■第一話 『流れ流れて雪の国』 「お姉さま、起きてください」 「う……ん」 車の後部座席で、眠りこけていた祥子さまを起こす。 「もうすぐ着くそうですよ」 窓からみた景色は、雪化粧した山道。祥子さまがうっすらと目を開いて、辺りを確認するやいなや、「ああ」と呟いた。 「祥子、本当によく眠ってたね」 祐巳と祥子さまが座る座席の、もう一つ後ろから声を発したその人は、 「昔から長旅になると、移動中は寝て過ごすのよ。子供の頃とちっとも変わっていないわ」 助手席から上品に笑いかけたのは、祥子さまのお母さまである 祐巳たちを乗せた4WD車は、峠道からゆるやかに左折し、広場のような場所に入る。どうやらここが駐車場らしい。 「到着です。ロッジまで荷物をお運びしましょう」 運転手さんの声を合図に、祐巳はドアを開く。冷たい風が車内に吹き込んで、思わず身をすくめた。 「寒い寒い、祐巳ちゃん早く降りて」 「は、はい」 タラップから一歩踏み出した先は、もう一面の雪。ギュム、と音を立てて祐巳の足を受け止める、白い大地。 車道の方を見れば、タイヤにチェーンを巻きつけた車たちが、ゆっくりと山を登って行く。谷側を見れば、所々にロッジが見える。 ここはスキー場に程近い、山奥の別荘地。 さて、何故祐巳たちがこんな所にいるのかというと、話は数時間前にさかのぼる。 山百合会の合宿と称して 今思えば、二泊三日の合宿コースと言われたりとか、午前の早いうちに集合とか、そういう断片的な情報からこの展開を予想すべきだったのかも知れない。が、それは一先ず置いておく。 神社で初詣した後、 森のような庭を抜け、駐車場のような場所につき、そこで祥子さまと清子小母さまに出会った。大きな4WD車の前で、祥子さまから清子小母さまに紹介され、もう祐巳の頭はパンクしそうだった。 「それじゃ、行きましょうか」 「あの、 「言ったでしょ、合宿」 祐巳が今理解できていることと言ったら、少ない。まずいきなり祥子さまのお宅に連れて行かれた。そして着いてみれば、祥子さまとそのお母さまは車の前で何やら出掛ける準備をしている。そして、それについて行くと言われたのだ。 「どうしたの、祐巳。早く乗りなさい」 「あ、あの、お姉さま。これは一体何の合宿なんでしょう?」 「合宿? 「あっれー、言ってなかったっけ? スキー合宿」 「スキー合宿!?」 聞いてない。全然聞いてない。 祐巳がショックで立ち惚けていると、祥子さまと清子小母さまが解説を加えた。 「 「それで、最近使っていなかったロッジに行くことにしたのよ。可愛いお客さまたちを招けて、嬉しいわ」 後から そう、全ては 「私、スキー合宿だなんて聞いてません……」 「祐巳は凄く乗り気だと聞いていましたが、 「あー、ごめんごめん。連絡ミスだった」 両手を合わせて、片目をつぶる 「それで、祐巳はどうするの?」 「え?」 「聞いていないのに、無理に連れてはいけないでしょう。祐巳はスキー、嫌だった?」 祐巳はどうするの。 祥子さまの質問に返せる答えは、二つに一つ。行くか、行かないかだ。 そんなの、ここまで着ておいて引き返すわけにいかないじゃないか。それによくよく考えてみれば、別に嫌がる理由もない。むしろ祥子さまとなら、どこにだって行きたい。 いきなり祥子さまのお宅に訪問した挙句にスキーに行くよ、って展開には面くらったけど、考えれば考えるほど、楽しそうじゃないか。 「いいえ、行きます。スキーも嫌じゃありません」 祐巳は、スキーをやったことはない。小学校の低学年の頃、家族でスキーに行ったことはあるけど、祐巳はお母さんとソリで遊んでいただけだった。 祐麒はお父さんに教えてもらっていたけど、祐巳は全くの初心者。もし祥子さまにスキーを教えてもらえるのであれば、こけたら痛そうだなと思っていたスキーも、不思議とやる気になれた。 「そう、ならよかったわ」 そう言って祥子さまは、満足気に微笑する。