■ 第二話 『祐巳、アグレッシブに』




「いやー、昨日は本当にありがとうね、祐巳さん。お陰で学園祭に展示するパネル、二つに増えたわ」
 
 翌朝の事。
 銀杏並木で出会った蔦子さんは、祐巳を見つけると上機嫌で声をかけてきた。
 それはそうだろう。紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)のロザリオ授受の儀式を写真を収めた上、昨日の朝撮った写真と合わせて掲載許可を貰ったのだ。蔦子さんが浮かれないわけがない。
 
「それは良かったわ」
「あら、祐巳さん。浮かない顔ね。憧れの祥子さまの妹になれたっていうのに」
「そうなんだけど、……ね」
 
 勿論、祥子さまの妹になれたのは嬉しい。でもそれと同時に、祐巳で良かったのかっていう疑問が沸いてくるのだ。
 昨日のあの出来事の後に聞いた事の顛末は、祐巳じゃなくても腰が砕けるような、そんな話だった。祥子さまは最初、山百合会の劇の演目であるシンデレラの主役を努める事を了承していたらしい。でもその劇の王子役は花寺からのゲストだと聞いて、途端にその役を拒否。あれこれと反対意見を述べても「(プティ・スール)一人作れない人間に発言権はない」と言われて、祥子さまは部屋を飛び出し――それから祐巳を妹にした、というワケだった。
 
「駄目ね、そんな調子じゃ舞台の主役なんて務まらないわよ」
 
 そう、務まらないかも知れない。だから祐巳じゃなくても良かったはずなのだ。
 例えばそう、今ここにいるカメラバカでも、主役が交代できれば誰でも良かったはず。
 
「私なんかで、よかったのかな……」
「私が思うに――」
 
 蔦子さんはそこで言葉を切った。気付けば、もうマリア様の前だった。
 
「祥子さまは、主役の役を降りたいが為に祐巳さんを妹にした」
 
 祐巳がマリア様へのお祈りを終えると、待っていたかのように蔦子さんが目を開け、言葉を続けた。
 
「でもね、きっと祐巳さんに運命みたいのものを感じたんじゃないかな。そうじゃなきゃ、学園祭が終わっても面倒見る気になんてなれないと思う」
「学園祭が終わったら、じゃあさようならって可能性は?」
「あのね、祐巳さん本当に祥子さまのファンなの? 祥子さまは、絶対にそういう事はなさらないわ」
「……うん」
 
 それは、祐巳にも分かる。勿論祥子さまの事なんてまだ何も知らないに等しいけど、それだけは分かった。無条件に信じられる、ってやつだ。でもそれを疑ってしまうのは、単に祐巳が自分に自信がないからである。
 
「しっかりなさい、紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スール)
 
 蔦子さんの駄目出しは、今までで一番効いた。
 

 
「ひっ」
 
 祐巳ががらりと教室のドアを開くと、一斉にクラスメート達がこっちを向いたので、思わず仰け反った。
 何だ、祐巳の後ろに誰か凄い人がいるのか、と思って振り返っても、当然のように蔦子さんがいるだけだ。
 しかしクラスメートの中の数人の生徒が、こっちを見て睨んでいるっていう状況に、心当たりはない。
 
「蔦子さん。ほら、盗撮ばっかりしてるから怒ってるわよ」
「ばかね、みんな祐巳さんを見てるのよ」
 
 そういうやっているうちに、クラスメートの一人(睨んでいる人ではない)が歩みよってきて、祐巳の正面に立った。
 
「ごきげんよう、祐巳さん。私たち、丁度祐巳さんのお噂をしてましたのよ」
「は、はあ……」
 
 確かこのクラスメートは新聞部ほどではないにしろ、かなりの噂好きだった。そしてその噂っていうのは、やっぱり――
 
「祐巳さん。紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)の妹になったって、本当ですの?」
 
 やっぱり、昨日の事らしい。こんなに噂が広まるのは早いものなのか、って思ったけど、よくよく思いだしてみれば昨日は祥子さまと一緒に帰ったのだ。運の悪い事に運動部の帰宅ラッシュにかち合ってしまい、二人きりで帰る所を大勢の人に見られていた。その上祐巳の胸には、祥子さまがかけていたはずのロザリオがかかっているんだから、そう噂されても仕方ない。何より、それは確固たる事実なわけだし。
 
