サンダーバード
 
 
執筆:Taya(Ivory filter

 
 どんなに天気が良くても、どんなに空が青くても、私は自由に飛べなかった。
 それは無理をすればすぐに落ちる、グライダーのように脆い翼のようで。
 だから、私には他のみんなが凄い速さで飛んでいるように見えていた。
 
 でも今は違う。今の私はグライダーのような不安定な体じゃない。今ならきっと遠く彼方まで飛んでいけるはず。
 そう、今の私はグライダーなんかじゃなくて…。
 
 
 
「富士登山!?」
 令のベッドに腰掛けたまま由乃が言った事を聞いて、令は思わず大声で聞き返してしまった。
 祥子と祐巳の問題も片付いて梅雨が明けた頃、夏休みでどこに行きたいか令が由乃に尋ねたのだった。
 それに返ってきたのは、まさかの富士登山という返事。少し前まで病弱であったはずの由乃からのその言葉に耳を疑ってしまったのだ。
「ふ、富士登山って、あの富士山に登るやつ?」
「そうよ、それしかないじゃない。」
 なに当たり前のこと言ってるの、と言わんばかりの口調で由乃に言い返された。いや、実際そう言っているのだけれど。
 大いに慌てている令に対し、由乃はまるで子どもがねだる様な目で令を見つめている。…この目は本気だ。令はやっとそれを理解した。
 由乃はさらに続ける。
「ねえいいでしょ? もうこんなに元気になったんだから。」
「勝手な自己判断はしない。そういう自己判断が一番危険なんだから。」
「ブー。ちゃーんと先生の許可はとってあるもんねー。」
 ここで言う先生とは主治医の事。
 それを聞いた令はもう一度驚いて目を見開いた。それを尻目に由乃はズボンのポケットから一つの封筒を取り出し、中の紙を令に見せる。
 令が受け取った紙には、確かに富士登山を許可する内容と医者の印が押してある。令に見せるためにわざわざ書いてもらったのだろうか。
「本当だ…。でも、いったいいつの間に…。」
「細かい事は気にしない! と言うわけで、今年の夏休みは令ちゃんと富士登山に決定ー!」
 令の疑問は由乃によってうやむやにされた。多分、いつものイケイケ青信号で突っ切ったんだろう…少しだけ、主治医の先生に同情をした。
 その令を尻目に一人ではしゃぐ由乃。対して令は未だに素直に許可する気にはなれなかった。
 半ば強引にだとしても主治医の印が押してあるなら、もう心配要らないということになる。それでも令の心からは不安を拭い去る事が出来ない。
 由乃に関しては、主治医以上に神経質で心配性だった。
「でも、由乃はまだ人並みに体力があるわけじゃないからやっぱり無理じゃないかな。」
「大丈夫、剣道もやってるわけだし。」
「…最近始めたばかりじゃない…。それに、根気だって要るよ? 投げ出したりしない?」
「投げない。一度決めたら最後までやるのが私ってもんよ!」
 あれこれ言う令に対してフンッと、鼻を鳴らす由乃。
 …そう言えばそうだった。一度決めたら誰にも止められない、そういう性格だった由乃は。
「…でもさ、万が一って、事もあるじゃない。それに紫外線だって強力だし、由乃は色白だから肌痛めたりするかも知れないし。それに他…に…も…。」
 それでもまだあれだこれだと言っていくうち、由乃の表情が段々イラついていくのが分かった。それを見て令もフェードアウトしていくように口を止める。
 しかし、それでは既に手遅れ。
「令ちゃんのバカ! そんなに私と富士山に登りたくないわけ!?」
「そ、そういう意味じゃなくて、ただ単に由乃の体を心配して…。」
「さっき先生から許可取ったって言ったじゃない! どこまで心配性なのよこのヘタ令ちゃん!」
「ちょ、ちょっとまってよ由乃ぉって、や、止めてってば!」
 ボカボカと手元にある枕やクッションを投げつけてくる由乃に対して、令はろくな言い訳も出来ずに防御するしか出来ない。
 それは数分間続き、最後には由乃の「一緒に行ってくれなきゃまた黄薔薇革命だからね!」の一言で令が泣く泣く折れるといった形で決着が付いた。
 やっと令が許可を出してくれた事に由乃は大喜びだったが、対称的に令の心中は不安で一杯だった。
 由乃に気付かれないよう静かに溜息をついて辺りを見渡せば、由乃が投げ散らかしたクッションやらぬいぐるみやらが散乱している…。それを見て、令はまた情けなく溜息を付いた。
(本当に大丈夫なのかな…。)
 心の中で、弱々しくそう呟いた。
 
