■ Happy,happy,to you
 
 
 
 
 祐巳がその変化に気付いたのは、つい最近のことだ。
 
「ねえ、由乃さん」
 
 放課後の、教室で。
 祐巳がいつもと変わらないトーンで親友に呼びかけると、由乃さんはゆっくりと振り返った。
 
「どうしたの、祐巳さん」
「うん。一緒に薔薇の館に――」
「あ、ごめん。今日は用事あるから。それに今日は会議は中止になったって言ってたわよ?」
 
 それじゃね、なんて言って、由乃さんはスタスタと歩いて行ってしまう。
 その背中を追うようにして廊下に出ると、向かって右側から歩いてきた志摩子さんと出くわした。
 
「あ、志摩子さん。今日の会議はなくなったって本当?」
「ええ、本当よ。……それがどうかして?」
「そっか……。ううん、確認したかっただけ」
「そう。それじゃ私は用事があるから、失礼するわ」
 
 志摩子さんはそう告げると、やはり早足でスタスタと去って行く。ふわふわの巻き毛が廊下の角に消えるのを、何だか寂しい気持ちで見送る。
 
(何なんだろう……?)
 
 最近、二人ともよそよそしいのだ。話しかけてもさっさと話を切り上げてしまうし、あんまり話しかけてくれない。路傍の石、とまではいかないけど、祐巳なんかどうでもいいって感じ。
 うーん、と考え込んでいても、答えなんて出てこない。はぁ、と肩を落として、一人歩きだす。そして階段を下りようとした直前に、祐巳は見たのだ。
 
「あっ」
 
 ふと窓から見えた、中庭の風景。薔薇の館の中へと吸い込まれていく、二つの陰。
 ――由乃さんと、志摩子さん。
 
(……何で?)
 
 由乃さんは、会議はなくなったって言っていたのに。志摩子さんだって、そう言っていたのに。
 いくら祐巳が鈍くたって、自分が置かれている状況は分かる。由乃さんと志摩子さんは、祐巳を省いた。それだけだ。
 
「……っ!」
 
 悲しくて、だけど乗り込んで理由を聞き出す勇気なんてなくて。
 祐巳は中庭から目をそむけ、早足で階段を下りた。ふと涙が溢れてきそうになったけど、平静を装って歩き続けた。
 
(私が何か、悪いことをした?)
 
 そんな疑問が、頭の中をグルグルと回っている。
 
 

 
 
「さて」
 
 由乃は椅子に座り、組んだ手の上に顎をのせてそう言った。テーブルの向かいでは、志摩子さんが神妙な顔で頷いている。
 
「わざわざこんな場を作るほど、切羽詰まっているのは理解しているわよね」
「もちろんよ」
 
 今由乃たちを悩ませる問題、というか、そこにある事実。
 ――あと数日で、祐巳さんの誕生日なのだ。
 
「それで、何かいい手は思いついた?」
 
 いい手、というのは、もちろんプレゼントのことだ。由乃と志摩子さん、別々に送ってもいいのだけど、二人とも悩んでいるからこの際「二人からのプレゼント」ということにしようと話がついている。
 しかし、そのためには祐巳さんにこの会議のことを知られてはならない。だからちょっと冷たくあしらってしまったけど、それも作戦のうち。ちょっと疎遠になったしまったところで「誕生日おめでとう」ってプレゼントを渡されれば、嬉しさも倍になるというものだ。
 由乃は想像する。喜んでプレゼントを受け取る祐巳さん……いや、祐巳の姿を。
 
『誕生日おめでとう、祐巳。これ、プレゼントなんだけど……』
『ええ!? 本当? 嬉しい』
『ど、どうかな?』
『ありがとう由乃さん。……いいえ、由乃。好き、スキ、なんていうかラヴ!』
『私も好きよ祐巳。結婚しましょう』
『うん。由乃となら、仲良く暮らしていけそう』
 
 そして鳴り響く鐘の音と、舞い散る花びら、歓声。空を駆けるブーケ。
 由乃が「新婚旅行はどこがいい?」と訊けば、祐巳は「由乃とならどこでもいいよ」と答える。
 
「そんなハネムゥーン……」
「イエス、ハネムゥーン」
 
 いけない、声に出してしまった。……と思ったら、向かいにいる志摩子さんもウットリした表情で同じようなことを呟いていた。
 そうだ、プレゼントは合同なのだった。っていうか志摩子さんも同じ想像していたんかい。
 
