■ 子羊たちの休暇に潜む狼とヘタレ 夏休みを目前に控えたある日、「折角の夏休みだから一度ぐらいみんなでどこかへ行きませんか?」という祐巳ちゃんの提案を受けた山百合会の面々は、夏休みを学園祭の準備だけで終わらせるのはもったいないと満場一致で賛成の声を上げて小笠原グループの所有するプライベートビーチへと赴いた。 プライベートビーチというよりも島自体が小笠原の所有物であり、寝泊り出来るコテージがいくつかあるだけで観光客用の施設もなければ管理人以外の人影は一切見当たらない完全貸切のアイランド。東京から専用機でわずか一時間と時間的にも融通の利く場所にその島はあり、何かあってもすぐに戻れるという安心感からか全員がハメを外して夏のバカンスを楽しんでいた。 ただ、乃梨子ちゃんだけは実家に帰らなければいけない用事があったらしく参加していない。それなら卒業なさったお姉さまたちをお誘いしてみようということになり、予定も空いていたということで今こうしてここにいらっしゃるのだ。 「いや〜絶景絶景。最高の眺めだね、うむ。眼福じゃ」 パラソル付きのテーブルに、備え付けられたビーチソファー。その上に寄りかかっていた聖さまが腕を組みながら卑猥な笑みを浮かべて波打ち際を凝視する。その様子はどこからどうみても変態親父そのもの。相変わらずお変わりないらしい。 「そんなこと言ってるとまた蓉子さま辺りに怒鳴られちゃいますよ?」 私が注意したところで止める訳ないと思っていたけどやっぱり気にも留めずにウォッチングを続けている。聞こえないから平気と仰るけど、聞こえていたらきっと大惨事になっている気がする。 「そういえば令は?」 泳がないの? とでも言いたそうな眼差しで私を見る。といってもコンマ一秒ほどでまた視線を戻してしまったけど。 「もう少ししたら泳ぎに行くつもりです」 おいおい、そっちですか。それならそうときちんと主語をつけて頂かないと、ってそういう問題でもないか…… 「え〜由乃ちゃん? 確かにあの子顔はべらぼうに可愛いけどペッタンコじゃん」 ペッタンコって見るとこはそこなんですね。やっぱりこの人エロ親父認定。 「グ、グラマーさで言うなら志摩子とか……」 あーもう勝手に言ってて下さい。 「な、なんですか。今の発言はお姉さまたちには漏らしたりしませんから安心してください」 訊き返しながらテーブルの上に置いてあるミネラルウォーターを手に取った。日差しがきついせいか思っていたよりも生ぬるい。 「令はさぁ、あの中で夜這いかけたいとか思う人いないの?」 いきなり何を言い出すんだこのエロガッパ! 漫画並みのリアクション取っちゃったじゃないか! 「あーその反応、さてはいるね? 誰々? お姉さんに話して御覧♪」 しかも勘違いしてるときたもんだ。誰だってあんなこと言われたら噴出すっつーの! 「いいいいいいいいませんよ! バカなこと聞かないで下さいっ!」 遠慮して、なんて問われて一瞬だけ視線が祥子へと向いてしまった。こちらの様子には気付くことなく祐巳ちゃんと楽しそうに水の掛け合いをしている。祐巳ちゃんと一緒にいる時はあんな笑顔を見せるんだなと思うとちょっぴり妬けるけど、それはきっと友達としてでそういう感情からではないと思いたい。ましてや夜這いなんて。夜這いなんて…… 「今、祥子のこと見てたね」 ドキっ。 「み、見てませんせんってば……気のせいでしょう」 聖さまが突然名前を呼ぶから疑問に思ったのか由乃がこっちへ近づいてきた。 『何ですか聖さま?』 ……あぁぁぁぁやばいやばい聖さまのことだから確実に話を捏造しそうだ!! ホラ、今ならまだ間に合うよなんて目で訴えかけてくるし。ダメだ……この人絶対ヤル気だ…… 「くっ……み、認めます。確かに私は祥子を見ていました。だから由乃には……!」 私の言葉に聖さまはうんうんと頷いて納得したように笑顔を見せた。エロい上にとんでもないサディストなんじゃないだろうかこのお方は…… 「聖さま私のこと呼びました?」 ……嘘も方便。よくも咄嗟に言い訳が出来るもんだ。 「そんなの所有物じゃないんだから断って下さらなくても。じゃあみんなに伝えておきますね」 聖さまが軽く手を振ると真相を知らない由乃はルンルン気分で波打ち際へと走っていった。何だか由乃を騙したような気分になって罪悪感が芽生える。いや、事実騙してるんだけど…… 「さて、スイカを取りにいきながら話を進めますか」 テーブルの上に置いたサングラスを掛けてニヤリ。一体何をしようとしているのか……
