■ ひとりぼっちの瞳子 ※この作品の注意です。絶対に、マリみて最新作である「未来の白地図」を読まれて無い方は読まれないで下さい。 それから、この作品は内容が暗くてかなり思い込みの激しい一方的なものになっています。内容を一言で説明すると「絶望」です。ですから、そういったものが苦手な方は読まれないで下さい。 「……にならない?」 初めは、何を言われたのかさっぱりわからなかった。祐巳さまの最初の文字が頭から抜けていった。 「……は?」 だってそれは、あまりにも唐突で。それは、なんの脈絡も無く。それは、自分にとって生きてきた中で初めて言われた言葉であり。それは、自分にとって大きな意味のある言葉であり。 そしてなによりその言葉は、自分に対して最悪の裏切りだったから。 ばちん! その言葉の意味を理解したとき、瞳子の世界はいきなり電気のスイッチが切れたように真っ暗になった。いや、もしかしたらその世界はなにもない真っ白な虚無が広がっていただけなのかもしれない。 ……だけど、 (ふふ、もうそんなこと、どうでもいいですわ) そう、そんなことはどうでもいい。そうだ、そんなことはどうでもよくなった。 何故なら、先ほどの言葉によって瞳子の心はすべて吹き飛んだのだから。 (……くくっ) 瞳子の思考が吹き飛んでなにもなくなった後、ゆっくりと瞳子の奥底から最初は緩やかに。しかしそれはどんどんと勢いを増し、溢れてくる黒い靄のようなものが瞳子の心を真っ黒に染め上げ、やがて一つの意味へと形となっていく。 やがて混ざり合って一つの形になったそれは、憎しみ。それは、一片の紛れも無い憎悪という名のどす黒く地を這うような感情。 (…くくくっ…い・も・う・とに、ですって?……ふふ、おふざけも度が過ぎるというものですわね) 今の瞳子には、悲しみ、怒り、嫌悪、恨み、絶望、それ以外にも数え切れないほどの負の感情が踊り狂っている。 自分でもどうなっているのかよく分かってない。もう、コントロールなど出来ようもはずも無い。ただ、瞳子の身体と心の全てが言っている。目の前の人間に向かって大声でこう叫んでいる。 あなたが憎い、と。 (……ええ、祐巳さま。私はあなたが憎い。本当ならそんな言葉では全然足りないのだけど、他に相応しい言葉が無いのなら仕方が無いですわ) だが、目の前の人間はそんな瞳子の内心など知ったことでは無いかのように、さらに大間抜けとしか言いようがない言葉を投げかけてくる。 「私じゃだめ?」 その言葉に、そのあまりにも残酷な言葉に瞳子の心は砕けたかのような錯覚を、いや、もともと心など形あるものではないのだから実際に砕けたのかもしれない。本当に粉々になったのかもしれない。 心は、凍り付いたのだ。そして、砕け散ったのだ。この目の前の人のおかげで。 瞳子は、乾ききった唇を震わせるように口を開いた。 「祐巳さま……」 (……あなたは…あなたは相も変わらずおめでたいですのね。相も変わらず「お優しい」ですのね。ですが祐巳さま、分かってられるのですか? それは、決して優しさなのではありませんのよ) 今この目の前の人間がやっていることは、断じて優しさなどではない。断じて許せるものではない。絶対に許せない。許せない。許せないっ! あんな場面で、あんな話を聞いた後に、そのようなお言葉。 このお方はこのような時にでさえ、この松平瞳子を相手にこの方がいつもよくしでかす「おめでたい優しさ」をやった。こちらの気持などなんら斟酌もせず、その言葉を受ける方の気持などなんら考えもせずに。 つまり、この方にとって松平瞳子とは、その他大勢の人間となんら変わらないのだ。 (ふふふ。だからこそ、あのような「残酷な優しさ」を何の考えも無くしてのけたのでしょう? それを受ける人間の気持も知りもせずに) 欲しかったのは同情? 否。 欲しかったのはロザリオ? 