真夏の今日、二つの映える薔薇達
 
 
執筆:T(あったりなかったりWeb

 
 ギシ・・・ギシ・・・。
 月明かりがうっすらと祐巳の視界を照らす。
 古くは明治の頃から数多のお嬢様たちを見つめ続けてきた木造校舎を、こんな風に歩いている生徒は歴史あるリリアン女学園と言えども恐らくは自分達が初めてだろう。
 マリア様も、もしかしたら呆れているかもしれない。
 それでもいい。今日だけはマリア様にどう思われても構わない。
 だって今日は本当に特別な夜だから。
 歩くたびにギシギシと悲鳴を上げる古びた廊下。その足音は二人のもの。
 別に幽霊が憑いてきている訳じゃない。元々、このリリアン女学園にそんなものが居るなんて事はありえないし、それにほら、祐巳の手を握る手の平は驚くほどに温かい。勿論夏だから暖かいのは当然で、でもそれだけが理由では絶対ない。
 祐巳は微笑を堪えて横を盗み見た。
 やっぱりこんな時でも強がっている。
 温もりと密かな震えの先の主は、誰であろう小笠原祥子様なのだった。
 
 
 
 
 
「真夏の今日、二つの映える薔薇達」
 
 
 
 
 
 それはもう夏休みも中ごろに入って、陽射しが爛々と射し込む日のことだった。
 うっすらと額に汗を滲ませた祥子様は、祐巳を疑るような視線で覗き込んできた。ああ、視界一杯に映るお姉さま。少し幸せ。
「もう一度、言って」
「は、はい。あの」
 そんな場合じゃないけれど。祐巳はそんなお姉さまの眼差しに少し腰を引かせながらも何とか答えた。
「私と由乃さん、それに乃梨子ちゃんで企画しました。題して『山百合会、夏の納涼肝試し大会inリリアン女学園』って言うんですけど。やっぱり名前長すぎですか?」
「そんなことはどうだっていいの。私が聞いているのは、何でこの忙しい時期に、しかも肝試しをするのかという事なの」
「それは、その」
 祐巳の本音の一つを言えば、夏休み前半を使っての小笠原家の別荘訪問以来イベントらしいイベントも無くて、祥子さまと少しでも思い出を作りたいんです、というのもあるけれど。もう一つの動機に関しては今現在祥子さま達には絶対秘密なのだ。
「早くおっしゃい」
「あの、その」
「単に夏の風物詩ですよ、祥子さま」
 返答に窮していた祐巳を横から救ってくれたのは由乃さんだった。
 流石は座右の銘が「先手必勝」。密かに祐巳にウインクをする仕草が何ともにくいじゃないか。
「由乃ちゃん、貴方も分かっているでしょう?なんで私達が夏休みだというのに学校に来ているか。今はそれどころではないでしょう?」
 それでも小言を続ける祥子さま。でも由乃さんも負けてない。むしろ思いっきり可愛らしい笑顔で答える。
「でも、令ちゃ・・・じゃない。私のお姉さまは喜んで了承して下さいましたよ?」
 そこで思い出し笑いをして由乃さんは「少し時間は掛かりましたけど」と付け加えた。見れば三人の向こう、机を隔てた席で紅茶を飲んでいた令様が思いきり肩を落としていた。