*        *        *
 
 いくら不安に思っててもあれよあれよという間に時は過ぎ、とうとう富士登山当日を迎えてしまった。
「よーし、登るよ令ちゃん!」
「落ち着きなって由乃。そんなに飛ばしたらあとが辛いから。」
 バスツアーの専用バスに乗せてもらい、今いるのは一般的なスタート地点である富士山五合目登山口前。天気は快晴で、最高の登山日和だ。
 その登山口を前にして由乃のテンションはすっかり上がりきっている。
 最初の由乃の計画では一合目から登るつもりだったらしいのだが、初の登山なうえ体力の少ない由乃にはとんでもないと、こればかりはなんとしても断固死守した。
 それが決まった時は不満丸出しだったが、今はそんな事を忘れたように富士登山に目を輝かせている。
「えー、だって早くしなきゃ間に合わないじゃない。」
「大丈夫だって、ガイドの人も付いてるんだから。それにツアーで来てるんだから自分たちだけの都合だけで行ったらダメだって。」
 既に登る意気込み十分な由乃が杖に付いてる鈴をシャンシャンと鳴らして令を急かす。
 周りのツアー客の目線が令たちに集中して、気恥ずかしい。
 そうこうしてるうちに出発の時刻になり、ガイドに連れられて他のツアー客も登山口へと向かっていった。
 それを見て令は持っている缶コーヒーの残りを飲み干し、それをゴミ箱に捨ててから足を踏み出した。
「由乃、楽しみにしてたのは分かるけどゆっくり行かなきゃダメだからね…って、あれ!?」
 いつにも増して張りきっている由乃に注意をしようとしたが、隣には既に由乃の姿が無い。慌てて見渡せば、既に前方にこっち側を向い
ている由乃がいた。
 と言うか、既に他のツアー客も同じところまで登っている…令が気付いていなかっただけらしい。
「令ちゃん遅いー! 早く早くー!」
「…もうあんなとこに…。」
 由乃に追いつこうと歩くペースを少し速める。今からこんな調子では先が思いやられる…そう不安にならざるを得なかった。
 由乃に追いつき隣に並んでから、さっきの注意をもう一度しようとする。
「…由乃、登山ってのは一定のペースを保つことが大切なんだから、今からそんなに飛ばしたら体力持たないよ。」
「はいはーい。」
「………。」
 一応返事をするものの、テンション上がり過ぎているのか、それとも元々聞く気なんて無いのか令の注意など全然聞いちゃいない。
 そんな由乃の様子に、ますます不安が募っていく令だった。
 
 
 最初のうちはなだらかな道のりで由乃も難なく登ることが出来た。
 しかしそれで甘く考えてしまったのか、調子に乗ってペースを勝手に上げ先に行ってしまうことが多くなり、その度に令が歩を速めることになってしまった。
 幸いな事にツアーのペースも平均より少し早めだったので他の客に迷惑をかける事は無く、一般的な時間よりも早く休憩所に辿り着けた。
 しかし、上げたり下げたりする由乃のペースで体力的な予定が乱れ始めている。
「なーんだ、結構楽にここまで来れたね。」
「…由乃、私の言ったこと憶えてる? 一定のペースを保つことが…」
「あ、焼印押してもらえるんだ。押してもらおうっと。」
「あっ、また…。…姉の威厳ってなんなんだろう…。」
 令の話を遮り、由乃は杖に焼印を押してもらうために行列に並びに行ってしまった。
 大体予想していたものの、こうも話を聞いてもらえないとなると由乃よりも自分の尊厳の方を心配してしまう。
(この様子じゃ、後の方覚悟しといた方がいいかな…。)
 焼印を押してもらう由乃を眺めつつ、心中でそう呟いた。
 
