■ 飛んで火に入る夏の姉 昼間のうだるような暑さから開放された夜。それでも夏休みの夜というのはクーラーなしで過ごせるほど生易しいものではなく、それは由乃の部屋も例外ではなかった。 現在、午前一時過ぎ。鈴虫の音が耳朶を撫でる中、令は由乃の部屋に居た。 「すー……」 令の目の前には、安らかな寝顔を見せる由乃。何てことはない、予定外のお泊り会だ。 令と由乃は幼い頃、どちらかの家で遊び疲れて眠ってしまうことが多かった。それの延長線上と言ったところだろうか、今でも話し込んでいてそのままどちらかの部屋にお泊りなんてことは多々あるのだ。両親もそのことを知っているから、いわゆる無断外泊であろうと怒られることはなかった。 「……由乃」 小さく声をかけても、由乃が起きる気配はない。つい一時間ほど前に眠りに落ちたのだから、熟睡している最中だろう。 (アイ、ガッタ、チャンス) 心中で呟き、令は拳を握り締めた。 令は高校三年、由乃ももう高校二年生だ。もうそろそろ卒業してもいいんじゃないかと思う。……いや、それがナニとは乙女の口からは言えないけど。 「っちゅーことで、いただきます」 令は合掌し、四つん這いになって由乃に覆いかぶさった。まずは何にしても唇から。アイ、イート、ユアリップ。 「よし……がっ!」 しかしその刹那、由乃が寝返りを打ち、令の頬に裏拳が炸裂した。 巧く遠心力を利用した一撃だ。流石由乃、スポーツだけじゃなく、格闘技も見ているもんね。 「き、気を取り直して……」 令は頬を押さえながら、もう一度唇を寄せる。 月夜に映える、由乃の端整な顔。よく実った果実のようなその唇を――。 「しょーりゅーけーん」 「ほぐぅっ!」 続いて繰り出されるのは、冴え切ったアッパー。こうなると起きてるんじゃないかと思うが、由乃はすやすやと寝息を立てている。夢の中で、一体誰と戦っているんだろう。 「お、大人しくしてなさいってば……」 大人しくしていれば、この令さんが由乃を女にしてあげるから。 ああそうだ、誰が由乃の乙女を他の人間に渡すものか。令ももう高校三年、我慢の限界なんですよ。人がコレを夜這いと言おうが構いやいないっての! 「行くよ、由――」 「ふぅー」 由乃の顔に唇を寄せた瞬間、電光石火のエルボーが鳩尾に入った。 「うっ……あが」 「みねうちじゃー……すぅ」 ちっとも峰打ちじゃないよ! もろ鳩尾だよ! 令は抗議したかったけど、声が出なかった。流石は我が妹、本当にいいセンスをしている。 「……」 令は何故こうも上手くいかないのか考える。 寝返りというのは、本来直立姿勢による背骨の歪みを矯正するためのものだ。しかしこうも寝返りと同時にパンチを打ちまくるのはおかしい。 (そうか、今日は暑いから……!) きっと寝苦しいから、寝返りを多く打つ。よっしゃ、それなら脱がせばいい。 「はい、脱ぎ脱ぎしましょうねー」 令は嬉々として由乃のパジャマのボタンを外していく。次々と見えていく白い肌こそチラリズム。 「嗚呼、神々しい。神々しいよ由乃……」 「……バカじゃねーの?」 「よ、由乃……? 寝てるのよね?」 「すぅー……くぅー……」 イエス寝ている大丈夫。 それにしても白のレースブラですか。清純派には外せませんよね、うん。 ああ、でも由乃って色白だから黒も似合う。黒と言ったら大人の下着、大人の下着と言ったらガーターベルト。 「っていうことで、ガーターベルトを用意して置きました」 何でここにあるのかは割愛。お察ししやがれってやつ。 令は「じっとしてなさいよー」と願いつつ、由乃の下着を着け代える。むしろ一度全裸にしたんだからその時点で襲ってしまえばいいんだけど、そうは問屋が下ろさない。何事もシチュが大事だと、ニーチョも言っていた。 「ぺったんこバディに冴えるガーター。素晴らしい。感動した。貧乳に耐えてよく頑張った」 「……この変態」 「よ、由乃……? 