■ 銀杏原理主義 「祐巳さんの、裏切り者!」 バタン!たったったっ。 「あっ、志摩子さん! 待って!」 祐巳が止める間もなく、志摩子さんは薔薇の館から駆け出していった。 祐巳は慌てて志摩子さんを追いかけようとする。だが、結局のところその足が志摩子さんを追いかけることはなかった。 なぜなら、たとえ追いついたところで今の祐巳には志摩子さんにかける言葉が見つからなかったからだ。 そうこうしてるうちに志摩子さんの足音は遠くなり、やがて聞こえなくなった。 何が悪かったのだろうか、祐巳は考えてみる。 確かにいくつかの行き違いはあった。でも、それだけじゃあないと思う。 さっきの志摩子さんは、明らかにいつもの志摩子さんではなかった。 今回の問題は、志摩子さんの心の根源に関わる問題だっのかもしれない。 祐巳は、志摩子さんが出て行った扉をただ見つめることしか出来なかった。 薔薇の館が重い空気で支配され・・・。 ガチャ。 「わーい! 聞いてくれる祐巳ちゃん。今度由乃とね、プール行くことになったの。ね、由乃どんな水着着てくると思う?ワンピース、ビキニ、それとも思い切ってスクール水着なんて。うふふっ、もう考えただけでわくわくしちゃう。誰かこの胸の鼓動を止めて、なん」 パカーン!! ↑「ご注文の品です。胸の鼓動は止まりましたか?」 祐巳は、令さまに注文の品を正確無比でお届けした。 ご注文どうりに、令さまの動きがピタリと止まる。 あまりの素早い対応に感動されたのか、令さまからはなんの不満の声も返っては来なかった。 ヘタレのせいで中断されたが、改めて今の状況を説明すると、それはある噂を祐巳が聞いたことから始まった。 それは、今日の昼休みのこと。 カメラ万歳、女子高生万歳、盗撮万歳、の万歳のところが犯罪で3拍子揃ってそうな蔦子さんからその噂はもたらされた。 「祐巳さん、変わった話があるのだけど」 「なに、蔦子さん。ついに蔦子さんが盗撮で捕まって、前科一犯の輝かしい称号を頂いたの。おめでとう、蔦子さん。面会にはいかないけど」 祐巳からの(いろんな意味で)心温まるメッセージに、蔦子さんからも心温まるお返しが怒涛の勢いで祐巳の心の堤防を決壊せんばかりにやってきた。 「ありがとう、と言いたいところだけどそうじゃないわ。・・・ん、そういえば今まで祐巳さんには見せなかったけど、是非みてもらいたい写真があるの。もう10倍ぐらいに引き伸ばしてパネルにして街中に張り出したろか、って思うぐらいに」 そう言った後、蔦子さんは「はい」といって祐巳に一枚の写真を渡す。 「ぶっ!!」 その写真は、蔦子さんが言うだけのことはあって、祐巳のアドレナリン分泌に一役どころか、フルマラソンでメダルが狙えそうな位に素敵すぎるシロモノだった。 「うおおお!」 「あらあら、こんな所で元白薔薇さまのSさまとナニをしてたのかは知らないけれど、これを紅薔薇さまがご覧になられたらどんなに素敵なことが起こるのかしら? ちょっとワクワクしない、祐巳さん」 祐巳はビクビクした。 こんなものを祥子さまに見られたら、確実に紅薔薇革命が起こるだろう。むろん、その紅は血を見ずには済みそうにない所からきている。 魂が震える、というのはこういうことを言うのだろうか? 祐巳があまりのことに打ち震えている所に、蔦子さんが優しく祐巳に呟く。 「ネガはあるから安心してね」と。 祐巳は、蔦子さんに感極まった声でこう告げた。 「勘弁してください」と。 こうしてお互いの友情を確かめ合った後に、改めて蔦子さんがその噂とやらの話を始めた。 「祐巳さん知ってる? もう少ししたらリリアンの庭の方を改築するって話」 「ううん、始めて聞いた。へえー、そうなんだ。でも、何でだろ?」 