私の出した提案に半泣きしながら令は言った。どうやらよっぽどこの作戦が嬉しかったらしい。 「本気と書いてマジと読む。令にとっても悪い話じゃないと思うけどな〜」 詳細はこうだ。 「いざ快楽の世界へゴーゴーヘヴンじゃないですよ! もしバレでもしたら……あわわ……」 一体どんな妄想を繰り広げたのか、令の顔はタコのように茹で上がっている。なんだかんだいって一番ムッツリっぽいしね、言ったら凹むから言わないけど。 「それではフタサン、マルマル、状況開始。飲み物でも入れてくるよってのを合図にするから一緒にキッチンへ。OK?」 これで手筈は全て整った。後は夜になるのをじっくりコトコト待つだけ……ニヤけが止まらないですマリア様、うへへ。 * 作戦を完璧に遂行するには一番風呂に入って他のメンバーが出てくるのをダイニングで待ち構えなければいけない。 「何だか喉が渇くわね」 ナイスなタイミングで蓉子が喉の渇きを訴えた。発汗作用のある唐辛子の入浴剤を少量湯船に混ぜ込んでおいたのが効いたのか、その場にいる全員が彼女の発言に同意。しめた、とつい呟きそうになってしまった。 「何か飲み物でも入れてくるよ。アイスティーでいい?」 ポイントは力がありそうだからと抜かりなく付け加えておくこと。これで誰も怪しむ者はいないハズだ。 「令はお湯を沸かして準備しててくれる? 私はグラスを用意しながら睡眠薬を粉末にする作業に掛かるから。あくまでも自然に、ぎこちない動作は禁物ね」 そうはいいつつもやっぱりどこかしら緊張しているのか普段の令とは違った感じに見えてしまう。竹刀を握れば人が変わったように強気になる癖に肝心なところでビビラー。こんなんで黄薔薇さまなんてやっていけてるんだろうか。 「令さま、どうかしましたか?」 そこへタイミング悪くお風呂上りの祐巳ちゃんが登場し、令の動揺は益々ヒートアップしている。 「聖さまもなんか変……きっと暑さでやられちゃったんですね」 暑さじゃなくてキミの可愛さにやられたんだけどね。 「聖さま、もしかして祐巳ちゃん狙いですか」 祐巳ちゃんが居なくなったことにより落ち着きを取り戻した令はてきぱきと準備をこなしながらそう言った。まぁ、祐巳ちゃんだけじゃなく全員狙ってるっちゃ狙ってるんだけどね。
「あの調子じゃ和室組もバタンキューだね。ニヒヒ」 暗闇の中で聖さまがほくそ笑んだように見えた。完全に狼に変身してるよこの人。 「じゃんじゃじゃーん、ペンライトでーす。先頭切るから後からついておいで」 これから肝試しでも始めるかのごとくペンライトを顔の下から当てて口の端を吊り上げる。なんて用意周到な……初めから夜這いを掛けるつもりで持ってきていたのだろうか。だとしたら私はその計画に巻き込まれたということ? あぁ、何て不幸な少女なんだ。頑張れ私。 「入るよ。抜き足差し足」 和室の前につくと聖さまはゆっくりと襖を開けて中へと侵入していった。部屋の中に一歩足を踏み入れた瞬間、あぁ、もうこれで逃げられないなと腹を括り、足音を忍ばせて聖さまに続く。 「怖いんだ?」 ニヤリ、とペンライトを向けながら聖さま。 「……平気でいられる方がおかしいと思いますが……」 祐巳ちゃんはともかく、この部屋にいる残りのメンツといえば祥子に蓉子さまにお姉さま。お姉さまは寧ろ状況を楽しむタイプだけど祥子と蓉子さまは完全にブチっと逝ってしまうだろうし、あの二人が祐巳ちゃんのことでタッグを組むととんでもないことになるのを私は知っている。この和室が血の海になることはほぼ確実だ。 「割と強い睡眠薬だから平気だってば。そんなヘタレな令にはコレを進呈しよう」 手渡されたものを飲むように促されてパッケージを確認するも闇が濃くて銘柄すら確認が出来ない。