■ ほつれた糸 「あっ、瞳子ちゃん」 「……祐巳さま」 それは昼休みも残すところ十分といった時。 祐巳は廊下ですれ違った瞳子ちゃんに声をかけた。 「何かご用ですか?」 「ううん、別に用事はないけど」 呼びとめたことに、特に理由はなかった。でも知り合いと廊下ですれ違って、しかも目まで合ったら、声をかけない方がおかしいと思う。ましてやその相手というのは、ボランティアで山百合会の手伝いをしてくれている子なわけだし。 「これから被服室?」 「それが何か?」 裁縫箱を見て言う祐巳に、瞳子ちゃんの素っ気ない答え。どうやら今日はあまりご機嫌よろしくないらしい。いや、いつものことか。 「ね、何ができるの?」 「……ぬいぐるみですけど」 「ふーん、今年の一年生はぬいぐるみなんだ。あっ、じゃあ出来たら見せて欲しいな」 「嫌です。上手くできるか分かりませんし」 瞳子ちゃんがそんな調子だから、努めて明るく会話を進めようとしてるってのに。瞳子ちゃんたら、思いっきり間髪入れずに嫌がってしまう。あんまりにも否定が早すぎて、ちょっと寂しい。 「一学期に作ったスカートは中々よく出来てたって、乃梨子ちゃんが言っていたけど?」 「……知りません。私、急いでますので」 別れの挨拶なんてなしで、瞳子ちゃんはスタスタと歩いて行ってしまう。 まったく、素直じゃないって言うか、何て言うか。 そんなに私のことが気に食わないかな、って思った。 放課後になると、山百合会の仕事が待ち受けている。まだ劇の練習が忙しくないうちに、書類関係の仕事を終わらせておこう、というわけである。 「祐巳?」 「あ、はい」 だからこうしてせっせと机に向かっているわけだけど、その最中に祐巳のお姉さまである祥子さまが、不意に名を呼んだ。 白薔薇姉妹は職員室に出張、黄薔薇姉妹は部活で遅れるということで、薔薇の館には二人しかいない。 「企画書をチェックするのが、そんなに嫌?」 「えっ? いいえ、そんな事は」 「ならどうしてそんな浮かない顔をしているの」 しまった、またお得意の百面相が出てしまっていたか。慌てて顔の筋肉に力をいれたけど、もう後の祭りだった。 「何かあって?」 「はい。……あ、いいえ」 「祐巳」 はっきりしない答えに、祥子さまは少しだけ強い口調で言った。 「悩みがあるならおっしゃいなさい。それとも、私のことだから言えない?」 「いえ、お姉さまのことで悩んでいるわけではないんです」 悩んでいるように見えたなら、それは瞳子ちゃんのことだから。でもここで「瞳子ちゃんが冷たいんです」なんて言ったら、何だか陰口みたいで嫌だった。 「なら、問題ないじゃない」 「それは、そうなんですけど……」 しどろもどろ。 祥子さまが一番嫌いな態度だって分かっているから、何とかしなくちゃと頭をフル回転させる。 「あのですね。私、瞳子ちゃんに嫌われてるんじゃないかなって、そう思っちゃって」 出てきた言葉はちょっと大げさだけど、意外と的を射ているんじゃないかと思った。 「瞳子ちゃんが、あなたを?」 「はい」 「……馬鹿ね。そんなわけないでしょう?」 祥子さまにそう言われると、「ああ、そうなのかな」って納得しそうになってしまう。自分でも呆れるぐらい、心の天気は変わりやすい。でも、それがどういう理由からきているのか、やっぱり気になるもの。 「あのね、祐巳」 すると祥子さまは、祐巳の頬を撫でながら続けた。 「あなたと会って、喋って、共に過ごして、その上で祐巳を嫌いになる人なんて、一体どれだけいると思う?」 「あの、それは……?」 「百人いれば、百通り。だからあなたとは合わないと思って、厭う人も百人に一人はいるかも知れない。でも私は、祐巳を嫌っている人なんて知らないわ」 つまり、それは。 瞳子ちゃんは少なくとも祐巳のことを嫌っているんじゃないって、暗にそう言っているんだろう。 「割と天の邪鬼なところがあるのよね」 「え……?」 それって、自分のことじゃ? と祐巳は少し失礼なことを考えてしまった。 でも祥子さまという人はちゃんと自己分析が出来ている人だから、そんなこと指摘されなくたって分かっているんだろう。