あなたの大切な人でいたいから
 
 
執筆:ひろ(ひろのコトバ

 
Part.1
 
志摩子さんの家にお邪魔するのは、もう何度目だろう。最初は弥勒の仏像を見に来て、あのときはほんとにびっくりした。でもあの日がきっかけとなったのだから、やっぱりマリア様に感謝すべきなのだろう。だって今では志摩子さんとこんなに仲良くさせてもらっているんだもの。今日も志摩子さんの家にお泊り。しかも手料理までごちそうさせてくれるって。もう胸が高鳴ってとまらない。
「乃梨子、いらっしゃい。」
「ごきげんよう、志摩子さん」
いつも通りの挨拶なのに、なんだか照れくさくって言ったら恥ずかしくなった。あぁ、私は世界で一番幸せだ。今日も志摩子さんに会える。しかも学校と違って今日志摩子さんを独占できるのは私ひとり。そりゃあ胸が高鳴るのも無理はない。
「乃梨子、何が食べたい?」
「志摩子さんの得意な料理が…」
と言いかけてはっと気づいた。浮かれててつい言葉が先走っちゃったけど、銀杏やユリネばっかりでてきたらどうしよう。ここはやっぱり定番で…。
「肉じゃがが食べたいな。」
「うん、分かったわ。じゃあちょっとこの部屋で待っててね。」
そう言われて案内されたのは志摩子さんの部屋。ふぅ。ちょっとした危機を乗り越えた気分だ。
 
Part.2
 
志摩子さんが肉じゃがを作りにキッチンに向かったので、部屋にいるのは自分ひとり。なんていうか、とても志摩子さんらしい部屋。机の上はきれいに整頓されていて、本棚にあるのも教科書や参考書ばかり。「部屋で待っててね。」と言われてもこうも何も無い部屋では…。
「あれ、これは…。」
棚にあったのは小さな写真立て。中に写っているのは、志摩子さんと、その志摩子さんよりちょっと背が高くてリリアンの制服を着た女性。それだけだったらまだ気に留めなかったかもしれないが、どこか心に引っかかるのは、その女性が志摩子さんの肩に手をまわしていて、志摩子さんもうれしそうに少しだけれども寄りかかっていたこと。
「なんで…志摩子さん…。」
 これはひょっとしていわゆる「お姉さま」って人だろうか…。
「志摩子さんにもお姉さまがいたんだ…。」
 心の中でグサッという音がした。何の確証も無いのだけれど、一度頭の中でまわりだした嫌な妄想は、次々と自分の心に刃を向けてくる。このお姉さまは何度この家に来たのだろう。そもそもどういう出会いをして、どんな付き合いだったのだろう。そして何より、志摩子さんにとってこの人がどういう存在だったのか、どんな感情を抱いていたのか。次々と浮かんでくる疑問は、何一つとして私を安心させるものではない。それどころかますます不安を増長させ、胸が締め付けられるように痛い。
 と同時に、心の中でどす黒い感情が浮かんでくる。真っ黒で、独占欲に染まった、他者を寄せ付けない感情。
(この写真、破ってやりたい、真ん中から真っ二つにっ!)
嫌な感情だ。完全に私が嫉妬しているだけで、志摩子さんの大切な記念を壊そうとしている。震える指先で写真立てから写真を取り出す。今、私はとんでもないことをしようとしている。
(いいんだ、だってお姉さまがいるって言ってくれなかった志摩子さんが悪いんだから。私だけを見てくれない志摩子さんが悪いんだからっ!)
「こんなもの、志摩子さんは渡さないんだからっ!」
写真の上端を両手で持ち、力を込めて破こうとしたそのとき。
「乃梨子、しばらく煮込むから時間あいちゃって…」
扉を開けて志摩子さんが入ってきた。写真を破こうとした体勢そのままに、固まってしまう私。そしてそんな私を見て志摩子さんも固まってしまった。
 
