■ 二人でクライシス -第一話-
 
 
 
 
 
 その日は日出実にとって、本当になんでもない休日だった。
 朝起きて、日曜日にしては珍しく和食で朝ご飯を済まして、自室に戻る。そしてその時、ノートや文房具をいくつか切らしていたことに気がついたのだ。だからちょっとした買い物の為にK駅まで足を伸ばそうと思ったのは、ごく自然なことだった。
 
「それにしても……」
 
 日出実はいついかなる時も、スクープを追っている。それは三奈子さましかり、真美さましかり。だから使い捨てカメラは、ハンカチと同じぐらい手放せない。
 しかしそれが、よもやこんなところで使うとは思いもしなかったのだ――。
 
 

 
 
 それは必要としていた文房具を買い終え、このまま帰るのは勿体無いと、少し離れたS駅周辺のブティックへと足を向けたのがきっかけだった。
 そこそこ人通りのある通りから、一本それた道。目的のブティックが面しているその通りで、日出実は見つけてしまったのだ。
 
(あれは……)
 
 とある喫茶店の、窓際の席。そこに黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)である島津由乃さまの姿を見つけたのだ。それも、殿方同伴で――。
 
「……やった」
 
 スクープ、これは特大のスクープだ。だとしたら、こんなところに突っ立っている場合じゃない。
 日出実はただの通行人を装って、由乃さまの死角に入った。すると自然に見える、相手の男性の顔。日出実はその顔を知っていた。間違えるはずもない、あれは花寺学院高校の生徒会長、福沢祐麒さん。
 紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)といくら似ていようが、日出実には絶対間違えない自信があった。だって、彼が女装していたって気づくことができたのだから。
 
「それにしても……」
 
 どうしてこの二人なんだろう? と思った。新聞部のデータでは、二人が特に近しいといった情報はない。祐巳さまを除いて、山百合会幹部と彼の距離は、全員等しいはずなのだ。
 いやしかし、と日出実は思い直した。以前祐麒さんが女装してリリアンに紛れ込んだという事件があった時、ことの発端は由乃さまだったのだ。その時点から、二人は近しい関係だったのかも知れない。
 となると、そもそもの発端は山百合会での劇だろうか。たしか舞台の上で由乃さまが祐麒さんの着物の裾をふんずけて、二人一緒に這いつくばる――というところまで考えた時、二人は驚くべき行動を見せた。
 
「あっ」
 
 それは由乃さまがケーキの一欠けらをフォークに刺したまま、何か喋った後のことだった。それはもうごく自然に、それが当然であるかのように、そのフォークを祐麒さんへと向けたのだ。
 そして祐麒さんの方も、戸惑いなくそれを食べた。彼は照れた表情を見せた後、由乃さまの方に向かって笑いながら何かを言う。由乃さまは死角にいる日出実にすら分かるぐらい、満面の笑顔。
 
(やった)
 
 日出実は心の中でガッツポーズをした。ただのデートなら、あんなことはしない。二人は間違いなく、付き合っている。
 それから日出実は、遠慮なくそのシーンをカメラに収めさせてもらった。安っぽいサングラスをして、帽子を目深に被り、お店を撮る振りをして。まさかこんな時に、「外出の際には変装セットを携帯せよ」という三奈子さまの言葉が役に立つとは思いもしなかった。
 その間祐麒さんは一瞬だけこちらを見たから、少しドキっとした。以前の新聞部の企画、『慧眼(けいがん)or節穴? 本物の紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)はどっちだ!』で、日出実と顔を合わせているから、気づかれる可能性があったのだ。
 しかし彼は本当にお店を撮っているだけだと思ったのか、それ以降日出実のことを気にする様子はなかった。由乃さまなんか、日出実の存在にすら気づいていない様子だ。
 