「令は由乃ちゃんには敵わないのでしょう、まったく」
 既に陥落した親友を横目に祥子さまは溜息をついた。
 どうやらお姉さまは梃子でも動きっこない御様子。なので祐巳はシャベルカーを持ち出すことにした。前薔薇様直伝の殿下の宝刀。ごめんなさい、お姉さま。
「もしかして、お姉さまはこういうの苦手なんですか?」
「なっ!?」
 今度は祥子さまがぐっと体を引いた。その一言の効き目は文字通り目にみえた。
「べ、別に!わたくしはそんな余興なんか全然怖くないわ。馬鹿にしないでちょうだい」
 思ったとおりの強気の発言。でも言葉とは裏腹に祥子さまは体中でいやいやと言っている。それでも何とか不機嫌を装ってつんと横を向くお姉さまがあんまり可愛くて。失礼だけど少し笑ってしまった。
 祐巳は知っている。こうなったらお姉さまは絶対に引きはしないってことを。
 なんと言っても小笠原祥子さまの本質は、負けず嫌いで天邪鬼なんだから。
「いいでしょう、肝試し。私もそんなイベントがあってもいいかなって思っていた所でもあるし」
 さっきとは明らかに矛盾している発言にも気づかないで祥子さまは勢いのまま承諾して、そのまま椅子に腰を下ろした。
「あ、お姉さま。紅茶を淹れますね」
「・・・そうして」
 疲れたように山百合会の作業に戻ったお姉さまを見て、ほんの少し罪悪感を感じながらも冷凍庫から氷を出していると、由乃さんが横で同じく令さまのもの思われるカップに紅茶を淹れなおしに来た。
 小声で祐巳を突っつく。
「上手くやったじゃない」
「うん。ちょっと複雑な心境だけどね」
「別に悪さをしようって訳じゃないじゃない。祐巳さんったらまだ祥子さまに気を使いすぎ。私なんか『承諾してくれないなら令ちゃんの部屋で徹夜で怖い話する』って言ってやったんだから」
 ・・・多分、そんな由乃さんが一番怖い。
 と、そこへビスケット色の扉が音をたてて開いた。
「遅くなりました」
「ごきげんよう」
 現れたのは白薔薇の姉妹。志摩子さんと乃梨子ちゃんの和洋お人形コンビ。
「二人とも遅いわよ」
 そんな二人を祥子さまが低い声で出迎えた。でも、この二人もそんな事では怯みもしない。
 志摩子さんは少し面食らったようだったけれど、すぐにいつもの祥子さまのヒステリーと読んだらしく「申し訳ありません」といっそ優雅に席に着くし、乃梨子は祐巳を見て意味ありげに微笑んで、志摩子さんにお茶を淹れる名目で薔薇の蕾二人に近づいてきた。
「どうやら上手くいったようですね、祐巳さま」
「うん、何とかね。乃梨子ちゃんは?」
「勿論、抜かりはありません」
 余裕の表情の乃梨子ちゃんを見て、由乃さんもニヤリと含み笑い。
「ふふ。二条屋、お主もなかなかの悪よのう」
「いえいえ、島津さまには適いません」
 二人して時代劇の悪役って、何やってんだか。祐巳は苦笑してお姉さまの紅茶を運びにいった。
 
