■ お姉さまをプロデュース 「あの、祥子さんっ」 それは昼休み、薔薇の館から教室へと戻る時のこと。 祐巳と祥子さまが並んで歩いていると、呼び止める声があった。 「何かしら?」 「明日、日直だったわよね。仙崎先生が、朝のホームルームが終わったら資料を取りに来て欲しいとおっしゃっていたわ」 「仙崎先生……ということは一限目なのね。分かったわ」 それじゃ伝えたから、と言ってその人は去っていく。恐らくは祥子さまのクラスメートなのだろうけど、祐巳は違和感を感じずには入られなかった。 何気ない会話の一幕。しかしお相手のクラスメートさんは、少しだけ緊張していた。平静を装いつつも、声は上擦っていたのだ。 (何だかなぁ) そういう光景を見るたびに、祐巳はそう思う。 お姉さまは綺麗で、完璧超人とまで言われる人だから。何となく畏怖の感情を持ってしまうのは分かる。事実、祐巳だって声をかけて貰わなければ、一生喋りかけることなんてできなかっただろう。 しかし、同級生にまであんな感じでいいのだろうか。令さまや三奈子さまぐらいになると、祥子さまに何の気兼ねもしないのだろう。だけどそこまで祥子さまに親しくしている人を、祐巳は知らなかった。 「……如何にしてくれよう」 そう呟いてから、祐巳は。 どうして下手人を前にした奉行っぽいんだと、自分自身に突っ込みを入れてみた。 「――つーことで、不肖ながら私がお姉さまをプロデュースしたいと思います」 祥子さまは紅茶を飲みながら、祐巳の発言に身体を硬直させた。 時は放課後。紅薔薇姉妹以外誰もいない、薔薇の館の二階でのことである。 「……へぇ」 祥子さまは平静を装いながら、カップをテーブルに置く。その表情の裏からは、何も読み取れない。 「つまり、さっきまでの祐巳を説明をまとめると、私が怖がられていると言っているのね」 「いいえ、畏敬の念です。お姉さま」 「対して変わらないわ。まったく、あなたも言うようになったものね。その上もっと可愛らしく振るまえだなんて。……少し、呆れたわ」 そう言って祥子さまは肩を竦めた。しかし、多少の誤解があるだろう。 祐巳はついさっきまで、祥子さまを説得していたのだ。お姉さまは周囲に対して高い壁を張り巡らせていると。それでは、誰も近寄ってこれないと。 だからこの親しみ易さでは右に出るものを許さない祐巳ッチーがプロデュースしますわよ、って言っているのに、ちっとも聞いてくれやがりません。 「お姉さま、水野蓉子さまの意思をお忘れになりましたか」 「お姉さまの意思?」 「そうです。薔薇の館をもっと開放的にしたいとおっしゃっていましたよね。山百合会幹部も、もっと一般生徒と乳繰り合えればいいと」 「……そんなこと言っていたかしら」 「言ってました。超言ってました。ですからお姉さま!」 祐巳は『ダン!』とテーブルを叩くと、祥子さまを正視した。 「お姉さまは、もっと親しみ易く振舞うべきです。残念ながらお姉さまは、山百合会幹部で最も親しみ難いと思います」 そりゃ祐巳だって、毅然とした祥子さまは好きだ。でもクラスメートからもあんな風に接されているのは、お節介かも知れないけど問題だと思う。 ――まあぶっちゃけて言えば、親しみやすく、可愛く変身した祥子さまにキュンキュンしたいだけですが。 「それで、私をプロデュースすると?」 「はい。私、親しみ易さなら定評がありますから」 「でも私、いきなり庶民になんてなれないわ」 うわ、今すっごい高飛車になりましたね。でもそういうところも好きですラブ。 「大丈夫です、お姉さま。この祐巳が、余すところなく親しみ易さのコツを伝授いたします」 「親しみ易さね……。例えば、どうしろというの?」 「はい。『嫌』という時は『ヤダ』と、『怒るわよ』という時は『プンスカしちゃうわよ』と」 「……」 「断る時は『えー、ヤダよそんなのぉ』。『お願いします』は『オ・ネ・ガ・イ♪』」 「親しみ易さなんて要らないわ」 「違います。