「ええ、本当です」
 
 そう答えたのは、祐巳ではなく蔦子さんだった。
 
「私はこの目で、祐巳さんにロザリオがかけられる所を見てきたんですから」
 
 蔦子さんはおもむろに祐巳の制服に手を突っ込み、胸元に隠しておいたロザリオをそっと外に出した。
 教室がどよめき、皆の目が丸くなる。
 いずれ皆に知られる事だけど、こういう形で発表となるとは思わなかった。
 
「まあ。祐巳さんは、いつの間に紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)と親密になされていたの?」
 
 興味津々といった様子で、クラスメートは詰め寄ってくる。
 一体、これにどう答えろというのだ。実は昨日初めて言葉を交わして、その上何故かタイを注連縄(しめなわ)にして貰いましたなんて、言えない。こんな説明で誰が納得する。
 
「祐巳さん?」
 
 詰めよられて、思わず一歩後ずさる。
 ――と、何か柔らかい感触が、祐巳を包んだ。
 
「ごきげんよう、祐巳。ごきげんよう、皆さん」
「なっ、さ、祥子さま!?」
 
 振り返った先にいたのは、蔦子さんではなく祐巳の姉である祥子さま。
 びっくりして飛び上がりそうになったけど、勿論それは比喩だし、祥子さまが祐巳の肩に手を置いているからしようと思っても出来ないだろう。
 
「皆さん、私の祐巳(・・・・)がどうかなさいまして?」
「あ、あの、いえ……」
 
 いきなり話題の中心人物の一人が現れて、驚いたのは当然ながら祐巳だけではない。噂好きの彼女も、思いっきりたじろいでいる。
 
「そ、そのっ。祐巳さんと祥子さまは、いつからご親密にあらせていらっしゃったのでありましょうか?」
 
 おお、偉い。日本語はメチャクチャだけど、真正面から祥子さまに質問をぶつけられたのは、快挙と言っていいと思う。
 
「昨日からよ。それがどうかなさったかしら」
 
 しかし、そこは祥子さま。
 決して隠すような事はなく、堂々と言ってのけた。しかも余裕の微笑みつき。これぞ、『皆の憧れの祥子さま』である。
 
「あの、祥子さま。それで、私のクラスには何の御用で?」
「祐巳、違うでしょう? 私はあなたの何?」
 
 祐巳が振り返って訊くと、逆に質問されてしまった。
 つまるところ祥子さまは、「お姉さま」と呼べと言っているのだ。それも、クラスメート達が注目する中で。
 今頃気付いたけど、さっき祐巳を睨んでいた人たちは、全員祥子さまのファンだった。そんな人も混じっている中で、祥子さまを「お姉さま」と呼べと。そうおっしゃるわけである。
 
「あ、あの。お、おねえ……」
「祐巳」
 
 祥子さまは期待に満ちた目で祐巳を見る。クラスメートたちも、また然り。
 
「お、お姉さまっ、きょ、今日はどのようなご用件でこちらにいらしたのでしょう?」
 
 これ以上ないぐらい緊張して搾り出したその声は、教室中に響き渡った。
 
「ええ、昨日祐巳に言い忘れていた事があったから、それを伝えにきたのよ。今日から早速劇の練習をするから、放課後は第二体育館に来てちょうだい」
「は、はい。分かりました」
「そういうわけで、皆さん」
 
