■ ドリルオーディション -第四章-
 『突貫在るのみ二条乃梨子の愛情が詰まってる』
 
 
 
 
 「瞳子、話があるからできれば屋上まで付き合って欲しい」
 
 乃梨子そう言うと、瞳子は読書を止め怪訝そうな顔をして乃梨子の方を見上げてきた。それはそうだ。ここではなく冬の予感を嫌でも感じさせてくる風が吹いている屋上にわざわざ行こう、といっているのだから。
 
 「何か大事な話ですの、乃梨子さん?」
 「うん、とても」
 
 大事、そうだ。これから乃梨子は大事なことを瞳子に伝えなければならない。そしてなによりもその大事は乃梨子にとっても、そしておそらくは瞳子にとっても。
 
 「まあ、いいですけど」
 
 瞳子はそう言って読んでいた本を、ぱたん、と閉じている。ただ、OKはしたもののいまいち納得していない、といった感じがその表情から伺えた。
 でも、乃梨子はそのようなこと気にしない。だって、この後の瞳子はこんなもんじゃすまないと分かっていたから。
 ただ、乃梨子はもう覚悟はしている。
 どんなに瞳子が怒っても、乃梨子はこの件から引かない、ということを。
 
 (どんなことがあっても、あんたには薔薇の館に来てもらうんだからね。だって、わたしはあんたの友達なんだから)
 
 やはり、屋上のから吹き付ける風は冬の冷たさを感じさせた。乃梨子は思わず身体を縮こませる。
 瞳子が軽く身体を震わせながら口を開く。
 
 「ぶるっ。で、話ってなんですの? 早く終わらせてくれれば助かるのですけど」
 
 早く、か。確かに乃梨子としてもそうしたい。流石にこの空気は、心地よいというには冷たすぎた。
 
 「それは瞳子しだい。ある頼みを聞いてくれたら終わるから」
 
 だけど、乃梨子は確信していた。この件が、早く終わろうはずがないということが。
 
 「頼み? 何ですの、一体?」
 
 さて、と。
 一呼吸おいて、乃梨子はその頼みを口にした。その唇が震えているのは寒さのせいだけではないだろう。
 
 「瞳子、今日、ううん、今日でなくてもいいけど出来るだけ近い日時に薔薇の館に来て欲しい」
 
 なんとか最後までいえた。薔薇の館、学園祭がやっていたころだったらなんてことないこの言葉が、今では瞳子に対してなんて言いづらい言葉になったのだろう。いや、薔薇の館自体に問題があるわけではなく、薔薇の館にはあのお方が関わってくるから言いづらくなった、と言った方が正しいか。
 そう、本人の口からは絶対に認めないだろうが、瞳子にとって特別な人になった福沢祐巳さまが関わってくるから。
 
 ざわっ。
 
 瞳子の雰囲気が明らかに変わった。その瞳には先ほどまでとは違い、鋭い突き刺すような視線に変わっている。
 
 「……何故?」
 
 瞳子の短いながらも返答と質問を兼ねた言葉は、まるで外気に合わすかのように冬の冷たさを感じさせた。
 何故、その瞳子の疑問はもっともだろう。この提案は、瞳子をよく知るものからは普通であればでない提案だ。そして乃梨子は、瞳子のことをある程度知っている。
 瞳子の口調からは、薔薇の館に行く理由自体を問われているというより、何で友達である二条乃梨子がそのような提案をしてくるのか、といった戸惑いにも似たものが態度の冷たさの中に感じ取れた。 
 むろん、乃梨子は先ほどの提案を瞳子の事情を踏まえた上で言っている。瞳子が納得してくれるかどうかはわからないけど、乃梨子はそう思いながら、瞳子の何故、に対して回答に値する言葉を口にする。
 
 「・・・・・・正直に言うね、瞳子。わたし、あのとき瞳子から聞いた話、山百合会のみんなに話したんだ。瞳子を手伝ってって」
 
 瞳子は、その目を大きく見開いた。
 
 「あの時の、ってまさか、乃梨子さん!」
 「うん、瞳子が、オーディションを受ける、って言ったこと」
 「どうしてなの? あのとき言ったじゃない。誰にも言わないで、って」
 