 そしてその予想は、この休憩所を出発してしばらく経ったころに、現実のものとなった。
 
「由乃大丈夫? 手、貸そうか?」
「…大丈夫よ、これくらい…。」
 そういう由乃は既に汗だくで服も大分濡れている。杖は両手で持っているし、表情だって既に辛そうである。
 どこからどう見ても、大丈夫と言えるような様子ではなかった。
「だから最初に飛ばしちゃダメだっていったじゃない…。」
「…まだまだ余裕よ、平気平気…。」
「いや、明らかに平気って雰囲気じゃないって…。」
「大丈夫だって言ってるじゃない! 早く行くよ!」
 あんまりしつこく言ってくる令に声を張り上げて、無理矢理元気を出し令の先を歩き出す。
 その真剣な様子に令は何も言う事が出来ずに、無言で様子を見ながら由乃のペースにあわせて歩き始めた。
 天気はまだ穏やかだが、急に荒れだす可能性だって高い。
 そうなったら由乃は本当に大丈夫なのだろうかとか、そんな事ばかりが頭に浮かび景色を楽しむどころではなかった。
 
 それでも何とか先に進んでいき、今は山小屋で小休止をしているところである。
 最初の方の山小屋では記念写真をとったり景色を眺めに行ったりしていた由乃だったが、今はそんな元気も無く静かにベンチに座っていて疲れを取るのに一生懸命だ。
 顔からも笑顔は消えていて、富士登山を楽しんでいるという様子は感じられなかった。
「由乃、焼印押してもらう?」
「…いい…。」
「じゃあ、私が由乃の分も押してもらってこようか。どうする?」
「…じゃあ、お願い…。」
 疲れきった口調でそれだけ返すと、由乃は力無く令に杖を手渡す。令はそれを受け取ると焼印を押してもらうため列に並んだ。
 並びながら由乃の様子を見て、令はよく「途中でもう富士山には登りたくなくなる人が多い」という話を思い出した。
 多分、由乃も心の中では同じような事を思っているのだろう。
 令が焼印を押してもらい由乃に杖を渡した頃に、出発の時間になった。由乃は杖を頼りに立ち上がり、後ろからゆっくりとその団体に付いていった。
 それから進んでいくと当然由乃のペースはさらに落ち、気付けば令たちが団体の中で一番後のほうになってしまった。
 おまけに小雨が降りだしてきて視界はさらに悪くなり、レインコートを着込んだとはいえ正直令でさえも厳しく感じられた。
 当然由乃がそれに影響されないはずがなく、最初の元気の良さや足の軽さが今では嘘のようだ。
「由乃、ほら肩貸すよ。掴まって。」
「大丈夫…大丈夫だって…。」
「由乃。」
 息も絶え絶えといった様子で令に拒否をする。しかし、今回はそれでも引き下がらない。
 このまま無理をすれば、確実に途中でリタイアすることになるだろう。それに、まだ何とか持ち堪えているものの高山病にだってなりかねない。
「いいから、ほら。」
 そう言うと令は半ば強制的に肩を貸し由乃を支えて歩き始めた。
 それに対して由乃は何か言いたそうだったが、何も言わずにそっぽを向いたまま令を頼りにして歩き始める。
「次の休憩所まで行ったらそこで仮眠だから、頑張ろう。ね。」
「うん…。……ごめん…。」
 それだけ言うと由乃は何も言わなくなり、俯いたまま黙々と令に支えられ登っていった。
 辺りは霧が出て視界がきかないし、足場は雨で濡れて滑りやすくなっている。由乃を支えている令は他の団体客と逸れないようにするのに必死だ。
 
 だから令が気づく事は無かった。
 由乃が、令に知られないよう静かに涙を流していた事に。
 
 
 