寝てるのよね?」 「すぅー……くぅー……」 イエス寝ている大丈夫。大丈夫ったら大丈夫。 しかし由乃ったら、どんな下着をつけていても可愛い。由乃が何で可愛いのかって言ったら、猫のような気ままさ。猫……、そうだ猫耳! 「っていうことで、猫耳を用意して置きました」 何でここにあるのかは以下略。必須アイテムというのは、往々にして都合よく存在しているものだから。 令は「ドレスアップしましょうねー」と優しく語りかけながら、由乃に猫耳を装着させる。ついでに先着一名さまには尻尾のプレゼント。これで完璧。 「猫耳由乃。素晴らしい。『にゃー』って言って、『にゃー』って」 「きしゃー」 「ああぁ、威嚇する由乃も可愛い……」 イエス。そろそろ我慢も限界突破。シチュも装備も整ったし、そろそろ頃合だろう。 もちろん指の爪は切ってやすりがけ済み。身体だって念入りに洗ってある。……ということで。 「支倉令、いきま――」 「うーん……」 令が飛んだ瞬間、由乃の鋭いローキックが令の脛を襲った。 「あっ、あぅっ」 「情けないわねぇ、それでも男なの。……すぅ」 「お、女よっ」 「くー……。それでよくハードゲイを名乗れたものね。すぅー」 「くっ。そっちがハードゲイならこっちはハード令よ!」 ハード令は再びベッドの淵から身を起こし、由乃と対峙する。 「ゲット・ザ・プレジャー!」 「すぅ、くぅ……」 咆哮と寝息、襲い掛かる手とそれ弾く手の応酬。 いつしか由乃の部屋は戦場と化していた。二人の攻撃には間隙さえなく、何者の干渉も許さない。 「由乃ぉぉぉ……!」 「んー……。すぅ」 睡眠中の元病弱少女と、スポーツ少女。その戦闘能力の差は火を見るより明らかだというのに、明らかに令の方が劣勢。 そして、ついには――。 「ぐふ……っ」 敗北したのは、令の方だった。 これが睡拳ってヤツなのか。令はそんなものに負けたのか。 「由乃、……強くなったわね」 ――令の意識はその言葉を最後に、暗闇の底へと落ちて行った。 なんか凄い適当な負けっぷりだな、とか思いながら。 「令ちゃん、起きて」 その日の目覚めは、由乃の声でだった。 目を開けば、猫耳ガーターベルトの美少女がそこにいる。 「う、うわっ」 「え? どうしたの?」 いや、落ち着け令。鼻血を止めるんだ令。 昨晩のことを思い出してみれば、由乃をこうしたのは自分ではないか。 「な、なんでもない」 「ふーん、変なの」 そう言って由乃は首を傾げた。今の自分の格好には、気付いてないのだろうか。 「それより聞いてよ。さっきまで見ていた夢の話なんだけどね、私と令ちゃんが街を歩いていたの」 「う、うん」 「それでね、そしたらいきなりハードゲイの人が出てきたのよ。夢の中の令ちゃんたらそれを見た瞬間悲鳴上げちゃって、何か腰振りながら近寄ってくるから私が倒したのよ。ああ、すっきりしたなぁ」 「ふ、ふーん」 令は「違う!」と叫びたかった。由乃が倒したのはハードゲイじゃなくてハード令なんだって。 しかし由乃はそんな令を気にせず、次々と夢の中の武勇伝を語る。っていうか、全部令が喰らったヤツなんですが。 「それから私が……、って、あれ?」 由乃は突然言葉を区切ると、自分の身体を見渡した。どうやら今頃自分の出で立ちに気が付いたらしい。気付くの遅いよ、由乃。 「……何、これ」 由乃は令を睨みつけながら、プルプルと震える。 犯人は令で決定なんですか。いや、ご想像の通り、令が犯人なのだけど。 「聞いて、由乃」 令は手を振りながら、強張った笑みを浮かべた。 違うのよ、それは誤解よ。そう弁明する令の頬に――。 「私ね、夢で由乃と着せ替えごっこをしてい」 ――由乃の鉄拳が飛んできたのは、言うまでもない。
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