■ 蓉子は真面目すぎるから
 
 
 
 
 それは秋も深まり、よく晴れた日のことだった。
 このところめっきり寒くなり、重ね着の枚数も増やそうかという頃。雲の少ない秋空から降る陽光はこれでもかと薔薇の館の会議室を照らしだしたから、うっすらと窓開き、風を招きいれた。
 その風に書類が飛ばされないようにと、その端に筆箱を置くと、江利子も聖も「いい風」と口々に言う。ちょうど集中力が切れてきた頃、というのもあいまって、二人は書類を持つ手を休めた。急ぎの仕事でもないから、蓉子はそれを咎めるようなことをしない。
 
「この前、兄と買い物に行ったのよね」
 
 江利子がぽつりと話し始めたから、聖が「ほう」と相槌を打った。
 
「車で出かけるときは、いつも広い道を選んで行くのよ。で、その時は道路工事中で片側一車線だった。それで工事中の時って、警備の人が黄色い旗を振っているじゃない?」
「うん、いるいる」
 
 確かによくみる光景だ、と蓉子も無言で頷いた。江利子は更に饒舌になり、続ける。
 
「あれって単調な仕事だから、飽きたのかしらね。渋滞で止まっていたら、突然その人はバットを振るみたいにスウィングしだしたのよ。さて、ここで問題。私の手元には、トランクに入りきらなかった買い物袋があり、中身は主に潰れては困るような食料品。次の瞬間、私は何をしたでしょう?」
「分かった。卵を投げつけた!」
「トランクが一杯になるほど買い物したってことは、相当色々買ったのよね。……レシートを丸めて投げた?」
「ぶぶー。二人とも不正解」
 
 江利子は顔の前で腕をクロスさせる。珍しくテンションが高い。
 
「正解はね、兄に頼んで、その人に『投げキッス』をしてもらったの。ちょうど目があった時にね」
「……して、どうなった?」
「スウィングを止めて、バントの姿勢をとった」
「あはは、球の勢いを殺したってわけね」
「まだ続きがあるのよ。その後どうなったと思う? 私たちがそこを通り過ぎた後、後ろの車が『止まれの合図』だと勘違いしてまた渋滞よ」
 
 聖が「ぷはははは」と淑女らしからぬ笑い声を上げたから、蓉子もつられて「くっ」と笑ってしまった。
 こうなると一人だけ仕事を続けているのもバカらしくなって、蓉子は背もたれに身体を預ける。そして聖はひとしきり笑うと、蓉子に向かって言った。
 
「しっかし、蓉子って固いわよね」
「え?」
 
 何なんだ、不躾に。だから蓉子は、不機嫌そうに「一体何よ」と続けた。
 
「だって、『トランクが一杯になるほど買い物したから』って、冷静に分析しすぎ。ユーモアが足りないんだから」
「……あのね」
「これじゃ親しみ易い山百合会、親しみ易い紅薔薇さまなんて夢の夢ね」
「ちょっと、言いたい放題言ってくれるじゃないの。私だって、ユーモアぐらいあるわよ」
「へぇ」
 
 その瞬間、江利子の目が光った気がした。これはマズイ展開かも知れない。
 
「じゃあ蓉子、私を笑わせてみてよ」
 
 聖が、ニヤニヤと笑いながら言った。そんなことを言われても、勿論いきなりそんなことが出来るはずがない。
 
「……私はネタを温めて取って置く方だから、アドリブは苦手なのよね」
「ふーん。じゃ、土曜日まで待ちましょう」
「ちょっと、どうして私があなたを笑わさなくちゃいけないことになっているのよ」
「だって、蓉子ちゃんはユーモアに溢れているんでしょ。それとも紅薔薇さまともあろう人が、有言不実行?」
「そ、そんなことないわよ」
 
 だんだんと追い詰められていく蓉子を見て、江利子は無言でガッツポーズをしていた。チクショウ、あのデコめ。
 
「……いいわよ、やろうじゃないの。でもね、私だけそんなことをするなんて不公平じゃない? 聖も、さっきの江利子みたいに私を笑わせてみなさいよ」
 
 そうだ、このままじゃ不公平。こうなりゃ天然パンク女もとい聖にも何か笑わせてもらわないと、蓉子ばかりがリスクを負うことになる。
 さあ、と蓉子が詰め寄ると、聖は「いいわよ」と言って笑った。
 
「江利子、ちょっと協力して。ほら、前の三年生を送る会でやろうとしてボツにしたネタ、やるわよ」
「いいわよ、協力しましょう」
 
 そう言うと二人は蓉子を置いてけぼりにして、楕円のテーブルを部屋の端に寄せた。
 前の三年生を送る会で何かををやろうとしていたなんて、初耳である。
 やがて準備を終えた二人は、「それでは」と言って漫才を始めた。
 
