あなたに希望の祝福を
 
 
執筆:ひろ(ひろのコトバ

 
Part.1
 
「お姉さま、海に行きませんか?」
志摩子にそう言い出されたのが先週のこと。卒業して初めてめぐってきた夏。大学生らしくバイト三昧の日々だったから、ちょっとくらい遠出する金はある。久しぶりに会った志摩子との会話に浮かれてふたつ返事でOKしてしまったけれど、本当に良かったのだろうか。あの子にはもう妹ができたと聞いているのに、なぜ私を…。
 
Part.2
 
 約束の待ち合わせ場所に時間通りに行ってみると、志摩子は既に到着していた。陽射しがまぶしく照りつける暑い日だが、日傘の中の志摩子がどことなく涼しげに見えるのは、鎖骨まで露出した白く綺麗な肌だけが原因ではないだろう。はっきりとは言えないけれど、志摩子は今日のこの日を楽しみにしつつも、何らかの覚悟を決めてここに来ている感じを受けた。
「お待たせ。いつものことだけど、志摩子は几帳面だねぇ。」
「ごきげんよう、お姉さま。私もいま来たところです。それにお姉さまをお待たせするわけにはいきませんから。」
「お姉さまってのも久しぶりに聞くなぁ。もう私は高等部じゃないんだから、『佐藤さん』でいいのに。」
「そういうわけにはいきませんわ。どれだけ月日がたっても、私のお姉さまは佐藤聖さま、ただひとりですから。」
そっと私の脳裏に志摩子の「妹」のことがよぎった。だが、まだここで話題にするべきじゃない。とてもじゃないが出会いがしらの立ち話では、ゆっくり話をできそうもなかった。
「じゃ、行こっか。」
「はい。」
 もう手をつないだりはしない。それは昔よりも感情が冷めたからだとか、私が卒業したからだとか、ましてや志摩子に妹ができたからという理由ではない。確かに会う回数は減ったけれども、そんなことで切れるようなやわな絆じゃない。傷ついた私を救ってくれた志摩子。余人をもってしても変えがたい私の大切な人。それはこの先もずっと変わらない。ただ、お互いの距離がいまは「手をつながない」という距離になっただけのこと。一見冷めたように見えるかもしれないが、逆に言えば「片手すら手をつながなくてもつながっている」関係に発展したとも言える。
 海水浴に向かう列車はカップルも多い。その多くが手をつないだり肩を抱き寄せたり、腕を組んだりしている。
(そんなことをしないとお互いの距離が分からないのかねぇ?)
心の中でそうつぶやいてみる。気持ちは分からなくもない。むしろかつての私がそうだった。栞との絆を求め、手をつなぎ、髪を結い、キスもした。あの頃の私はロザリオこそ求めなかったが、栞に対する独占欲は限りなく強かった。そして周りが見えていなかった。結果、近くなりすぎた距離はかえって二人の距離を遠いものにしてしまった。
 失敗だったとは思わないし、認めたくもない。ただ、お互いが若すぎただけのこと。両手をつないで、触れあって、抱きしめあっていなければ安心できない年頃だっただけのこと。後悔なんてない。栞との出会いが、私の生き方にたくさんの潤いと優しさをくれた。いまの私があるのは栞と…そして目の前にいるこの少女のおかげ。
「お姉さま、どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでもない。それより志摩子、どんな水着持ってきたの?おじさんに見せてくれないかなぁ。」
ちょっと曇りかけた気持ちを茶化すかのように冗談を言ってみた。
「みっ、水着は、普通のですっ。」
「普通じゃ分からないなぁ。おじさんによく分かるように事細かに説明して欲しいなぁ。」
「えっ、えっと、白のワンピースです…。」
真っ赤な顔をしてうつむきながら答える。
「それは水をかけたら透けるのかね?」
「なっ、透けるわけないじゃないですかっ!!」
「ちぇーっ。」
「お姉さま、セクハラですっ!!」
あ、怒った。だって透け透け白水着って男のロマンじゃん。ってそういえば私、女だわ。
 
