■ レンズ越しの絆
     -THE LEAST FOREVER is 0.005sec-
 
 
 
 
あなたは笑ってくれるだろうか。
 
このレンズ越しでも、あなたは。
 
その素敵な笑顔を、見せてくれるだろうか。
 
 

 
 
 ――私は姉のようにはならない。
 
 内藤笙子には、高等部に上がるにあたって、一つの目標があった。それが、自分の姉である内藤克美のようにならないことである。
 姉は口をすっぱくして笙子に言う。今のうちに勉強しておかなければ、後から泣くことになる、と。
 それは果たして、あっているのだろうか。勉強ばかりして、あの時ああしていればもっと楽しく過ごせたのに、とか思わないのだろうか。そう笙子は、思い続けてきた。
 だから笙子は、今を楽しく生きて、後から後悔しないように心がけている。勿論勉強は大事だと思うが、人生はそれだけじゃない。この世の中には、勉強よりも大切なことはいくらでもある。――この高等部の三年間という時間だって、何物にも変えがたいぐらい大切だ。
 
(だから私はここにいるわけだけど)
 
 はあ、と溜息をついて、目の前のドアに掛かったプレートの文字を、視線でなぞる。
 その文字こそが、今笙子を佇立させている理由だった。
 
『写真部』
 
 クラブ紹介も終わった、四月の吉日。笙子の手には、入部願書。
 笙子を躊躇わせているのは、本当に写真部に入ってしまっていいのだろうかという不安ではない。この高等部の三年間を有意義に過ごしたいなら部活に入るべき。だから笙子は部活を始めるのに躊躇いはないし、写真部にしか興味を抱かなかったのだから、写真部に入るのが不安なんじゃない。
 
 そもそも、何故写真部なのか。今一度考えてみる。――それはやはり、単にあの先輩のインパクトだろう。
 今年の二月に行われたバレンタインデーのイベントで、一度だけ会った『武嶋蔦子』さま。あの日のことは、今でも昨日のことのように思いだせる。
 同学年であると偽り、言葉を交わし、笑い合った。いつか笙子が思わず撮ってしまいたくなるぐらいいい自分だったら、写真を撮ってと約束した。
 もしかしたら、蔦子さまへの興味が、写真部への興味に影響しているのかも知れない。だから、尚更厄介なのだ。
 
(もしここで入って行ったら、「笙子さん」って呼ばれるんだろうな)
 
 あの時はこれほど蔦子さまに興味を持つと思ってもいなかったから、学年を偽った。しかし同じ部活動に入るとなると、もはやそれもできない。
 蔦子さまにも写真部にも興味があるから、入部はしたい。でも、あの時嘘をついていたというのがバレるのは、やはり嫌なもの。普段後悔のないように生きようとしているくせに、こんな簡単にジレンマに陥ってしまう自分が情けない。
 しかし。
 ここで引き返したら、余計後悔してしまう。――もう行くしかないのだ。
 
 コン、コン。とドアをノックすると、中から「どうぞ」と返ってきた。聞き違いでなければ、蔦子さまの声だ。
 
「失礼します」
 
 ゆっくりとドアを開け、中に入る。笙子と目があった蔦子さまは小さく「あ」と漏らした。
 そして次の瞬間には、こう言ったのだ。
 
「いらっしゃい、笙子ちゃん(・・・・・)。入部希望かしら?」
 
 

 
 
「考えてみれば」
 
 笙子は部室内の丸椅子に腰掛けて、溜息混じりに言った。
 
「蔦子さまが入学式とかのイベントを、チェックしないわけがありませんよね」
「その通り。あなたを見つけた時は、ちょっとびっくりしたけどね」
 
 つまりは、こういうことだった。
 あの日、笙子の知らない間に写真を撮ってくれていた蔦子さまは、写真を渡すべく笙子を探していた。しかし同学年にはおらず、また上級生にも見えなかった。そして入学式でシャッターを切りまくっている時に、笙子を発見した。――というわけだ。
 
