■ お互いさまのお節介
 
 
 
 
 それは、唐突な一言だった。
 
「乃梨子さんを例えるなら、鷹ですわ」
「は……?」
 
 放課後、薔薇の館。
 学園祭の劇の練習がない日なのにくっついてきた瞳子は、紅茶の準備をしながらそう言ったのだ。
 
「お昼休みに、クラスメートを動物に例えたら何になるか、という話をしていましたの」
 
 お昼休みに話していたこと、と言うことは、多分いつも瞳子と一緒にお昼ご飯食べているメンバー、つまり敦子さんや美幸さんとの話なんだろう。
 乃梨子も以前は「一緒に食べましょう」としつこく迫られ、お昼をご一緒いたことはあった。しかし最近は、細々とした仕事を片付けるために薔薇の館で食べるか、そうでない日は志摩子さんに誘い出されて、講堂の裏でお昼を食べている。だから、彼女たちの会話など知るよしもない。
 
「それで、私は鷹?」
「そうですわ」
 
 何故か胸を張って、堂々と言う瞳子。カチャ、と食器棚からカップを下ろし、「でも」と付け加えた。
 
「私は、犬だと思いますの」
「ふーん、その心は?」
 
 なんじゃそりゃ、と心の中で突っ込みつつ、先を促す。このまま話を打ち切られたら、後味悪いったらありゃしない。
 
「最近、乃梨子さんは白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)とお昼をご一緒しているのでしょう?」
「うん」
「それでいつも外に出て行かれてしまうから、一体どこに行ったのか、見学させて頂いたことがありますの」
「……瞳子、あんたねぇ」
 
 窃盗の次はストーキングか、と言おうとして、やめた。一体どんなところを見られていたのか、続きが気になるし、紅茶の準備も進めないといけない。
 乃梨子は瞳子が取り出したカップにティーバッグを放り込むと、ポットからお湯を注ぐ。とりあえず他に人がくる気配がないから、二人分のみだ。
 
「そこで瞳子は見てしまいましたのよ、コロコロと笑う乃梨子さんを」
「あちゃあ……」
 
 乃梨子は出来上がった紅茶を楕円テーブルの端に置くと、椅子に座った勢いで突っ伏した。
 一番見られたくない所を見られている。きっと乃梨子は、志摩子さんとお喋りして、だらしなく頬を緩ませていたに違いない。自分でもそうだったと自覚しているのだから、相当フニャフニャの笑い顔だったはずだ。
 
「それはもう、しっぽを振っているのが見えてくるかのような光景でしたわ」
「あーっ、もういい。それ以上言わないで」
 
 斜め上方を見て言う瞳子は、きっとその時の光景を思い浮かべているに違いない。まさか二人きりの所を除き見されていたとは、不覚だった。
 
「それで、私が犬みたいだと?」
「そう。あ、それと頭がいいことも考慮に入れてますわよ」
「そりゃどうも。それで、私を犬に例えて何がしたいのよ」
「別にぃ」
「別に、って」
 
 最近気付いたことだけど、瞳子はテンションが上がっていると砕けた口調になる。それは大抵の人に対しても同じで、また逆に機嫌が悪いとツンケンする。つまり今の瞳子は、予想通りの反応をする乃梨子を見て、ご満悦というわけだ。――ちょっと悔しい。
 
「強いて言うことがあるとすれば」
「え?」
「私たちにも、あんな風に笑って欲しいって思いますわ。乃梨子さん、教室にいる時も、薔薇の館にいる時も、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がいらっしゃらないとつまらなさそうな顔をしているし。笑っても作り笑顔だもの」
 
 瞳子にそう言われて、顔をさわってみる。が、顔の形を確かめたところで、その表情に宿る感情が分かるわけでもない。自分ではそれほど『つまらない』とは思っていないが、そこは自称女優の瞳子。表情から色々なものを読み取ったのだろう。
 
「つまらない、というわけじゃないけど」
「いえ、いいんですの。やっぱり私たちと白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)では、格が違いますものね」
「ちょっと、瞳子」
 
 何だか雲行きが怪しくなってきた。瞳子ったら本当に悲しそうな声だして、「はー」なんて溜息をついては、紅茶の湯気を吹き飛ばしている。
 そりゃ、瞳子のお節介を鬱陶しいと思ったことは多々ある。しかしよくよく考えてみれば、乃梨子が思っていた以上に早くこの学園に馴染めたのは、瞳子のお節介のお陰なのだ。それを無碍(むげ)にするのは、道理に適わない。
 