「……話を戻しましょう。志摩子さん、何かいい手はある?」
 
 由乃がコホンと咳払いして言うと、志摩子さんも新婚旅行(想像の)から帰ってくる。うーん、と可愛らしく首を傾げ、必至に頭の中を模索している様子だ。
 
「やっぱり、好きな物ものを差し上げるのが一番よね」
「祐巳さんの、一番ね」
 
 顔を見合わせて、はぁと溜息。祐巳さんにとっての一番なんて、そんなの決まっているではないか。
 
「祥子さま、かぁ」
「えーっと、クロロホルムを嗅がせればいいのかしら?」
「拉致る気まんまんのところを悪いけど、それはダメだから。犯罪者の仲間入りはしたくないわ」
 
 ちなみにクロロホルムを嗅がせたといっても、ドラマみたいにすぐ気を失ったりしないのでその線はダメ。というかそれ以前の問題。
 由乃が大仰に息を吐いてみせると、志摩子さんは「なら」と言った。
 
「祐巳さんって、ぬいぐるみが好きそうじゃない?」
「あ、それはそうかも」
 
 ぬいぐるみを抱いた祐巳さんを想像してみると、それは何とも印象にぴったりの絵になった。確かに、部屋の所々にぬいぐるみを飾っていそうだ。
 
「そう言えば祐巳さん、この前聖さまに栄養ドリンクを貰ったって言っていたわ」
「お姉さまが? ……もしかして祐巳さん、栄養ドリンクが好きなのかしら」
「それと甘いものも好きよね。リポDにはちみつを混ぜて上げればいいのかな?」
「由乃さん、それではローヤルゼリーとかぶってしまうから、グラニュー糖にしましょう」
「そうね、そうしましょう。あと、カードを添えてプレゼントしたら喜びそうだわ」
「カード、ね。『お誕生日おめでとうございます』って書けばいいのかしら」
「ちっちっち、ダメよ志摩子さん。もっと祝う気持ちを全面に出すような、テンションの高い文面じゃないと」
 
 由乃が指を振ってダメだしすると、志摩子さんは少し考え込んでから言った。
 
「じゃあ、『ごっきー、ゆみちー! 今日はあなたが生まれて十七回目の春なのね。同じ年度に生まれた幸運をこのカードにありったけ詰めたいと思います。生まれてきてありがとう、ゆみちー。ありがとう、ありがとう、世界中にありがとう! 首相もありがとう! ゴンザレスもありがとう! ついでにゴロンタにもありがとう! あなたと一緒に生徒会の仕事をできる私は幸せですハッピー。そりゃもうふわふわの巻き毛にもなるってものですハッピッピー。思えばあなたと出会ってからもう随分の時が経ちますが、これからもその愛嬌のある笑顔を振りまいて下さい萌えを下さい。長くなりましたが、このぐらいで筆を置きたいと思います候。――Your love is so sweet.藤堂志摩子。PS.ハネムゥーンはどこに行きたいですか?』
 ……こんな感じでどうかしら」
「とっても自分のことしか考えてない妄想をどうもありがとう。しばくわよ」
 
 由乃が「シャー!」と中指を立てると、志摩子さんは今だ妄想中なのか「祐巳さんと乃梨子、……両手に花」とかのたまっている。藤堂志摩子……恐ろしいコ……!
 
「とにかく!」
 
 由乃はバンと机を叩いて、声を荒げた。
 
「その超個人的なカードはボツ。文章は私が考えるから、志摩子さんはぬいぐるみをお願いね。材料費はワリカンするから」
「そんな……。折角ピロートークの内容まで考えていたのに」
 
 あーもう、そんなところまで暴露しなくてもいいっていうの。
 ああ、でも祐巳さんに囁きかけるピロートーク、想像してみると楽しいかも。ご飯三杯はいけそうね。
 
「……とまあ、それはともかく。これでプレゼントの内容は決まったわね」
 
 由乃が唇の端を吊り上げると、志摩子さんはコクリと頷いた。
 さあ、これにて一件落着。
 待ってて祐巳さん。待っててハネムゥーン!
 