「そうそう、これが例の写真ね」
 
 はい、と手渡されたのは茶封筒。
 その中には、入学式の写真がいくつかと、姉と一緒にチョコを食べている時の写真があった。
 
「わぁ」
 
 ぱっと並べてみて、嘆息した。
 自惚れからそうしたわけじゃない。等身大の自分であるはずなのに、それが自分以上に見えた。だから、嘆息したのだ。
 
「蔦子さま、凄い!」
「そりゃどうも。喜んでくれたようで、私も嬉しいよ」
 
 ふふん、と鼻を鳴らす蔦子さまは、満更ではなさそうだった。
 
「それで。笙子さんは入部希望? それとも写真を取りに来ただけだった?」
「あ、入部希望です」
「写真をくれたお礼に。とか考えてないわよね?」
「違います。ほら、入部願書だって」
 
 制服のポケットからそれを取り出して、蔦子さまに手渡す。そして入部願書の中身を確認すると、蔦子さまは「うーん」と唸った。
 
「あの、……何か記述に不備が」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね」
「あーっ! あなたもしかして新入生? 入部希望者!?」
 
 ――と、そこに割って入ってきたのは、全く聞き覚えの無い声だった。
 振り返って見てみると、部室の入り口には上級生らしき人の姿。
 
「……部長」
「よかったよかった、これで四人目。写真部も安泰だわ」
 
 部長、という蔦子さまの呟きから察するに、この人は三年生で、写真部の部長なのだろう。
 セミロングの髪を後ろで束ね、残ったサイドの髪が揺れているその姿は、ちょっと格好いい。
 
「遅れてしまったけど、ごきげんよう。私は写真部部長、佐野咲江(さのさきえ)。あなたのお名前は?」
「ごきげんよう。私、一年の内藤笙子と申し――」
「いらっしゃい笙子ちゃん! 写真部はあなたを歓迎するわ」
 
 笙子が言い終わらないうちに、咲江さまはぎゅうと抱きしめて、身体で歓迎してくれた。元からなのか、それとも新入部員がきたからか知らないが、かなりのハイテンション。笙子だって普段からテンションの低い方ではないと思うけど、この人のテンションは遥か上をいっていた。
 
「また部長は……」
 
 蔦子さまは部長を見ながら苦笑いを浮かべている。また、ということは、やっぱり普段からこんな感じなのかも知れない。
 
「さあ、これで蔦子ちゃんも逃げられないわよ」
「はいはい。……覚悟を決めますよ」
「あの、逃げるって……?」
「ああ、説明がまだだったわね」
 
 ごほん、と咳払いした後、咲江さまは笙子にも分かり易いように説明してくれた。
 ――写真部は現在三年生二名、二年生が四名、そして笙子を含めた一年生が四名の、総勢十人の部活動。
 写真部の活動というのは、他のクラブのように集まってする類のものではない。だから二年生と一年生がパートナーを組んで、約一ヶ月の間で後進の育成をする。それが代々写真部に伝わるスタイルであり――。
 
「パートナー同士で姉妹(スール)になる場合が多いんだけど、蔦子ちゃんみたいにお断りするケースもあるわけなのよね。あーあ、あの時のことは思い出したくない」
「部長、勘弁してくださいよ」
「それでもう逃げられないって言うのはね、蔦子ちゃん以外の二年生はもうペアを組んだから。だから蔦子ちゃんがいくら後輩の世話するのを面倒がっても、笙子ちゃんとペアに成らざるを得ないわけね。アンダスタン?」
「あ、はい」
 
 そこまで聞いて、やっと笙子は蔦子さまが入部願書を見た時の「うーん」の意味が分かった。つまり蔦子さまは、できるだけ後輩の面倒なんてしたくなくて、できれば一人気ままに写真を撮りたい、と。
 
「笙子ちゃん」
「はい?」
 
 気がつくと、咲江さまが目の前まで迫っていた。
 
「あなた、迷惑なら入部をやめようなんて思ってないわよね?」
「あ、当たり前じゃないですか。私は写真部に入るって決めたんです」
「まあ! 聞いた蔦子ちゃん? 私、ますます笙子ちゃんが気に入ったわ」
「あー、はいはい。そこまでしなくてもちゃんと面倒見ますってば。死ぬほど嫌ってわけでもないんですから」
「何よー、演技じゃなくて本気で言っているのに」
 
