大学が夏休みに入り、祐巳は久しぶりの実家でのんびりと寛いでいた。
「お姉ちゃん、海に行かない?」
妹である乃梨子がそう誘ってきたのは、もう辺りが茜色に染まった頃だった。
「今から?」
だから、つい祐巳はそんな素っ頓狂な声を上げてしまった。
今から海に行くとなると、着く頃にはもう真っ暗になってしまっているだろう。
「うん、今から」
それでも乃梨子は頷いた。
「明るい時にしない?」
祐巳がそう言っても、乃梨子は首を縦に振らなかった。
「分かった。じゃあ、仕度するよ」
そう言って、祐巳は重そうに腰を上げた。
両親に、乃梨子と海に行くと言ったら、父には、
「やっぱり二人は仲が良いな」
と言われ、母には、
「家にいてもゴロゴロしてるだけなんだし、丁度良いじゃない」
と言われた。
仮にも可愛い娘たちが夜に出掛けると言っているのだ。
心配なりなんなりしないのだろうか?
まぁ、反対されても乃梨子が押し切るだろうけど……。


祐巳が外に出ると、乃梨子がバイク出して待っていた。
「乃梨子、今更だけど、夜に運転なんてして大丈夫なの?」
乃梨子がバイクの免許を取ってもう二年にはなると思うが、それでも夜の運転は心配だ。
「大丈夫。安全運転で行くから」
乃梨子にそう言われたので、仕方なく祐巳はヘルメットを被った。
「大丈夫。死ぬ時は一緒だから」
「えぇっ?」
乃梨子がそう言ったのと、バイクを走らせたのがほぼ同時で、祐巳はただ悲鳴を上げるだけだった。


「もう、びっくりさせないでよ」
信号で止まったところで、祐巳は乃梨子に話掛けた。
口ではああ言っても、乃梨子はちゃんと法定速度を守って走っていた。
まぁ、それは当然のことなのだけれど……。
「いいじゃない。今までずっとからかわれるのは私の方だったんだから、偶には」
「暫く会わないうちに意地悪になっちゃって、お姉ちゃんは悲しいよ」
と普段なら「よよよ」っと泣きまねでもするところだが、バイクに乗っている状況でそれは出来ない。
変わりに、乃梨子に抱きつく腕に、ギュッと力を込めた。
「うっ」
すると、乃梨子がそう呻いた。
「どうかした?」
ニヤニヤにながら訊ねる。
「べ、別にっ」
素っ気無くそう言うと、乃梨子は再びバイクを走らせた。

 

「あ〜、着いた〜」
海に着き、バイクから降りると、祐巳はう〜んっと背伸びをした。
「いやいや、二人乗りって結構疲れるね」
「そう、私は後ろに乗ったことないから分からないけど」
実際、乗ってみないと分からないが、二人乗りというのは、結構恐い。
それは、自分がバイクを運転したことがないからだと思う。
しかし、その所為で後ろにいると、どうしても力が入ってしまう。
祐巳は固くなった肩をトントンっと叩いた。


二人は揃って浜辺まで降りてきた。
「良かった、誰もいない」
乃梨子が言う。
「そういえば、どうしてこんな時間に海に行きたいと思ったの?」
祐巳の質問に、乃梨子は少し首を傾げてから、
「別に、海じゃなくても良かったんだ。ただ、姉さんと二人になりたかっただけ」
「え?」
次は祐巳が首を捻った。
「だって、折角帰ってきてくれたのに、ずっと家にいるばっかりだし。
私、ずっと待ってたんだよ、姉さんが帰ってくるの」
「あ〜、ごめん」
正直、祐巳は家の居心地のよさにだらけていた。
家事も殆んど母がやってくれる。(時々手伝うが……)
電気代のことを考えて、控えていたクーラーも家ではつけていて、部屋の温度は快適だ。
当然、夏休みなのだから講義も無い。
忙しかった大学生活前期の反動が出ていたのかもしれない。
考えてみれば、帰ってきて出かけた記憶は殆んど無い。
しいて挙げるなら、夜行ったコンビニくらいだ。
その時、一緒について来た乃梨子がやけに嬉しそうだったのを思い出した。

祐巳は乃梨子の手を握った。
「姉さん?」
不思議そうに祐巳を見る乃梨子に、祐巳はにっこりと微笑んだ。
尤も、乃梨子からして見れば、それは姉が悪戯を思いついた時の顔だった。
「それっ」
そして、祐巳は突然走り出した。
勿論、乃梨子と手を繋いだまま。
「きゃあっ」
悲鳴を上げ、前につんのめりながらも、乃梨子も祐巳について行く。
「そ〜れっ」
そして、波打ち際まで来ると、腕を思いっきり振って、乃梨子を海へ放り投げた。
「えぇっ?」
遠心力に逆らえきれないまま、乃梨子は水しぶきを上げて尻餅をついた。
「ちょっと姉さん、何するのよ?」
全身をぐっしょりと濡らした乃梨子が顔を真っ赤にして抗議する。
それでも祐巳は飄々と、
「夏なんだから、直ぐに乾くよ」
と言って笑った。
「もう、姉さんのバカ」
乃梨子はそう言うと、腕を振り上げ、祐巳に向かって水を飛ばした。
「うわぁっ」
驚き、祐巳は後ろへ体を反らした。
しかし、それでも避けきれなかった水が祐巳の顔や体にかかった。
「姉さんも水浸しになればいいんだ」
そう言った乃梨子が何だか子どもっぽくて、可愛かった。
ふと、子どもの頃を思い出した。
いつも一緒に遊んでいた、あの頃を……。
「やったな〜」
だから、祐巳も乃梨子に水をかけ返す。
子どもの頃のように、二人はただ水をかけ合うだけの行為を、純粋に楽しんだ。
「きゃあっ」
最後には乃梨子に抱きつかれて、二人して砂浜に倒れ込んだ。
二人とも、息が切れ、はぁはぁという息遣いが聞こえた。
「お帰りなさい、姉さん」
乃梨子は、そう言って祐巳の胸に顔を埋めた。
「ただいま、乃梨子」
そして、祐巳は乃梨子の濡れた髪をそっと撫でた。
見上げた空に浮かぶ月が、何だか微笑んでいる様に見えた。


≪-- [戻る] --≫