■ 秋色のスイーツ
 
 
 
 
 季節が深くなるのと一緒に色を変える葉は、秋色。
 麗らかな日差しが差し込む窓は、秋風でかすかに揺れている。
 そんな、秋の良日。志摩子さんは紅茶のカップを置くと、おもむろに言った。
 
「誰も来ないわね」
 
 誰も、というのには祐巳は含まれていないわけで。だから祐巳は、「そうだね」と小さく返事を返した。
 今日は別に仕事が立て込んだりしているわけではない。学園祭が終わってからというもの、こうして暇を持て余すことが多くなっているのだ。黄薔薇姉妹は交流試合に向けて部活動に励んでいるし、瞳子ちゃんや可南子ちゃんといった一年生たちも、最近は館に遊びに来ない。
 だからこうして、館に人が集まらないことは度々あった。だからと言って、寂しさに慣れれるほど祐巳は強くない。今日なんか、先に来ていた志摩子さんを見て、思わず胸を撫で下ろしたぐらいだ。
 
「乃梨子ちゃんは?」
「風邪で休んでいるわ。季節の変わり目だから」
「……そっか」
 
 ふと見てみると、時計の短針は四時を少し過ぎたところにある。この時間になってから、祥子さまが来るとは思えない。
 
「帰ろっか。これ以上待っていても来ないと思うし」
「そうね」
 
 祐巳の提案に、志摩子さんは拍子抜けするぐらいさっぱりと返事をした。
 カップは祐巳が洗って、テーブルは志摩子さんが拭いて。対して時間のかからない後片付けが終わった後、祐巳は不意に違和感を覚えた。
 志摩子さんが「じゃあ行きましょうか」と持った鞄。来た時には気付かなかったが、少しだけ膨らんでいるのだ。
 
(まあ、いいか……)
 
 志摩子さんはいつも背筋がピシっと伸びていて、制服もシワ一つなく、鞄もすっきりしている。それが今日だけ、何らかの理由で変化が生じただけ。
 異状、と言えば悪く聞こえるけど、たまにはそういう日だってあるだろう。そう納得すると、祐巳は鞄を掴んで部屋を出た。
 
 館の外に出ると、少しだけ冷たい風が吹く。
 今日は気温が低いんだっけな、なんて思い出しながら、祐巳は首をすくめた。
 
「あぁ、ちょっと寒い」
 
 何となく横を向くと、意外なことに志摩子さんも首をすくめていた。何だか凄い親近感……というか、思わず抱き締めたくなるぐらい可愛い。
 綺麗だ、美人だ、とばかり思っていた祐巳には、その発見が妙に嬉しかった。
 
「祐巳さん? 私、何かおかしかった?」
 
 祐巳が笑っていたのが気になったんだろう。志摩子さんは目をくりっとさせて祐巳と問いかける。
 
「え? ううん、そんなことないけど」
 
 しかし、真正面から『可愛かった』なんて言ったらどう思われるか。その反応を見てみたい気もしたけど、そっと心に留めておく。
 
「寒くなってきたねー」
「ええ。下にもう一枚着てくればよかったわ」
 
 何気ない会話を始めながら、中庭を後にする。
 暫く歩いてきて差しかかった銀杏並木は、薄い黄色。もう少し秋が深まれば、もっと色鮮やかに表情を変えることだろう。
 コロリと転がった銀杏の実が懐かしい。一年ぐらいぐらい前、こんな風に落ちた銀杏を見ながら、志摩子さんとお弁当を食べていたっけ。
 
「ねえ、志摩子さ――」
 
 あの時のこと、覚えている?
 そう訊こうとした口は、志摩子さんが持った『何か』で塞がれた。
 
「あ」
 
 志摩子さんが、バツが悪そうな表情を浮かべる。祐巳の唇は、挿し込まれたそれを受け入れるために開き、中に招き入れる。
 
「ん……ぐっ」
 
 一体なんだ? と口の中に放り込まれた物を舌で探ると、ほのかな甘み。どうやら食べ物らしい、と頭が理解すると、もぐもぐと咀嚼。
 
「……何これ?」
 
 妙に甘い食べ物(だと思う)を嚥下してから訊くと、志摩子さんは睫を伏せて言った。
 
「ごめんなさい……」
「……どういうこと?」
「ちょっとした悪戯心だったの。ほら、さっき祐巳さんが私を見て笑っていたのに、理由を教えてくれなかったから」
 
 なるほど。志摩子さんが、祐巳の口に何かを放り込んだ理由は分かった。
 しかし一体何を食べさせられたのかは、依然として分かっていないわけで。
 
「別にはそれはいいんだけど、何をくれたの?」
「フィナンシェよ。今日の調理実習で作ったの」
 
 ほら、と言って差し出された手には半分にしたフィナンシェが乗っていた。消えてしまった半分が、祐巳のお腹の中にあるのだろう。
 
「急に『あーん』ってしたら驚くと思って。でも丁度祐巳さんが振り向いたから、結果として食べさせてしまったのよ」
 
 あーん、だって。
 悪戯にしては、あんまりにも可愛らしい。それがおかしくて「ふふっ」と吹き出すと、何故だか笑いが止まらなくなって。結局祐巳は足を止め、声を出して笑っていた。
 
「ゆ、祐巳さん?」
 
 頬を赤らめて言う志摩子さんも、さっきと同様に愛らしかった。
 志摩子さんと仲良くし出して一年。やっと志摩子さんの、隠された魅力に触れた気がした。
 
「私が笑っていたのはね、風に身をすくませた志摩子さんが可愛いと思ったから。別に悪い意味で笑ったんじゃないよ」
 
 祐巳はそう言うと、志摩子さんの手の内にあるフィナンシェを取った。そして、そのまま――。
 
「え? 祐巳さ……」
 
 そのまま、志摩子さんの口に放り込んだ。
 
「どう、美味しい?」
「……美味しい。と言ったら、自画自賛になるわね」
 
 志摩子さんは恥ずかしそうに、でも心底嬉しそうに笑った。
 それが、本当に嬉しかった。いつもの社交辞令的な微笑じゃなくて、コロっと笑ってくれたから。ふっと緩んだ頬が、気を許してくれているんだな、って分かったから。
 
「館に居た時は出しそびれてしまったけど、まだあるのよ。食べてくれる?」
「もちろん」
 
 志摩子さんが鞄からフィナンシェの入った袋を取り出すのを見ると、祐巳は腰の後ろで手を組んで顔を突き出した。親鳥に餌をせがむ、小鳥のイメージで。
 
「祐巳さんて、甘えん坊なのね」
「知らなかった? で、食べさせてくれないの?」
「そんなことないわよ」
 
 志摩子さんは袋からフィナンシェを取り出すと、「あーん」と祐巳に食べさせてくれた。
 流石に全部一気に頬張るのは上品じゃないから、半分だけ齧る。
 
「こんなことしていると、乃梨子ちゃんが嫉妬するかもね」
「あら。それなら乃梨子にも、こうやって食べさせてあげようかしら」
 
 志摩子さんがそう言って笑うと、一陣の風が吹いた。
 風に踊り、舞い散る銀杏の葉。
 その一つが、祐巳の齧ったフィナンシェの上にのった。
 
「風流ね」
 
 志摩子さんは「ふぅ」と息を吹いて銀杏の葉を飛ばすと、食べかけのフィナンシェを口に放り込む。
 ちょっとした幸せを運んでくれた落ち葉と、甘い笑顔をくれたフィナンシェ。
 
 ――そんな、秋色のスイーツ。
 
 

 
 
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