「クラスの人が偶然先生たちが話してたのを聞いたみたいなんだけどね」 「ふんふん」 「どうもね、あの銀杏並木が臭いって苦情が父兄とか一年生とかから来て、ちょっと2、3本数を減らさないかって話になったみたいなのよ」 「はあー」 なるほど、祐巳はそれを聞いて納得した。 祐巳達にとって見れば今更かもしれないが、確かに素人さんにはあの洗礼はきついのかも知れない。いや、別に祐巳が玄人というわけではないのだが。 「まあ、減らすと言っても少しだけだろうし。銀杏の木が少しぐらい減ったって、誰が困るってわけでもないけどね」 「まあそうだね」 だが、祐巳は気がつかなかった。祐巳の身近に物凄く困る人がいたのを。 そして放課後、祐巳は薔薇の館へと向かう。 ガチャ。 「失礼します。あれっ、志摩子さん一人?」 祐巳が薔薇の館に入ると、そこにはライバルの由乃さんの正体がバレたため、リリアンのおしとやかな美少女部門でトップの座を独占している志摩子さんが緩やかに佇んでいた。 ついでにいえば、何故だかわからないがこの祐巳はリリアンで一番に手込にしたい子部門でこっそりとトップだったりするらしい。まあ、確かに手込にされやすさにかけては、前白薔薇さまのおかげで少々自信がある。・・・なんの自慢にもならないが。 あと、ちなみに今の由乃さんは、リリアンで手負いにしたくない人部門でトップの座を驀進している。その勢いは、卒業までその座は揺らぐことはない、と早くもみなに言わしめるほどだった。 おっと、話がそれた。で、たった今、祐巳が薔薇の館を見渡す限り、祐巳の視界範囲には志摩子さんしか入っていなかった。 その志摩子さんが、いつものようにおっとりとした感じで祐巳に話し掛けてくる。 「ええ、まだ他の方々はお見えになってないわ」 「なあんだ、じゃあ急がなくてもよかったかな」 「ふふ、祐巳さんったら」 「えへへ」 そう言って志摩子さんは優しく笑い、祐巳もつられて笑ってしまった。 祐巳が椅子に座ろうとすると、志摩子さんが祐巳の方をじっとみている。 「どうかしたの、志摩子さん?」 「・・・あら、今日はおなかは鳴らさないの?急いできたっていうから期待してたのに」 「ぐぎゅう!!」 志摩子さんが、祐巳のトラウマに性格どうりに優しくおっとりとタッチしてきた。 優しくても、おっとりでも、それは祐巳の心をいい角度でえぐってくれた。 「あ、あれは神プレイだから。多分、2度と出来ないと思うよ」 「・・・そう、残念だわ」 志摩子さんはそういって、本当に心底残念そうな表情を浮かべる。 いや、そう残念そうにされてもこちらとしては困る。あれこそ、まさに祐巳の一生の不覚(だいたい十三回目ぐらい)だったのだから。 その後も祐巳は志摩子さんと和やかに談笑を続ける。 だが、その談笑が始まって約十分後、祐巳が志摩子さんに言ったある一言によってそれまで和やかだった雰囲気が一変する。 その一言とは、祐巳が昼休みに蔦子さんから聞いたあの噂話についてだった。 「あ、そういえば。志摩子さん知ってる? 銀杏並木の木が伐採されるらしいよ」 祐巳は、この話を軽い気持ちで志摩子さんに言ってみた。だがどうしたのだろうか、志摩子さんからは何の反応も返ってこない。 さっきまで微笑を浮かべていた志摩子さんの顔が、見る見るうちにまるで魂を抜かれたかのような呆けた顔になっていく。 「し、志摩子さん、どうしたの?」 祐巳が思わず心配になって志摩子さんに語りかける。 その声に反応したのかどうかは分からないが、志摩子さんはゆっくりと首だけを祐巳の方に向ける。そして、今までの志摩子さんから聞いたことがないぐらい低い声で祐巳に返してきた。 「・・・祐巳さん、今言ったことは本当なの?」 「え、えっと」 「えっと、じゃないわ!私の家族が狙われているのよ!」 「か、家族??」 「そうよ!」 「え、えっと志摩子さん。志摩子さんだよね、志摩子さん」 祐巳は、自分でいっときながら自分でもよくわからないことを言っている。