 何とか由乃を支えたまま今日の宿泊予定である山小屋まで辿りつき、中に入ると令は息も絶え絶えといった調子で壁際に由乃と座り込んだ。
「あ〜…何とかここまで辿り着けたね。」
「うん…。」
「由乃、足は大丈夫? 靴擦れとかしてない?」
「大丈夫。令ちゃんのおかげで…。」
「そう…良かった…。」
 二人とも疲れが酷く、口を動かすのも億劫でそれだけ話すともう何も言わなくなってしまった。
 令は壁にもたれて目を瞑り、由乃は膝を抱えて顔をうずめた体勢で、山小屋の喧騒をただ、ぼうっと聞き流していた。
 それからしばらくして夕食の時間になった。献立はカレーライス。
 正直疲れすぎてあまり食欲は湧かなかったのだが、ここで体力をつけておかないと確実に後からきつくなってくるに違いない。
 令と由乃は気が進まないながらも、そのカレーライスを何とか一杯平らげた。味は美味くも不味くもない、それなりのものだった。
 それを食べ終わると、就寝の時刻。まだ夜の八時前とはいえ、もうヘトヘトなので早く横になりたかった。
 しかし横になれたはいいが、いかんせん人が多すぎでギュウギュウ詰めになってしまい、お世辞にもゆっくりお休み下さい、と言える雰囲気ではない。
 令は由乃を壁際に寝かせて自分はその隣に横になり、周りの宿泊客から少しでもガードさせて少しでも休めるようにした。
「今日はお疲れ、由乃。」
「令ちゃんこそ…。こんな事に付き合ってくれて、ありがとう…。」
「良いんだよ。さ、明日も早いからそろそろ寝よう。」
「うん…。…お休み…。」
 それだけ交わすと由乃が目を瞑り、令も同じように目を閉じる。疲れのせいもあり、そのまますうっと眠りに入っていった…。
 
