■ ドキッ 男だらけの花寺水泳大会 打ち寄せる波。 照りつける太陽。 爽やかな浜風。 躍動する若い肉体。 「…夏だな」 「そうだな」 「…海だな」 「見ればわかる」 「暑いな」 「夏だからな」 「潮の香りがするな」 「海だからな」 「お前、まともに会話する気ないだろう」 「小林、人の心の機敏がわかるようになったんだな」 「そこまで露骨なら誰でもわかるわいっ!!」 そこでようやく、祐麒は振り向いた。 海パン姿の男達が、照りつける夏の日射しの下、灼熱の砂の熱さで焼けこげる足の裏に耐えながら、海を見つめている。 「…なんで、俺たちこんな所にいるんだ?」 「…水泳だろ?」 「…プールはどうした」 「ユキチ、熱さで脳がやられたのか? 俺たちのプールは、今は地上の楽園、人類誰もが夢見るパラダイスと化しているじゃないか」 「…そうだったな」 「水泳部が、プールの水を1リットル二千円で売りに出すというもっぱらの噂だ」 「それは生徒会の全力を持って阻止する」 「なあ、ユキチ。阻止するのは同然だ、しかしよく考えてみてくれ」 「なんだよ」 「売りに出すということは、買い手がいるということだ」 「ああ」 「つまり、福沢家のお風呂の残り湯、祐巳ちゃんオンリーの残り湯なら、1リットル五千円でも買い手が」 「往生せいやぁあああああ!!!!!!」 「落ち着けユキチ!!!! お前の残り湯でも柏木先輩なら買ってくれるぞ!!!」 「そう言う問題じゃねえだろっ!!!」 とりあえず小林を砂の海に沈める祐麒。 暑い。これも暑さゆえのイライラのせいなのだ。そう、暑さのせいなのだ。そうだ、そう決めた。 例え目の前に海があろうとも、暑いものは暑い。 電車に乗ってここまでやってきて、クラゲが出るから遊泳禁止? とりあえず浜辺で散策? ふっ…ふふふふふふふふ。 突然笑い出した祐麒に、回りの者は腫れ物に触れるような顔で遠ざかっていく。 「こんな馬鹿な話があるかーーーーー!!!」 絶叫する祐麒の背後に端正な影一つ。 「それじゃあ、なにかい? ユキチは、リリアンのか弱い乙女達がこの立場になればいいと思っているのかい?」 耳元に息を吹きかけられ、反射的に裏拳を見舞いながら振り向く。 華麗なステップで祐麒の拳を避ける柏木。勢い余った拳は、ようやく立ち上がった小林の顔面にヒットする。 まあ、小林はどうでもいい。 血反吐を吐いて仰け反る小林に一瞥もくれず、祐麒は柏木に食ってかかる。 「だいたい、あんたが余計なことを言うから!」 「仕方ないだろう。まさか、確かに今日のこの出来事は不運だけれども、ユキチは祐巳ちゃんや瞳子を同じ目に遭わせたいのかい? それに、僕だって暇というわけではないのに、責任を感じてこうやってOBとして付き添っているじゃないか」 「…それは感謝します。だけど…」 「だけどなんだい?」 「見苦しいぞユキチ!!」 叫びながら駆け寄ってくる高田鉄。なぜか、褌姿。いや、たしかに今日は水着は自由なのだが。 筋肉ムキムキの褌姿は、ハッキリ言って暑苦しい。見たくない。勘弁してくれ。 暑苦しいなんて、今のお前にだけは言われたくない。そう言いたい祐麒。 「女性の難儀を救わずして、なにが生徒会長だ!」 何故か遠巻きにしているギャラリーからも歓声が上がる。 「リリアンからの感謝の言葉、俺たちは一生忘れないッ!!」 大歓声。 ああ、確かに感謝の言葉は…って、ちょっと待て。 「感謝の言葉を忘れないって、あの場にいたのは生徒会だけだろっ!!」 祐麒はその場の状況を思い出していた。 夜、突然部屋を訪れる祐巳。 「いいかな、祐麒?」 「どうしたの、こんな時間に?」 「うん。ちょっとね。お願いがあって」 えへへ、と笑ってみせる祐巳。 …お前、わかっててやってるだろ。 祐麒は心の底から思う。 実の弟相手に可愛い子ぶって、お願いを聞いてもらおうとは、実の姉ながら何を考えているのか。 そして、それが通じてしまう自分に涙がこぼれる。 「花寺のプール貸して」 「はあ?」 