それほどまでに、今の志摩子さんは祐巳の知ってる志摩子さんとは違って見えた。 「あたりまえじゃない。もう、祐巳さんったら大丈夫なの。ってそんなことは今はどうでもいいわ。あの子達を何とかして助けないと!」 「あ、あの子?」 「そうよ。あの子たちを切るだなんて、マリアさまがお許しになってもこの私が許さないわ!」 どうやらあの子とやらは銀杏の木を示してるらしい。 ここで祐巳はさっきの言葉に大切なことが抜けていたことを思い出し、慌てて補足をすることにした。 「あっ!き、切るといっても少しだけだって聞いてるから。多分、並木の最初の2,3本ぐらいだと思うよ」 別に、銀杏の木を全てを伐採するわけじゃない。最初の2,3本ぐらいなら流石に志摩子さんも許容範囲じゃないだろうか。 (そうだね。いくら志摩子さんがギンナン好きでもそれぐらいなら) だが、祐巳の予想とは裏腹に志摩子さんの顔はさえない。いや、むしろさっきよりも悪くなってさえ見える。 どうしたのだろう、と祐巳が思っているところに、志摩子さんから搾り出すように言葉が洩れる。 「・・・そ、そんな、入り口から最初といえば、始めて名前を付けたから特に思い入れの深い一郎、二郎、ジョナ三(じょなさん)の3本じゃない!」 (・・・いったい何をいってるのだろう、志摩子さん) 聞こえなかったふりをしたいのは山々だが、聞いてしまった以上は仕方がない。祐巳はとりあえず突っ込みを入れてみることにした。 「えっと、志摩子さん。一郎とか、ジョナサンって誰?」 「発音がちがうわ、祐巳さん。ジョナ三よ、ジョナ三」 違う、と突っ込み返されてしまった。 違うのは発音じゃなくて、もう何もかもが違う、と思わないでもなかったが、祐巳はとりあえず志摩子さんと話をあわせるために、祐巳の常識には残り少ない有給を取ってもらってしばらく火星にあたりにバカンスにいってもらうことにした。 「ごめんなさい、志摩子さん。で、ジョナ三って誰? つーか、何?」 「もう、決まってるじゃない」 何が決まっているのだろう? あまり聞きたくはなかったが、祐巳は聞いてみることにする。 「えっと、何が決まっているの、志摩子さん」 「祐巳さんったら、本当に分からないの?」 はい、さっぱり。 むしろ祐巳としては、さも当たり前のように聞いてくる志摩子さんの方がさっぱり分からない。 「全然わかんないよ、志摩子さん」 祐巳が分からないというと、志摩子さんは聞き分けの悪い子をあやすような感じで祐巳に優しく説明をしてくれた。・・・その内容は、あまり祐巳の常識許容範囲に対してあまり優しくはなかったのだが。 「もう、しょうがないわね。銀杏並木の最初の一本目が一郎、二本目が二郎。そして、いつも少し憂いを帯びているような表情を浮かべている3本目がジョナ三じゃない。もう忘れたの祐巳さん?」 (・・・・。) 残念ながら祐巳は、初めから記憶にないものを忘れれるほどテクニシャンではない。 祐巳は悟った。この世の中には知らないことが幸せなことがある、ということが。 「あ、知っているとは思うけど一郎と二朗は兄弟だから。ちょっと弟の二朗が甘えん坊なの」 「へ、へえー」 言ってる傍から、またよけいな豆知識が増えた。 祐巳は、これいじょう生きていくために必要ではない(むしろ邪魔)知識を増やさないためにも話を進めることにする。 「まあ、ジョ弐ー(間違い)とかのことは忘れて、これから新しい銀杏ライフを送ったらいいんじゃあないかな」 「酷いわ。祐巳さんだって入学してからずっと彼等といっしょに学校生活を送ってきたのに、今になって見捨てると言うの」 「み、見捨てるといわれても」 はなから一固性として認識してないものを、見捨てるの、といわれても正直困る。 いや、これが銀杏並木全てという話だったら祐巳のノスタルジーにも火が点いたのかもしれないが、残念ながら祐巳はわざわざ木の一本一本に名前をつけるようなメルヘンな感性を持ち合わせてはいない。 