*        *        *
 
 ギシ・・・ギシ・・・
 変わらず悲鳴を上げているような廊下の軋み。
「ゆ、祐巳。平気?怖かったらもっと寄り添ってもいいのよ?」
「はい、お姉さま」
 祥子さまが催促するので祐巳は素直に従った、なんて。祐巳が寄り添わなくても既に祥子さまの手は祐巳の腕を掴んでいるし、体もほとんど密着している。腕に当たる胸の豊かな膨らみが何とも、ってこれじゃただの変態さんだ。・・・とは言え。
「さっき、何か音がしませんでした?」
 そう言うと、ぎゅっ。
「あれ、何か白いものが?」
 ぎゅっ。
「お姉さま、あの苦しいでふ」
 ぎゅっ。
 ちょっと。いや、かなり幸せかもしれない。
 それにしても祥子さま。怖い話とか肝試しとか苦手そうだとは思っていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。でも、この後のことを考えると喜んでばかりもいられない。
 祐巳は現在位置を確認する。既にコースも中盤を越えていた。コースと言っても、単にマリア様のお庭からスタートして、校舎に入って音楽室や理科室、トイレの前を通って、体育館のステージに前もって置いた薔薇の造花を取って、本部である薔薇の館に帰ってくるという典型的な肝試しコースなのだが。
 音楽室ではピアノの音は聞こえなかったし、ロサ・カニーナも居なかった。ベートーベンもバッハも目は光っていなかった。でも、祥子さまは祐巳が連弾に誘っても絶対に首を縦に振ってはくれなかった。
 理科室だって、そもそもリリアンには人体解剖図もホルマリン浸けのカエルもないのに祥子様は頑なに中に入るのを拒んだ。
 トイレに至っては近寄っただけで引き返してしまった。曰く「トイレを見て何が楽しいの?」だって。強がりを通り越して無茶苦茶だけど、そこは祥子さま。頑として受け付けなかった。
 気がつけばあとは体育館にある造花を取りに行くだけになっていた。
 ちなみに順番は、紅、黄、白薔薇の順で、それぞれ五分おきにスタートしている。
 祥子様は変わらず平気を装っているけれど、消火栓の赤いランプを見ただけで腰が引けているのが分かる。
 勿論、実は祐巳だって別に平気な訳じゃない。むしろお化けとか怪談とかは大嫌いだ。でも、それでも今回だけは例外中の例外で。
 祥子さまが隣にいるし、それに・・・。
「後は、体育館の薔薇の造花だけね。ほら、何ともないじゃない」
 体育館への渡り廊下を目の前にして祥子さまは安堵の息をついた。そう、後は造花を持って帰るだけだから。
 あの子ならここで安心するだろうって、祐巳はそう聞いていた。
 今日は月明かりが眩しくて、外は意外にも明るかった。
 体育館の窓にもその光は射し込んで、中は暗闇ではなく薄くライトアップされた空間にようだった。
 ステージの造花の薔薇が、まるで本物のように輝いているのが見える。
 祥子さまを見た。安心しきっている横顔。もう大丈夫と言っているのが分かる。瞬間、祐巳の心の奥にあった罪悪感が前触れも無く一気に溢れ出した。
「お姉さま、あの、実は!」
 その言葉が喉まで出掛かったところで、祐巳は祥子さまの肩越しに見えるものに何も言えなくなった。
 トントン、という軽く肩を叩く音。
 ビクっという反応。祥子さまはまず祐巳を見た。悪戯は止めなさい、という顔だ。
 でもお姉さま、私の腕は先ほどからずっとお姉さまに握られっぱなしで。それで・・・。妹の言わんとしている事を、聡明な姉はすぐに気づいてしまった。自分が握る祐巳の腕を見て、まず疑惑。次に困惑。そして倒錯。最後に蒼白。
 トントン、という軽く肩を叩く音。
 は祥子さまの悲鳴に掻き消えた。
 