「……」
 
 そして、暫く二人を観察していて分かったことがある。それは由乃さまは恋する女の子だということと、祐麒さんも然りということだ。
 いや、もう恋というか愛かも知れない。由乃さまはケーキを食べ終わると空いた手で祐麒さんの手に触れ、彼はそれに指を絡め返す。そこが窓際の席だなんてお構いなし。手が絡めば視線も絡んで、微笑みを絶やさないことどこかの俳優の如し。
 それがよくある光景だと言うことは知っているけれど、日出実はあえて言いたいと思う。失礼を承知で、でも遠慮なくこう言おう。
 
「……バカップル」
 
 ――と。
 
 

 
 
 由乃にとってその月曜日は憂鬱だった。
 週初めということもあるのだろうけど、それだけじゃない。今月末には次期薔薇さまを決める選挙があるし、部活だって忙しい。
 そして何より、週末まで祐麒君と会えないというのが一番の憂鬱の要因だ。冬休みも終わって、祐麒君と会えたのは二回だけ。旅行から帰って案の定体調を崩し、学校を休んだ時にお見舞いに来てくれたのと、後は昨日のデートだけなのだ。
 
(もう一回熱だそうかな)
 
 そんな消極的なことを、積極的に検討している時だった。
 
「由乃さん、ちょっといいかしら」
 
 トン、と肩に手が置かれたかと思ったら、いきなり目の前に真美さんの顔のアップが現れた。彼女が近くにきても気づかないなんて、由乃もヤキが回ったのだろうか。
 
「何かしら?」
 
 しかしこれは厄介そうだな、と思った。だって真美さん、一見しただけでも切羽詰まっている。目こそ血走らせていないものの、「ちょっといいかしら」というより「私の話を聞きなさい」と言った感じなのだ。
 
「昼休み、時間を作ってもらえないかしら」
「……別にいいけど」
「ありがとう。それじゃ新聞部の部室に来てくださるかしら。……ちょっとここで話せることじゃないから」
 
 真美さんの言葉を聞いて、由乃はドキリとした。ここで話せることじゃないって、聞かれたら由乃の得にならないことではないか。
 一体、何だろうか。ここで考えられることは二つ。由乃が菜々に目星をつけていることをどこからか聞きつけたのか、それとも由乃と祐麒君のことがバレたのか。どちらにせよ、記事にされたくないことばかりだ。
 
「それじゃ、約束したわよ」
 
 真美さんは覇気のない声でそう言うと、ふらりと由乃の席から離れて行った。
 
「おはよう、由乃さん。なんだか元気ないね?」
 
 親友がこの憂鬱の最中に元気な声を出していたけど、由乃の不安は拭えそうになかった。
 
 

 
 
「お邪魔します、と」
 
 昼休み。
 由乃が真美さんと一緒に新聞部の部室に入ると、意外なことに中には誰もいなかった。質問攻めが待っているかも、と予想していたから、少し肩透かしをくらった感じだ。
 
「まずはこれを見てちょうだい」
 
 そう言って真美さんが広げたのはお弁当箱の包みではなく、それは数枚の写真だった。
 写真の中に写っているのは、見覚えのある店、見覚えのある後姿、見覚えのある――。
 
「……これって」
「そう、昨日の写真よ。撮ったのは私じゃないけど」
 
 ――やっぱり。いつかはバレることになるんだろうと思っていたけど、まさかこんなかたちで露見するなんて。これじゃまるで、密会を激写された芸能人だ。
 しかしそこまで考えて、由乃は「あれ?」と思った。新聞部のことだから、こんなネタを見つけたが吉日、何が何でも昨日の内に記事を仕上げて、今日の朝に号外が出ていてもおかしくないのだ。
 真美さんは記事にする前に、こちらに草稿を見せると約束していたけど、まさか号外のネタまで確認を取るつもりなのだろうか。
 
「……騙したわね」
 
 由乃が写真を見ながら首を傾げていると、真美さんが鋭い目つきをして言った。
 
「騙した? 私が?」
「去年のこと、忘れたとは言わせないわよ。由乃さん、テレビのCMに映ったことがあったじゃない。あの時隣にいたの、祐麒さんだったんでしょ?」
「それは……」
 