 祥子さまは祐巳をくるりと回して、クラスメートたちの方向を向かせる。そして祥子さまは、変わらない凛とした声で言った。
 
「祐巳は山百合会主催の劇の練習で、思うようにクラスの出し物に協力できない時があると思いますの。申し訳ないのだけど、その点ご理解いただけるかしら?」
 
 そう言って、祥子さまはにっこりと笑む。この笑顔でお願いに、誰が抗えようか。クラスメートたちはこくこくと古びた玩具みたいに頷くばかりだ。
 
「お邪魔したわ。それでは、ごきげんよう」
 
 最後に祥子さまは祐巳のリボンをきゅっと縛った後、颯爽と教室を去っていった。
 
「……」
 
 ――さて。
 祥子さまは、この後に残された沈黙を、どう処理しろと言うのだろう。
 どうしたものかと思案していると、教室を縫うように歩いて来る影があった。
 
「おめでとう」
 
 その出てきた人というのは、最初祐巳を睨みつけていた、あの人だ。
 彼女はぐすぐすと啜り上げながら、祐巳の手を握って言った。
 
「本当におめでとう。祐巳さん、ずっと祥子さまに憧れてらしたものね」
 
 ああ、彼女の流している涙は、悔し涙なんだな、と祐巳は理解した。いつの間にか、教室には拍手が起こっている。さっきまで祐巳を睨み付けていた数人も、前にでて祝辞をのべた彼女のように、涙に頬を濡らしながら拍手をしていた。
 何だか物凄く申し訳ない気分になったけど、もし祥子さまが他の人を妹にしていたら、って考えると彼女たちの気持ちは容易に想像できた。悔しくて、悔しくて、それでも認めたからこそ、彼女たちは悔し涙を流すのだ。
 
「凄いわ、祐巳さん。たった一日で祥子さまを射止めるなんて」
「本当。このクラスから山百合会幹部が二人も出るなんて、名誉な事だわ」
「あ、ありがとう」
 
 賛辞と祝福と拍手は、祐巳が席に着くまで収まらなかった。
 廊下まで聞こえていたのか、担任の山村先生が「何ごと?」って感じで教室に入ってきて、やっと騒ぎが収まった。
 そして机に頬杖をついて、祐巳はよくよく考えるのだ。
 これはまた凄い事になっているぞ、と。
 

 
 祐巳が思うところの「凄い事」は、今朝の出来事だけでは終わってくれなかった。
 
「祐巳ちゃん、いる?」
 
 お昼休みになると、なんと紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が祐巳の教室である桃組を訪ねて来たのだ。しかも白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)も一緒にやってきたものだから、俗にいう三薔薇さまたちがわざわざ祐巳を訪ねて一年の教室に出張してくるなんていう、さっきよりも『凄い事』になっていた。
 
「やっほー、祐巳ちゃん。お昼ご飯、一緒に食べない?」
 
 取り次ぎを頼んでいた紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)たちを置いてけぼりにして、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は飄々と一年桃組の敷居を跨いだ。しかし白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は、祐巳と一緒にお弁当を食べようと用意していた桂さんを見て「あ」と漏らした。
 
「あなたも一緒にどう?」
 
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)はきさくに三枝桂さん(仮名)を誘ったけど、対する桂さんは声も出ないようで、ふるふると首を左右に振った。
 
「そう? じゃあ祐巳ちゃん連れてっちゃうけど、いい?」
 
 今度はこくこくと首を縦に振る桂さん。やはり白と並では、貫禄に差がありすぎたようである。
 
「悪いわね。それじゃあ、行きましょうか」
 
 いつの間に教室に入っていたのか、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が祐巳の肩に手をまわしてきた。
(え、私の意思は関係なし?)
 祐巳はそう思ったけど、有無を言わせない勢いで教室から連れ出されてしまった。クラスメートたちは今朝よりも目を丸くして、祐巳たちを見ていた。
 
「あ、あの。どちらへ?」
「薔薇の館よ。ちょっと祐巳ちゃんに話しておきたい事があってね」
 
 言った後白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は、知らない内間に持ってきていた祐巳のお弁当を「はい」と渡してきた。
 薔薇さまたちに囲まれたまま、祐巳は歩き出す。
 先頭に黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)。そして右からは紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が祐巳の肩を抱き、左からは白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が腰を抱いてきていた。何だか手つきがいやらしかった。
 
 一体、どうして?
 祐巳は考える。だって、どうしたっておかしいのだ。昼食を一緒したいというのなら、同じクラスの志摩子さんに連れてこさせるとか、一年生である島津由乃さんを使いに出すとかすればいいだけなのだ。わざわざ薔薇さま方が揃って誘いに来るのは、どう考えても不自然。
 祐巳は黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)の背中を見ながら、頭を抱えたくなった。しかしそうした所で道が開けるわけでもないから、祐巳は別の所に視点を移すことにする。
(それにしても、……やっぱり薔薇さまたちって凄い)
 薔薇さまたち三人が歩いているだけで、廊下にいる生徒たちはモーゼの十戒の如く道をあける。黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)が奥義・でこフラッシュでも焚いているのかと思ったけど、そうじゃない。
 廊下で道を空けてくれた生徒たちは、必ずその薔薇さまたちの中心にいる祐巳を見ていた。もしかしたらこれが狙いなのかも知れない、と祐巳は推理した。
 