否。 ではなんなのか、何が欲しかったのかと聞かれたら瞳子自身にもよくわからない。だけど、これだけははっきりと言える。欲しかったのは、断じてそんなものではない、と。 (そうよ。欲しかったのはそんなものじゃない。妹? ふん、同情なんかまっぴらごめんだわ。愛情? ふふ、こんな曇りガラスのような優しさを愛情と呼ぶのなら、それこそ粉々に砕け散ってしまえばいい。こんな、相手を全然理解してくれない…) そこまで考えたとき、瞳子は自分が何を求めていたかわかったような気がした。 そうか、自分はきっと理解して欲しかったのだろう。松平瞳子がどのような人間かを、松平瞳子が何を考えているのかを。松平瞳子が今、どのような気持でいるのかを。 ただ、わかって欲しかった。知っていて欲しかった。あなたには、ただ、あなたにだけは。 ……だけど。 (ふふ、所詮、夢でしたのね) そうはならなかった。このお方はこちらの気持など露も知らず、まるで、ああ○○ちゃんが困ってるぞ、とばかりにまた「いつものおめでたさ」で瞳子に接してきた。 どうやらこの方の目には、瞳子はロザリオという名のエサをものほしそうに見つめている可愛そうな野良犬のようにでも見えたのだろう。 (あらあら、どうやら祐巳さまには瞳子にシッポが生えていて、そのシッポをぱたぱたと振ってるようにでも見えたのかしらね。ええ、そうでもないとそのような寝言がでるわけありませんもの) 瞳子はこのようなものを望んで、あの時祐巳さまの家にお邪魔させてもらったわけではない。このようなふざけた結末を望んで、祐巳さまとお話しをしたわけではない。 (気の迷い……ええ、気の迷いでしたわ) すたすたすた 瞳子が止まったままでいると、祐巳さまがゆっくりと瞳子の方に近づいてくる。それを、瞳子はただ他人事のように見つめていた。 すたすたすた、ぱた。 やがて瞳子の目の前に立ったその方は、瞳子の内心をあざ笑うかのようにゆっくりと両手を己が首に掛かっている「もの」に手をかけて外し。そして、その外したものをゆっくりと瞳子の方に差し出してきた。 それは、鈍い銀色を放っていた。それは、その方にとって大切なもののはずだった。おそらくは、その方にとって掛け替えのないもののはずだった。その大切なものを、まるで哀れな野良犬に首輪を付けてやるかのように差し出してきた。 ……鈍い銀色の光を放っているロザリオを、瞳子の方に。 パキパキッ パッキィィーン… この瞬間、何かが、終わった。今、たった今、瞳子の中にあった何かが人知れず音を立て崩れ落ちた。それは、瞳子意外には誰にもわからない。瞳子意外には、誰も聞こえない。だけど、瞳子にはわかった。瞳子には、はっきりと聞こえた。その「想い」が砕け散る音が。その「想い」が上げた最後の悲鳴が。 (ああ、なんておめでたいのでしょう、このお方は。……いえ、おめでたいのは私も変わちませんわね。ふふっ) 己の唇が緩やかにカーブを描いているのを自覚しながら、瞳子はその唇を開いた。 「ありがとうございます。祐巳さまはなんてご親切なお方なのでしょう」 「え?」 瞳子がそう言うと、いわれた方はキョトンとした顔を浮べていた。 (あらあら、祐巳さまったら。まさか、この私が喜び勇んでお受け取りになるとでもお思いになってたのですか? 涙を流して「嬉しい」とでも言うと思っていたのですか? うふふ、あんまり人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいですわよ) 瞳子は優しく、祐巳さまの勘違いも甚だしいおめでたい考えを正してあげることにした。 「なんて、私が言うとでも?」 ピタッ 瞳子が優しくそう言うと、目の前の方はようやく己の間抜けさに気が付いたのか、その身体を凍り付かせたかのように止めていた。 (ふふっ、ようやく己のしでかした事にお気づきになったのですか? でも) だからといって、そうだからといって、たとえ百万言の詫びの言葉をもらったとしても許せるはずもない。 (もう、遅いですわよ。ええ、遅すぎますわ。残念ですが、あなたのお言葉は私には届きませんわ。……届かして、なるものですかっ) ここで、祐巳さまのお顔からすぅーと赤みが薄れていく。それは、ゆっくりと沈みゆく夕日のようにも感じられた。 まるで、先ほど瞳子の心の中に深く沈んでいった「福沢祐巳」という名の太陽と同じように。 太陽は沈んだ。ただ、この太陽は本物と決定的に違うことがある。それは、二度と昇ることは無いということ。二度と、瞳子の世界を照らすことはないということ。そしてそれは、もう二度と明けることの無い夜の到来を告げるということ。 永遠の夜。ただ月明かりだけが、いや、それすらも一つの星すらもない漆黒の闇の世界。生きとし生けるものすべてが凍りつく世界。 もう私には、福沢祐巳という太陽はいらない。だって、あなたはもう瞳子の心を照らさないのだから。 ぐしゃっ!! べちゃっ!! びちゃっ!! この時、まっ黒い色をした液体が瞳子を身体を塗りつぶしていく。それは一片の容赦もなく瞳子の全てを真っ黒に、完全な黒色に染め上げてくる。 (潰れて、しまえっ) もう瞳子の心にあった地図は、まだ未完だったけど色々な色彩に彩られた心の地図は、完成途中でいきなり真っ黒に塗りつぶされてしまった。もう二度とやり直すことのできない黒一色に塗りつくされてしまった。 他の色なら、あるいはやり直しがきいたのかもしれない。もしくは他の色を混ぜて違った色に出来たのかもしれない。だけど、黒にはどんな色を加えても黒。もうこれ以上は何も変わらない。未来は、瞳子の未来の地図はただの黒色に染められた。 (あははっ、いっそ清清しい。ええ、とても清清しいわ) だって、他の色はいらないから。瞳子にはもう必要ないから。ピンク? そんな色を加えても黒に勝てるわけない。水玉? 黒一色の地図に水玉など造れようが無い。 (そうよ。もうわたくしには福沢祐巳という変幻自在の色はいりませんわ。……もう、これ以上、あなたの色に惑わされません…っ) 瞳子はこれまで瞳子の心の地図に幾ばくかの彩りを与えてくれた人間に対して、決別の意味を込めながら言葉を紡いだ。 「申し訳ありませんが、私はセーラのようないい子じゃないんです。聖夜の施しをしたいのなら、余所でなさってください」 「瞳子ちゃー」 瞳子がそう言うと、目の前から何か言葉が返ってくる。だけど、瞳子にはもう関係ない。何を言われようが、何を呼ばれようがその言葉は決して瞳子の耳に入ってくることは無い。それはもはや、瞳子には意味の無いものだった。 (……ああ、そうですわ。あのような世迷言を言わせてしまったのはこちらにも責任があるのですから、謝っておかないといけませんわね。ふふ) 瞳子は目の前に人形のように突っ立ている人間に対して、最後にお詫びと別れの挨拶をすることにした。 「私が不用意なお言葉を聞かせてしまったことで、祐巳さまに気の迷い起こさせてしまったことは謝ります。とにかく、そのロザリオは受け取れません。戻してください」 瞳子は最後の挨拶を告げた後ぺこりと頭を下げ、最後に一度だけ、一度だけその目に焼き付けるかのように相手の顔を見据えた後、 「失礼します」 と「さよなら」を告げ、素早く身体を翻しその場を後にした。 ぱたぱたぱた ぱたぱたぱた 引き止める声も、追いかけてくる足音も聞こえることがないまま瞳子はあの場から足早に消えた。 いや、おそらく自分自身が消え去りたかったのだろう。あの場所から、あの人から、この世界から。 たったったっ・・たっ…た・・ぱた あの方から遠ざかった瞳子は足早だった歩みをゆっくりとし、やがて完全に立ち止まった。 心は…からっぽだった……瞳子の心は、からっぽだった。 