祐巳が行くと言ったことに微笑んでもらえたのが嬉しくて、無為に笑顔がこぼれた。 「はいはい、それじゃ早く出発しよう」 と、そんないい雰囲気の間に投げかけられる声。 「…… 「祐巳ちゃん、何か言った?」 「いいえ、何でもありません」 笑ってはぐらかし、車に乗り込む。 かくして祐巳たちは、スキー合宿に臨むことと相成ったのである。 そしてたどり着いた別荘はというと、これまた典型的なロッジだった。 雪で半分以上が埋もれた階段の先に、ベランダと玄関。清子小母さまが鍵で扉を開けたのを見ると、住み込みの管理人がいるような別荘ではないらしい。 「さあ、どうぞ」 促されて、中に入る。低い位置にある、二段の上がり框。そこから広がるロビーは、リビングを兼ねているらしい。左手には暖炉とソファ。右手にはテーブルと椅子があり、その真ん中は観葉植物で区切られている。 「素敵なロッジですね」 「そう? 気に入ってもらえてよかったわ」 祐巳が目をキラキラ輝かせていると、祥子さまはほっとしたような笑みをこぼした。 「それじゃ、さっそくだけど部屋割りを決めようか」 そうこうしている間に、この二日分の食材を運んでくれていた運転手さんは、「明後日にお迎えにあがります」と言って去っていった。ちなみにいつもの運転手さんはお正月休みなので、この人は臨時の運転手さんである。 「またあとで、ロビーに集合ね」 一先ず荷物の整理でも、ということで、それぞれの部屋に散る。 玄関から真っ直ぐ進んだ所にある廊下の、突き当って左が祐巳の部屋だった。木目の鮮やかな扉を開けた先に広がったのは、やはり木製の机やベッド。お化粧台まで木製だ。 部屋の奥にある窓から外を見ると、もう夕暮れ時。朝早く出たから、何とか日がくれる前に着くことができたのだ。 それから祐巳は荷物の整理をしたり、部屋になにがあるかチェックしてからロビーに戻った。 「あ、祐巳ちゃんも紅茶飲む?」 暖炉の近くのソファでは、さっそく いつの間にか暖炉には火がついていて、背の低いテーブルにはティーポットとカップ。それと、どこから調達してきたのかバトンクッキー。足を組んで片手でに本を持ち、何だか自分の家ですってぐらいのくつろぎっぷりだ。 「それじゃ、いただきます」 「はいよ」 祐巳が 「ところで、 「ああ、これ?」 「さっき管理人さんがきて、置いていったの」 「管理人さん?」 「そう。ここら辺のロッジの管理をしているんだって。それで去年、この近辺で遭難者が出たらしいから、こういう本を作って配布してるんだってさ」 他にもこのロッジでの暮らし方とか、 「ところで、祐巳ちゃん」 「はい?」 「私のことを 「えっ? どうしてです? 「そうだけど、ここはリゾートなのよ、リゾート」 「はあ、それがどうしたんでしょうか」 「ここは学校じゃなくて、とってもプライベートな場所なわけ。そんな場所で『生徒会長』って呼ばれるの嫌じゃない?」 「それは、……そうかも」 確かに他の学校に置き換えて見れば、プライベートな旅先で『生徒会長』と呼ばれるのに等しい。 「じゃあ、何て呼べばいいんでしょう」 「私のお勧めは、『聖ちゃん』かな。『祐巳ちゃん』、『聖ちゃん』って呼び合うの、素敵じゃない?」 嬉々として話す 「せ、聖ちゃん」 「なーに、祐巳ちゃん」 試しに言ってみたけど、駄目だ。 「……聖さま」 「あ、何それ。ちゃん付けの方がいいのに」 「いえ、やっぱりケジメはつけないといけないかな、と」 それにいきなり祐巳が 「あ。そう言えば祥子さまは?」 「祥子は寝るって言ってたよ。晩御飯まで起きて来ないでしょ」 「……そうですか」 せっかく美味しい紅茶とクッキーがあるのに、ご一緒できないのが残念だ。ああ、そう言えば晩御飯の前にお菓子なんか食べていていいんだろうか。いや、そもそも晩御飯って、自分たちで作らなければいけないんじゃないか。 