■ 紅茶をもう一杯 例えば。 例えばだ。K駅を出てすぐのところにあるオープンカフェ。そこにギンガムチェックの椅子に腰掛ける少女がいる。よくすいて軽い感じのするスリークヘアを、キチっとしたオフ・ザ・フェイス・スタイルにした少女。 その少女の向かいには、七分袖のワンピースに可愛らしいカーディガンを羽織った少女がいる。冬の初め、麗らかな午後の風に吹かれながら、その少女は言う。 「お姉さまは何にします?」 例えば、例えばだ。 この辺りの学校の事情なんか、全然知らない人がそれを聞いたとする。そうしたら、きっとこう思うはずだ。 『姉妹にしては、似てないな』 ――って。 「私も、あなたと一緒よ。そうね、でもサンドウィッチは別のものにしようかな」 真美はそう告げるとパタンとメニューを閉じ、近くにいた店員を呼び止めた。 「えっと。紅茶二つと、サーモンとクリームチーズのサンドウィッチ。それと、ベジタブルサンドを」 「ご注文を繰り返します。サーモンとクリームチーズのサンドウィッチお一つに、ベジタブルサンドがお一つ。紅茶が二つでよろしかったですか?」 「はい」 「少々お待ち下さいませ」 店員ははきはきとした口調でそう言うと、颯爽と去って行く。それを見送ることもなく、目の前の少女は口を開いた。 「お姉さまは、ベジタリアンですか?」 少女――日出実の言葉に、耳がピクリと反応する。まただ、と真美は思った。やっぱり「お姉さま」なんて呼ばれ慣れてないから、逐一反応してしまう。 真美が日出実と姉妹の契りを交わしてから、もう二週間は経とうとしている。だから普通の姉妹らしく、休日にお出かけでもしましょうか、ということでここにいるというのに、まだ身体は追いつかないらしい。 思えば、真美と日出実の関係というのは淡白だ。お互いが必要だと感じたからスールになったというだけで、紅薔薇姉妹のように劇的な展開があったわけでもなければ、黄薔薇姉妹のように深い絆があるわけでもない。当然白薔薇姉妹のように運命的な出会いもなく、姉妹になった理由は「それが一番合理的だから」というものだった。 一応、日出実は三奈子さまと真美に憧れて新聞部に入部してきたらしい。しかし祐巳さんが祥子さまに向ける、明確な「好き」という気持ちでないことは知っている。もちろん真美は、それが不服であるというわけではないけれど。 「いいえ」 真美は日出実の質問に、軽く首を振った。 「何となくよ。同じものを頼んでも面白くないと思って」 そう、同じは面白くない。だから真美は、三奈子さまの轍を踏みたくないのだ。ベクトルが違うことなんて分かりきっているから、真美は真美のやりかたで新聞を作りたい。 「そうなんですか」 でも、日出実はどうなんだろう。真美は三奈子さまの影響は受けず、自分の道を追い求めているけど、日出実は。 「お待たせしました」 暫くすると、紅茶とサンドウィッチが運ばれてくる。真美が無為にミルクとシュガーを混ぜると、紅茶は柔らかい色になった。 軽い風に吹かれて霧散する湯気を眺めた後、真美は日出実を見た。日出実も、こちらを見ていた。 「それでは、お姉さま」 「いただきましょうか」 ふう、と少し冷ましてから、真美は紅茶を一口含んだ。なんとなく日出実の方を見ると、彼女の紅茶には何も入れられた様子はない。ストレートティーだ。 それは、日出実の嗜好。紅茶の選択肢の中で、日出実が選んだ飲み方。 きっと真美と日出実は、似ているのだ。真美も日出実も、日夜スクープを追い求め、それぞれの方法で記事にする。互いの真似は、多分しないだろう。真美が三奈子さまの真似をしないように、きっと。 けどそれは、悪いことじゃない。アイデンティティーのない人間は、魅力に乏しい。 ……だけど。だけどだ。 それは少し、寂しいことでもある。姉妹の契りは、人としての変化に大きな影響を与えるだろうに、それがないのは寂しい。三奈子さまと真美のことを考えれば、それはなんとも我がままな思考だけれど。 「お姉さま」 「うん?」 真美は一齧りしたサンドウィッチから顔を上げると、日出実の瞳を覗きこむ。その瞳に移りこんだ真美は、ちょっと間の抜けた顔をしていた。 「ミルクって、入れた方が美味しいですか?」 日出実の視線の先には、紅から茶色に変わった紅茶。それを興味深そうにして、日出実はそう言った。 「え? ……そうね、何となく入れただけだけど、私は美味しいと思う」 真美は少しだけ揺れる紅茶の水面を見ながら、そしてまた一口。渋みが分からなくなった紅茶は、幾分飲みやすく感じる。 ――私はこんな色に、なれたんだろうか。 ふと、そんなことを考える。何かの干渉や影響を受けて、こんな優しい色になれたんだろうかと。 そして真美は、日出実にどんな影響を与える事ができるのだろう。お姉さまとして、日出実をどう導いていくべきなのだろう。 そんな考えが、ミルクを落としたばかりの紅茶のように、グルグルと頭の中を渦巻いた。 「そうですか。私は、ストレートが好きなんですけど……」 しかしお姉さまというのも、中々難しいものだ。新聞作りという目的が一緒でも嗜好は違う。紅茶を見ても分かるように、それは明白。 ――私はどれだけ、日出実を変えることができる? いや、そもそも変えなければいけないのだろうか。変わることは、日出実にとって必要なことなのだろうか。 紅と白が、混ざらない。紅茶がいつまでもミルクを拒絶するイメージだけが、頭の中を駆けた。 (私たちは) 本当に、姉妹になる必要があったのか。条件があったからってだけで、理由はそれだけでいいのか。 お姉さまというのは本当に、本当に難しい。日出実の顔を見ていても、まるで答えは出てこなかった。 「けど、そっちも美味しそうですね」 答えの代わりに、出てきた日出実の言葉。日出実はおもむろにミルクの蓋を開けると、その中身を紅茶へと落とす。封を切られたスティックシュガーから、サラサラと白い粒が零れる。 それをよくかき混ぜたあと、日出実は一口紅茶を飲んだ。その様子を、真美は空っぽの頭で見詰めていた。 「うん。やっぱりこっちも美味しいです」 日出実の紅茶が茶色になると、グルグルとかき混ぜても混ざらなかった、頭の中の紅茶も茶色になる。 カップを両手で持って、綻んだ日出実の表情を見ていると、自然と目尻が下がった。 「でしょう?」 そう言って笑って、真美は紅茶を飲み干した。 今頃、理解する。変える必要があるんじゃなくて、真美たち必要がなのは――。 「すいませーん」 通りがかった店員に声をかけ、軽く手を上げる。はい、とテーブルに近づいてくる店員に向かって、真美は一言いった。 「紅茶をもう一杯。ミルクと砂糖はいりません」 ――真美たちに必要なのは、互いに歩みよること。 ふと日出実の襟から覗いたロザリオの鎖は、笑うように輝いている。
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