そこは『親しみ易さなんか要らないもん』です」 「……」 「同級生には『さん』付けでなく『ちゃん』付け。『ごきげんよう』は『ごっきー』と言った方がいいですね」 祥子さまは渋い顔を作って、紅茶を一口。 呆れられている? と心配していたら、祥子さまはハッキリ言ってくれた。 「絶対に嫌よ。そんな媚を売っているような態度」 ……まあ、そう思うだろうな、とは予想していた。 しかしここで引き下がっては、全て無駄になってしまうわけで。だから祐巳は、尚も食い下がることにした。 「お姉さま、山百合会への貢献ですよ」 「山百合会になら、日々これ以上ないほどに貢献しているじゃない」 「そこで更にもう一押しですよ。そうすれば……」 「そうすれば?」 「みんなが、私がもっとお姉さまを好きになれます」 「さあ、レッスンの続きを始めてちょうだい」 「変わり身早いですね。そういうところも大好きです」 祐巳は祥子さまの答えを聞いて、『満足、満足』と笑顔を浮かべた。頭の片隅で『チョロいもんよ』とか思いつつ。 ――さて、これで手筈は整った。 後はたっぷり祥子さまに親しみ易さのコツを伝授するのみ。祐巳はこの一連のプロデュースに関して、『お姉さま萌え化大作戦』と命名することで決定した――。 それは令が、友人と談笑している時のことだった。 昼休みの喧騒に包まれた廊下。その向こうから、祥子がスキップでやってきた。 「令ちゃん、ごっきー」 そして、そのままスキップで去る。――と、そのまま行かせるワケにはいかない。 「ちょ、ちょっと待ちなよ祥子!」 唖然とする周囲。それは令の友人こと剣道部部長・プログレッシブ野島も一緒だった。 ……というか、何なんだこの祥子。 「何よぅ」 「何ようじゃなくて。どうしたのよ」 「別に、どうもしてないじゃない」 「してるから言っているの。『ごっきー』って何よ」 「ごきげんようの略、……っぽい?」 「……って訊かれてもねぇ」 「……ねぇ」 令はプログレッシブ野島と顔を見合わせた。何コレって視線で訊いても、『さあ?』と返ってくるばかり。 そりゃ令が知らないのだから、プログレッシブが知るわけないのだけど。 「まあ正直に話すと、私もフランクさを身に付けようと思ったのよ」 祥子はらしくもなく親指を立て、ウインクをしながら言った。 なるほど、フランクさ。 しかしどう考えても、周りの人たちとのブランクを作っているようにしか思えない。 「……一体誰の差し金なの?」 「差し金だなんて。私はもっと祐巳に好きになってもらおうと思っただけなの」 そう言って祥子は「ふふふ」と笑った。 けれど言えない。それは狸に化かされているんだって。 「けど、それは止めておいたほうがいいと思うけど……」 「どうして? 親しみやすくない?」 「――それは」 どうなんだろう。周りを見てみれば、令たちから距離を置く人が多い。 しかし、その中に熱っぽい視線を送る人が多いことも事実なのだ。彼女らがナニを考えているのかは知らないが。 「けど、こんなの祥子じゃないよ」 「どうしてそう思うの」 「だって祥子はもっと毅然としていて、興味のない人なんか路傍の石程度にしか思ってなくて。くだらない人間には冷たい視線を投げ、Mな人には女王さまとお呼びなさ――」 「ちょっと、あなたは私に対してどんなイメージを持っているの」 「クイーンでしょ」 令がキッパリと言うと、祥子は口を噤んだ。 去年ミス・クイーンに選ばれているから、はっきりと否定することも出来ないらしい。 「酷い。令ちゃんのバカ」 「……『令ちゃん』って呼ぶの止めてよ」 さっきから『ちゃん』付けなんかして、一体何なんだ。『令ちゃん』なんて、由乃がそこにいるようでむず痒い。 ……しかし。 それにちょっとドキドキしているのも事実。『酷い。令ちゃんのバカ』だなんて、見事に被虐心と加虐心を満たしてくれているではないか。 「もういい。