■ ドリルオーディション 第六章『炎のように嵐のように人間関係』 その声は驚くほど部屋に響き渡った。そして、同時に少しだけ部屋の空気も変える効果もあったみたいだ。 ただ、先ほどとは違い劇的に変えるわけではなく。ただ、ゆっくりと。そう、まるで風船から緩やかに空気が抜けていくように部屋を覆っていた張り詰めていた冷気が少しだけ抜けていく。 部屋の冷たい雰囲気がやや緩んだ中、祥子さまがその顔に不機嫌さを隠そうともせず祐巳に問い掛けてくる。 「ふうん、祐巳。あなたは、私が間違っている、というのね」 「はい、そうです」 「理由はなんなのかしら? 是非、知りたいわね」 祐巳は、質問を質問で返すことにした。 「お姉さまの言う、「あのときの話」とは具体的に言うと何のことですか?」 「あなたは知らなくていいことだわ」 知らなくていい、それは祐巳にとって予想どうりの答えだった。つまり。 「その内容は、他人には教えたくない、ということですか?」 「そうね。そう取ってもらって構わないわ」 そう言うことになる。なら、答えは簡単だ。 「じゃあ、やっぱりお姉さまは間違ってます」 「だから、その理由はなんなの、祐巳?」 祥子さまの顔がぴくぴくし始めてきた。ちょっと、やばめ。 だけど、ここからが本番。ここからが大切。 すうぅー 祐巳は己の心を落ち着かせるように一つ深呼吸を入れ、それと同時に気合を入れなおし、祥子さまのヒステリーに負けないように真っ直ぐ対峙した。 「だって、あくまで仮定の話なんですけど、その「あのときの話」とはこの中ではお姉さまと瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんだけが知っていて、おそらくは他の人たちにあまり知られたくない内容。そうですよね」 「それで?」 それで、というのは先を促すという意味だろう。つまり、祐巳の仮定はあながち間違っていなかったということ。 じゃあ、続きといこう。 「はい。で、これも仮定なんですけど、お姉さまがいつものわがまま、じゃなくてええと、何かまあ深い考えがあってだと思うのですけど、「あのときの話」とは祥子さまから瞳子ちゃんに何かプライベートな質問をしたんじゃあないですか?」 「まあ、そのような感じかしらね」 うん。なら、次のステップだ。 「えっと、ようするにフェアじゃないと思うんですよ。あくまで仮定の話ですけど、祥子さまのいう「あのときの話」、瞳子ちゃんにとっては明らかに触れてほしくないをことを一方的に、しかも第三者である私の前で聞いて、その答えを半ば無理やり引き出そうというのは」 ここで祐巳は一旦言葉を止め、瞳子ちゃんの方に視線をやる。瞳子ちゃんは、まるでその視線から逃れるかのようにその顔を横に向けていた。 「どうしたの、祐巳? 話はそこで終わり?」 「あ、いえ、まだ続きがあります」 その声に、祐巳は慌てて視線を祥子さまに戻す。 「むろん、事情の知らない私がお姉さまが何を考えてそのようなことを言ったのかはわかりませんし、何か理由が深い理由があるのだとも思います。ですが……」 「ですが? なんなの?」 その祥子さまのその短い言葉からヒヤリとしたものが感じられた祐巳は、思わず怯みそうになる。が、祐巳はその口を開き、何のよどみもなく言いたいことを言葉にした。 「どんな理由であれ、いくら祥子さまと瞳子ちゃんの関係が深いものであれ、一人の人間の心をそこまで追い込む権利はありません。それは我侭でもなんでもなく、ただの横暴です。お姉さま」 祐巳がそう言うと祥子さまはその目を見る見る吊り上げ、その形のいい口元は見る見るうちに引きつっていく。まさに「ヒステリーまで5秒前」といったところだった。 「あなた、自分が何を言っているのかわかってるのでしょうね。