「あの、もしかして清子小母さまが、晩御飯を作っていらっしゃったり……?」 「うん。でも駄目だよ。どれだけ言っても手伝わせてくれないから」 「だからと言って、ボケっとくつろいでいる訳にはいかないでしょう」 「ボケっとしてるなんて酷いなあ。この本を読んでおけば、もし祐巳ちゃんが遭難しても助けられるかもしれないのに」 聖さまはそう言って、また「遭難した時のQ&A」をひらひらと振った。縁起でもないことを言うものだ。 「私、行ってきますから」 祐巳が急いで廊下に向かうと、「無理だと思うけどなぁ」と背中越しに聞こえた。そんなの、行ってみなきゃ分からないじゃないか。 廊下に入ってすぐ右にあるキッチンに行くと、聖さまの言う通り清子小母さまが晩御飯を作っていた。テーブルは食材で溢れ、コンロはフル稼働。一体何品作る気だろう。 「あの、清子小母さま」 「ああ祐巳ちゃん。どうしたの?」 「お夕飯を作っているんですよね? お手伝いさせて下さい」 「あら、それは駄目よ。ここでは祐巳ちゃんたちはお客さまなんだから、ロビーでくつろいでいてちょうだい」 「ですけど、ただのお客さんになるわけには」 「祐巳ちゃんって働き者なのね。いいわ、じゃあお料理ができたら呼ぶから、その時はお皿の用意をお願いね」 「はい、分かりました」 ビシッ、と敬礼しそうな勢いで返事をする。それじゃ晩御飯ができるまで待っているか、と廊下にでた所で、結局晩御飯を作る手伝いはできてないことに気付いた。 このままロビーに戻ったら、きっと聖さまに「ほらね」ってしたり顔で言われるに決まっているのだ。それはちょっと悔しい。 だから祐巳は、これを機会にロッジを探検してみる事にした。広いロビーから見た廊下の左側は、全て個室。右側は手前からキッチン、洗面所、お手洗い、お風呂、それに給湯用のガスや発電機のある部屋。ロッジは一階建てというのもあって、祐巳の探検は思いのほか早く終わってしまった。 仕方なくロビーに戻ると、そこに待っていたのは、やはりしたり顔の聖さまだった。 「ほらね、言ったでしょ」 「うー」 「あはは、子犬の真似してる。ほら、諦めて私と遊びなさい」 聖さまがテーブルの下に手を伸ばしたかと思うと、そこからオセロが姿を現した。こんなのどこにあったんだろう。 「私が勝ったら、祐巳ちゃんとの入浴券ゲットね」 「は、はい? なんでそうなるんですか」 「だって、賞品もなしにやったって楽しくないでしょ?」 「いえ、別に普通にやっても楽しいと思いますけど」 「よーし分かった。祐巳ちゃんが勝ったら、祥子と一緒にお風呂に入れるように、私が取り計らってあげよう」 「ちょっ、なんでそうなるんですか!?」 よーし分かった、なんて言っておいて、聖さまはちっとも分かっていなかった。 「何よ。祥子とお風呂入りたくないの? 二者択一です、はいお答えは?」 「えっと、……それは入りたい。ですけど」 「じゃあ決定ね」 ああ、どんどん聖さまのペースに流されていく。お姉さまと一緒にお風呂に入りたくない、なんて思うわけがないじゃないか。 「待って下さい。聖さま、自分から何か賭けようって言い出すということは、オセロに自信あるんですよね?」 「うーん、どうだろう。少なくとも負ける気はしないけど」 「なら、ハンデを下さい」 「ハンデ?」 聖さまは何でもそつなくこなしてしまう人だから、頭の回転力ではまず勝てない。だから、ハンデなのだ。 「よし、じゃあこうしよう。私が全勝すれば、私の勝ち。祐巳ちゃんが一回でも勝てば、祐巳ちゃんの勝ちね。後、四隅のマスは絶対に取らないって約束しようじゃないの」 祐巳は聖さまの言葉を聞いて、もの凄く後悔した。 だって、そこまでハンデをつけて勝つ自信があるんだから、相当強いってことじゃないか――と。
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