「なあなあ、江利ちん大統領。ちょっと聞いてーな」
「おう、わてが大統領や。話してみぃ」
「江利ちゃんノリいいから好きやわー。そんでな、アタシ新しい桃太郎考えたんや。聞いてちょー」
「おうおう、言うてみぃな」
「ほないくで。あるところにお爺さんとお婆さんがいました」
「まあ、ここら辺は普通やな」
「お爺さんは山へ芝刈り機をかけに、お婆さんは川に洗濯機を使いに行きました」
「いきなり近代化しとるな、おい」
「お婆さんが川で洗濯していると、桃が流れてきました」
「わざわざ川にいく必要ないと思うけどな」
「ヒュォーン! ヒュォーン! ブオン! ズババババ!」
「早っ! しかも三つ! 最後トラックだった!」
「お婆さんは桃を拾い上げました。ドッコラショ」
「って、足元にあったんかい」
「家に帰るとお婆さんは、CTスキャンの結果桃の中に人がいることを確認しました」
「だから近代化進みすぎだってば」
「慎重にその桃を割ってみると……」
「割ってみると……?」
「そこには引田○功が!」
「イリュージョンやったんかい! やめさせていただく」
「どーも、ありがとうございましたー」
 
 そう言って二人が頭を下げたから、蓉子はパチパチと拍手した。
 マズイ。桃が三つ流れてくるところで、噴出してしまった。
 
「っということで」
 
 江利子と聖は、口を揃えて言った。
 
「蓉子、期待してるから」
 
 

 
 
 蓉子は帰宅するやいなやベッドに座りこみ、頭を抱えた。これは本当に、マズイことになったぞ、と。
 昨今のお笑いについて、蓉子は疎い。世はシュールな芸風を好んでいるように思えるけれど、蓉子にはとてもそんな発想をすることは出来そうにない。
 
(そうだ)
 
 考え付かないのなら、考えずに作ってしまえばいい。
 そう思いついた蓉子は、いらないプリントを小さく切って、適当な名前、動詞などを書いていき、それをカテゴリー別にわけて置いた。
 いつどこゲーム――。蓉子の通っていた小学校では、そう呼ばれていた遊びだ。「いつ、どこで、誰が、誰と、何をした」ということを書いた紙を項目ごとに分けて混ぜておき、それを引いて文章を作るという遊びである。この五つの項目のうち「誰が」のところを蓉子に固定して置けば、自然とシュールなことになるのではないだろうか。
 
「よし」
 
 準備は完了。蓉子は勇んで紙を引いた。
 まず最初に出てきた文は、こうだ。
 
≪小学校時代、火星で、蓉子が、鉄人二十八号と、バストアップ体操をした≫
 
 無理、いくらなんでもそれは無理。火星とかありえない。
 蓉子は崩れ折れそうになりながら、次の紙を引いた。
 
≪ドラゴンボールが全盛期の時、土管の中で、蓉子が、マリオ(十八歳)と、ごきげんよう≫
 
 訳わかんねぇ。ってか「いつ」は今からしかないんだから要らないじゃん。
 そう思いついた蓉子は「いつ」のカテゴリーを消して、もう一度紙を引く。
 
≪終りかけたこの世界の中で、蓉子が、ギター侍と、愛を叫ぶ≫
 
 嫌だ嫌だそんなこと! 蓉子まで終わってしまいそう!
 というか現実的じゃない事柄が多すぎる。蓉子は「誰と」の部分を身近な人の名前に書き換え、「どこで」というところももっと現実味のある場所に変えた。
 
≪薔薇の館で、蓉子と、祐巳ちゃんが、ドストエフスキー≫
 
 あ、なんか全然違うの混ざってた。
 蓉子は気を取り直して、また紙を引く。
 
≪校舎裏で、蓉子と、聖が、パヤパヤした≫
 
 あ、それいい。いや、したいけど、それってネタにはならないし。
 名残惜しい気持ちを引きずりながら、次へと。
 
≪カンカン照りの太陽の下、蓉子が、祥子と、「まるで犬ね」とあざ笑った≫
 
 なんだその黒い展開。あざ笑われるのは誰なのさ。
 蓉子は何だか嫌になりながらも、更に紙を引く。
 
≪古い温室で、蓉子と、江利子が、ヒッヒッフー!≫
 
 そんなところでお産すな。もうええ、やめさせていただく。
 蓉子は紙を集めてゴミ箱に捨てると「この役立たず」と唾棄した。いや、全部自分で書いたんだけど。
 さて、こうなればもう頼れるものはない。ピン芸人らしく、ここは一発芸を考えて見る事にした。
 一発芸。とにかく下らなくてもいいから、何か――。
 
(閃いた……!)
 