Part.3
 
 部屋に嫌な空気が流れている。料理も一旦中断して、火を止めて志摩子さんが部屋に戻ってきた。どうやら料理はまだできていないけれど、煮込みのちょっとの時間でも私に会いに来てくれたようだった。なんて優しいのだろう。それに比べて私は…。
(最低だ。勝手に独りで嫉妬して。本当に志摩子さんのことが好きなのなら、「志摩子さんの大切な人」も大切に思うべきなのに。)
「その写真はね、私とお姉さまが二人だけで写っている数少ない写真なの。」
沈黙を破るように志摩子さんが言った。
「乃梨子、ちゃんと言っておかなかった私も悪いわね。」
「そ、そんなこと、志摩子さんは悪くないよ。悪いのは全部私で、独りで突っ走って…。」
「いいの、乃梨子。聞いてちょうだい。大事な話。」
「はい…。」
「乃梨子、その一緒に写っている人は、私のお姉さまなの。お姉さまは私にたくさんの愛情をそそいでくれた。今の私があるのはお姉さまのおかげなの。」
愛情という言葉にびくっと体が反応してしまう。
「そう、なんだ…。」
「でも誤解はしないで。確かにお姉さまと過ごした日々は、孤独だった私に一緒に生きていく“仲間”を与えてくれた。そういう意味で、今の私があるのはお姉さまのおかげ。でもね、乃梨子。私を本当の意味で囚われた鎖から解き放ってくれたのは、乃梨子、あなたでしょう。舞台をお膳立てをしてくれた“仲間”という存在も大きいけれど、勇気を持って主役を演じてくれたのは、乃梨子なのよ。」
「志摩子さん…。」
やっぱり優しい。志摩子さんは私にとって大切な人だ。優しくて、励ますのが上手で、私にたっぷりの愛情をそそいでくれる。それに比べて私は…。
「志摩子さん、私、私ね、すごい嫌なことをしようとしてたの。もうちょっとで志摩子さんの大切な記念、壊すところだったの。」
「未遂、だったのでしょう。」
「ううん、それでもやろうとしたことに変わりはないもの。ごめんなさい、何度言っても許してもらえないかもしれないけど、ごめんなさい…」
「大丈夫よ、乃梨子。」
「だめだよ、志摩子さん。私、すごく汚い人間だよ。嫉妬深くて、独占欲が強くて、志摩子さんの過去まで踏みにじろうとして。志摩子さんは、わ、私なんかと付き合っちゃいけないんだよっ。」
自分自身の言葉に涙があふれてきた。あぁ、何もかも、終わっちゃったな。涙であふれる瞳で正面をみたら、マリア様が悲しそうなお顔で立っていた。そうだよね、私、罰をうけなくっちゃ。
「志摩子さん、お願いがあるの。」
「何かしら。乃梨子の望みなら何でもかなえてあげたいわ。」
「目をつぶって。それから右手の力を抜いていて。」
「こうかしら?」
そっとマリア様の右手を取った。力を抜いてもらったその手を、そのまま肩の高さまで挙げる。そして、私の左頬に力いっぱいぶつけた。
“ぱちぃーんっ”
一瞬の出来事に、人間に戻った志摩子さんが叫び声をあげる。
「乃梨子っ!なんてことしたのっ!」
まだじんじんと痛む左頬がなぜだかとても心地よい。
「いいんだよ、志摩子“さま”。私は罪深い子羊だから。」
「乃梨子っ!怒るわよ!」
既に怒っている志摩子“さま”は、目に悲しみの涙を浮かべながら、これまで見たことの無い形相で私を正面からにらんでくる。
「なんでこんなことしたのっ!」
「だって、私は罰を受けなくっちゃ。私の心は汚れていて、欲深く、自分のわがままばっかり考えてる。今日だってそうなんだよ。今の志摩子“さま”があるのはいろんな人との出会いがあってこそなのに。それすら否定して、独占欲だけで動いてる。ほんっとに私って心の狭い最低な…」
唇に何かが触れた。志摩子さんのひとさし指だ。反射的に口を閉じてしまう。
 
「私の大切な人の悪口を言わないで。」
 
全身を電流が走り抜けていった感覚に襲われた。口だけじゃなく、体全体が志摩子さんのひとさし指一本に動きを止められてしまっている。
 
「誰であろうと、私の大切な人の悪口を言うことは許しません。」
 
涙があふれてきた。もう言葉も出なかった。ただ一心に目の前の志摩子さんにすがりつく。優しい志摩子さんはぎゅっと抱きしめてくれた。
「ごめんね。ありがとう、志摩子さん。」
「私にとって一番大切な人は、二条乃梨子さんです。あなたは?」
 流れる涙はそのままに。でも、心を込めてしっかりと。
「私にとって一番大切な人は、藤堂志摩子さんです。」
 
 
 
 
≪-- [戻る] --≫