「馬鹿なこと言わないでよ。瞳子は、その……そりゃ志摩子さんとは違うけど、大切な友達なんだから」
 
 言った後、なんて青臭いことを言ったんだろう、と恥ずかしくなった。『大切な友達』なんて台詞、普通は面と向かって言えるものじゃない。
 
「まあ、乃梨子さんったら。嬉しい」
 
 しかし瞳子ときたら、さっきまでの悲しそうな表情はどこへやら。満面の笑みで、乃梨子の手を握ってくるではないか。さっきまで手を沿えてカップを持っていたせいか、妙に熱い。
 泣きたいとき泣く。笑いたいときに笑う。それが、自称女優・瞳子の素顔――のはずである。
 
「私が犬なら、瞳子はカメレオンだね」
 
 照れくさい雰囲気を払拭するように、乃梨子は言った。
 
「カメレオン……?」
「そう、カメレオン。天敵がくると、たちまち色を変えてしまうから」
「天敵って。一体誰のことですの?」
「強いて言うなら、祐巳さま」
「……どうして?」
 
 ほら、と乃梨子は心の中で呟いた。瞳子ときたら、祐巳さまの名前を出しただけでコロっと渋い顔をしちゃって。
 そう、福沢祐巳さまは、松平瞳子の天敵と言う以外ない。
 瞳子の言動は、感情に左右されやすい。だから機嫌が悪ければムスっとしているし、逆によければ愛想と笑顔を振りまくお嬢さまの出来上がり。しかし乃梨子は、瞳子が祐巳さまに笑いかけているところを、まったくと言っていいほど見たことがない。
 こんな風に、会話に祐巳さまの名前が上がるだけで『カメレオン』してしまうところが、それを何より物語っている。
 
「どうして、なんて。言わないと分からない?」
「……いえ」
 
 瞳子はカップを口に寄せる動きを途中でとめて、相変わらず眉間に皺。多分乃梨子の言いたいことは、分かっているはずだ。
 それから約十五秒、紅茶からたつ湯気で前髪を躍らせていた瞳子は、おもむろに口を開いた。
 
「不快なのよ」
 
 ――その言葉は、いつか言おうと思っていてやっと言えたみたいな、積年の感情がこもっているように感じられた。
 
「……祐巳さまが?」
 
 まさか、と思いつつ乃梨子が訊くと、瞳子は両サイドのバネを跳ねさせながら、大きくかぶりを振る。
 
「何が不快か分からないから、不快」
 
 心底うんざり、と言った声色。会話はすでにグレーゾーンに突入している。――が、突っ込んだ片足は、そう簡単に抜けるものではない。
 
「でもそれじゃ辛いよね、瞳子も祐巳さまも」
「祐巳さまも……?」
「だって、そうじゃない。瞳子自身ですら分からない不快感で以って、接しているわけだから」
 
 瞳子は「分からない」と言っていたが、乃梨子には何となく分かった。
 瞳子は、きっと祐巳さまのことを慕っている。それを素直に認められない自分がいて、嫌いなところまで好きになっていくのが認められなくて、ただもがく。故に感情のセーブが不安定になり、それも不快と感じる一因になる。
 
「さっき瞳子は、『あんな風に笑って欲しい』って言ったよね? なら、その台詞はそっくりそのままお返し。瞳子こそ、祐巳さまに向けて笑うべきだよ」
 
 グレーゾーンに突っ込んだ片足。もう一方の片足を踏み出せば、そこはレッドゾーンなのかも知れない。しかし勢いづいた意見は、今更引っ込めることなどできない。
 
「大きなお世話ですわ」
 
 しかし瞳子は、思いっきりその意見を打ち返してきた。大きなお世話って、瞳子が言うか。
 
「大きなお世話で結構。ねえ、演技でも笑えないの?」
「……演技でも?」
 
 ここにきて乃梨子は、作戦変更することにした。押してだめなら引いてみろ。意見をぶつけるより、何かで引いて、操ったほうがいい。
 
「よし、じゃあ予行練習してみよう。瞳子、私を祐巳さまだと思って、自然に笑う演技ね」
「どうして私がそんなこと」
「あれ、できないの?」
「そんなこと言ってませんわ」
 
 ほら、やっぱり乗ってきた。頬が緩んでくるのを必死で抑えていると、瞳子は不満そうに続ける。
 
「でも、乃梨子さんが祐巳さま役では、『自然に笑う』シナリオが思いつかないのですけど?」
「そっか。じゃあ私が志摩子さんで、瞳子が私役。それで自然に笑えたら、自然に笑える『女優』と認めてあげる。そうしたら、祐巳さまにも自然に笑えるよね」
「上等ですわ」
 
 よし、と乃梨子は心の中でガッツポーズをした。これで祐巳さまに演技でもいいから笑顔を向けることを、約束したようなものだ。
 
「それじゃ、準備はいい?」
 
 乃梨子は温くなった紅茶を飲み干すと、瞳子もそれに倣う。そして立ち上がると、乃梨子は鞄から一冊のノートを取り出した。ボールド、カチンコなどと呼ばれる、『シーン1、カット3、テイク2』の、アレの代わりだ。
 