(…うるさい…。)
 眠りに入って数十分過ぎた頃、令は不快な音で半ば強制的に起こされてしまった。
 音の発信源はすぐ隣にいる恰幅の良い小母さんからのようで、いびきや歯ぎしりがうるさくて堪らない。
 目を閉じたまま令は精神集中して眠ろうとするが、さすがにこれではとても眠りにつくことはできなかった。
(こんな事なら耳栓でも持ってくるんだったな…。)
 そんな事を後悔したとき、その騒音とは違う音が耳に入ってきた。
(…泣き声…? 誰だろ…。)
 誰かがすすり泣いているような声を令の耳が感じ取った。それも、結構近いようだ。
 目を開けて首だけを動かし辺りを見渡そうとしたが、首を動かすよりも早くその声の発信源に気が付いた。
「…由乃?」
 薄暗い山小屋の中、由乃が令に背を向けて肩を揺らし、すすり泣いているのに令が気が付いた。
 その令の声に気が付いたのか、由乃は泣き声を止めて令の方へと体を向けた。
「…起こしちゃったかな…? …ごめん…。」
 少し涙声で由乃は言った。令は周りの客に迷惑にならないように小声で答える。
「ううん、由乃のせいじゃないよ。…それより、どうしたの? どこか痛い? それとも気分が悪い?」
「…違うよ…。なんともないから…。」
「じゃあどうしたの? もう帰りたいとか…。」
「ううん…そうじゃない…。」
「…じゃあ、何があったの? 何で泣いているの?」
 令がそう言うと由乃は一瞬押し黙ったが、数秒経ってから由乃はもう一度口を開いた。
「…私、今までずっとサンダーバードに乗れたって思ってた。」
「サンダーバード…?」
 突然「サンダーバード」という突拍子も無い単語が飛び出してきて、令は間が抜けた声で由乃に聞き返した。サンダーバードって、あのSFアニメの事だろうか。
 由乃はさらに話を進める。
「…自分の体が弱かったせいか、周りの人が凄いスピード…それこそ、サンダーバードみたいな速さで過ぎて行くように感じてた。…令ちゃんもね。」
「…そう…。」
「ちょっと前までは、無理をすればすぐに落ちる、グライダーような不安定な体だって感じてた。でも手術して大分経ったし剣道も始めたから、もう何をやっても大丈夫だって…そう…サンダーバードに乗れたって、そう信じたかった。」
 由乃はそこまで話すと一旦区切って、少し微笑んでみせた。その目には涙が浮かんでいて、悲しい笑顔だったけれど。
「それで、自分一人の力で富士山を登りきる事が出来たら…令ちゃんに迷惑も心配もかけずに登れたらもう大丈夫だって、そう信じれると思った。だから富士登山を選んだんだ。」
「…そうだったんだ…。」
「それに、もう私の体は本当に大丈夫だって令ちゃんに証明したかった。…いつまでも令ちゃんは私の心配ばかりするから…。」
「それは…。」
「…令ちゃんの言いたい事も分かるよ。もうずっと、十何年間も病気でろくな運動も出来なかったんだから。だから余計に、安心させたかった。だから…。」
 由乃の話を聞いて、令は何も言う事が出来なかった。由乃がそこまで考えて富士登山を選んでいたなんて、思いもしなかったから。
 そこまで話すと由乃の顔がまた暗くなり、少し俯いてから口を開いた。
「…でも結局、私はまだサンダーバードに乗れてなかった。…グライダーのままだったなあ…。」
「え…なんで…?」
「…さっき言ったでしょ? 自分一人の力で登りきれたらって…。…でも、令ちゃんの手は借りちゃったし、最初の方で調子に乗っちゃって迷惑かけちゃったし…。結局…何にも変わってなかった…。」
「由乃…。」
 話していくうちに涙声になっていき、最後の方になると由乃の両目からもう一度涙が流れてきてしまった。
 令はその流れた涙をそっと指で拭った。
「そんな事無い。由乃は十分強くなってるよ。前だったら、絶対にここまで来る事は出来なかったはず。」
「でも…私は…。」
 納得がいかない様子で、由乃は言う。それを遮るように、今度は令が言った。
「…納得できないならさ、来年にまた来よう。今度は納得できるように、由乃が言うその…サンダーバードに乗ってさ。」
「…本当?」
「本当。だから、来年までにもっと体を鍛えとかなきゃね。」
 優しい笑顔で言った令のその台詞に、由乃の顔がぱあっと明るくなった。
「約束、だよ?」
「約束する。あと、来年は私の注意もちゃんと聞いてよね。これも約束。」
「…うん。じゃあ、指きりしよう。」
「分かった。」
 小指と小指を絡めて小声で指きりげんまんをすると、由乃の顔からは既に悲しみ等は消えていた。
「来年の事も良いけど、明日に山頂まで登る事も忘れずにね。」
「うん、分かってる。それじゃ…」
「あ、ちょっと待って由乃。」
 話し終えて眠ろうとした由乃に、令は何かを思い出したように呼び止めた。
「どうしたの?」
「いや、大した事じゃないんだけど…。何で“サンダーバード”なのかなって。」
 そう言われて由乃は「ああ」とだけ言ってから答えた。
「…子どもの頃入院中にTVでやってたのを見て面白かったから…かな…。なんだろ、気付いたらそういうイメージだった。」
「へえ…そうなんだ。」
 その答えに納得したように少し笑って、そう答えた。ある意味、由乃がサンダーバード、というのは結構合っているかも知れない…。
 そう思った。
「じゃあ、もう寝ようか。」
「うん。ご来光、拝めるといいね。」
「拝めるよ、きっと。」
「そうだよね…おやすみ…。」
「おやすみ…。」
 由乃が目を閉じ、今度は令が目を閉じる。今度は眠れるかな…一瞬そう思った。
 が。
「―っ!?」
 寝ようとした矢先、隣の小母さんが寝返りをうってきて令に直撃した。思わず声を上げそうになったものの、それを必死に堪える。
(…これじゃあ寝れないよ…。)
 目を開けて由乃を見てみれば、さっきまで泣いていた事を忘れたようにスヤスヤと穏やかな寝息を立てている。
 結局令はほとんど眠れず、眠れなくても目を閉じて横になり、体力を回復させる事に専念するしか出来なかった。
 
 
 