あなたは今、当事者でもないのに私と瞳子ちゃんの話に割って入ってきて、なおかつこの私に、姉である私に横暴ということをいったのよ」 「はい、わかってます」 だけど、そのような祥子さまに対して祐巳は何の躊躇もなく肯定の返事した。 むろん、その言葉ほど内心は冷静ではない。いや、むしろ大きく揺れ動いていた。間違いなく、このあとに超特大の雷が祐巳に降り注ぐのは間違いないのだから。 でも、いいや。そうなっても。だって、言いたいことは、少なくとも自分は間違っていないって思うことがいえたのだから。 だから、この場は甘んじて雷を受ければいい。祥子さまの言いたいことを言わせておけばいい。けど、きっと分かってくれる。祐巳の姉である祥子さまはきっと分かってくれる。 祐巳はそう思いながら、目を瞑って落ちてくるであろう雷をじっと待った。 だが、祥子さまの次の言葉は覚悟を決めた祐巳にとって思いもよらぬ、というよりもその言葉の真意すらよくわからないものだった。 「それなら、今のあなたも横暴なのではなくって?」 え? 完全なヒステリーを予想していた祐巳にとって、その言葉があまりにも淡々とした口調で発せられたため頭に入って来るのが遅れた。 そんな祐巳を急かすかのように、祥子さまから同じ質問が重ねられた。 「聞こえなかったの? あなたの方が横暴でないの、って聞いてるのよ」 が、再度言われても、その質問の意味はよく分からなかった。 (横暴? 私が? 何で?) 「あ、あの、おっしゃる意味がよくわからないのですが?」 祐巳はたまらず祥子さまに質問の意味を問うが、その祥子さまは質問に質問で返してきた。 「あなたは、どうして私と瞳子ちゃんの会話に割り込んできたのかしら?」 どうして割り込んだって、そんなものは考えるまでも無く。 「えっと、瞳子ちゃんの、あと憚らずに言わせていただけたらお姉さまのためのつもりですが?」 そう、それはもちろんお姉さまのため、そして瞳子ちゃんのため、そうに決まっている。 祐巳がそう答えると、祥子さまがスーッと目を細めてくる。 「そう、なら質問を変えるわ。あなたにとって、瞳子ちゃんはなんなの? その答えによっては、あなたの優しさはときには横暴以外の何ものでもないのよ、祐巳」 (え? 優しさが横暴、ってどういうことなの?) 祐巳が祥子さまの質問に答えられないでいると、祥子さまから言葉が続けられた。 「聞こえなかったの? あなたにとって 松平瞳子という人間はどういった存在なのか聞いているのよ?」 「へ、あの、瞳子ちゃんが、ですか?」 祐巳はようやくそれだけの返事をした後に、ここまで何の発言もしてこなかった、というより己自身の意思でそれを制約していたと思われる乃梨子ちゃんから、今までの溜め込んだものを吐き出すかのような鋭い声が発せられた。 「紅薔薇さま、何を言ってるのですか!? あなた、自分が何を言っているのか分かってるのですか!?」 「のっ、乃梨子ちゃん?! どっ、どうしたの?! と、とりあえず落ち着いて!」 祐巳には乃梨子ちゃんが何故そこまで激しい口調でまくしたてるのかがわからず、とりあえず乃梨子ちゃんを落ち着かせようとした。が、 「祐巳さま、すみませんが黙っていてください! あ、あと、今の紅薔薇さまの言葉には耳を傾けないで下さい!!」 「え、ちょっ!?」 乃梨子ちゃんはそんな祐巳の言葉など無視してきて、それどころか祐巳の姉である祥子さまの発言に、耳を貸すな、とさえ言ってきた。 (み、耳を貸すなって?! な、なんで?) 祐巳が混乱の極みでいると、今度は乃梨子ちゃんの言う「耳を傾けたらだめ」な方から声が発せられる。 「あら、乃梨子ちゃん。あなたはどういう資格があって、このわたしにそのようなことが指図できるのかしら?」 