Part.3
 
 海はさすがに混雑していたけれど、泳ぐというより海に浸かってビーチで楽しむっていうのが目的だったから私たちにとっては満足だった。さて、結論から言おう。
(志摩子の“白みず”は透けなかったっ!!)
佐藤聖的明日の朝刊一面である。だってさぁ、ちょっとは期待してたのになぁ。
 いまは浜辺にあがってパラソルの下で二人そろってくつろいでいる。そんななか、志摩子のほうからついに核心にふれた。
「お姉さま、今日は来てくださってありがとうございます。」
「御礼を言われるほどのことじゃないよ。私も十分楽しんだし。」
しばらくの沈黙。
「お姉さまは薄々勘付いておられますよね。なぜ私が妹の乃梨子ではなくお姉さまを誘ったのか。」
「うーん、あまり正確じゃないけど、なんとなく私と同じような悩みをかかえてるんだろうってことは想像できたよ。」
「もうご存知だと思いますが、私には大切な妹ができました。二条乃梨子って言います。」
「うん、少しだけれど噂では聞いていたよ。」
「乃梨子は心の中にしっかりとした芯をもち、よく気の回る子です。偶然が重なっただけかもしれませんが、私にとって初めて自分の全てをさらけ出した人です。」
「うん。」
「最初は妹にすることは考えていませんでした。ロザリオを渡さなくても乃梨子は変わらず私に接してくれるはず、そんな思い上がりをしていました。渡さなくて済むのなら、乃梨子に重荷を背負わせたくない、これでいいんだと。」
「うん。」
「だけど、紅薔薇さまにきっかけを作ってもらって、乃梨子は私を重い鎖から解き放ってくれました。間違いなく、私にとって乃梨子は大切な存在です。」
「うん。…で、それが最近だんだん変わってきたんでしょ?」
「なぜ…、お分かりになるのですか?」
「分かるよ。これでも2年年上なんだから。乃梨子ちゃんのことを乃梨子ちゃんに相談できない。かといって事が事だけに山百合会のメンバーにも相談できない。となると私が適任ってわけか。」
「すみません。都合のいいときだけ妹の立場を利用して、お姉さまに頼るなんて…。」
「いいんだよ、志摩子。私だって志摩子からいろんなものをもらってる。少しでもお返しできるんなら本望だ。それに、ある人にお返しは未来の妹にって言われてるからね。なんでも聞くよ。話したいところから話してごらん。」
「ありがとうございます。お姉さまに辛い過去を思い出させてしまうのがとても申し訳ないのですが…。」
「志摩子、そのことは志摩子が気にすることじゃない。謝らなくていいから、どうぞ。いや、端的に私のほうから言おう。乃梨子ちゃんのこと、好きになったんだね。ただの一下級生としてではなく。」
「…はい。学校にいるときも山百合会の活動をしているときも、いつも乃梨子を目で追ってしまって。家に帰っても頭に浮かぶのは乃梨子のことばかり。私は、こんな私は…」
「志摩子、自分を責めちゃだめだよ。好きな人を大切に想う、それはとても大事なことなんだよ。世間一般では好きな人といえば当たり前のように異性と決めつけているけど、志摩子も知っての通り、私みたいに同性しか好きにならない人もいる。志摩子がそうなると決まったわけじゃないけど、いま好きな人が乃梨子ちゃんで、大切に思うんだったら、その気持ちこそ忘れないように大事にしたらいい。」
「お姉さま…。」
「私も栞との別れから1年半が経って、少し分かったことがある。同性を愛するということは、異性を愛するよりも確かにハードルは高い。それは世間の目であり、相談相手が限られてしまうことだったり、身近な例がいないために二人だけの世界に閉じこもりやすいってこと。あとは、人間の本能に逆らってる部分かな。外見にとらわれず、性的欲求にも反発し、ただ一心にその人の内面に惹きこまれる。ある意味でとても恐いことだ。だが、これは諸刃の剣だと思ってる。ハイリスクを背負っているけれど、同性に対する愛は高いハードルを乗り越えてきただけあって、より深く、精神的で、依存性が高い。」
「私にそのハードルは乗り越えられるでしょうか?」
「それはこれから乃梨子ちゃんとゆっくり歩みながら決めたらいい。まだ高2と高1の二人だよ。もし間違っちゃったとしても、傷はいつか癒えて、いくらでもやり直せるからね。」
「お姉さま、それはお姉さまの…」
「志摩子、それ以上気にするのは禁止だよ。私のことは私がなんとかするしかないんだ。そしてその傷を癒すために今まだリリアンに通っている。容子や祐巳ちゃん、そしてもちろん志摩子にも感謝してるし、私は全然後悔なんてしてない。だから志摩子、あなたも自分の信じる道を歩みなさい。」
 どこかで自分に言い聞かせるように一気にしゃべった。私も泣きそうだったが、目の前で志摩子が大泣きしてすがり付いてくるので、ここは姉として受け止めてやらねばなるまい。志摩子にどんな人生が待ち受けているか、誰にも分からないけれど、どんな道を通ってきたかは自分で省みることができる。願わくばそのときに後悔ではなく希望が胸に宿りますように。
 
 
 
 
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