*        *        *
 
「祐巳ちゃん。実は貴方たち、薔薇の蕾にお願いがあるのよ」
 今からもう何日前だろう。
 陽の当たるカフェテリアの一角で、祐巳にそう仰ったのは水野蓉子さまだった。山百合会の自主登校が始まろうという矢先、話があると連絡を頂いたのだ。
「お願い、ですか?」
 冷たいオレンジジュースから延びるストローをくわえて祐巳は聞き返した。
「そう、実はね」
 蓉子さまは何時になく真面目な面持ちで切り出す。祐巳は思わずジュースをゴクリと飲み込んだ。なんと言っても蓉子様からの直々のお誘いというだけで緊張しているというのに、加えてお願いなるものがあるというのだから。
「肝試し大会を開いて貰いたいのよ。それも山百合会で」
「へっ?」
 真剣な眼差しのまま蓉子さまはそう言って、祐巳は思わず椅子から転げ落ちそうになった。そして何よりさっきジュースを飲み込んでおいて良かったと思う。もし口に含んでいたら今頃鮮やかなオレンジの水飛沫が蓉子さまのお顔に掛かってしまっていただろう。
「お願いできる?」
「できる?と言われましても・・・」
 祐巳は蓉子さまを盗み見た。表情はさっきよりも柔らかくなっているけれど、依然としてふざけている様子はない。
「一体、どういうことなんですか?いきなり肝試しなんて」
「ああ、ごめんなさい。私の悪い癖だわ。説明なしに話を進めてしまうのは」
 蓉子さまは自分のコーヒーを咀嚼して、一息入れた。
「実は、少し前に江利子と聖にあってね。そこでちょっとした思い出話が始まって」
「そこで肝試しが?」
「最初は、単に祥子は意外にそういうのに弱いのよね、とか。令は想像通りに弱いのよね、とか話していたのだけれど。じゃあ志摩子はどうなのかとか。祥子と令はどちらが怖がりなのかとか言い合いになって」
「はぁ」
 その場面は思い浮かべやすかった。三人とも完全に面白がっている。
「そうなったら実際やってみましょうって事になってね。それに、そのイベントを通して私たちと祐巳ちゃんたちスールの代にもっと交流が出来ると思ったの。例えばこんな風にね」
「そう、ですね」
 確かに。そういう話が無ければ夏休みに蓉子さまと二人でお出かけ、なんて事は絶対になかったろう。
「それに聖なんか、やっと孫が出来たと思ったら卒業後でしょう?構いたくても、そんな立場には無いし、特にあの子の性格なら尚更ね」
 蓉子さまは改めて祐巳をまっすぐ見た。
「お願いできる?他の二人には、それぞれのおばあちゃんが伝えている筈だから」
 そんな。そうとあっては断ることは出来ないでしょう。大好きな蓉子さまの為に一肌でも何でも脱ぎましょう、と思った祐巳だったがそこでふと気づいた。
「あの、それで蓉子さま達は?」
「ああ、それなんだけれどね」
 蓉子さまは祐巳の耳元で計画を囁いた。
「ひえ」
 その内容はかなり危険だと思う。そんな顔をしていたのか、祐巳を見て蓉子さまは微笑んだ。
「大丈夫よ。これはあくまで余興。祥子には後で私から話すから」
「うーん」
 祥子さまを射んと欲すればまず祐巳を射よ、なんて。でもやっぱり少し抵抗がある。
「思い出、作りたいでしょう?」
「うー」
 悩む祐巳を見るよ蓉子さまは不自然なくらい笑顔だった。
 ちなみに由乃さんも乃梨子ちゃんも最初こそ抵抗があったものの、あの手この手で言いくるめられて、最後にはむしろ熱心になってしまった。
 恐るべし前薔薇達。適わないなあ、と祐巳は改めて思ったのだった。
 
*        *        *
 
「いやあああ!!!」
 という祥子さまの叫び声が聞こえた瞬間、由乃は狼煙が上がったことに気づいた。紅薔薇は既に状況が開始されているらしい。
 とすると、こっちもそろそろだろうか。
 黄薔薇はちょうどトイレに差し掛かった所である。今までの令ちゃんの様子はと言えば、あんまりにも情けなくて説明する気にもなれない。敢えて表すならば、ガタガタブルブル。
 まったく、なんて怖がりかしら。
 いや、勿論当初の計画ではその姿を見ようという事になっているのだから、決して間違ったリアクションではないけれど。いくらなんでも限度ってものがあると思う。
 ふと、由乃はさっきから令が黙っていることに気づいた。さっきまで事ある毎にギャーギャー言っていたのに。
「さっきの叫び声、祥子さまのよね。意外」
「・・・」
「ちょっと令ちゃん?」
「・・・た」
 か細い声。だから聞こえないって。
 由乃が悪態をつこうとした瞬間、令によってそれは阻止された。思い切り抱きしめられたのだ。
「うぐっ、って令ちゃんちょっと!」
「出た出たんだよ!絶対出たー!もういやあ!!」
「ちょっと落ち着いてってば!」
 二人の対格差は比較するまでも無い。加えて今の令は明らかに我を見失っている。
「帰ろう!ねえ、由乃もう帰ろうよ!」
「だから、ちょっとそんなに体重掛けられたら!あ、令ちゃっ・・・!」
 由乃の視点がぐるんと反転した。
 全てが逆向きの世界。気を失うその寸前に、トイレから飛び出てくる人影を見た気がした。
 