余計なことを言って御冠になられるのはご免こうむりたいので、祐巳は黙って祥子さまの言葉に耳を傾けた。 「もっと自分に自信を持ちなさい。それにね、祐巳」 「はい?」 珍しく言葉を途中で区切った祥子さまに、祐巳は小首を傾げた。 早く言って欲しい、と視線で訴える。 「瞳子ちゃんは嫌いな相手にあんな態度を取ったりしないのよ。だから安心なさい」 ――安心なさい。 柔らかな微笑とその言葉は、祐巳に安堵と自信を与えてくれた。 福沢祐巳というのは、実に単純な人間であるわけで。 お姉さまに励まされたからには何かしなくちゃと張り切ってしまう。 「あ、乃梨子ちゃんっ」 「祐巳さま……? 何かご用ですか」 「うん、瞳子ちゃん、呼んでくれる?」 だからこうしてお昼休みに、一年椿組を訪れたわけである。 理由は簡単。瞳子ちゃんとお昼を食べるのだ。よくよく考えてみれば、梅雨の時期に一方的な仲良し宣言をした祐巳が、瞳子ちゃんに対して臆病になるなんておかしな話。 瞳子ちゃんに冷たくされても構わない。ただちょっとお昼をご一緒にって、仲のいい先輩後輩なら普通のはずだ。もちろん、嫌がられたら無理強いはできないけど。 「祐巳さま、……何か?」 乃梨子ちゃんに呼ばれた瞳子ちゃんは、渋々といった表情で祐巳の前に現れた。 ――三人ぐらいの生徒に、囲まれながら。 (しまった、忘れてた) そういえば瞳子ちゃんは、いつも友達とお昼を食べているんだった。 「お昼でも一緒にどうかなー、って思ったんだけど……。そっか、一緒に食べる子たちがいるもんね」 「ええ、悪いですけど」 「あら祐巳さま、そんな遠慮なさらないで下さい」 「そうですわ。私たちいつも瞳子さんとご一緒していますし」 「ほら、瞳子さん、折角 しかし瞳子ちゃんのお友達は、何とも心優しかった。 「それじゃ私達は、ミルクホールに行きますので」 「あ、敦子さん? 美幸さん?」 どうぞごゆっくり。って、そう言い残して瞳子ちゃんのお友達集団は教室を後にした。 「あのー、瞳子ちゃん。……いや?」 「……いいですよ、もう。折角のご好意なのですから、お受けいたします」 瞳子ちゃんはちょっと棘を含んだ口調で言うと、教室の中へ荷物を取りに戻って行った。 「そうだ、乃梨子ちゃん」 「はい?」 その間に、ことのなりゆきを見守っていた乃梨子ちゃんに話しかける。 「可南子ちゃんどこかな?」 「まさか祐巳さま、可南子さんまで誘う気ですか?」 「え、そうだけど」 だって、そりゃそうでしょう。山百合会の劇を手伝ってくれているのは瞳子ちゃんだけじゃないんだし、後輩と仲よくって名目なんだから可南子ちゃんも一緒じゃないと。 「祐巳さま、瞳子と可南子さんが仲悪いの、覚えてないんですか?」 「知ってるけど、仲間外れなんて寂しいでしょ」 「では、もし険悪なムードになったりしたら、祐巳さまはそれをどうするつもりなんです?」 「うーん……。そうだ、乃梨子ちゃんも一緒にどう?」 「私だってあの二人をくっつけるのなんて無理ですよ。それに瞳子は私がいたら……」 「え、何?」 乃梨子ちゃんはそこまで言うと、語尾を濁してしまった。いつも言いたいことをはっきり言う乃梨子ちゃんにしては、珍しい。 「……とにかく、何にしても可南子さんを誘うのは無理ですよ。教室にいませんし」 「そっか。それなら、仕方ないか」 訊く前に自分で一度見回してみれば良かったのだ、と今頃思いついて、椿組の教室をグルリと見た。改めてそうして見ると祐巳たちは結構注目されていたらしく、色んな後輩たちと目が合った。目が合った生徒は慌てて目を逸らすか、それとも会釈するか。 「お待たせしました、祐巳さま。……何してるんです?」 祐巳が会釈してくれた子に手を振っていると、教室の入り口に到着した瞳子ちゃんは訝しげに首を傾げた。 「ちょっと手を振ってるだけ」 「……また祐巳さまは」 はあ、と瞳子ちゃんは大げさに溜息をひとつ。そんなに呆れられることをしただろうか。 「それより、早く行きませんこと?」 「ああ、そうね。