 かなり好意的な解釈だが。
 これは一種のポーズではないかと思うのだ。祐巳は少なくとも大勢の人から認知されている程有名人でもなければ、凄い美人というわけでもない。そんな人間が紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)の妹になったと聞けば、にわかには信じられないか、信じる事ができてもやっかむ者が出てくるだろう。そういう事態を見越してのポーズなのだ、これは。
 わざと目立つように薔薇さまたち三人で行動し、その中に祐巳を配置する。そして必要以上に密着して、親密なように見せかける。そうする事で、「この子は三薔薇が認めた子だ。文句は言わせない」というアピールをするのである。昨日は「祐巳さん」だったのが「祐巳ちゃん」に変わっているのも、その表れだろうか。
 
 しかし、逆に好意的ではない解釈はどうだろう。
 薔薇さまたちは、祐巳を認めていない。その場合だ。いや、こっちの方がありえる話かも知れない。
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)にしてみれば、妹が全然知らない女の子を妹にした事になる。そうなると、お姑さんじゃないけど「何なのあなた」みたいな状況にならないとは言い切れない。そうなるとわざわざ本人が出向いて迎えにきたのは、いわゆる『呼び出し』ってやつではないのだろうか?
 祐巳は丁度一週間前見た、再放送されていたテレビドラマを思いだした。そのドラマの中では、なんと女の子が気に入らない後輩を呼び出して、生々しく暴力を奮うシーンがあったのだ。他の学校ではこんな事もあるのかなあ、ぐらいに思っていたけど、絶対にないと信じていたリリアンでも影ではそんな事があるのかも知れない。もしかして、薔薇さまたちが一般の生徒とは一線を画した存在であるのは、そういう裏の顔があるせいか?
 そう考えると、祐巳は物凄く怖くなってきた。
 
「さ、着いたわよ。いつまで縮こまってるの?」
 
 気付けば、もう薔薇の館の二階の部屋。部屋には誰もいないから、「そういう事」には絶好の場所だ。
 
「か、顔は。顔だけは」
「何、祐巳ちゃん。顔がどうしたの?」
「顔、自信ないんですけどっ」
 
 それでも、祐巳は女の子だから。顔をぶつのは勘弁して下さい。
 
「ぷっ……はは、あははははっ」
 
 すると白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は何がおかしいのか、お腹を抱えて笑い出した。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)も、つられて笑い出す。何だ、何がおかしいんだろうか。
 
「祐巳ちゃん、山百合会の幹部になるには、顔が良くないと駄目だと思ってるの?」
「全然そんな事ないのに。変な心配してるのね」
「そうねえ。確かに祐巳ちゃんは物凄い美人っていうわけじゃないけど」
「美人系というより、可愛い系ってやつ?」
「ああ、それよ。今までメンバーにいなかったタイプだから、祐巳ちゃんが二年生になった時、モテるんじゃない?」
 
 薔薇さま方は祐巳の心配を余所に、わいわいとお喋りしながら昼食の用意をし出す。どうやら祐巳が昨日タイを注連縄にしていただけに、シメられるという展開じゃないらしい。
 
「あのっ、私でいいんでしょうか?」
「何が?」
「祥子さまの妹が、私で」
「どうしてそう思うの?」
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は、祐巳の質問に質問で応える。そういえば何故自分じゃ駄目なのか、深く考えていなかった。ただ漠然と、祥子さまみたいな凄い人に、こんな平凡な妹では不釣合いだと思っていただけなのだ。
 
「……だって、薔薇さま方をお知りにならないかも知れませんけど。私は昨日初めて祥子さまに声をかけて頂いたんです」
「それがどうかしたの?」
「それがどうかって、……私は即席の妹なわけなんですよ? 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)はそれでもいいんですか?」
「即席も、いいも悪いも、それは祥子が決めた事でしょう? いくら姉でもね、そこは干渉するべきところじゃないの。勿論、部屋から出てすぐ見つけた一年生を妹にするなんて、知っていたら諌めていたでしょうね。でも、祥子はもう祐巳ちゃんを妹にしたのだし、絶対に妹にするって言われたら私だって止めようがない。祥子だって何か感じるものがあって祐巳ちゃんを妹にしたのだろうし、そこに私の意見なんて挟む余地はないわ」
「つまりそれは、……祥子さまを信用してらっしゃるという事ですね」
 
 そこに私の意見なんて挟む余地はない、と。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)はそう言った。
 