*        *        *
 
 祥子さまの悲鳴と令様の鳴き声が校舎に木霊して、また周囲には静寂が訪れた。
 どうやら紅薔薇、黄薔薇ともに本当のクライマックスを迎えたようだ。
 乃梨子は理科室の前で立ち止まった。
 そろそろ白薔薇のチェックポイントだ。
 突然立ち止まった乃梨子に、志摩子さんは微笑む。
「乃梨子、あの」
 いや。ただ微笑んだのではなく、照れ隠しの微笑み。気づいたら乃梨子の手はがっちりと握られていた。今までは割りと平気そうにしていた志摩子さんも、さっきの薔薇様達の悲鳴を聞いて少し不安になったようだ。
 全く、その反応まで全部計画通り。それが少し気に入らない。まるで「志摩子のことは私が一番知っている」と言われているみたいで。
「薔薇様の悲鳴。ああ、録音しておくべきだったかも」
 悔しさ紛れに自分でも馬鹿だと思うことを言ってみる。
「何かあったのかしら?」
「本当に出たとか?」
 実際、出たには出ただろうけど。
「まさか」
 苦笑する志摩子さん。知らず握る手に力が籠もっている。
「志摩子さん、こういうの苦手?」
「得意ではないわね」
「でも、家はお寺だし、お墓だってすぐ近くにあるじゃない」
「そう言われればそうなのよね。今まで当たり前すぎて意識していなかったけれど・・・」
「そんなものかなあ」
 答えながら乃梨子は後ろに気配を感じた。
 それはここで来るという事を知っていたから気づけた密かな気配だった。
 志摩子さんもやはり悲鳴を上げるのだろうか。それとも意外に平気だったりするのか。どちらにしても複雑な心境のまま、それは二人のすぐ後ろまで来た。
 来たぞ。ごめんね、志摩子さん。
 次の瞬間、ぐいっという首を引っ張られるような衝撃に襲われた。
 乃梨子が。
 
*        *        *
 
「・・・で?」
 祥子さまの視線が痛い。
「どういう事なのか説明していただけますか、お姉さま方。祐巳」
 ひえって怯む祐巳とは違い、蓉子さまは悠然とテーブルに腰掛けている。
 場所は薔薇の館。さっきまで震えていた祥子さまも照明という光の下ではいつもの貫禄を取り戻していた。
 仕掛けは至って簡単で。要するに現三薔薇様を前三薔薇様が脅かすというだけ。
 つまり三薔薇様へのドッキリ企画だった訳だ。
 幽霊の正体見たり蓉子様、とか。一時はパニック状態に陥っていた祥子さまだったけれど、その正体が蓉子さまだったと知るや否や、怒るやら懐かしむやら嬉しがるやら、やっぱり怒るやらで大変だった。
 三薔薇さま達は一応お化け役という事で、皆それぞれ頭に角なんか乗せている。暗闇では不気味に映るけど、こうも明るい場所だと少し間が抜けている気もする。
「酷いですよ、お姉さまも、由乃も!」
 半泣き、というかもうボロボロ涙を流して令様が叫ぶ。由乃さんは頭に濡れたひよこハンカチをあてて愛想笑いしている。江利子さまはどちらかと言えば不機嫌そうだ。
 何でも半狂乱した令さまに圧し掛かられ頭を打った由乃さんが気を失って、実際、江利子さまは二人を驚かす以前にそれどころでは無くなったらしい。「せっかく楽しみにしてたのに」と頬を膨らませていた。
「もう、お姉さまも乃梨子も少し冗談が過ぎます」
 恥ずかしそうに俯くのは志摩子さん。その前には先ほどから聖様に抱きしめられている乃梨子ちゃんがあたふたと説明している。
「って、聖さん。なんでさっきから私に抱きつくんです!それにさっきも!」
 聖様はそれに悪びれもなく「いいじゃん、どうせ騒ぎたいだけなんだし」とか言っている。この人もお変わりないようで。
「お姉さま、聞いていますか?」
 祥子さまの怒声。祐巳は一目散に蓉子様の後ろに隠れた。これぞ忍法狸隠れ。
「いいじゃない、貴方も楽しかったでしょう?祐巳ちゃんといっぱいイチャイチャできて」
 流石は蓉子さま。祥子さまに面と向かってこんなことが言えるのは、やはりこの人達だけなのだろう。
「楽しくありませんわ。むしろ悪趣味です。人を驚かして」
「でも貴方、確か『こんな余興もいいかな』って言ったらしいじゃない?」
「それは・・・。もう、祐巳!」
 狸隠れ狸隠れ。
「祐巳ちゃんを責めるのはお止しなさい。これは私達が計画したのだから」
「それは、そうかもしれませんが・・・」
「ねえ、祥子」
 蓉子さまはとどめの一言をぶつけた。
「私は。いえ、私達はとても楽しかった。確かに理不尽かもしれないけれど、これが私の今の率直な意見。お蔭で良い思い出が出来た。やっぱり私は貴方が大好きよ。勿論、祐巳ちゃんも、みんなもね。今日は本当にありがとう」
「そんな、お姉さま」
 祥子さまの弱点。それは逆に素直になられる事。ほら、祥子さま素直じゃないから。
 
