■ 無礼講スタイル
 
 
 
 
 由乃は不満だった。ちっとも現状に満足していなかった。
 
 そう思い出したのは何時頃からだったろうか。――とにかく、二人でいる時にまでこんな風に考えるようになってしまったのは、そうとう重症だと言うことなのだろう。
 少なくとも状況は芳しくないが、環境はいいと言える。運ばれてきたフレーバーティーは包みこむような優しい香りを呈していたし、モンブランの味も装飾も大したものだ。お店の雰囲気だって、菜々は「いいところですね」と言ってくれた。
 
「菜々」
「はい」
 
 しかし、何故こうも盛り上がらないのか。菜々を誘い出すのこそ簡単だったけど、果たして目の前にいる人物は楽しそうなのかそうでないのか。とにかく、少しぐらいは笑顔を見せてくれてもいいんじゃないのって思う。
 思えば、菜々の笑顔って今までどれだけ見てきたのだろう。笑いかけても笑ってくれないのなんて、由乃にとっては結構苦痛である。
 
「なんですか?」
 
 由乃の声に反応した菜々は、やはり笑ってはいない。
 
「……楽しい?」
「はい? ……ええ、楽しいですよ」
 
 菜々は一瞬何のことか戸惑った後、取り繕うようにそう言った。ああ、分かっている。質問が悪かった。ああ聞いては楽しいとしか答えようがないではないか。
 由乃が知りたいのは、そんな上辺の言葉じゃない。本当のところ由乃といるってどんな感じなのか、率直な意見が聞きたいのだ。そりゃいつも最後には「楽しかった」とは言ってくれるけれど、ハプニングが起きなければ面白くないのではないだろうか。
 
「質問を変えましょう。菜々、気分はどう?」
「気分、ですか。ええ、悪くはありませんけれど」
「ファンキー?」
「え……? はい、平たく言えばそうですね」
「モンキー?」
「えっと、昔を遡ればそうなります」
「ベイベー!」
「あの、由乃さま。恥ずかしいのでそろそろ止めて下さい。さっき店員が睨んできました」
 
 ほら、せっかく由乃が盛り上げようとしたって全て空振りに終わるのだ。なんだか由乃一人が可哀想な子みたい。何よその目は。
 由乃はただ、せっかくのデートを楽しみ、楽しませたいだけ。今なら大名行列に向かってスーパーカブで突撃することだって惜しまない。菜々を笑わせるためならば、侍のちょんまげをこっそり蕎麦の束にして見せようではないか。
 
「そちはノリが悪いのぅ」
「……左様なことは」
 
 あ、今少しノッた。これは嬉しい反応である。
 
「のう、越後屋」
「へい、大根さま」
「…………」
「大根さま?」
「市中引き回しの刑に処す」
「殺生な」
 
 ああ、いけない。せっかくいい感じに続いてたのに裁いてしまった。でも裁きプレイって何かいいかも☆
 
「由乃さま」
「何?」
「楽しそうですね」
「菜々は楽しくない?」
「いいえ、楽しいですよ」
 
 ふぅ、と一息。何、楽しんでくれているのなら問題ない。ケーキも紅茶も、菜々もオールグリーン。島津由乃の未来は明るい。
 
「よかったわ、菜々が思ったよりも柔軟で」
「そりゃ、協調性ぐらいありますから」
「それはそうよね。……ところで、隣の家に囲いが出来たんだって」
「そうなんですか」
「……打ち首獄門」
「何故ですか」
 
 ちなみに自分の場合隣の家なら令ちゃんの家ということになり、今更囲いなんて作ろう物なら由乃がすぐさま破壊するだろう。令ちゃんちの囲いってかっこいーとか言いながら。
 今更改めて思うけど菜々は出来る子だ。言葉遣いなんかは、大凡の中学生とは比較にならないほど。スポーツもできるんだったら、ついでに笑いもできるようになればいいのに。思い出して見れば、由乃の周りで剣道をやっている人はみんな呆れるくらい真面目だった。何かに束縛されているように、固いのだ。
 
「――心を解き放て」
「あの、今日は体調がよろしくないようですね」
「何を言っているのよ。体調は絶好調。校長も絶好ちょ」
「そろそろお店を出ましょう。ケーキも食べ終りましたし」
「私のケーキが残ってるわよ。あと、上級生のダジャレは最後まで聞くこと」
「……耐え難いです」
「菜々のそうやってはっきりと物を言うところ、嫌いじゃないわよ」
 
 由乃が「おほほほほ」と笑うと、菜々は「あははは……」と乾いた笑いを漏らした。失笑である。
 こうなったら、意地でも菜々を笑わせなければ気が済まない。上級生の威厳とか、多分ないからもうどうでもいい。
 
