかり思っていたけど、案内されたのは講堂の裏。銀杏並木に、一本だけ桜の木が混じっているのが見える場所だった。 「ふうん。それで、どうして私を誘ってくれたの?」 「祐巳さんと、お近づきになりたいと思って」 「は、はあ……」 まさか志摩子さんに、そんな台詞を言われるとは思わなかった。志摩子さんと言ったら学年一と噂されるほどの美人で、何だか近寄りがたいぐらいだったから尚更だ。それにちょっと前、祥子さまに姉妹の申し込みをされて、断ったという過去もある。結局 「迷惑だった?」 「え、ううん。そんな事、全然ない」 「そう。良かったわ」 そう言って志摩子さんは、彼女の髪みたいにふわりと笑った。 「それにしても」 祐巳は箸でおかずを摘みながら、辺りを見回した。 「ここらへんって、潰れてない銀杏がいっぱい落ちてるね」 「そうね」 「あの、志摩子さんのお弁当箱にも銀杏が落ちてるのは、見間違いじゃないのよね?」 「ええ、もちろん」 言って満足気に微笑んだ志摩子さんのお弁当箱には、銀杏が入っていた。グリーンピースご飯みたいに、ご飯に銀杏が入っていた。 「志摩子さんって銀杏が好きなの?」 「ええ。祐巳さんは、銀杏嫌い?」 「うん、嫌い」 「そ、そう……」 志摩子さんはちょっと残念そうな顔をしたけど、嫌いなものは嫌いなのだ。 「ひょっとして志摩子さん、落ちている銀杏、拾って帰ったりする?」 祐巳が訊くと、志摩子さんは「あたり」と言って笑った。 「銀杏の他には、大豆とか、ユリネとかが好きなの。周りからは渋い趣味だなんて言われるのだけど。おかしい?」 「プッ」 「……祐巳さん?」 「え? あ、いや、違うの」 違う、志摩子さんの趣味が面白くて吹き出したわけではない。 何故祐巳がそんな反応してしまったかと言うと、それはここにあるはずのない姿を見つけたからだ。 「あなたたち、こんな所でお弁当を食べているの?」 銀杏並木を歩いてこちらに向かってくるのは、祐巳のお姉さまである祥子さま。 どういうわけだか、心なしか早足で歩いて来る。 「さ、祥子さま。どうしてここに?」 「呼び方が元に戻っていてよ、祐巳。あなた、そろそろ慣れなさい」 「は、はい。お姉さま」 昨日は大分祥子さまを「お姉さま」と呼ぶ事に慣れた気がしていたけど、ちょっと気が動転するとこれだ。やっぱり祥子さまを「お姉さま」と呼び出して日が浅いので、まだまだ慣れられない。 「祐巳にこれを渡しに来たの」 言って手渡されたのは、一冊の冊子。表紙に『山百合版シンデレラ』と書いてあるのから察するに、劇の台本らしい。 中にはシンデレラの台詞と姉Bの台詞に線が引いてあった。もしやと思って裏表紙を見てみると、案の定綺麗な字で『小笠原祥子』と書かれていた。 「これ、祥子さ……お姉さまのものでは?」 「姉Bの台詞はもう覚えたから、あなたにあげるわ。それよりシンデレラの台詞は多いから、なるだけ早く覚えること。志摩子もよかったら、祐巳の練習に付き合ってあげて」 志摩子さんが「はい」と返事をするのを聞いた祥子さまは、来た時と同じく早足で去っていった。 「日に日にお姉さまらしくなっていくわね」 声に振り返ると、志摩子さんは微笑して祥子さまの背中を見送っていた。 「どういうこと?」 「言った通りのことよ。祥子さまは、祐巳さんを妹にしてから凄く面倒見がよくなってきたわ」 「それって、私が手に負える妹ってことじゃ?」 「そうかしら? 祥子さまは、楽しんでいらっしゃるように見えるけど」 「はあ、楽しんで」 そう言われて思い返してみると、そうかも知れない。 昨日のダンスの練習なんて、一日のうちに祥子さまの足を二十五回も踏んだというのに、一度も怒らなかった。悪い所はちゃんと指摘して、良くなってきた所はちゃんと褒める。昨日の最後の方では、自分でも驚くぐらい上達して、二人とも笑顔で踊れていた。面倒を見て楽しむ、っていうのは、そう言うことなのかも知れない。 「祐巳さんたち、きっといい 志摩子さんにそう言われると何だか「そうかも」って気になるけど。 そうかも、を「そうだ」にしなければならない。 祐巳は台本を握り締めて決心した。 祥子さまの妹として相応しいかと問われれば、誰もが「そうだ」って言えるぐらいの妹にならなくては。 「あれ。祐巳ちゃん今日はミニじゃないの?」 放課後になって薔薇の館に訪れると、 今日は全員で立ち稽古という話なので皆くるはずだけど、ちょっと遅れているのかもしれない。 「ミニの祐巳ちゃん、可愛かったのになー。今日もしてくれないかなー」 手をわきわきさせながら近寄ってくる 「祐巳ちゃん、レッツ、ミニスカート」 「お、お助けっ」 逃げようと背を向けたけど、すぐ 「ミニー、ミニー」 「ロ、ロングッ、ロングッ」 必死に抵抗したけど、結局ミニにされてしまった。ご丁寧にも、ペチコートまで上げられていた。 「祐巳?」 と、その時。 ビスケット扉をあけて、祥子さまが部屋に入ってきた。何だか、昨日と状況がよく似ている。 「見て、祥子。ミニスカ祐巳ちゃん」 対する祥子さまは、昨日とは違って呆れ顔。祐巳の処遇は、祥子さまの気分一つで変化するらしい。二回目ともなると飽きたのだろう。 「 「志摩子に? 考えたことなかったなぁ」 「なるほど、志摩子にやってみても面白いかもしれない。志摩子ー、おいでー」 すると 「何かご用でしょうか、お姉さま」 「うん。志摩子、ミニになさい」 「は……?」 「聞こえなかった? ミニスカートにしなさいと言ったの。これお姉さま命令ね」 「あの、……何故です?」 「えーい、聞き分けのない子はこうよ」 見ているほうも吃驚するぐらいのスピードで 「お、お姉さまっ」 「見て、祥子。ミニスカ志摩子」 「どうして私に言うんです?」 「何よ、祥子が志摩子のスカート短くしろって言ったんじゃない」 「お姉さま。もしかしてまだ志摩子さんの事諦めてないんじゃ……」 「祐巳。あなたはどうして顛末を見ていたのに、そんな勘違いをしてるの」 それもそうである。 しかし、ああ、それにしても。志摩子さんは顔だけじゃなく足も綺麗だ。それに頬を赤らめる仕草の可愛らしさと言ったら、同性でも胸キュンもの。美人でかつ可愛いなんて、志摩子さんの将来が怖い。 「ごきげんよう、皆さ――」 「由乃ちゃんもミニー!」 どうでもいいけど、立ち稽古はどうすんだろう? 気付けば、学園祭まであと十日を切っているのだった――
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