「ウチのプールが故障して困っているのよ」 「…なんで俺に?」 「うん。学園長が花寺に行ったらしいんだけど、生徒さえ構わないなら貸しましょうって言われたらしいの」 「…で、生徒会の俺に?」 「うん。全校投票でもしてもらえると助かるんだけど」 「そんなに大きな話じゃないだろう」 「でも…私たちが使うと、多分花寺の人は使えないと思うのだけど」 「…それもそうか」 とりあえず、相談だけはしてみようと約束した祐麒は、翌日の生徒会で早速尋ねてみる。 「ほほう、祐巳ちゃんに夜這いされたと」 とりあえず小林には正拳突き。 高田、アリス、二人は同意見。とりあえずアンケートを取るくらいはいいだろう。全校が貸してもいいという意見を持つならば、それを止める必要はない。 それが予想外なことに。 「貸してもいい」という意見が大多数となった。 アンケート用紙の束と頭を同時に抱える祐麒。 「…こいつら、まさか、仲良く一緒に入れるとか思ってないだろうな…」 ああ、と顔を見合わせる高田と小林。 「入れないのか、ユキチ?」 「馬鹿かお前らっ!!! 入れるわけないだろうっ!!!」 「じゃ、じゃあ、俺たちのプール実習は?」 「知るかッ!!」 「ユキチ、このアンケート結果どうするのよ」 「闇に葬る。どーせ勘違いの結果だ。その二人がリリアンと一緒のプールだとか何とか無茶苦茶言ったんだろ」 何も言い返せない二人。 「おい、まさか……本当に言ったのか…」 「あ…まあ、一応」 正拳突き×2。 「闇に葬るのは良くないな。それは健全な生徒会とは言えないよ、ユキチ」 何故かこういう現場になるとどこからともなく現れる柏木。祐麒は辺りを見回した。 「?? どうしたんだい、ユキチ」 「…今日こそ、見つけてやろうかと思って」 「何をだい?」 「盗聴器。いつもタイミング良すぎるからな」 「そんなものはないよ。ユキチのピンチにはいつでも駆けつける。僕のユキチへの愛のなせる技さ」 「ピンチを増やされているような気がする」 「うん、それもまた、愛の形だね」 「そんなのいらない」 「与え続けるのが愛さ」 結局柏木の言うことにも一理あり、勘違いがあったとはいえ確かにアンケート結果を闇に葬るようではいけない。 プールをリリアンに貸すことは決議された。 そしてその夜、祐麒は祐巳にそれを報告した。 すると翌日、山百合会の面々が花寺を訪れて生徒会に丁重な礼を述べていったのだ。 このとき、その場にいたのは花寺側は生徒会だけである。つまりその礼を直接聞いたのは生徒会の人間だけ。 「これ」 小林が手のひらに載せているのはICレコーダー。 「これで皆さんの礼を記録しておいて、有志の者に聞かせたんだ」 「小林…お前…」 「おい、ユキチ。考えても見ろ。こうでもして一部の有力者を抑えておかないと、それこそ暴動が起きるぞ」 小林の言うことももっともだ。それに言われてみれば、こんな目に遭っているというのに驚くほど、一般生徒は従順である。 「…わかったよ」 祐麒は納得した。 しかし、このていたらく。 プール実習の替わりに生徒会で主催した、午後を利用した水泳実習。ところが肝心の海はクラゲの大量発生で遊泳禁止。 一体どうしろと。 しかも、ほとんどの者は既に海パン姿。あるいは褌。 「この惨状をどうしろと…」 「クラゲは事故としか言いようがないね」 笑う柏木。 「仕方ないから、皆で甲羅干しでもしようか。ビーチバレー大会やビーチフラッグ大会もいいぞ」 そそくさと脱ぎ出す柏木。 「僕も念のため水着を着てきたからね」 「ビキニパンツかよーーーー!!!!」 「ふふ。僕の勝負水着だよ」 「誰と勝負だ!!!!!」 「どうだい、ユキチ。胸がキュンキュンしてこないかな?」 「するかーーーーっ!!!」 「ちょっと!」 叫ぶ二人を留めながら、 「暑いから叫ばないで、余計暑いし。第一、柏木さんの言うことももっともよ、ユキチ。何もしないでいるよりも、何かしましょうよ」 アリスが間に入る。 「…ああ、そうだな。確かに。