わかるのはどうやらドリンク剤らしいということだけだけど、果たして聖さまを信用していいものか。 「ははぁ、さては信用してないね? 薬なんか盛ってないってー」 ホラ、といって取り出したもう一本のそれを喉の奥へと一気に流し込んでゆく。見ている限り確かに何かが混入されているというわけではなさそうなので私も飲んでみることにした。味は……何と言うか普通だけどどこか強烈な部分があるというか、物凄く栄養がありそうな感じがする。マズいというわけではないけどウマいともいえないそんな味。 「聖さま、これ一体何ですか?」 今、絶倫とかコブラとか言いやがりましたかこの人。 「コブラ・ウミヘビ・ハブ・マムシの4種類の蛇エキスをバランスよく配合した栄養ドリンクってやつ? 効くよー色んな意味で」 ……ダメだ、もうついていくのも精一杯。帰りたい、洋室のベッドで何事もなかったように朝までぐっすり眠りたい。 「ものすごい手慣れてますね……」 と、手をワキワキとさせながら聖さま。 「へ〜そうなんですか――って聞き流しそうになったけどもしかして今もっそい発言かまされました? ワンモアプリーズ」 聖さまはそこで声を出すのを躊躇った。 「――で、私がどうかしましたかお姉さま?」 その声はとても澄んで、それでいて凛としていた。するはずのない声に聖さまも私も身動きが取れず、ただ恐怖の色を瞳に浮かべていた。 「お姉さま」 聖さま、と呼ばれてようやく祐巳ちゃんの身体から立ち退き、自身を志摩子へと振り向かせた。今のやりとりでどちらに支配権があるのか一目瞭然な気がする。 「どうしてここにいるのかって顔されてますね」 私の方を見もせずに志摩子は言う。予想なのかそれともハッタリを掛けているのか、どちらにせよ図星を指されたことに冷たい汗が頬を伝った。 「お姉さまのことだから何かしでかすのではないかと事前に予測していましたし、お姉さまの部屋のパソコンを調べると案の定怪しい通販サイトの履歴が。やるならいつでも就寝できる時間帯だろうと思い、先ほど出された紅茶は飲むフリをして飲んでいません」 冷静に考えると物凄く怖い。聖さまだってまさかインターネットの履歴まで見られてたとは思いもしなかっただろうし、実際に睡眠薬入りの紅茶は飲んでないのにあたかも眠気がきたかの如く眠い演技までして。私だって勘違いさせられるぐらい志摩子はとても眠そうだったのに、あれが嘘だったなんて今でも信じられなかった。 「怪しまれず作業に至るには共犯者もいりますしね。女の子にお触りするのが大好きなお姉さまが水着姿を遠目に見て令さまと浜辺で話している時点で令さまを共犯者にすることもわかっていました」 一体どこまで聖さまのことを把握しているんだろう。そういえばあの時聖さまも『志摩子も意外とある』なんて言っていたけど、あれは実際に抱いた感想だったんだろうな…… 「だからといって全員を叩き起こしてタコ殴りにさせるなんてそこまで非道な人間ではありません。そこでお願いがあるのですが……」 そこで志摩子は私の方へと顔を向けた。穏やかないつもの顔がそこにはある。 「お願いって……?」 志摩子の提案を真っ向から否定する聖さま。どうやら彼女には恐怖の未来予想図がチラついているらしく、その表情は今までに見たことがない位真剣なものだった。しかし今の私は敵側に寝返った反逆者。生憎、自分の命は惜しい雑魚兵なんです。 「朝起きたら志摩子が熱を出したから聖さまが看病してたってことにしとく。アディオス聖さま」 超笑顔の志摩子に引きずられる聖さまは本気で涙を流しているようだった。逃げようにもいつの間にか首輪が取り付けられてそこにロープが巻きつけてある。 それから数分後、 洋室から艶かしい喘ぎ声やら痛々しい泣き声が耳に届く。祥子が間近にいるも何かしようという気は起こるわけもなく、由乃と自分の布団を敷いて声が聞こえないように布団を被って眠りについた。
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