「だとしたら、私じゃなくても紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)はお認めになったわけですね」
 
 結局は、そういう事なのだ。きっと、祐巳じゃなくても良かったと。
 
「何を勝手に凹んでるんだか知らないけどね、祐巳ちゃん」
 
 不意に白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が祐巳の背後に現れて、わしゃわしゃと頭を撫でた。
 
「少なくとも、私たちは祐巳ちゃんの事気に入ってるよ。三薔薇たちのお気に入りって言ったら、祐巳ちゃんは多分結構凄い」
 
 そう言って首筋にまで下りてきた白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の手は、やっぱり何だかいやらしい手つきをしていた。
 
「特には私は、祐巳ちゃんのうなじが大のお気に入り」
「ひっ」
 
 ふぅ、と息を吹きかけられて、思わず祐巳は引きつった。
 
「まあ、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がここまで人を気に入るのって、実際滅多にない事よ」
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は目を細めて、しみじみ言った。止めてくれはしないのだろうか。
 
「ま、お座りなさい」
 
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が椅子を引いて勧めてくれる。祐巳を弄くりながら。
 
「はい、祐巳ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
 
 祐巳が着席した所で、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)がお茶を出してくれた。
 
「後でお茶の場所とか、淹れ方を教えるわ。由乃ちゃんや志摩子がお茶を入れていたら、手伝って上げてね」
 
 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)は嫌味のない笑顔で言う。本来なら一番新入りである祐巳がお茶淹れる役目を仰せつかるはずなのに、あえて「由乃ちゃんや志摩子がお茶を淹れていたら」と言う辺り、大人だと思う。
 
「それで、わざわざ祐巳ちゃんにここに来てもらった理由だけど」
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)はお茶を一口飲んで、真面目な顔を作って言った。
 
「祥子が主役を降板したいと言った理由は、もう知っているわよね?」
「あ、はい」
 
 祥子さまが、とことん主役を嫌がった理由。それは祥子さまが極度の男嫌いだからだ。
 そういえば当の本人である祥子さまは、薔薇の館には来ないのだろうか。
 
「今、祥子はどこって顔してたね、祐巳ちゃん」
 
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が、心底楽しそうに言う。
 
「祥子は今頃クラブハウスで、新聞部と会食中よ」
「え、クラブハウスでですか?」
「祥子には、新聞部のインタビューを受けてもらってるの。正式にインタビューを受ける代わりに、祐巳ちゃんには付きまとわないって約束でね。それに祥子の話をするのに、この場に居られても困るでしょう?」
 
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の説明を聞いて、祐巳は本当に頭が下がる思いだった。思えば、あの芸能リポーター並のしつこさを誇る新聞部が、祐巳に何のアプローチもして来ないはずがないのだ。
 
「はあ、……それで祥子さまのお話というのは?」
「それなんだけどね。昨日、祥子はとにかく主役を嫌がって、結局祐巳ちゃんがシンデレラをやる事になったでしょう? どうして私たちが祥子にシンデレラをやらせたかったか、分かるかしら?」
「えっと……。薔薇さまたちは文化祭の実行委員で忙しいから、つぼみ(ブゥトン)の中から選んだんじゃないんですか?」
「それもあるわ。でも本当のところ、私たちは祥子に男嫌いを克服して欲しかったからシンデレラに選んだの」
 
 男嫌いを克服するために、王子役の男の人と劇を。でもそれだけで、そんなに嫌がるものだろうか。
 
「やっぱり、一緒にダンスを踊るっていうのが一番嫌みたいなのよね」
 
 それを聞いて、祐巳はまた引きつった。そうだ、舞台の演目がシンデレラと言う事は、舞踏会のシーンがでてくる。つまり祐巳は、シンデレラという一番目立つ立場で、ダンスを披露しなければいけないという事だ。
 
「そこで祐巳ちゃんにお願いがあるのよね。言ってみれば、お祖母(ばあ)ちゃんからの、最初のお仕事って言うのかしら」
 
 舞踏会でダンスというだけでも十分な仕事だというのに、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は期待に満ちた目で言う。
 ――デ・ジャ・ブ。
 ああ、こういう目を見るのは二回目だ。一回目は「劇の主役をなさい」。そして二回目は――
 
「祐巳ちゃん、祥子の男嫌いを直してちょうだい」
 
 それは無いんじゃないですか、お祖母さま(・・・・・)
 
 

 
 
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