だが、今の志摩子さんはノスタルジーどころかカタストロフィーがアフターバーナー点火で突っ込んでくるように見えるので、祐巳は迂闊な事がいえないでいる。 だが、黙っていても事態は進展しない。とりあえず祐巳は、考えた中で一番いいと思われることを提言してみることにした。 「じゃ、じゃあ、彼らを忘れないためにも、思い出に木の枝を2、3本ばかしポッキリ・・」 だが、せっかくの名案に思われたそれも途中で志摩子さんに遮られる。 「やめて、祐巳さん! そんなこというと、祐巳さんの方をポッキリいくわよ!」 「や、やめて、志摩子さん」 祐巳はポッキリいきたくなかったので、そのプランは取りやめにする。 よし。じゃあ、プランその2。 「じゃ、じゃあ、いっそ切られるぐらいなら自らの手でバッサリ・・・」 祐巳は、やっちゃえば、と言うとしたが、志摩子さんからいい感じのオーラが昇ってきたのが見えたので慌てて口を塞いだ。 「どうしたの、祐巳さん。バッサリなんなのかしら?」 「う、ううん。なんでもない。さっきのは無しでお願いします」 祐巳はバッサリ逝きたくなかったので、プランその2も取りやめにする。 結局、この後祐巳がいくら説得をして見ても、志摩子さんは一本たりとも伐採を許さないの一点張りだった。 志摩子さんが悲しそうに祐巳に語りかけてくる。 「祐巳さんも、無くなればいいと思っているの」 (うーん、確かに志摩子さんの気持ちもわからないでもないけど。・・・ネーミングセンスはともかく) ここは友達としてはっきり言っておいた方がいいだろう。祐巳は意を決して自分の意見を述べた。 「・・・うん。実際に臭いし、2、3本ばかりはしょうがないと思う」 祐巳がそう言うと、志摩子さんはしばらく黙った後、ポツリと呟いた。 「・・・酷いわ」 「し、志摩子さん」 「・・・祐巳さんならわかってくれると思ったのに、思っていたのに」 「あっ」 「祐巳さんの裏切り者!」 バタン!たったったっ。 「あっ、志摩子さん! 待って!」 ・・・と、いうわけだ。 志摩子さんがいなくなってから、しばらく祐巳は一人で考えていた。 そして少し考えた後、やがて祐巳はひとつの判断を下した。 (そうだ、この話は本当にやるのかどうか確証を得たものではなく、あくまで蔦子さんから聞いた噂に過ぎない。・・・これが本当だとしても、なにか志摩子さんのために出来ることがあるかもしれない。いや、きっとあるはずだ!) 祐巳は志摩子さんを追いかける決意を固める。それは、志摩子さんがこの館をでてから約10分ぐらいたった頃だった。 (よし。そうと決めれば行動あるのみ。待ってて、志摩子さん!) ダッ! むぎゅう! (あれ?) 薔薇の館を出る時に何か踏んずけたような気がした。だが、祐巳はもう迷わないと決めたので気にしない。 (志摩子さん。どこなの、志摩子さん?) 祐巳は志摩子さんを探して学校の敷地を駆けていた。むろん、闇雲にあても無く探しているわけではない。 志摩子さんはあそこにいるという確信をもって、祐巳はその場所に一直線に向かっていく。 そして祐巳の目的の所にたどり着いてみると、祐巳の予想どうりに志摩子さんはそこにいた。 そう、銀杏並木の入り口に。 祐巳がいるのが気が付かないのか、志摩子さんは憂いを帯びた表情で入り口から3本目の銀杏の木(多分、ジョナ三)と向かい合っていた。 「・・・志摩子さん」 祐巳がそっと語りかけると、志摩子さんはびっくりとした表情を浮かべた後、緩やかな表情を浮かべる。そして、祐巳の方を見つめながら口をひらいた。 「祐巳さん・・・ポッキリいっとく?」 「・・・いえ、勘弁してください」 出だしから大いに挫けそうになったが、祐巳はなんとか体勢を立て直して志摩子さんに語りかける。 