 

 
 
「ねえ、祐巳さん」
 
 突然背後から掛けられた声に、祐巳はピクリと反応した。
 おかしな話だと、そう思う。だって『親友』に話しかけられただけで、こんなに動揺してしまうのだから。
 
「ちょっといいかしら?」
 
 由乃さんは、祐巳の瞳を覗きこんで尋ねる。無邪気な瞳が、今は辛かった。
 あれからも祐巳は、避けられるようにして過ごしてきたのだ。由乃さんは込み入った話があるとか言って志摩子さんとばかり話しをしているし、すっかりあぶれ者。その事実に今にも泣いてしまいそうだというのに、由乃さんの悪意のない視線が祐巳を射抜く。それに怯えてしまう祐巳は、かなり参っているんじゃないかと思う。
 
「薔薇の館、行くでしょ? その前にちょっと来て欲しいところがあるの」
 
 何なんだ、一体。つい昨日までは、さっさと一人で行ってしまっていたのに。
 それでも断ることなんてできなくて、祐巳はコクリと頷いて由乃さんに続いた。
 
 テクテクと無言で歩き、校舎を出る。すると由乃さんは「こっち」と言って、祐巳の手を引いた。由乃さんが向かったのは薔薇の館ではなく、古い温室。
 
「ああ、祐巳さん」
 
 温室の中には、志摩子さんという先客がいた。軽やかに髪をなびかせ、そっと微笑む。
 
「わざわざごめんなさいね。邪魔が入るといけないから、ここを選ばせてもらったの」
 
 一体どうして、邪魔が入るといけないのか。やっぱり、何か決定的なことを言うためなのか。
 そう想像してしまう自分が嫌で、目の前にあるもの全てが怖くなる。可憐に咲いた花さえ、何か言いたげにこっちを見ているような気がした。
 
「いい?」
 
 由乃さんは志摩子さんに目配せすると、スゥと息を吸い込む。
 きっとその先の言葉は、祐巳の心を揺さぶるものだ。聞きたくない、と耳を塞ぐ前に、二人は同時に口を開いた。
 
「祐巳さん、誕生日おめでとう!」
「…………へ?」
 
 ポカーンと間抜けにも口を開けて聞き返すと、目の前にはぬいぐるみ。それに、何故か栄養ドリンク。
 
「……何、これ?」
「何って、誕生日プレゼント」
 
 はい、と志摩子さんから手渡されたそのぬいぐるみは、よく分からないけど海の生物らしかった。そして由乃さんから手渡されたのは、一度開けた痕跡のある栄養ドリンク。
 
「さ、グイっと」
「う、うん」
 
 促されるまま栄養ドリンクを飲むと、いきなり吹きそうになった。……バカみたいに甘い。ああ、やっぱり苛められてるんだ、祐巳は。このぬいぐるみだって、元の生物がなになのか分からないように、ワザと下手くそに作ったんだ。そうに違いない。
 
「はい、あとこれね。この場で読まれるのは恥ずかしいんだけど」
 
 祐巳がなんてコメントしようか考えている内に、今度は綺麗な模様がかかれたカードを手渡される。裏には楷書で『でぃあ祐巳さん。本日をもって貴女は十七歳というセブンティーンに――』と、堅苦しい果たし状のような文字が躍っていた。
 誕生日おめでとう。貴女と一緒いられて幸せです。これからも仲良くして欲しい。
 時々変な日本語になっていたけど、つまりはそんなことが書いてあった。二人とも心から祐巳の誕生日を祝ってくれているんだって、よく分かった。
 
「ありがとう、二人とも。ありがとう。あり、が……」
 
 嬉しくて、思わず込みあがった涙を堰き止めようとしたけど、無理だった。
 はぶかれていると勝手に勘違いして、こんな二人を疑うなんて、祐巳はとんでもないことをしたと思う。でもそれを伝える前に、由乃さんと志摩子さんは祐巳の背中を撫でてくれた。祐巳のことになると時々オカシナことをする二人だけれど、やっぱり親友なんだって、優しい手つきが教えてくれた。
 
「嬉しいわ。泣くほど喜んでくれるなんて」
「うん……。本当に嬉しかったから」
 
 涙を拭いて顔を上げると、二人とも瞳に優しさを湛えて祐巳を見ている。
 由乃さんの左手は、祐巳に右肩に。志摩子さんの右手は、祐巳の左肩に。そうして二人は空いた方の親指を立て、飛びっきりの笑顔でこう言った。
 
「祐巳さん、ハネムゥーンはどこがいい?」
 
 

 
 
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