「時に、由乃さま」
 
 しかし出足を挫くように、菜々が言った。その瞬間、ウェイトレスが通りがかる。
 
「あ、すいません。追加でプレミアム苺ショート下さい」
「菜々ったら、まだ食べる気なの?」
「由乃さま、あれは隣のテーブルの注文です。話の腰を折らないで下さい」
 
 悔しいので出足を挫き返したら怒られてしまった。
 
「それで、由乃さま」
「うん」
「……」
「どうしたの?」
「……何を言おうとしたか忘れました」
「左様か」
「左様です」
 
 何それ、と由乃は声を出して笑った。つられて菜々も、ケーキのスポンジみたいに柔らかく笑う。
 何だ、こんな簡単なことだったんだと思った。由乃が笑わせたわけではないけど、何だかいい雰囲気。――だったけど。
 
「失礼しまーす。こちらプレミアム苺ショートケーキになりまーす」
「それ隣のテーブルです」
 
 見事にぶち壊された。なんてファッ○ンな店員なのかしら。
 ……なんて思っていたけど、菜々はそうでもないらしかった。
 
「ふふっ」
 
 一瞬、耳を疑った。菜々が、声を出して笑ったのだ。
 
「由乃さまがいけないんですよ。さっきあんな風に話に横槍を入れたから、店員さんが勘違いしたんですよ」
 
 ああおかしい、とでも言うように、菜々は暫く笑い声を上げていた。初めて見たんじゃないかって言うぐらい、清々しい笑顔。
 不覚にも由乃は、それにどきっとしてしまった。流石顔立ちの整ったカワイコちゃん、破壊力は中々じゃないの。
 
「うん、そうね」
 
 菜々の言葉を素直に認めて、由乃も笑った。なんだか、さっきまでの中途半端な緊張感がいい具合にほぐれて、空気がふわりと軽くなったようだ。
 ――今なら言えるかも知れない。
 膝の上で拳を固めて、由乃は思った。今なら、きっといいタイミングだ。これだけアピールしているんだから、菜々だって由乃の考えを看破しているだろう。
 
「ねえ、菜々。あなたが高等部に入ったら」
 
 はい、と頷く菜々。大丈夫、きっと大丈夫。心の中で何度もそう唱えた。
 だけど由乃は失念していたのだ。菜々は、ぐいと相手のテンションを引き上げておいて、次の瞬間地に叩き落すクセがあることを。
 
「四月になったら……私の従順な下僕になりなさい」
「謹んでお断りいたします」
 
 菜々はきっぱり断った。大却下だった。
 
「何故っ!」
「当たり前じゃないですか。好き好んで手下になりたがるのなんて、よほど盲目的な人だけですよ。……もしかして、いつもこうやって誘って下さるのは餌付けのつもりだったんですか?」
 
 心底呆れた、って感じで重いため息を吐く菜々。まったく、盲目的なのはどっちだという話だ。由乃がこれほど分かり易く、妹にならないかと言っているのに。
 
「もういいです。帰ります。代金は今までの分をお返しする意味で、私が払いますから」
 
 それでは、と言って、菜々は伝票を取って立ち上がる。当然そのままにするわけにもいかず、由乃は「待ちなさいよ」と言いながら立ち上がった。
 
「菜々は勘違いしているわ」
「どう勘違いしているって言うんですか」
 
 菜々がレジの前に伝票を置くと、その手が財布に伸びる前に、由乃がお札二枚を取り出して置いた。
 
「由乃さま」
「いいから」
 
 会計を済ますと菜々の腕を引っ張って店を出た。やっぱり菜々はまだ不服そうだったけれど、構わず歩き続けた。
 
「まったく、見くびるんじゃないわよ」
「……どういう意味ですか」
「あのね、私は手下が欲しくてあなたを誘っているわけじゃないの。本気でそう言うのが欲しいんだったら催眠術使ったり弱み握ったりして作るわよ。私はね、菜々のことが知りたくて、菜々と一緒にいるのが楽しいから、いつも誘っているの。そう思っているのって、私だけだったのかしら?」
「そんな、私だって――!」
 
 菜々はそう言った後、「あ」と口を押さえた。しかしもちろん、それで前言が消えるわけではない。
 
「ふーん」
 
 そう思ってくれてたんだ。
 言って由乃が笑いかけると、菜々は視線を逸らす。心なしか、頬が赤い。
 
「ねえ菜々、言葉を変えてもう一回言うけど、私のロザリオに興味はない?」
「……知りません」
 
 菜々は小さくそう言うと、早足になって先を行く。いつも通り、由乃の思惑を外れてさっさと進んでしまうのだ。
 
(知りません、か)
 
 今はそれでいいんじゃないのって、由乃は思った。
 ――例え菜々が由乃の前を歩いていこうと、必ず捕まえてみせる。
 そんな自信が、由乃にはあったから。前を歩かれるのが嫌なら追い抜けばいいだけだと、由乃は駆け出しながらそんなことを考えた。
 
 

 
 
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