 確かにあのとき瞳子はそういった。そして、乃梨子は約束を破ってみんなに喋った。瞳子が怒るのは当然だろう。
 
 「ごめん」
 
 でも、今の、ごめん、は約束を破ったことに対してじゃない。
 
 「ごめん、じゃないわ。謝るくらいならどうして喋ったの」
 
 瞳子は勘違いしてる。いや、ここは勘違いして当然のところか。だけど、違うんだ、瞳子。
 
 「瞳子、私が謝ってるのは喋ったことに対してじゃない」
 
 乃梨子がそう言うと、瞳子は、意味がわからない、といった顔をしている。
 
 「なら、何について?」
 「謝るのは、あのときの瞳子に対してなんだ」
 
 瞳子は、ますますわけがわからない、といった表情を浮かべていた。 
 
 「・・・・・・あのときの私に?」
 「そう、あのときの瞳子に」 
 
 うん、そう。あのとき友達である瞳子に対して、自分がとった態度は適切ではなかった。だから。
 
 「あのときはわかってなかったけど、今ならわかる。あのとき、瞳子はわたしに助けを求めていたのだと思う。わたしは後悔してる。何であのとき、じゃあ私が手伝う、って言えなかったのだろう、って」
 
 乃梨子がそう言いきると、瞳子はバツが悪そうに乃梨子の方から視線をそらしている。乃梨子には、その態度がまるで図星をつかれたかのように見えた。
 
 「・・・・・・バカバカしい。何を気にしてるのか知らないけど、そんなの考えすぎだわ。あのときはたまたま口を滑らせただけ」
 
 口を滑らせた、はそうなのだろう。でも、問題はどうして口をを滑らせたかの理由。それは、助けて欲しいというサイン、だったと乃梨子は確信している。
 
 あのときもそうだったけど、決して瞳子は自分から、助けて、とは言わない。いや、たぶん性格上言えないのだろう。
 例えばだけど、由乃さまも同じように意地っ張りだけど、瞳子のそれは少し違う。由乃さまだったら、凄く怒りっぽくて意地っ張りだけど、外に出す分うちに溜め込まないから自分に非があると分かったらしぶしぶだけど謝ってそこで終わる。
 でも、瞳子はたとえ自分が悪いと分かっていても、謝れない、素直になれない、そしてその外に出せない気持ちはどんどんと溜まっていき瞳子の中で旋風のように渦巻き、それはやがて大きくなり「意地」と言う名のハリケーンになっているのだろう。
 はあ、なんてひねくれものなんだろう。まさに、不器用で究極の意地っ張り。乃梨子は瞳子のことをそう思う。
 だけど、同時にこうも思う。
 
 なんで自分は、そんな瞳子にこんなにも惹かれるのだろう、と。
 
 この感情は、志摩子さんに惹かれているるものとは全然違う。
 えらそうなことを言わせてもらえば、志摩子さんと乃梨子の関係はお互いがお互いを補完しあってるような感じみたい。
 むろん、自分の方がより多くの愛を与えられているのは自覚している。でも、そういうのは関係なく志摩子さんと乃梨子は一対の存在、いわば、志摩子さんが太陽で、乃梨子はその太陽から慈愛という名の光を受けて輝く月のような感じ、と言えばいいのだろうか。
 だけど瞳子という名の星は、近くに大きな輝きを放っている太陽がいるのに、ある一定の距離から決して自分から近づこうとしない。まるで、その太陽の引力に囚われるのを恐れているかのように。
 そして、その不安定に揺れ動いている星を見つづけていた乃梨子は、いつのまにか、その星から目が離せなくなっていた。いつのまにか、その星が大好きになっていた。はやく乃梨子や志摩子さんのような、ううん、瞳子には瞳子たちだけの輝きを放ってほしかった。
 
 ただ、これはあくまで乃梨子のエゴだ。それがこの前のオーディションでわかったから、乃梨子はそのことに関してはもう口を出す気はない。 
 でも、今回のこれは違う。
 
 「本当に、そう? あの時誰かに手伝ってもらいたかったから、つい口を滑らせたんじゃないの?」
 「違うわ。だいたい劇の手伝いなんて、それこそ演劇部の方がいくらでも手伝ってくれるし」
 「そう、演劇部の人に手伝ってもらってるのね」
 「ええ、そうですわ」
 
 瞳子がそういうのは予想済みだ。そして、その対応の言葉も考えてある。
 ただ、これを言ったらもう後戻りはできない。下手をすると、乃梨子は瞳子とは終わってしまうかもしれない。
 
 ドックン ドックン ドックン
 
 胸の鼓動が大きくなるのがわかる。胸が締め付けられるようにキリキリと痛む。のどがかれたようにひりひりする。体と心が罪悪感という名の負荷に耐え切れないようにあちこちで悲鳴をあげる。 
 だけど、そんなものは気にしない。
 
 ……いや、気にするな。
 
 乃梨子は、ゆっくりとその口を開いた。
 
 「・・・・・・じゃあ何で、演劇部の人はこのことを知らないの?」
 「なっ!?」
 
 この瞬間、乃梨子に残されていたいくつかの選択指は完全に消えた。あとは、進むだけだ。いい方か悪い方なのか分からないけど、停滞よりも、いい。
 瞳子は物凄い表情で、乃梨子の方をキッと睨んでくる。 
 