 心地よいやり取りが続く、写真部室内。
 笙子の入部初日は、こうして賑やかに始まったのだった。
 
 

 
 
 翌日から、早速蔦子さまによる指導が始まった。
 笙子が両親にねだって買って貰ったカメラはAF一眼レフで、蔦子さまと同じだったからまずはその構造から。
 それから手ぶれを防ぐ撮影姿勢に、キャッチライトの上手な捉え方、一押し撮影ポイント、更には勝手に写真を撮っても大丈夫な人リストまで、蔦子さまは懇切丁寧に教えてくれた。自分が興味を持ったことに対して学ぶ時間というのは、同じ「学ぶ」にしても、授業より遥かに楽しかった。
 だから蔦子さまから指導を受けて一週間経ったころには、目に見えて撮影技術は向上したし、現像の仕方も一通り覚えることができた。
 
「お勧めの被写体は、紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)ね。彼女は実に表情豊か」
紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)……」
 
 ほら、とカメラを向けた先には紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)こと福沢祐巳さま。マリア様にお祈りを終えて顔を上げた彼女は、少し憂鬱そうな表情だった。
 ちなみにここは、蔦子さま一押しポイントの一つ。マリア様の前の人物を撮るのに最も適した位置である。
 
「祐巳さま、何だか元気がないですね」
 
 バレンタインのイベントの時、走り回っていた彼女が嘘のよう。舞い散る桜の向こうに見える彼女の姿は、とても儚げに見えた。
 
「祐巳さんのお姉さまは、桜がお嫌いなのよ。だから紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が元気がない時は、その妹まで憂鬱ってわけ」
「そういうものなのでしょうか」
「少なくとも、彼女たちはね」
 
 高等部に入ってもう二週間以上経つというのに、笙子はいまいち姉妹(スール)制度についての理解が浅かった。
 そこまで姉に影響されてしまうものなのかとか、一体どこまで親密にするのが普通なのかとか。はたまたどうすれば姉になって欲しい人に、ロザリオを頂けるのか。
 実の姉の方はと言えば、(プティ・スール)(グラン・スール)も持たなかったから、サンプルにならない。
 
「蔦子さまは、姉妹(スール)をお持ちにならないんですか?」
「それは妹? それとも姉?」
「どちらもです」
「妹も姉も、持つ気はないわね。姉にしたい程心から尊敬できる人はいないし、妹になった子だって、私が他の子ばかり撮っていたら気が気じゃないでしょう?」
「でもそれって、写真部なんだから当然なのでは?」
「あら。理解してくれるってことは、笙子ちゃんは私の妹になりたかった?」
 
 何もそこまで踏み込んで考えて言ったことじゃなかったから、答えに詰まる。かと言って、「違います」と即答するのも失礼だろうし。
 にやりと笑う蔦子さまは、まるで笙子を値踏みするみたいで、ちょっと怖かった。
 
「……分かりません。姉妹(スール)って聞くと、難しく考えちゃって」
「それでいいのか、悪いのか。姉妹(スール)を持たない私には分からない、と」
 
 蔦子さまははっきりしない笙子に、これまたはっきりしない答えを返して、そっとカメラを下ろした。
 
「妹にしたいぐらい可愛い子がいても、同級生じゃ妹にできないしねぇ」
「え?」
「ああ、聞き流してちょうだい。単なる戯言よ」
 
 そう言うと蔦子さまは、カメラにレンズフードを被せた。それが移動の合図だということは、この一週間で良く分かっていたから、笙子も黙ってついて行った。
 
(何だろう、この気持ち)
 
 さっきから、「妹にしたいぐらい可愛い子」って発言が、頭をついて離れない。
 一体誰? という疑問と、羨望、軽い嫉妬。そんなものがごちゃ混ぜになって、笙子の気分をどんどん下向きにさせていった。
 まさかたった一週間一緒にいただけで、こんな感情を抱くとは思っていなかった。自分の矮小さが、少し嫌になる。
 