先輩の言うとおり、皆で何かした方がいいよな。このままって訳にもいかないだろうし」 「そうだよね。とりあえず、ユキチも水着になったら? どうせ、学生服の下に着てきたんでしょう? 私も水着着てきたし」 そういうと、学ランを脱ぎ捨てるアリス。そのままシャツに手をかけるが… 「なんでギャラリーができてるんだよっ!!!」 祐麒のツッコミ。ギャラリーはこそこそと解散する。 「あっはっはっ。別にヌードになるわけでもないのにね」 「いや、アリス。ツッコむ所はそこなのかっ!?」 「だって、私、ちゃんと学生服の下は水着だよ?」 「…当たり前だろ。いきなりそこで着替え始めても困る」 「あはははは。さすがにそれはないよ」 するっとシャツを脱ぐアリス。何故か胸元に可愛らしい水着。 「ちょっと待てーーーーーー!!!!!!」 「ん、何? ユキチ」 「ビキニのブラに見えるのは気のせいかっ!」 「ああ、これ、違うよ」 ホッと胸を撫で下ろす祐麒。 「これはホルターネックビキニのトップスって言うんだよ」 「名前のことじゃねええええええっ!!!」 「どうしたの?」 「…どうしたのって、女物の水着じゃないのか、どう見ても」 「そうだけど?」 当たり前のように答えるアリス。 「いや、あのな…それはちょっと…」 「だって、水着は自由でしょう?」 「……まさか、下もビキニじゃないだろうな。さすがにそれは無茶だぞ」 アリスはあっはっはっはっと笑う。 「まさか、それはさすがに恥ずかしいよ」 「良かった…」 「ちゃんとパレオ巻いてるよ」 「待たんかーーーーいっ!!!!」 サッと脱ぎ捨て、ビキニ+パレオ姿になるアリス。ギャラリーから上がる歓声と拍手、そして口笛。 「まあまあ、ユキチ。胸がないんだから男にしか見えないって、いくらなんでも」 小林と高田が笑いながら腕を組む。 「そうそう、いくらなんでもな」 「そうだよね! 女の子に変身できるわけじゃなし」 ニコニコと二人の間に入るアリス。 「……」 「……」 「???」 「すんませんでした、勘弁してください」 「ごめんなさい、ちゃんと男の格好してください」 「早っ! ギブアップかよっ!!!!」 その頃…リリアンでは… 「何やってんの、瞳子」 白ポンチョを被った乃梨子が瞳子に詰め寄っていた。 「あ、乃梨子さん。瞳子は今日の水泳の授業は見学します」 「何言ってるのよ。元気じゃない、瞳子」 水着の上から白ポンチョ、この格好で花寺まで移動するのだ。なぜなら、花寺にはこれだけの数の女子が着替えられる施設はない。だから、着替えてから移動する。 「…花寺のプールに入るのは嫌ですわ」 「どうしてよ」 「だって、普段は殿方が入っているプールではありませんか!」 「それがどうしたのよ。別に一緒に入るわけじゃなし」 「殿方が大量に入った後のプールなんて、殿方の出汁状態ですわ」 嫌な例えだなぁ、と顔をしかめながら、乃梨子は言う。 「いいじゃない、別に。市民プールとかってそんなものよ」 「量が、いえ、密度が違いすぎますわ」 「それはそうかも知れないけれど…瞳子、男の人の入ったところにはいるのが嫌なの?」 「だって、乃梨子さん。花寺ですわよ。男だらけですわよ。男汁だらけのプールですわよ!」 男汁、確かにそれは嫌だ。字面からして非常に嫌だ。というか、そんな嫌すぎる表現はやめて欲しい。 「一歩間違えたら妊娠しかねませんわ!」 「するかーーーーっ!!!!」 「まったく、何を言っているのかと思えば」 可南子が心底呆れたというように首を振っていた。 「そんなわけないでしょう?」 「可南子の言う通りよ」 「第一、プールの水は塩素消毒されていますから、妊娠の危険はありません」 「ちょっと待て、ノッポ」 その後、瞳子の発言がきっかけとなって「やっぱり花寺のプールを借りるのはちょっと…」という空気がリリアンに蔓延。 祐麒達の努力は一切合切無駄になったという。
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