「別に、銀杏の木とか自分をポッキリされに来たわけじゃないよ。ただ、志摩子さんと話をしに来たんだ」 「話? でも、祐巳さんはさっき切った方がいいって」 「うん。さっきは無神経なこといってごめん、志摩子さん。で、その話なんだけど、あれは始めにもいったけど、まだ噂話で本当かどうかわからないんだ」 「・・・そうなの?」 「うん」 ここで祐巳は、志摩子さんにこの噂が何処から来たのかを初めから説明した。 それを全部聞いた後、志摩子さんの顔は幾分かは良くなっている。だが、しばらくして不安そうにこう漏らした。 「・・・でも、本当かもしれないわ」 「うん。そうなのかも知れない」 祐巳には、志摩子さんの不安がる理由がよく分かる。 そう、確かにこの段階では噂だから本当にやるのかは分からない。逆にいえば、やらないという保証も無いので志摩子さんは安心できるわけがない。 ここで祐巳は、薔薇の館で考えたことを志摩子さんに提案することにした。 「でも、このまま待っているだけじゃあ事態は好転しないと思う。だから今、自分たちが出来ることをしない? ね、志摩子さん」 「自分たちができること?」 「うん」 頭のいい志摩子さんだから、祐巳の言いたいことなんてすぐに分かるだろう。 志摩子さんはすぐに何かピンときたような顔を祐巳に向ける。 「わかったわ、祐巳さん」 (うん、志摩子さん) 「そうよね。確かに待っているだけでは何にもならない。今、自分が出来ることをしないと」 (うんうん。流石は志摩子さん) 「やっぱり、・・・ここはテロしかないわ!」 (そうそう。やっぱりテロよね。ってええーっ!!) 「ありがとう祐巳さん、私の背中を押してくれて。おかげで目が覚めたわ。そうよね、やっぱりここは行動で示さないと」 確かに祐巳は志摩子さんの背中を押しにきた。だが、断じてそんな秘孔じみたものはまったく押した記憶がない。しかし、残念ながら志摩子さんはやる気満々だった。 「い、いや、志摩子さん。あの、ちょっと」 「うふふ、銀杏テロね」 「し、志摩子さん」 祐巳は悟った。今、祐巳の目の前にいる志摩子さんは見た目はいつもの志摩子さんでも、中身は祐巳の知っている志摩子さんではない。今の彼女は、銀杏に全てを捧げた銀杏の戦士、銀杏原理主義の志摩子さんだった。 冗談ではない。リリアン初のテロリスト&世界初の銀杏テロリストとして歴史に名を刻むのなど真っ平ごめんだ。 祐巳は慌てて軌道修正を試みることにする。 「あ、いや、志摩子さん。私が言いたいのはそうじゃなくて、まず、この噂が本当かどうか確かめるが先決だと思うんだけど」 「でも、本当だったらどうしようもないわ。やっぱり、ここはテロ・・・」 「待って、志摩子さん! とりあえず、その危険な二文字は置いておいて」 「・・・分かったわ、祐巳さん」 「ふう、良かった」 祐巳の説得が効を奏したのか、志摩子さんは納得してくれた。 (ふう、やれやれ。これで一安心) 祐巳が安心したその時、まるでタイミングを見計らったかのように志摩子さんから刺激的な言葉が続いて飛んできた。 「じゃあ、テロルで。銀杏テロル」 ぶっ!! ごほっごほっ。 祐巳は思い切りむせてしまった。 「い、いや、志摩子さん。別に文字を増やせばいいってもんじゃあないんで」 「テロもだめ、テロルもだめって。じゃあ、祐巳さんはどうしろというの?」 (いや、だってそれ同じじゃあないですか!) 仕方が無い、祐巳はテロを回避するためにも一から説明をする。 「えっと、だからここは、まず事の真偽を確かめる」 「で、確かめてどうするの、祐巳さん?」 「まず、噂が間違いだった場合。これなら特に問題ないよね、志摩子さん」 「そうね、そうだったら問題はないわ」 「うん、で・・・」 ここからが大切だ。祐巳は気合を入れなおした。 (テロが回避できるのはここからにかかっている) 「もし、噂が本当だった場合。つまり、伐採される場合は・・・」 「・・・テロ?」 「いえ、テロはしません。で、伐採される場合は・・・」 祐巳がそこで言葉を止め志摩子さんの方を見る。志摩子さんの目は、やるならいつでもやるわ、と燃えさかっているように祐巳には見えた。 祐巳は覚悟を決めて口を開いた。 「この祐巳がなんとかします!!」 祐巳がそう言った後、志摩子さんは微笑を浮かべてこう言った。 「期待してるわ、祐巳さん」と。 (・・・ああ、深みはまっていく私) 今、祐巳と志摩子さんは職員室の中で2年生の学級担当の前に立っていた。むろん、あの噂の真偽を確かめるためだ。 時間を無駄にしたくは無い。祐巳は単刀直入にズバッと聞いた。 「先生、あの噂は本当なのですか」 「噂って」 「庭を改装するって」 「あら、よく知っているわね」 グサッ! 先生の返事は祐巳にズバッときいた。 知っている、それは間違いなく肯定の言葉だった。 その声を聞いた時、志摩子さんが「そんな」と呟いて床にへたり込んだ。 よっぽど、一郎、次郎、ジョナ三がいなくなるのが寂しいのだろう。 「ま、まあ、どうしたの藤堂さん」 志摩子さんは、一郎、二郎、ジョナ三、などとぶつぶつと呟いている。 いくら山百合だろうが薔薇族だろうが一生徒に過ぎない祐巳が言っても簡単に学校が決めたことが簡単に翻るわけが無い。だが、志摩子さんにああいった手前、こちらとしても簡単には引けない。 「あ、あの、なんとか取りやめにはならないのですか?」 「えっ、何をいっているの福沢さん?」 先生が驚いたような顔をして祐巳を見上げてくる。その気持ちは祐巳にも分かる、ただの一生徒の祐巳が学校のインフラについて口出しをしてくるのだから正気を疑われてもしょうがない。 だが志摩子さんにテロを起こさない為にも、ここは踏ん張ってみる必要があるだろう。 「えっと、何とか今回の改築はやめにできないかなー、と思いまして」 「・・・どうしたの、いきなり福沢さん、その理由は何?」 「えっと、このまま工事を進めますと、テロが発生する疑いがありまして」 「テ、テロ!?」 「はい、銀杏原理主義による銀杏テロが」 「ぎ、銀杏テロ??」 先生は目を丸くする。まあ仕方がない、いきなりテロと言われてピンとくるわけはないだろう。しかも銀杏テロだなんて、自爆、ケミカル、テロにも色々バライティーがあるが、銀杏というウイットな単語がテロにくっつくというエキセントリックな出来事はこのテロ業界でも最初で最後だろう。 「はい、銀杏のためになら命も惜しまないお方がおりまして。ですから、今回の改築による銀杏の伐採は止めていただけたらと・・」 言うだけのことはいった。正直祐巳は、先生にいいかげんにしなさい! と怒鳴られる覚悟をしていた。だが、祐巳が待っても先生から何も帰ってこない。 それからしばらくして、先生から帰ってきたのは意外な言葉だった。 「ちょっと待って、伐採?」 その先生の返答はいかにも意外な話を聞いた、といったニュアンスだった。 祐巳は怪訝に思いながらも同じ事を言う。 「はい、伐採だけはなんとか思いとどまっていただきたくて」 祐巳がそう言うと、先生は溜め息をついてこう言った。 「どうやら誤解があるみたいね」 と。 ??誤解とはなんだろう、祐巳は先生に問いただすことにする。 「あの、誤解って何のことですか?」 「あのね、福沢さん。どこで聞いたのかは知らないけど、肝心なところが間違えているわ」 「ど、どこがですか?」 「確かに、庭の改築、そして銀杏の樹を、のところまでは合っているわ。でも最後のが全くの反対」 「え!?」 祐巳が百面相リミッターぶっちぎりでやっているのを見て、先生はニヤニヤ笑いながら祐巳に告げた。 