「いつでもどうぞ」
「それじゃいくよ。レディ、アクション!」
 
 掛け声がこれで合っているかどうか知らないが、乃梨子はそう言ってノートを下げる。瞬間、瞳子は動きだす。
 
「お姉さまぁ、お茶いかがですぅ〜?」
「……おい」
 
 思わず、手に持ったノートで瞳子の頭をはたいた。
 
「乃梨子さん、痛い」
「あのね、これのどこが私と志摩子さんなのよ」
「いやですわ、冗談なのに」
 
 勝ち誇った顔の瞳子は、きっと乃梨子にやりこめられたと自覚しているのだろう。だとしたら、これは小さな報復だ。――ちょっと悔しい。
 
「……テイクツー」
 
 少しだけ乱暴に、ノートを振り下ろす。今度の瞳子は、真面目な顔をしていた。
 
「お姉さま。お茶のお代わりはいかがですか?」
「そうね。それじゃ貰おうかしら」
「はい」
 
 瞳子はそう言って立ち上がると、本当に乃梨子のカップを持って、流しに向かってしまった。流石に紅茶を淹れる真似だけだろう、と思って見ていたけど。
 
「どうぞ、お姉さま」
「あら、本当に淹れてきたんだ」
 
 しかし、流石は自称女優。小道具にもぬかりはなく、本当にお代わりを淹れてくれた。
 
「カット。ちょっと乃梨子さん。そこは『ありがとう』と言って紅茶を啜って、その後『美味しいわ』って微笑むところでしょう? そうしたら私が、『よかった』と言って笑う。もう、こんな分かりやすいシナリオはないでしょう」
「あ、そ、そっか。ごめん」
 
 瞳子ったら、凄い剣幕。思わず押されるっていうものだ。
 
「もう。それじゃお代わりを運んでくるところから」
 
 さらりと乃梨子から主導権を奪うと、瞳子はノートで二人の間を切る。そして再び置かれる、紅茶のカップ。
 
「どうぞ、お姉さま」
「ありがとう」
 
 そう言って、紅茶を一口飲む。ティーバッグの紅茶で味だ香りだとは言っていられないので、ここは瞳子のシナリオ通りに進める。
 
「美味しいわ」
「……よかった」
 
 心底安心したという声と、――ふわりと綻んだ頬。
 
(……やればできるじゃない)
 
 瞳子は乃梨子を演じているけど、自分でもあそこまで上手く笑えているのか分からない。そのぐらい素敵で、そして自然な笑顔。
 何故だか、二人そこで固まってしまった。ひょっとしたら、見惚れていたのかも知れない。だって――。
 
「あの、瞳子ちゃん? 乃梨子ちゃん?」
 
 だって、扉を開けてやってくる人がいてなお、その存在に気付かなかったのだから。
 
「ゆ、祐巳さまっ!?」
 
 二人して椅子を同時に立ち上がり、更に声がハモった。一体なんのコントだ、これは。
 
「わ、私、いけないもの見ちゃったのかな。そっか、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんを妹にしたかったんだ……」
「た、タイム!」
 
 このままいくとどんどん勘違いしていきそうな祐巳さまに、片手を上げて宣言する。そして瞳子を引きずって、部屋の隅まで移動。
 
「瞳子、今こそ本番の時よ。『お姉さま』の部分を『祐巳さま』に代えてやるの」
「ちょ、ちょっと乃梨子さん。祐巳さまが誤解したままですけど?」
「いいから、瞳子の演技力で黙らしちゃいなさい」
「そんな無茶な。大体シナリオはどうすんですの?」
「あー、もう。シナリオとかそんなのゴチャゴチャ考えてないで、さっきみたいに笑えばいいの。あんたの笑顔なら、祐巳さまもイチコロだって。さあ、いくよ」
 
 密談を終え、また瞳子を引きずって祐巳さまの前に立たせる。それから二人の間にノートをかざして、『レディ、アクション』。
 
「祐巳さま」
 
 そう言って祐巳さまに歩み寄る瞳子の顔は、すっかりと女優の顔で。何だかんだ言っても、女優としてのプライドは大事らしい。
 
「な、何? 瞳子ちゃん」
「お茶、いかがですか?」
 
 口調は穏やかで、顔には満面の笑み。祐巳さまなんか、ピクリとも動かないぐらい硬直している。
 
(ふーん)
 
 ちょっと、悔しい。
 予行練習で乃梨子に向けた笑顔よりも、本番の方がずっといい笑顔だなんて。
 
「……カーット」
 
 瞳子だけ聞こえるように、そう言ったけれど。
 演技派のカメレオンは、ちっとも色を変えないのであった。
 
 

 
 
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