乃梨子ちゃんは、そのお姉さまの言葉に間髪要れずに叫び返した。 「そんなの決まってる!! 友達だからよ、瞳子がわたしの!!」 (のっ、のっ、乃梨子ちゃん!?) その上級生に対する言葉ではありえない烈火のような激しい口調に、祐巳はおもわず耳を疑った。 先ほどの瞳子ちゃんの言葉が聞くもの全てを凍てつかせる氷のような冷たさならば、乃梨子ちゃんのそれは、聞くもの全てを燃やし尽くす燃えさかる炎のような激しさがあった。 だが、その炎を真正面から受けたはずの祥子さまは、何事なかったかのように涼やかな表情をしていた。 「あらあら、乃梨子ちゃんはこの前といい今回といい、ずいぶんとナイトぶりに磨きがかかってきたわね」 「うるさい、そんなのはどうでもいい!! そういうあなたこそ、どういう資格があってあんなことを言ったのですか!!」 今の乃梨子ちゃんは、言うなれば何もかもが剥き出しの「二条乃梨子」だった。体裁もなく、上級生である祥子さまに対して繕うこともなく、ただ何もない一個の個性。・・・・・・いや、ひとつだけ付け加えるとすれば「松平瞳子の友達」という肩書きを背負いながら、祐巳の姉である「小笠原祥子」という個性にぶつかってる。 だけど、ここでわからないことがある。 (でっ、でも、なんで? なにが乃梨子ちゃんをそうさせたの?) そう、何が、乃梨子ちゃんがそうさせるかの理由が祐巳にはわからない。「あの時の話」とやらに関係してるのかもしれないが、それならば祐巳が口を出す前にそうなるような気がする。 それを考える上で、先ほどの会話で一つ気になる単語があった。 (資格って? なんの?) 資格、そのリアクションを行うに相応しい能力、もしくは理由などがあるかどうか。そして、乃梨子ちゃんから見れば、祥子さまは資格がない行動をした、からこうも怒っている? それも、瞳子ちゃんの友達として? (……わかんないよ、乃梨子ちゃん。どうしてなの?) 祐巳は何とかして自分の考えをまとめようとするが、あまりにも周りの展開が速すぎて全然ついていけなかった。 そしてそんな祐巳をあざ笑うかのように、目の前の展開はさらにその加速度を増しているかのように進んでいく。 「あら、先ほどの言葉は資格が要るようなものだったのかしら?」 「さっきの、さっきの言葉は、瞳子が自分から言うものです! いえ、ひょっとしたら言わないのかもしれませんが、そんなのは問題じゃありません! それは瞳子が、瞳子自身が決める問題です! 先ほどの言葉は瞳子だけ、二人だけの問題なんです! たとえ瞳子の友達であろうが、たとえ瞳子の幼なじみであろうが、祐巳さまの姉であろうが口出しする権利なんてありません!!」 (口を出す権利? 二人だけの問題? 何、どういう意味なの?) いくつかのピース(情報)はあるが、それを完成させるには足りてないピースが多すぎた。 ただ、一つだけ確かなことは、このまま2人をほっとくわけにはいかないということ。祐巳は二人をなんとかして落ち着かせようとしたその矢先。 「……ふふ、ふふふふ」 今まで2人の会話になんの口出しもしてこなかった瞳子ちゃんから、それはもうからからに乾いた笑いがもたれらされた。 ただ、笑いといってもあくまでそれは音の響きとして笑っているように聞こえてるだけであって、その瞳子ちゃんから発せられた音自体には、それこそなんの感情もこもっていないものに感じられた。 「……なかなか面白い見世物でしたわ。ただ、惜しむべきはもう少しステージとキャスティングを考えればさらに良かったと思いますわ。特に、この私などこの場所にいる必要性が全然感じませんもの」 その乾いた響きの音が無くなった後、その口から続けて同じようになんの響きの無い言葉が……いや、違う。言葉に感情がないなんてありえない。ありえるはずが無い。 