「銀杏の樹を伐採するのではなく、新しく植えるのよ」 あたらしくうえる? その言葉が日本語として祐巳の頭の中に認識された時、祐巳は雄たけびのような悲鳴をあげる。 「ええーっ!!」 「もう、あわてんぼうね。福沢さん」 ガーン!! 噂の真実に祐巳は目玉が飛び出そうになる。だって、そうだろう。思っていたことが全くの勘違いで、今までやってきたことが無駄どころか、ただひたすらトラウマ作りにせっせと励んでいただけだなんて。 祐巳は、目の前が真っ暗になるのを感じながら何とか口を開く。 「で、でも、今回新入生の方々から臭いって苦情が来たからやると聞いたのですが?」 「あら、よく知っているわね。それは間違ってないわ」 ますます訳が分からない。なんで苦情が来たのにさらに植えるのだろうか? 「じゃ、じゃあ何で減らすのではなくて増やすのですか?」 祐巳がそういうと、先生は、我が意を得たり、といった表情でニヤリとした。 「ふふ、いくら苦情が来たからって、はい、そうですか、というわけにはいかないわ。せっかくのいい機会だから、今年の新一年生達に我校の教育方針のうちの一つ 「世の中そんなに甘くない」 を心と身体に厳しく刻み込んであげるためにも急遽10本新しく植えることにしたのよ」(嬉しそう) (な、なんて嫌な教育方針なんだ!!) 祐巳が一年生だったらトラウマになりかねない事を、先生は爽やかな笑顔で学校方針と言う便利な一言で素敵に片付けていた。 祐巳がまるで悪魔を見るような視線で先生を見つめているところに、追い打ちのように隣から 「ふふふ」 という地獄のそこから聞こえるような笑い声が聞こえてくる。 祐巳がギョッとして見てみると、そこにはさっきまで打ちのめされていた志摩子さんが含み笑いをしながら緩やかに起き上がってくる。そこにはさっきまでの打ちのませれていた姿は微塵もなかった。 「うふふ、いやだわ私ったら。祐巳さんのうっかりに乗せられてしまって」 「え、あの志摩子さん、私のせいなの?」 だが、祐巳のつっこみなど塵芥のようなぐらいの見事な無視っぷりで志摩子さんは口を開く。 「そうよね。銀杏の樹を伐採するだなんて、マリアさまがお許しになるわけがないわ」 (えっと、あのマリアさま、随分と偏ったこと言われてますが、お許ししていいのですか?) だが、祐巳の疑問など知ったことではないかのように志摩子さんの祭りは続く。 「で、先生、四ンデレラ達、あ、いえ、銀杏達はいつこちらにこられるのですか?」 はい、早くも一本名前が決まっているようです。これは、あれか? 次の子供の名前は○○にしようというやつと同じなんだろうか? 突然、見たことがないくらいハイテンションな志摩子さんに話を振られて驚きながらも先生は志摩子さんに返す。 「あ、そ、そうね、だいたい一週間後ぐらいかしらね」 「そうですか、楽しみに待っています」 「え、ええ」 「では先生、失礼します。それじゃ行きましょ、祐巳さん。・・・クク」 志摩子さんはそう言ってまるでスキップをしそうなぐらい、いや、実際にスキップをしながら職員室からと出ようとする。慌てて祐巳もその後を追うことにした。 「あ、待って。あ、じゃあ先生、お騒がせしました」 「ええ。それじゃあ、福沢さん」 ガラガラ、ピシャ。 こうして銀杏の樹は伐採されることもなく、銀杏原理主義による銀杏テロは回避された。 ただ、銀杏の樹ではなく、誰かの心は多大に伐採されてハゲ山のようになっていたのだが。 ・・・いや、もういうまい。だって、悲しくなるから。・・・クスン。 (どうでもいい)エピローグ あの日から二日後、祐巳は乃梨子ちゃんからとある相談を受けていた。 それは次のような内容だった。 「どうしたの、乃梨子ちゃん。相談って何?」 「あ、あの祐巳さま、最近の志摩子さん、あ、いえ、最近、お姉さまの様子がおかしいのです」 (志摩子さんの様子がおかしい? ・・・まさか) 祐巳は嫌な予感がしながらも、乃梨子ちゃんに続きを促すことにする。 