先ほどまであれほど渦巻いていた負の感情もそこにはなく、ましてや喜びの感情などあるはずもなく、ただただからっぽ。 ……からっぽ? いや、少し違う。 からっぽだと思っていた瞳子の心には、その心の底には深い、それはあまりにも深すぎて自分自身にさえ自覚できなかったほどの深い喪失感があった。 だって、そうじゃないと、こんなにも心が凍えるわけがない。こんなにも、震えが止まらなはずがない。 (だれかっ、だれかっ) 叫びたかった。大きな声で叫びたかった。 理由など無い。そんなの解からない。だけど、叫びたい。子供のように大きな声で。 (……でも、そのようなことをしてどうなるの? なんの意味があるの?) そのようなことをしても、救いは無い。救ってくれる人間など、誰もいない。あるはずもない。 だって、救いの手はもう無いのだから。自分自身で断ち切ったのだから。 (……ふふ。ええそうよ、あんなもの、あんな救いの手など必要ありませんわ) 瞳子はもう、泣くことはできない。たとえ出来たとしても、絶対に泣いてやるものか。 だって、もし泣いてしまったら、あまりにもこの身が哀れだろう。あまりにも心がみじめになってしまうだろう。それだけは、それだけは絶対に瞳子の自尊心にかけてしたくなかった。 「……ふふふ」 ふと気が付くと、瞳子の口元から笑い声が漏れ出していた。自分でもどうしてだかわからずにその口からは笑いが漏れ、それは止まらなくなった。もう、止められなかった。 「くくくっ。おっ、おかしいですわっ、どっ、どうして、どうしてっ」 それはどんどんと大きくなり、やがて泣き笑いのようになっていった。 「あーっはっはっ。くっ、くくく…うっうっ」 ![]() つー、と、瞳子の瞳から液状のものが止めどなく溢れてくる。その熱い熱をもった液体が出るさまは、瞳子の体温のみならず心の温もりさえ奪っていくようだった。 瞳子はそれを拭うこともなく、ただ流れるままにしていた。 「・・・うううっ…ううっ・・」 ああ、そうだ。全て流れてしまえばいい。この瞳子に残っているものを、すべて流し出してしまえ。 瞳子は身体を締め付けてくる絶望感に、それ以上は堕ちようのない絶望の淵に自らの身をゆだねた。 もう、何もいらない。 もはや、瞳子には何も残っていない。 その言葉は、正確ではないのかもしれない。何もないわけがない。そんな人間がいるはずがない。そんなのは、いるとしたら死人ぐらいだ。 だけど本来であればありえないそれは、今の瞳子には、限りない真実。 瞳子は、むろん死人などではない。でも、同じこと。 だって、今の瞳子は、優しさを、否定する。愛を、拒否する。温もりを、受け入れない。 すべてを、拒絶する。なら、死人と同義。 「あーっはははっ。くーっくっくっくっ…」 ようやく「笑い」終えた瞳子は、笑いすぎて流した涙を持っていたハンカチでぐいと拭うと、今度こそその歩みを帰宅の路に向けた。 ひゅうー さっきまではあれほど冷たく感じた風が、今ではなにも感じなくなっていた。 むろん、いきなり気温が暖かくなったわけではない。いくら温暖化が進んでもこの時期が暖かく感じることなどありえない。 ひゅおおー そんな瞳子に対抗するかのように、冷たい突風が容赦なく瞳子の小さな身体に吹き付けてきた。 だけど、それでも瞳子には冷たいと感じない。何も、感じることなどない。 (寒い? ふふ、このような風など、「寒い」に値しませんわ) たとえ体が冷たいと感じていても、それを瞳子の心が自覚することありえなかった。 (ああ、なんてこの世界は、わたしの世界はこうも暗いのかしら?) だって今、この世界で瞳子の心よりも冷たいものなどありはしないのだから。 終わり
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