それじゃ中庭に行こう。今日は天気もいいし」 それじゃ、レッツゴーって。 祐巳が瞳子ちゃんの手を取って歩き出すと、「何で手をつなぐんですかっ」って抗議してきたけど、振りほどこうとしないからそのまま中庭に向かった。 「用意周到ですわね」 中庭についてレジャーシートを広げていると、瞳子ちゃんは腕を組んで言った。 「このレジャーシートのこと?」 「はい」 「いいでしょ、ピクニックみたいで」 折角お弁当を一緒に食べるんだから、教室の中でなんてちょっと味気ない。だからわざわざレジャーシートを引っ張り出してきたのだ。 「はい、どうぞ、瞳子ちゃん」 「……失礼します」 瞳子ちゃんは行儀よく靴を脱ぐと、ちょこんと祐巳の前に座った。 今祐巳たちのいる位置は中庭の端っこ。流石に薔薇の館に近いと誰か見ているかも知れないし、祐巳はそれでも構わないけど瞳子ちゃんが気にするといけないのでここにした。秋晴れの空のした、日当たりは良好で、暑くも寒くもない。 「あ、ちゃんとお茶も持ってきてるから安心してね」 「本当に用意周到ですこと」 瞳子ちゃんは祐巳から目を逸らしながらそういうと、鞄からお弁当箱を取り出した。祐巳はそれに合わせて自分の前にお弁当箱を持ってくると、ぴたりと手を合わせる。 「それじゃ、いただきまーす」 「……いただきます」 さあ、楽しいランチタイムのはじまり、はじまり。――と、そういきたいところだけど、ちょっと強引だったのが気に食わないのか、瞳子ちゃんは相変わらずつまらなさそうな顔のまま。ここは連れ出した側として、何かフォローしなくてはいけない。 「瞳子ちゃんのお弁当、色鮮やかだよね」 「色鮮やか、ですか?」 「うん、ブロッコリーとかプチトマトとか、ちゃんと色合い考えられて入れられてるな、って」 「プロの作ったものなんですから、それは当然ですわ」 「あ……」 しまった。そりゃ瞳子ちゃんのお家ぐらい格式があれば、お弁当を作るのも家政婦さんか。 祐巳なんかはお弁当を褒められると、身内を褒められたように気になってちょっと気がよくなるけど、瞳子ちゃんの場合はそれとは違うのだ。 しかし。 「まあ、瞳子もこのお弁当は気に入ってますけど」 祐巳の予想とは別に、瞳子ちゃんは満更でもないような表情。やっぱり人というのは、褒められば悪い気はしないものなんだろう。 「うん。大根の煮物にも、柚子なんかのっててお洒落だね」 「あの、祐巳さま? さっきから瞳子のお弁当ばかり見ていて、お食事の方はいいんですか?」 「あ、……うん。そうだね」 言われてみれば、その通り。このままお弁当の賞賛を並べていてもお腹はふくれないから、祐巳もお弁当を食べることにした。 「……」 しかし、食べながらでも何か喋ればいいものを、こうやって改まって二人で会話という場面になると、何を喋っていいか分からなくなる。言いたいことはいっぱいあるような気はするんだけど、それが何なのかよく分かっていないみたいな、そんな感じ。 「祐巳さま」 「……うん?」 「どうして瞳子の方をちらちら窺っているんです?」 何か話題はないかな、と瞳子ちゃんの方を見ていたのを、怪しまれてしまったらしい。 「そんなに瞳子のお弁当が気になるんですか?」 「うーん、そうと言えばそう、かな」 だって、今話題になりそうなのってお弁当ぐらいなものだから。劇の話をしてもいいけど、これから嫌と言うほど話すことになるだろうし。 だから話題に貧困でつい物に頼ってしまう自分が、ちょっとだけ情けなかった。 「あの、……そんなに気になるんでしたら、どうぞ」 「え?」 「瞳子は全部食べたことのあるものばかりですし」 そう言って瞳子ちゃんは、お弁当箱のおかずだけが入った容器を祐巳に向ける。 別にそういう意味で見ていたわけじゃないけど、これはチャンスかも知れない。 「じゃあ、とりかえっこしよっか?」 「とりかえっこ?」 「そう、おかずのトレード」 おかずのとりかえっこと言ったら、一緒にお弁当を食べる時の醍醐味。それぞれの家庭の味なんか分かって、中々楽しいものなのだ。 