おそらくは、その心があまりに深く沈みこんでいるから、そう聞こえるだけなんだろう。 今の瞳子ちゃんを表すに相応しい言葉それは、 「虚無」 なのではないだろうか? ふと祐巳は、どうして自分はこんなにも冷静に目の前の状況を見ているのだろう、と疑問に思った。が、口を開こうとしてその口が、いや祐巳の身体全てがまったく動かないことが分かったとき、それはただの錯覚だと分かった。 ただ、祐巳の心と身体は麻痺をしていただけ。……何故なら、心は怖かったから。 そう、祐巳は怖かった。瞳子ちゃんが、どうしてその目は何の感情も見出せないくらい冷え込んでいるのかのその理由を知るのかを、それを知ってしまうのを。だって、ひょっとしたらそれは。 (わたしにも関係あるの?) が、問いただそうにもその口は動くこともなく、ただ目の前のやり取りを見ることしか出来なかった。 瞳子ちゃんが、その顔を祥子さまに真っ直ぐに向ける。その両目には鬼火のような危ういゆらめぎが上っているように見えた。 「・・・・・・紅薔薇さま、あなたはさぞかし楽しいでしょうね? 私があなたの思惑どうりに動き、そして祐巳さまは予想どうりの行動を起こしてくれたのでしょうから」 「あら、あなたは先ほどの私が演技というのかしら?」 「違う、と言うのですか? ああ、もうそんなことはどうだっていいですわ。別に、気にしてもしょうがありませんし……そうだ、最後に一言だけ言わせてください」 瞳子ちゃんはそこで一度言葉を止めたあと、 「どうして誰も彼もよけいなことをするのですか!!」 とその小さな身体を爆発させるかのように叫んだ。 「誰も彼も猫も杓子も、友達も祥子お姉さまもどうしてっ、どうして私をほっといてくれないのですか!! どうして、みんな私を惑わすようなことをするのですかっ!!」 祐巳の身体が一歩たりとも動けない中、一人の人間が慌てて瞳子ちゃんに駆け寄っていく。 ばっ! 「瞳子、落ちついて、瞳子っ!」 乃梨子ちゃんは、そう言いながら瞳子ちゃんの肩を抱いていた。 祐巳は瞳子ちゃんを何とかしようとする乃梨子ちゃんの姿に少しの安堵を覚える反面、一歩も瞳子ちゃんの方に踏み出せなかった自分に対して情けないほどの腹立たしさを覚えていた。 (どうして、どうして動かないの? どうして動けなかったの、わたし?) むろん、あまりの状況にとっさに動けなかった、というのもある。だけど、ある言葉がずっと胸に刺さって祐巳の身体と心を縛っている。 それは、先ほど祥子さまが言った、あなたの優しさはときには横暴以外の何ものでもない、の一言。 あの一言が、優しさが横暴、と言われたことの意味が、今の瞳子ちゃんに関係しているのかわからないまま行動するのが怖くて、祐巳は今の瞳子ちゃんに何もすることが出来なかった。 祐巳が行動できないままでいると、ようやく落ちついてきた瞳子ちゃんが口が開いた。 「・・・・・・ああ、乃梨子さん。もう大丈夫です。ふふ、みっとも無いところをみせてしまいましたわね」 「ううん、いい」 「じゃあ、私は失礼させていただきますわ」 瞳子ちゃんはそう言った後、薔薇の館の出口の方にその足取りを向けていた。 「あっ、待って! 瞳子!」 乃梨子ちゃんの制止に、瞳子ちゃんの足が止まる。 そして、その背中越しにポツリとした声が聞こえてきた。 「……ごめんなさい、乃梨子さん。やっぱり私はここに来るべきではなかったみたい」 「……瞳子」 きぃぃーばたん 瞳子ちゃんはそう言った後、静かに薔薇の館から出て行った。 祐巳は全身で拒絶を表していたその小さな背に、何も出来ずにただ見送るしかできなかった。 そんな自分を、最低だと思った。
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