「蔦子さまは、どうして咲江さまからの姉妹(スール)の申し込み、断ったんですか?」
 
 グランドの脇を歩きながら、笙子は言った。
 何か喋っていないと、どんどん落ち込んでいきそうだった。
 
「簡単よ。姉にしたい程、憧れる存在じゃなかった。あの方のことは好きだけど、そこまで尊敬できなかったのよ」
「随分、……手厳しいですね」
「いやいや、もっと根本的な問題があるのよ。咲江さまは、風景写真専門。私は人物写真専門。方向性が違い過ぎたわけ」
 
 蔦子さまはレンズフードを取って、校舎をファインダーに捉えた。
 
「うーん。やっぱり静的被写体は、あまり面白みがない」
 
 そう言ってすぐカメラを下ろし、蔦子さまは言葉どおりつまらなさそうな顔をする。
 
「どうして蔦子さまは、人物写真専門なんですか?」
「0.005秒の一瞬にかけているからよ」
 
 蔦子さまは立ち止まって振り返り、ビシッと笙子を指さして言った。
 気付けば校舎の角まで来ていて、裏手のクラブハウスに程近い場所だった。
 
「被写体の動きにもよるけど、私の好む露光時間は0.005秒。その0.005秒は、永遠になる。例え写真が、色褪せていこうとね。これって、ビデオカメラとかで撮るより、ずっと意味と価値があるように思えるのよ」
 
 グランドの方から風が吹き、蔦子さまの髪を、制服を揺らした。
 それが惚れ惚れするぐらい格好よくて、思わずカメラを構えたくなったけど、それはしないでおく。
 きっとカメラを構えたら、その姿を自ら壊してしまうことになる。だから、心のフィルムに焼き付けておけばいい。
 
「デジタルなら、色褪せませんよ」
「ああもう。なんて見当違いなこと言うのかしら、この子は」
 
 それは敢えて言った、的外れの意見だった。
 こうすれば、蔦子さまはもっと熱く写真について語ってくれる。その姿をもっと見ていたかったから、敢えて言ったのだ。
 
「デジタルにはレリーズタイムラグがあるから嫌なのよ。私が取りたいのはシャッターを切ってからの0.005秒なのに、それにタイムラグがあったんじゃ駄目でしょう。……あ、レリーズタイムラグっていうのは、シャッターボタンを押してから撮影するまでの時間のことで――」
 
 歩き出した蔦子さまを追いながら、時折相槌を打つ。
 静かで、穏やかで。今まで感じたこともないぐらい、満たされた時間だった。
 
 

 
 
 六月の頭にもなると新入部員の教育期間は終わり、一人で行動することが多くなった。
 元々写真部は、個人で活動する部活。もっと蔦子さまに教わりたかったが、彼女だっていつまでも後輩の面倒を見ていられないだろう。
 現に、今笙子のいる写真部の部室内には、他に誰もいない。今頃蔦子さまは、敷地内を飛び回っているはずだ。
 
(梅雨入りしたら、どうするんだろ)
 
 カメラを分解しながら、つらつらと考える。
 写真部に入って、もうすぐ二ヶ月。武嶋蔦子さまという人物が、色々と見えてきた時期だった。
 
 まずあの人には、本当に写真のことしか頭にない。絶対にいい写真が撮れると確信したら、どこまでも突っ走って行くタイプ。
 そして笙子を驚かせたのは、その行動力だけでなく、人脈の凄さ。話によると現山百合会の幹部だけでなく、前代薔薇さまとまで面識があるという。以前、去年行われたらしい山百合会のクリスマスパーティーの写真を見せて貰った時は、本当に驚いた。薔薇の館に入り込んで写真を撮りまくるなんて、とてもじゃないが真似できそうにない。
 
『素敵な方ね』
 
 行動力に溢れ、誰とも怖気づくことなく喋れる。そんな蔦子さまだから、やはり憧れる生徒はいた。
 薔薇さま方や、そのつぼみたちの人気には程遠かったが、やはり見ている人は見ているものなのだ。
 ――今ここにいる、笙子のように。
 