 まったく、その通り。由乃はマリアさまの見守るこの学園で、そりゃもう大きな嘘をついたのだった。
 
「……ごめんなさい」
「まあいいわ。隠したい気持ちも分かるし、私にもっと見極める力があったらこと足りたことだし」
 
 真美さんは皮肉っぽく言った後、ため息を吐いて続けた。
 
「私はこのこと、記事にしたくない」
「へ……?」
 
 真美さんの言っていることがあまりにも予想外で、由乃は不覚にも祐巳さんばりに「へ?」と口にしてしまった。
 自意識過剰でもなんでもなく、山百合会幹部に恋人ができたとなれば、それは空前のスクープだ。それを記事にしたくない、なんて、とても新聞部編集長の台詞とは思えない。
 
「どうして?」
 
 もしもし、熱でもあるんですか? と額に手を当ててあげたくなったけど、真美さんが凄く真剣な表情をしていたから、由乃も真面目な顔をして訊いた。
 
「分からない? 今月末、次期薔薇さまを決める選挙があるじゃない」
 
 それは、重々承知していることだけど。
 由乃はなんとなく、真美さんの言わんとしていることが分かってきていた。
 
「もしこれが記事になったら、少なからず影響が出ると思うのよね。少ないにしろ、祥子さまみたいに男嫌いの子はいるわけだし」
「それに恋人にかまけていて、生徒会の仕事が出来るのか、って?」
「まあ、そう思う生徒もいるでしょうね」
 
 バカバカしい、と思ったけど、今朝憂鬱になっていた原因の一つは何なんだ、と思い直した。けど、会えなくて寂しいから生徒会の仕事ができないなんてことはないし、祐麒君のために時間を割くとしたって休日ぐらいになるだろう。だから生徒会活動に支障が出る云々に関しては、全面的に否定する。
 ……もちろんそれは時間的な問題でのことで、気持ちの面ではどうなるか分からないけれど。
 
「真美さん、それが本当に選挙の結果に影響がでると思っているの?」
「まさか。直接当落に関係するとは思ってないわ。でもこれが次の薔薇さまの表情?」
 
 そう言って真美さんは写真の山に埋もれていた一枚を取り出すと、由乃に「ほら」と言って見せてくる。
 そこに写っているのは当然デート中のワンシーンなのだけど、どうやって撮ったのかばっちり由乃の笑顔が写されていた。その表情たるや、自分で言うのも恥ずかしくなるぐらい、恋する乙女。いや、正確にはもう乙女ではないわけだけど、この頬の蕩け具合は「薔薇さま」というより「バカさま」だろう。確かにこんな写真が公表されたら、「この人が薔薇さまになって大丈夫なの?」って思われるかも知れない。
 
「私はね、由乃さんにも、祐巳さんにも、志摩子さんにも、ちゃんと薔薇さまになって欲しいのよ。それを少しでも妨げるようなこと、したくないの」
「真美さん……」
 
 由乃は真美さんの言葉に、ジーンと胸を打たれた。なんて人情に厚いんだろう。今の真美さんは、まるでマリアさまのように見えた。
 しかし由乃がそう思ったのはつかの間。真美さんは祈るような表情から一転、朗らかな表情をしてこう言った。
 
「ということで、次回のリリアンかわら版用のスクープをよろしく」
「……はい?」
 
 何言ってるの? と由乃が首を傾げると、真美さんは腕を組んで言う。
 
「まさか、新聞部がただで引っ込むとは思ってないわよね? 他の部員たちを黙らせるの大変だったんだから。……だから次のリリアンかわら版には、これに匹敵するスクープが必要。そうじゃないと、私も部員たちも納得できないわ」
 
 ……つまりは、こういうことだ。由乃と祐麒君の関係をバラされるか、スクープを用意するか、二者択一。
 やはりやり手の真美さん、転んでもただで起きない辺り、三奈子さまに似ているかも知れない。
 
「よろしくお願いするわね」
 
 そう言って微笑んだ真美さんは、もうマリアさまでもなんてもなくて、小悪魔のようにすら感じられた。
 
「うー……」
 
 由乃は机にばら撒かれた写真を見ながら思う。
 これは大変なことになったぞ、――と。
 
 

 
 
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