「えっと、どんなふうにおかしいの?」 「はい、最近志摩子さんの口から、五ンザレス、零モンド、ちょっと語呂が悪いわかしら、だなんて奇妙奇天烈な言葉が飛び交っているのですけど、なにかお心当たりはありませんか?」 (・・・ああ) 祐巳はしばらくした後、少し遠い目をしながら乃梨子ちゃんの肩にポンと手を置いた。 「・・・乃梨子ちゃんの仲間が増えるみたいね。おめでとう、乃梨子ちゃん」 「はぁっ、な、仲間??あ、あの、祐巳さま、意味が全然わからないのですが」 乃梨子ちゃんはわけが分からないという顔つきをしている。まあ、無理もないだろう。・・・いや、祐巳だって分かりたくはなかった。 被害者をこれ以上増やしてはならない。祐巳は真剣な顔つきをして、乃梨子ちゃんに忠告をすることにした。 「乃梨子ちゃん、この世の中には知らない方がいいことがあるの。悪いけど、私が言えるのはそれだけ」 「え、そんな祐巳さま」 明らかに乃梨子ちゃんは納得していなさそうに見えた。 仕方がない、祐巳は乃梨子ちゃんを安心させるために補足をする。、 「大丈夫よ。多分、一週間もすれば元の志摩子さんに戻るはずだから」 「え、一週間?」 そう、あと一週間もすれば新しい銀杏の樹が植えられるはずだから。おそらく名前を付けた後は志摩子さんも銀杏原理主義の変身を解くことだろう。・・・表面上は。 とりあえず今の志摩子さんに対するおそらく対策としては、祐巳が思う最善の策を乃梨子ちゃんに伝えることにする。 「うん。それまではちょっといつもとは違う志摩子さんだと思うけど、まあ見なかったことにしてあげて」 「・・・はあ、わかりました」 一週間と期限をつけたのがよかったのか、乃梨子ちゃんはしぶしぶ言った形で納得をしてくれた。 それから5日後、いいギンナンをこの秋に実らしてくれるであろうと嫌でも確信させてくれる見事なまでの十本の銀杏の木が庭に新たに植えられていた。 この時に祐巳が見たとろけそうなまでの志摩子さんの顔と、まるでこの世の終わりを予感させるような恐怖のズンドコに突き落とされた様子の一年生たちの姿、そして、その打ちひしがれた一年生を見て何故かニヤリとしている先生たちの様子は、しばらく祐巳の頭の中からは消えてくれそうになかった。・・・アーメン。 それから志摩子さんが、祐巳さんにも世話になったから、と言って、これっぽっちも嬉しくないのに一本のイチョウの木の命名権を祐巳にくれた。 正直いって迷惑以外の何者でもないのだが、祐巳はしばらく考えてから心に浮かんできた名前を志摩子さんに告げた。 その名前を志摩子さんに伝えると、志摩子さんはかみ締めるかのようにしてその名前を口にする。 「セブンね。ストレートだけどいい名前だわ」 祐巳は、そりゃあ、志摩子さんの魔球のようなネーミングからみれば大抵の名前はストレートだと思うよ、と言いたかったがなんとか我慢をする。 「うん、自分でも(志摩子さんに比べたら)いい名前だと思う」 「命名はどこからきてるのかしら? やっぱり七番目に立っているから?」 「それもあるんだけど。・・・もうひとつは、内緒」 「そう、それは残念だわ。ふふ」 この名前の由来の本当の理由である、ウルトラ(すごい)迷惑をかけられた7番目に立っている木、からきているということは、銀杏原理主義である志摩子さんに知られてはならない。 それからしばらくして、銀杏並木の7番目にある木が、いつのまにか「ウルトラの樹」と呼ばれるようになった。 何故そう呼ばれるようになったのか、ただ単に一番に大きかったからそうなったのか、もしくはそれ以外の理由なのか、本当の理由は誰にもわからなかった。 ・・・ある一人を除いて。 終わり
...Produced By 一体 ...since 05/09/02 ...直リンOK 無断転載厳禁 |