「その顔いただきっ」
「え?」
 
 振り向くより早く、カシャとシャッターを切る音が聞こえた。
 案の定振り向いた先いたのは、カメラを構えたままの蔦子さま。
 
「ふ、不意打ちなんて卑怯ですよ!」
「あら、思わず撮りたくなるほどいいあなただったら、勝手に撮ってもいいんでしょ?」
「それは、……そう言いましたけど」
 
 まったく、この人には適わない。
 そう考えながらカメラを組み上げると、蔦子さまは机の端に置いてあった、数枚の写真と睨めっこしていた。
 
「これ、笙子ちゃんの?」
「そうですけど」
「これはまた、祐巳さん率の高いこと」
 
 祐巳さん率が高い。――つまり、笙子が祐巳さまを被写体にすることが多いということ。
 それには蔦子さま推奨という理由もあったが、何よりの理由は彼女が被写体として優秀ということだった。祐巳さまは本当に表情豊かで、写真毎に違う表情を見せてくれる。特に祐巳さまとそのお姉さまである紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)とのツーショットは、垂涎ものの被写体。髪の長い美人と、髪の短い愛らしい少女のコントラストは、ある種の耽溺的な美さえ垣間見えた。
 しかしそうそうツーショットを取れるチャンスもなく、祐巳さまが蔦子さまと一緒のクラスということで、行動を先読みして彼女を撮っているのだ。
 
「笙子ちゃんも紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)のファンの一人なわけか」
「被写体として追っかけているってことは、そうなるんでしょうか」
「傍から見れば、そう見えるわね」
 
 言いながら蔦子さまは、笙子の向かいの席に座った。
 写真部の中は、奥にある暗室を除くと四畳半程しかなく、狭い。今いるテーブルと椅子のある前室は、二人でちょうどいいぐらいだ。
 
「あ、そうだ。話が戻るんだけど、あの写真。ポートレートにしているの?」
「あの写真?」
「ほら、あなたと克美さまがチョコ食べている写真」
「ああ、あれですか」
 
 言われてやっと思い出す。あの写真とは、入部した当日に渡された、姉とのツーショット写真。とてもよく撮れた写真だった。
 しかし、そのポートレートを入れようと思って買っておいた額縁には、まだ何も入れていない。
 
「実は、まだ決めかねているんです」
「どうして?」
「凄くよく撮れてるんですけど、ポートレートで二人っていうのもちょっと変ですし。それに蔦子さまと一緒にいれば、もっといい写真撮ってもらえるかなって」
 
 ポートレートというのは肖像画、肖像写真という意味だ。別に二人で写っていても間違いではないが、『十代唯一のポートレート』が姉と二人っていうのは、ちょっと恥ずかしいし、的が外れているような気がした。
 
「あら。ならどうして『不意打ちなんて』って怒ったのかしら」
「……それもそうですね」
 
 はは、と笙子が笑うと、蔦子さまも「しょうがない子ね」と言って笑った。
 そんなやり取りさえ、ただ楽しい。――笙子が蔦子さまといる時間は、きっと特別だった。
 
 

 
 
 七月の上旬ともなると、教室の窓はもう全開。窓から差し込む陽光は灼熱で、またそこから吹く風は何物にも代えがたい涼だった。
 そんな放課後のこと。武嶋蔦子は、いつものように写真整理のため、机に何十枚という写真を出し、あれこれ写真について是非をつけながら分別作業を行っていた。
 
「この子誰? 沢山写っているみたいだけど」
 
 これまたいつものように、まだ帰っていなかったらしい祐巳さんが、分別された写真の束を見ながら言った。
 
「……祐巳さん。自分の妹候補の名前、覚えてないの」
「リリアンかわら版の特集記事のこと?」
 
 リリアンかわら版の特集記事とは、最新号に掲載されている記事だった。白薔薇姉妹が落ち着いたところで、皆次の姉妹物語を求めている。よってまだ妹を持たない紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)の妹には一体どんな子がなるのか。その候補の簡単なプロフィールをまとめたものが、特集として紙面を飾ったわけである。
 もっとも、それに載っている少女たちというのは、容姿やそれぞれのステータスで選ばれた生徒なので、祐巳さん、由乃さんとなんら関わりのない生徒も多かったが。
 
「ああ、祐巳さんが知らないのも無理ないか。この子の写真は載ってなかったから」
「ふーん。そうだったんだ」
 
 この子の写真、と言いながら笙子ちゃんの写真の束を手に取った。――これは載ってなかったのではない。嫌がっているから、と言って、蔦子が写真部への提出を断ったから、正確には載せなかったのだ。
 