令ちゃんなんか知らない」 ぷい、と顔を背けて歩き出そうとする姿は、由乃そっくり。長い髪も、髪を下ろした時の由乃にそっくりでどんどん重ねてしまう。 ちょっと待ちなよ、とまた令は祥子を引き止める。プログレッシブは『もう放っておいたらいいのに。ってかこれ以上私まで好奇の目で見られるのイヤプー』とかいう表情をしていたけど、そこは無視する。 「……祥子」 「何よ」 「ギュッてしていい?」 「……ダメ」 「チューしていい?」 「ダメ」 「あなたを女にしてあげるわ」 「人の話を聞きなさいこのセクハラ令が」 「ちょっと令、しっかりしてよ」 「うるさいプログレシブは黙ってて」 「ぷ、プログレッシブ……」 プログレッシブ野島は固まっていたけど、それも無視することにした。脇役だし。 「大丈夫、テクならばっちり磨いてあるから!」 「……あなたは由乃ちゃんにナニをしていたのよ」 「うふふ祥子、フランクさが抜けていっているわよ」 「あっ……」 慌てて口を押さえる祥子。演技はまだ完璧ではないらしい。 完璧なようで完璧じゃない。そこに萌えキュン☆ 「……令ちゃんの意地悪」 祥子は上目づかいで、親指を噛みながら言ってくる。 ああ、そそるそそる。祐巳ちゃんは何て教育をしてくれたんだろう。 「祥子さん……」 気が付けば、さっきまで祥子に熱っぽい視線を送っていた周囲の生徒たちが、さらに熱を帯びた目をしていた。 彼女たちは一歩だけ祥子へと歩み寄ると、口々に言う。 「祥子さん、萌え!」 「イエス! 萌え!」 「萌えフィスティボー!」 おいこら、勝手に祭りにするな。 ――令がそう言おうとした時には、もうその生徒たちは祥子を取り囲んでいた。しかも何を思ったのか、しきりに頭を撫でている。 「祥子さん可愛いっ」 「ちょ、やめ……っ」 「髪の毛サラサラー」 「や、やめてっ、プンスカしちゃうわよ!」 「プンスカだって! きゃー」 祥子を囲んだ女生徒たちは、彼女を揉みくちゃにしたいのだろうか。髪やら腕やら、そこかしこを触っている。 あ、今胸触った! ……ってよく見りゃプログレッシブ野島。さっきまでまともキャラだったクセに、こんな時だけプログレッシブしてやがる。 「……何なの。コレ」 いつしか祥子の周りには人の壁が出来ていた。きゃーきゃー言っちゃって、もうみんな祥子に夢中って感じ。 ――ああ、祐巳ちゃん。これがあなたの望んだ姿なのかしら。……だとしたら、令は。 「祥子かわいいよ祥子ー!」 喜んで、その輪に入ろうではないか。 「……酷い目にあったわ」 放課後、祥子さまは祐巳に会うなりそう言った。 「酷い目、と言いますと?」 「思い出したくもないわ……」 祥子さまは額を押さえ、早く帰りましょうとばかりに歩みを速める。中庭の方に向かわないということは、薔薇の館には寄らずに帰るらしい。 やがて銀杏並木にさしかかると、祥子さまはぽつりと言った。 「ねえ、祐巳」 「はい?」 「みんなが私のことを『萌え』だって言っていたけれど、あれはどういう意味なのかしら?」 「えっと……。みなさん、祥子さまが大好きだって言っているんだと思いますよ」 「……そう」 祥子さまは小さくそう言うと、不意に足を止めた。 なんだろう、と思って祐巳も立ち止まる。そこにちょうど銀杏の葉が舞い込んできて、祐巳の視界を一瞬だけ遮った。 そして、その後祐巳の瞳に映ったのは――。 「なら私は、『祐巳萌え』よ」 ……祥子さまの、眩しい笑顔だった。 「は、はいっ! 私も『お姉さま萌え』です!」 そう言うと祥子さまが「ふふ」と声を漏らして笑ったから、祐巳も笑った。 まあ、作戦成功かな? ――と思いながら。 ちなみに。 この会話をどこかで聞かれていたのか、リリアンかわら版の見出しに『紅薔薇萌え萌え姉妹』だなんて目を覆いたくなるような文字が躍るのは、これから二日後のことである――。
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