 「乃梨子さん、あなた、演劇部の人に喋ったの!!」
 
 瞳子は怒っている。当然だ。むしろ、怒ってくれないと困る。・・・・・・だって、怒らすために言ったのだから。
 
 ここが、踏ん張りどころ、か。
 
 乃梨子は己の心を鑢をかけたように削っていきながら、さも、なんで怒っているのだろう、というポーズをして口を開いた。
 
 「なんで怒るの? だって、演劇部の人に手伝ってもらってるんだから知られても問題ないよね」
 「……っざけないで」
 
 瞳子は俯いて、搾り出すかのように声を漏らした。
 そして乃梨子は、そんな瞳子を神経を逆なでするかのように軽い口調でもう一度瞳子を促す。
 
 「ごめん、よく聞こえなかった」
 「ふざけないで、って言ったのよ!! 今更、今更、あの方たちに手伝ってなんて言えるわけ無いじゃない!!」
 
 ……ああ、やっぱり、か。
 
 ほとんど確信はあったにせよ、あのときの瞳子の態度からそれは分かっていたにせよ、あえてそれを瞳子の口から言わす必要があった。自分からウソだと言わせる必要があった。
 だからこそ、乃梨子は瞳子をだまし討ちをした。
 
 「ごめん、瞳子。さっきのは嘘。演劇部の人には何にもいってない」
 
 瞳子は一瞬ポカンとする。そして言葉の意味がわかったのか、再び物凄い表情で乃梨子に迫ってきた。
 
 「なっ! 騙したの!!」
 「騙したのはお互い様だよ」
 
 お互い様、自分で言いながら乃梨子は自分で酷いことをしていると自覚していた。
 
 「でも、だからといって、やっていいことと悪いことがあるわ!」
 「うん、わかっている。さっきのは自分でも酷かったと思っている。だけど」
 「だけど、なんですの?」
 「もう、嫌だったんだ。友達が困っているのを見捨てるのは」
 
 そうだ。もうあんな苦い後悔の味は一度だけでたくさんだ。
 
 「瞳子、あの時部員の人に手伝ってもらうって言ったの、うそついてるな、ってわかったけど私、手伝う、っていえなかった。ううん、言わなかった」
 
 そうだ。あの時、乃梨子はなんとなくわかっていた。だけど、
 
 「百歩譲って乃梨子さんの言う通りだとして、どうして言わなかったの」
 「・・・・・・逃げたんだと思う」
 「逃げた?」
 
 そう、乃梨子は逃げた。あのときの一所懸命な祐巳さまを見て。そして、志摩子さんの言葉によってそれがわかった。
 
 「うん、私ね、瞳子の約束を破って薔薇の館のみんなに相談しようとしたとき、自分の中では、これは瞳子のためにやっているんだ、って思っていたんだ」
 「勝手ね。約束を破って頼んでもいないことをするなんて」
 
 乃梨子は瞳子に、そうだね、と一言言った後、さらに言葉を続ける。
 
 「だけど、違ったんだ。あれは自分のため。自分だけで責任を負いたくなかったからやったんだと思う」
 「・・・・・・そのような自己満足のようなこと言われても困りますわ」
 「うん、じゃあ自己満足ついでに、瞳子、さっきのこと許してくれとは言わない。だけど、あんたに謝りたい。ごめん、と。で、今更かも知れないけど、こうも言いたい。あなたを手伝いたい、と」
 
 乃梨子がそう言うと、瞳子はただ真っ直ぐと乃梨子の方をじっと見据えている。
 
 「身勝手だわ。勝手に自分自身で解釈して、その考えを押し付けてくるだなんて」
 「うん、身勝手だと分かってる。だけど、今回だけは付き合ってほしい」
 
 二人の視線がぶつかる中、先に瞳子が視線を外しぼそっと呟くように口を開いた。
 
 「・・・・・・どうして、場所が薔薇の館なの」
 「やっぱり人的にも、場所的にも都合がいいと思ったから。ただ、それだけだよ」
 「誰も反対しなかったの、そんな個人の都合による手伝いなんて」
 「それについては一悶着あったけど、でも」
 「でも? なんですの」
 
 乃梨子は、少し意地の悪い笑顔をしながら言葉を続けた。
 
 「ある一人の方が強力にみんなにプッシュしたんだ。瞳子ちゃんを手伝いたい、って」
 
 乃梨子がそう言うと、瞳子は眼に見えて慌てていた。
 
 「なっ! あ、あの人はどうして」
 
 乃梨子はさらに、その瞳子に追い討ちをかける。
 
 「あの人、って誰のこと? 別に名前なんていってないけど」
 「しっ、知らないわ。フン!」
 
 瞳子はそう言って、刺々しく左右の両髪をブルンと揺らしながら、その顔を乃梨子から背けるように横に向けた。
 ただ、乃梨子の気のせいかもしれないが、瞳子が纏っていた雰囲気が先ほどよりも少し和らいだように見えた。
 乃梨子はその瞳子を見つめながら、口を開いた。
 