「それにしても、どこかで見たことあるような」
「あれでしょ。前克美さまと一緒に写ってる写真、見せたじゃない」
「あ、それだ。うん、思いだした」
 
 個人の情報をあまり覚えない祐巳さんでも、笙子ちゃんの写真は覚えていたらしい。それほどあの写真は良かったと思うし、笙子ちゃん自身も被写体として優れていた。流石に子供モデルをやっていただけあって、顔の整い方は並以上。だから、妹候補に上げられるのも無理はない。
 ――しかし、それを蔦子は独断で断ったのだ。
 何故か、笙子ちゃんの写真を広く公開するのに抵抗があった。独占欲と言っていいかも知れない、そんな感情が心の中にあった。
 かわら版に掲載され、それがきっかけで良い姉と巡り会えたなら、それは笙子ちゃんにとって良いこと。なのに、気付いたら写真掲載を断っていた。可愛い後輩が取られていくような気がして、とにかく嫌だと気持ちが先行していた。
 
(我ながら、心が狭い)
 
 自嘲的な考えは、表情に出してしまう前に、次の声で遮られた。
 
「蔦子さま、こちらにいらしたんですか」
 
 教室にほとんど人がいないのをいいことに、声の主――笙子ちゃんは「失礼します」と言った後、ずんずんとこちらに向かってくる。
 
「あっ」
 
 しかし蔦子の傍にいる人を視認するなり、笙子ちゃんの表情が固まった。
 こちらに向かってくる時の勢いから察するに、蔦子に出来上がった写真を見せにきたのだろう。そしてその写真の中にいるはずの人がここにいて、こりゃビックリ、と。
 
「ご、ごきげんよう。祐巳さま」
「ごきげんよう。あなた、お名前は?」
 
 祐巳さんは珍しく、上級生らしい柔らかな笑顔を作った。
 
「なっ、内藤笙子と申します」
「そう。笙子ちゃんね」
 
 名前を聞くやいなや、祐巳さんは意味深長な笑みで蔦子を見た。何が言いたいのかよく分かったから、何も言わずに目を逸らした。
 
「笙子ちゃんは、写真部なの?」
「は、はいっ」
「そう。あ、じゃあその手に持ってる封筒の中身は、やっぱり写真?」
「そうです。……けど」
「わぁ、ならちょっと見せて貰ってもいい?」
 
 蔦子の予想した通り祐巳さんの写真が入っているなら、笙子ちゃんは絶対絶命。現に笙子ちゃんは、泣きそうな目でこちらを見ている。
 
「この際だから、一度自分で掲載許可を取ってみなさい」
 
 笙子ちゃんの視線は助けを求めているようだったけど、蔦子は敢えてそう言った。こういう機会は滅多にないし、祐巳さんは勝手に写真を撮って怒るような人じゃない。こそこそ写真を撮り続けるより、取ってますよと明言した方が、後々良いとも思った。
 ――たとえそれが、笙子ちゃんと祐巳さんの間に、何らかの関係を築くことになろうと。
 
「さ、笙子ちゃん」
 
 蔦子が促すと、笙子ちゃんは覚悟を決めたように、封筒の中身を取り出した。
 
「ゆ、祐巳さまっ。掲載許可を下さい!」
「は、はい?」
 
 いきなり写真を突き付けられた祐巳さんは、相当面食らっていた。まじまじ写真を確認した祐巳さんは、「ああ」と納得したような声を出す。
 
「笙子ちゃんも私を撮ってたんだ。うん、いいよ。よく撮れてるのばかりだし」
 
 予想通り祐巳さんは、勝手に撮っていたことに対して少しも怒っていなかった。それどころか照れくさそうな笑みで、掲載を快諾。これでこの写真たちは、学園祭の展示にも、要望があれば新聞部への提出も出来る。
 
「本当ですか!? ありがとうございます!」
 
 その答えを受けて、笙子ちゃんは心の底から嬉しそうな笑顔になる。
 それは本当に素敵な笑顔で。だから蔦子は、心のフィルムにそれを焼き付ける。
 チリチリ、チリチリと。
 ――心を焦がすほどに。
 
 

 
 
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