ホットグリーンティ
 
 
執筆:葉菊(夜月苺

 
 暑い日にはやっぱりアイスクリームでしょ、そう言いながら現れたお姉さまはどうやら驚いて欲しかったようだけれど、反応が期待したようなものではないと肩を落とした。だが実際は、会いにきている相手が自分である時点でそんな期待などしていなかったに違いない。沖縄は暑すぎて、夏にはアイスクリームが売れなくなるのだと蘊蓄を披露しながら、抹茶味のカップアイスクリームが覗くビニール袋を差し出してきた。
「ここもクールビズ?」
 外から来たらそれでも涼しいけど、というお姉さまは、最初から暑さなど感じていないように見えた。
「働いているわけではありませんから、ビズというのは当てはまりませんね」
 志摩子の部屋はクーラーがない。それでも直射日光は当たらないから、どうしても暑いときにだけ扇風機をつけて過ごしていた。女の子が体を冷やすのはよくないと、母に言われて育った気がする。
 机の上には教科書とノートが広げられたままで、お姉さまが懐かしそうにそれを眺めた。夏休みの宿題に取り掛かっているときに、お姉さまは訪ねてきたのだ。
「あとどれくらい残っているの?」
「今日の分は、あと二頁くらいですが」
「几帳面だね」
 苦笑してはいるけれども、そのことも予想していたはずだ。きっちり決めているわけではなくて、気が向けば予定の頁より進めたり、用事のある日は繰り上げたりもする。だが多分、あとに残したりすることはほとんどないということも見抜かれているだろう。
「祐巳ちゃんや由乃ちゃんだったら教えてあげられることもあるだろうけれど、志摩子じゃ暇だな」
「では少しだけ待っていてくださいます?」
「うん、がんばって」
 そういうとお姉さまは扇風機と向かい合って風を浴び始めた。机に向かうと、その姿は志摩子に背を向ける。今日一日はゆったり時間が流れるだろう、卒業しても変わらない、どこか繋がっているような安心感。
 扇風機を出してきたのはほんの数日前だった。そうしておいて本当によかったと志摩子は思った。
 
 自分の分もしっかり買ってきたアイスクリームの表面に、コンビニの店員が入れてくれた木のスプーンを突き立て、お姉さまは真ん中から食べ始めた。それがなんだかこの人らしいと感じて、思わず笑いそうになったのをごまかすために、志摩子もスプーンを差して口に運んだ。お姉さまのアイスクリームは、こんなときでもコーヒー味。
「だからアイスコーヒーを辞退されたんですね」
「さすがに、被るのはね」
 外より涼しいとはいっても、部屋の中だって夏であることに変わりはない。冷凍庫から取り出してきたその直後から、アイスクリームは溶けてきている。志摩子の手の中にある抹茶色のそれはカップに沿って液化を始め、それを追うように、志摩子はスプーンを動かした。徐々に山のような形になってゆくアイスクリームを見やって、お姉さまは不思議そうにした。
「溶けたところから食べてるの?」
「え?ええ」
 特に意識したわけでもなかったのだが、いつもそうやって食べていたように思う。
「それだと、いつも少し溶けたところを食べることにならない?」
「……まあ、そう、ですね」
 志摩子が掬い上げたアイスクリームはスプーンの上でもどんどん溶け出していて、抹茶色が光で少し白っぽく見えた。すぐに口に運んでしまえばよかったのだろう、たとえ冬だろうが、冷凍庫の中においてさえ、アイスクリームは少しずつ溶けていくものだ。それが夏で、クーラーもない部屋の外気に晒されていればなおさら。だがお姉さまがなぜかじっと志摩子の持ったスプーンを見つめてきたものだから、ついその視線を辿ってぼんやりとしてしまったのだ。
「あ」
 その声はどちらが発したものだったか。もしかしたらふたりともが同時に口にしていたかもしれない。普通のスプーンとは違って、アイスクリームのためだけに作られている木のスプーンでは、もちろん液体は掬えないのだ。
「ありゃりゃ」
 お姉さまが自分のカップを置いて周りを見回した。志摩子は左手にアイスクリームを一滴落としたまま固まっている。
「ちょっと、志摩子。何しているの」
「あ、あ。はい」
 そうだ、拭き取らなくては、と思いついたときには、お姉さまに両手を取られていた。両手が開いているということは、どうやらティッシュペーパーが見つけられなかったらしい。
「お姉さま、後ろに」
「カップ置いて、ほら」
 促されてそのとおりにすると、今度は危うい状態の志摩子のスプーンを自分に向けて、お姉さまはひょいと口に入れてしまった。ああ、溶けているのに、と思ったけれど、それは今言うに相応しい言葉ではないような気がして飲み込んだ。まるで、世話を焼いてくれているお姉さまよりもアイスクリームのほうを気にしているように聞こえそうに思えた。もちろん、それはそれでお姉さまは大して気にも留めないはずだ。
「何、ぼうっとしているの」
「あ、いえ」
「さっきから、あ、って言ってばかりだけれど」
 暑さでやられているのかと聞かれて、志摩子は返事ができなかった。ああそうかもしれない、と思ってしまったのだ。
「しょうがないわね」
 お姉さまはスプーンを持ったままの志摩子の右手を解放すると、残る左手を自分のほうへと引っ張った。ティッシュペーパーを見つけられず、志摩子の科白を遮って、お姉さまが選んだ手段。羽のように軽い、と感じたわずかな時間の口付けに、志摩子はやはり扇風機を出していてよかったと思った。
「アイスクリーム持ってたくせに」
 熱いよ、志摩子の手。目の前で困ったような笑顔を浮かべるお姉さまが、そう言ったから。
 
 
 
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