*        *        *
 
 月が綺麗な夜だ。
 やっと静けさの戻ったリリアン女学園。
 銀杏並木の葉が、緑から黄色へと移り変わろうとしている。その中を歩くそれぞれの薔薇達。
 隣を歩く祥子さまを祐巳は見た。目が、合う。祥子さまも祐巳を見ていたのだ。
「あの、祥子さま」
「なに?」
「今日は本当にすみませんでした」
 祐巳がペコリと頭を下げると、祥子さまは小さく吹いた。
「もういいわ。それに確かにいい思い出にもなったし。今日のことは絶対忘れないでしょうね」
「何か含みを感じますね」
「それは貴方が後ろめたく感じているからよ」
 祥子さまは今度こそ本当に笑った。
「確かに、最近こうして貴方と話した機会も無かったことだし。お姉さま達と会えたことも素直に嬉しかった」
 二人の前では未だ嗚咽を漏らす令さまに、頭を押さえながらそれを慰める由乃さん。横では聖さまに抱きしめられている乃梨子ちゃんが般若心境を唱え、志摩子さんがそんな二人の手を優しく握っている。蓉子さまと江利子さまはそんな皆の様子を楽しそうに眺めている。
「祐巳が最初に動機を言い渋ったのはこういうことだったのね」
「それだけじゃありません」
「祐巳?」
「もう夏も終わります。だから、それまでに少しでもお姉さまとの思い出がほしかったんです」
 二人の最後の夏。
 もう一生、この銀杏並木をこうして歩く夏はこない。
 祥子様はきょとんとして、祐巳の頭を優しくなでる。
「馬鹿ね。そうならそうと早く言えばいいのに」
「え?」
「いいじゃない。思い出つくり。私、そういうの好きよ」
「祥子さま!」
 夏が過ぎて、秋が来る。そんな当たり前のことに哀愁を感じていた自分。でも、そんなの祥子さまの言葉を前にしたらなんでもない。ああ、私はなんて単純なんだろう。
 それでもいい。今、この時がきっと一番輝いているから。
「では早速、明日から家に来なさい。わたくしがしっかり勉強を見てあげる」
 ・・・・・・・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・。
「あの、祥子さま?」
「貴方の事だから、まだ宿題を溜め込んでいるのでしょう。いい機会だから、今のうちに全部やっておきなさい」
「に、忍法狸隠れの術!」
「誤魔化しても、無駄よ?」
 逃げ出す祐巳。追いかける祥子。いつの間にか全員が銀杏並木を駆けていく。
 並木道に落ちる長い影を、マリア様がみつめていた。
 
 
 
 
<あとがき?>
 Tです。これはパラソル指しての後の話、つまり結構前の話です。個人的にはこの辺りが一番好きでした。題名はですね、言葉遊びです。かなり無理ありますが。SS久々に書いて楽しかったです。ではでは、ご愛読ありがとうございました。
 
 
 
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