 キラーン、と頭の中の電球が光る。これはいけるかも知れない。
 蓉子はまだ着替えていなかった制服のスカートの端をつまむと、頭の高さまで引き上げた。例えるなら巾着袋のような状態だ。
 
「紅薔薇」
 
 そして、そのまま。
 
「開花」
 
 手を離すと、フワリとスカートが広がる。
 これで完成、紅薔薇的一発芸――。
 
「ってこんなこと考え付く時点で終わってるじゃないの!」
 
 チクショウ! アンちゃん! チクショウ! と蓉子は床を殴った。駄目よ蓉子、これじゃドン引き確定じゃない。
 ひとしきり自らの発想にお悔やみ申し上げまくると、そこで蓉子は部屋の扉が開いていることに気づいた。
 
「蓉子……」
 
 そしてそこに、父親の姿があることにも。
 
「パ、パパ、これは、えっと、その……」
「その、なんだ。……大変なんだな、紅馬鹿さまって」
「ば、馬鹿じゃない! 薔薇!」
 
 しかし説得力の無い蓉子である。
 
「えーっと、まあ、あれだ。ライムグリーンっていうのか、アレ。……可愛いアンサンブルだな」
「さり気なく下着の色を覚えてるんじゃないわよ! パパの馬鹿ーっ!」
 
 こうして、懊悩の夜は更けていく――。
 
 

 
 
 土曜日の放課後だった。
 祐巳は薔薇の館の二階に上がるなり、いきなり白薔薇さまに拉致された。
 
「祐巳ちゃんゲットー」
「がうっ!」
「お、今日はなんか新しいね」
「だ、だって、白薔薇さまが急すぎるから」
「ゆっくりならいいのかな。ううーん?」
 
 そう言って顔を近づけてくる白薔薇さまの肩を、祐巳は両手で押し返した。まったく、この人は相変わらずだ。
 祐巳は白薔薇さまから逃れると、会議室の前に黄薔薇さまが立っていることに気がついた。
 
「さて、お戯れはそのぐらいにして、さっさと部屋の中に入りなさい」
「は、はぁ……」
 
 何で薔薇さま二人が、わざわざ部屋の外で待っていたのだろう。そう疑問に思っていると、聖さまが祐巳の手を握って「祐巳ちゃん、行きましょうねー」と扉を開いた。
 部屋の中に入ると、いつものテーブルが端に寄せられている。そしてまるで観客席のように並べられた椅子をみる限り、何かイベントでもあるのだろうか。
 
「祐巳ちゃんの席はここね」
 
 そう言うと白薔薇さまは、その膝にちょこんと祐巳をのせた。祐巳はお子様か。
 それから祐巳は一体何が始まるんですか、って白薔薇さまを問い詰めたけど、「いいから」の一言で流されてしまった。そうこうしているうちに令さま、由乃さんという黄薔薇ファミリーが揃い、志摩子さんが来たところで江利子さまは言った。
 
「祥子がまだだけど、そろそろ始めましょうか」
 
 すると江利子さまは、廊下に向かって「蓉子、いいわよ」と言った。
 そしてその扉の向こうから姿を現したのは紅薔薇さまだったわけだけど――。
 
「ヘッヘッヘイこらファンキーでモンキーなベイベーたち、はぶあないすでーい!」
 
 ――何故か紅薔薇さまは、サングラスをかけ、ホウキをギターみたいに肩から提げていた。
 
「かもん!」
 
 紅薔薇さまが合図すると、黄薔薇さまがラジカセの再生ボタンを押した。ちなみに令さま、由乃さんはドン引き中。志摩子さんは硬直、白薔薇さまは爆笑。
 ラジカセから耳馴染みのいいロックサウンドが流れ出すと、紅薔薇さまはホウキギターをかき鳴らし、十秒もしないうちにホウキを窓の外に投げ捨てた。
 
「きゃあっ!」
 
 外からは、祥子さまの悲鳴が聞こえた。
 
「オーライ☆」
 
 紅薔薇さまは親指を立て、白い歯をキラリ。いや、なんにもオーライじゃありません、紅薔薇さま。
 それから紅薔薇さまは窓の外に向かって「黄色い声援ありがとー!」と叫ぶと、サングラスを取った。そして黄薔薇さまを見ると、またすぐサングラスをかけなおす。
 
「ふぅー。お凸が眩しいぜ」
「……紅薔薇さまが壊れた」
 
 令さまは歯をカタカタ鳴らしながら呟いたけど、一方馬鹿にされたっぽい黄薔薇さまはケラケラと笑っている。由乃さんは未だ唖然とした表情、白薔薇さまは尚も爆笑、志摩子さんに到っては神にお祈りを始める始末。
 祐巳は自分の身体を抱き締めながら大笑いする聖さまの制服の袖を、そっと引っ張った。
 
「あ、あの、紅薔薇さまが壊れちゃいましたけど」
 
 その質問に、白薔薇さまは祐巳の顎を撫でながら「違う違う」と言った。
 
「壊れたんじゃないの。蓉子は真面目すぎるから、あーなのよね」
 
 やるとなったらトコトンやってしまう辺りが、やっぱり頭固いんだから。
 白薔薇さまはそう言いながら祐巳の手首を掴んで無理やり拍手をさせると、また大声で笑い出すのだった。
 
 

 
 
トップ  あとがき

...Produced By 滝
...since 05/10/24
...直リンOK 無断転載厳禁