 あれから数時間の仮眠をとり(令はほとんどとれなかったが)、真夜中に山頂へと出発、それから真っ暗な登山道を登ること数時間、とうとう山頂へと到着する事が出来た。
 途中までの道のりはこれまでよりもずっと厳しかったが、由乃は今回は令に頼ることなく自力で登りきれたのだった。
 逆に今度は令の方が寝不足で、その足取りはおぼつかなく途中何回か転びそうになってしまい由乃に心配されてしまった。
「もう、令ちゃん大丈夫?」
「大丈夫…。」
「…昨日の令ちゃんが嘘みたいね。」
「そう言われても…。」
 そして今は、ご来光を拝むために日の出を待っているところである。明るくなってきているとはいえ、まだ太陽は地平線に隠れている。
 昨日山小屋に付いたときは悪天候だったのだが、今はその天気も持ち直している。今日もいい天気になりそうだ。
 辺りを見れば、同じ目的の人々でいっぱいで、令と由乃はその中のベンチの一つに座っている。
「今何時ぐらい?」
「えっと…4時40分過ぎたところ。あと少しだよ。」
 ガイドの人の話では40分を過ぎた辺りにご来光が拝めると言う。という事は、本当にもうすぐだ。
「…あ…令ちゃん。見て…。」
「…わぁ…。」
 それからすぐに太陽が姿を現し、辺りを朝日で神々しく染めていく…目標である、ご来光だ。
 由乃と令も立ち上がり、その美しい姿に魅入っている。周りの人々も同じようにその太陽を眺めていた。
 そうやって眺めている間も太陽は昇っていき、暗かった空を明るく染めていく。まるで、重々しい暗い空を持ち上げていくかのように。
「…綺麗…。」
「うん…こんな太陽、見たことない…。」
 いつも見ている太陽と、今見ている朝日が同じものとはとても思えなかった。鬱陶しいくらいに太陽光線を浴びせてくるあの暑苦しい太陽とは大違いだ。
 これほど素晴らしい朝日、富士山に登らなかったら絶対に見る事は出来ない。いろいろあったけど、ご来光を拝める事が出来て、富士山に登って良かったと本当に思った。
「令ちゃん。」
「なに?」
 そうやって朝日に魅入っていると、由乃が令に寄り添ってきた。それに気付いて、令は由乃の方を見る。
「…また来年も、見に来ようね。」
「うん。約束は守るから。」
「約束だからね…。」
 朝日を眺めながら、もう一度約束を交わす。この忘れることのない、美しい朝日に誓って。
 
*        *        *
 
 あれから山を降りて、今は祥子の別荘で富士登山の結果報告をしているところだった。
 周りを見ればいつもの山百合メンバーが勢ぞろいしている。まあ、事前に志摩子達と打ち合わせしていたから当然なんだけど。
「足が靴擦れで酷いんだ。」
 そう言って、下山でボロボロに靴擦れした足を上げて見せる。靴下二枚履きで行ったものの、馴れない登山靴での下山はかなりきつかった。
 それに対して、由乃は馬に乗って下山したから大した事は無い。登りでは大変だったし、山小屋での事も合ったけど…。
 ちなみに、登りと山小屋での事は誰にも言わないようにと由乃から口止めされている。あと、馬の事も。
 でも、今では何事もなかったかのように悠々と登山での事を自慢げに話している由乃を見ていて、少し悪戯心が湧いてきた。
「右に同じ。」
 あたかも自分も自分の足で下山してきましたと同じ事をけろりと言ったのを見計らって、令は口を開いた。
「由乃はずるい。途中で馬に乗った。」
「えーっ!」
 由乃に口封じされてることを聞かされて祐巳ちゃんが驚き大声を上げた。約束を破られた由乃当然の如く令に食って掛かってくる。
「あー、令ちゃん。言っちゃだめだって言ったじゃない!」
 そう言って、令の肩を押してきた。それも予想していた。…が、言うタイミングばかりを見計らっていて、自分の体勢のことを忘れていた。
 今の令の体勢は片足を上げた状態であり、由乃に肩を押されて完全にバランスを崩してしまった。
 しまった、と思ったときは既に遅し。そのまま床に転んでしまい、擦り剥いた足をさらに擦り剥いて足に鋭い痛みが走る。
 痛みに顔を少ししかめながら由乃を見れば「ざまあ見なさい」とでも言っているような目で自分を見ている。それからすぐに祐巳ちゃん達の話に戻ってしまった。
 その態度に少しムッときたけれど、それでも良いかな、と思った。
 由乃はまだ、こういう時にしかサンダーバードに乗る事は出来ないのだから。
 
 
 
 
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