 「瞳子、あのとき紅薔薇さまが言ったこと憶えてる」
 「あのとき?」
 「うん、素直に生きるのは勇気がいるけど、その分得るものが多い、っていったこと」
 
 瞳子は少し戸惑ったあと、ぼそぼそと口を開いた。
 
 「……一応は」
 「別にそうしろって言ってるわけじゃない。けど、瞳子が困ってるときはせめて相談ぐらいはしてほしいと思うんだ。だって、あのとき、手伝う、って言えなかった私が言えた義理じゃないかも知れないけど、わたしは瞳子とは・・・・・・友達だと思っていたから」
 
 乃梨子は、いるから、とは言わなかった。
 だって、ひょっとしたらもうその資格は失っているのかもしれないから。
 
 がばっ
 
 今まで顔を乃梨子から横に向けていた瞳子が、いきなりその顔を真っ直ぐに正面に向けてくる。
 そして、ゆっくりと言葉を口にした。
 
 「……私だって、乃梨子さんとは友達だと思ってますわ」
 
 その声は呟くように小さかった。けど、乃梨子の耳にはっきりと聞こえた。
 乃梨子の聞き間違いでなければ、瞳子は「友達」と言ってくれた。
 少し口を震わせながら、乃梨子は口を開いた。
 
 「・・・・・・今でも、そう思ってくれている? あんなことをした自分に対して」
 「・・・・ええ」
 
 瞳子は、不承不承ながら頷いてくれた。
 でも、それで十分だ。そう、それで十分。
 すべて許してくれた、というわけではないと思う。でも、瞳子はまだ乃梨子のことを友達と言ってくれた。その一言で、今回のことが間違ってなかったと確信できた。だって、乃梨子は一番聞きたかった言葉が聞けたから。
 
 絆は、まだ千切れてない。
 
 乃梨子がそう考えていると、瞳子が何故か慌てたような顔をしている。
 なんだろう、と乃梨子が思っていると、自分のほっぺに温かい何かが伝っているのを感じた。
 
 (あれっ、なんだろ、これ?) 
 
 乃梨子がその自分が感じている現象に不思議に感じていると、瞳子が慌てふためいて乃梨子に迫ってくる。
 
 「ちょっ、なんで、泣いているの」
 
 泣いてる? 誰が?
 乃梨子がそう思っていると、その温かい何かは、ぽたっぽたっ、とコンクリートの床を濡らしている。
 ようやく乃梨子は、その温かい水滴が自分から零れ落ちていることが分かった。
 
 「えっ、泣いているの、わたし?」
 「も、もう、これじゃあまるでわたしが泣かしたみたいじゃない」
 
 瞳子はそう言いながら、はい、と乃梨子の方にハンカチを押し付けてきた。
 乃梨子はそのハンカチを受け取り、溢れ出る涙を拭きながら瞳子にささやかに抗議する。
 
 「うん、瞳子のせいだよ」
 
 そうだ、この涙は瞳子のせいだ。いつも乃梨子を心配させてくれるのだから。そして、
 
 「わ、わたしのせいですの」
 「うん、瞳子のせい。だって」
 
 ・・・・・・こんなにも瞳子が好きなのだから。
 
 乃梨子の涙が収まるのを見て、瞳子が声をかけて来る。
 
 「乃梨子さん」
 「なに、瞳子」
 「薔薇の館、今日の放課後でもよろしいですの」
 
 乃梨子は少しの間を空けて「うん!」と満面の笑みで返答した。
 
 「ふん、勘違いしないでほしいけど、乃梨子さんの話を聞いたからじゃないわよ。ただ、久しぶりに祥子さまにお会いしたくなっただけですわ」
 「ううん。ありがと、瞳子」
 
 乃梨子がそう言うと、瞳子は「ふん」とその両髪を揺らしながらそっぽを向いていた。
 その瞳子を見た乃梨子は、自分を前に進む勇気を与えてくれた志摩子さんにそっと、でも深く感謝を捧げた。
 志摩子さん、やっぱり志摩子さんは凄い。なんでもお見通しなんだ。
 
 (わたしは困った時や迷った時、志摩子さんのかけがえのない優しさに触れ、そのたびに優しさを力に代えていくらでも頑張れるんだ!)
 
 結局、瞳子と乃梨子は乃梨子の涙の跡が乾いて消えるまで、冷たい秋風が吹き荒れている屋上に二人でしばらく並んでいた。
 だけど、どれだけ冷たい秋風が吹き荒れていても乃梨子は全然平気だった。
 
 だって、乃梨子の心はさっきからずっとポッカポッカだったのだから。
 
 

 
 
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