「別に瞳子は――」 「いいから、ね?」 祐巳は瞳子ちゃんのお弁当箱から大根の煮物を一欠けら貰うと、自分のお弁当箱を差し出した。ずずいと、問答無用とでも言わんばかりの勢いで。 「はぁ、それじゃ……」 瞳子ちゃんは溜息混じりにそう言うと、祐巳のお弁当箱に箸を伸ばす。その箸が掴んだのは、お弁当箱の真ん中で堂々と鎮座ましましている、鮭の切り身まるまる一個。 (って、おかずの三分の一も?) 瞳子ちゃんって意外と食い意地がはってるんだろうか、なんて考えていると、瞳子ちゃんは何を思ったのかすぐその鮭を戻してしまった。 「冗談ですわ」 「へ?」 「祐巳さま、また表情にでていましたわ。『そんなに持っていってしまうの』って」 「あ、あはは……」 そこまで読まれてしまうと、もう笑うしかない。 その間に瞳子ちゃんは、祐巳のお弁当箱から肉じゃがを一口分つまんで食べた。 「どう? おいしい?」 「おいしいです。……けど」 「けど?」 「どうして祐巳さまはそんなに楽しそうなんです?」 「え。二人でお弁当食べているの、楽しくない?」 「瞳子はちっとも楽しくありません」 瞳子ちゃんはそう言うと、プイとそっぽを向いてしまう。さっきまで祐巳の表情を見て遊んでいたっていうのに。まったく、素直じゃない。 やがてお弁当を食べ終えて後片付けを始めると、祐巳はふと違和感を覚えた。お弁当を食べるだけなのに、どうして鞄ごと持ってきたんだろう。 「ねえ瞳子ちゃん、その中に何か入っているの?」 「えっ……?」 祐巳がそれを指摘すると、瞳子ちゃんは固まってしまった。珍しく、祐巳ゆずりかと思えるぐらいの百面相をしていた。 「な、何もありませんわ。間違えて鞄ごと持ってきてしまいましたの」 瞳子ちゃんは心なしか慌ててお弁当箱を鞄に詰めようとして、――その拍子に「それ」が出てきてしまった。 「うん? 何これ」 「あっ。そ、それは……」 瞳子ちゃんより早く、「それ」を拾い上げる。それ、とは、こぶし二つ分ぐらいあるぬいぐるみだった。 「えーっと、……おサルさん?」 「……タヌキです」 「あ、そっか。尻尾が太いもんね」 失敗しっぱい、と照れ笑いを浮かべる祐巳を見て、瞳子ちゃんは溜息を一つ。見られてしまっては仕方ないって、観念したんだろう。 「これが昨日言っていたぬいぐるみ?」 言ってみて、「あれ?」と首を傾げた。 二学期の被服の課題って、こんなに早く出来上がるものだっけ。確か二学期は二つ課題があったから、その内の片方を仕上げたのかも知れない。 「そうです。もういいでしょう、返してください」 「えー、もうちょっと」 折角持ってきてくれたんだから、心行くまで鑑賞しないと。祐巳は勝手にそう決定して、瞳子ちゃんの手を避けながらぬいぐるみを見た。 (……しかし、これは) ふらふらと取れそうで危なっかしい目に、少し綻んだ口の刺繍。乃梨子ちゃんから聞く限りではお裁縫が得意なんだろうって思っていたけど、これはかなり急いで作ったらしい。 「もしかして私に見せるために、急いで作ってきてくれた?」 「――そんなわけありませんわ。祐巳さまは自意識過剰です。ちょっと人気があるからって」 「うっ……」 人を非難するときの瞳子ちゃんて、とことん辛辣。でもそれが、威嚇してくる子猫みたいで微笑ましいのも、また事実なのだ。 「でもいいなぁ、これ」 レジャーシートの上で足を伸ばし、スカートの上にぬいぐるみを座らせる。 「そんな失敗作のどこがいいんです」 「失敗なんかじゃないよ。……そうだなぁ。私に似せて作ったと思ったら、成功じゃない?」 冗談で祐巳がそう言ったら、瞳子ちゃんは「ふっ」と吹きだした。 「失敗作と似ているなんて、祐巳さまらしいですわ」 「あ、瞳子ちゃん酷い」 「ご自分で仰ったんじゃないですか」 ツーンと澄まして言う瞳子ちゃんは、ちょっと憎々しいけど、やっぱり嫌いにはなれない。 祐巳は優しくぬいぐるみを手に取ると、「はい」と瞳子ちゃんに返した。 「そのぬいぐるみ、どうするつもりなの?」 「どうするって。物置かどこかに置いておきますけど? 瞳子、自分で失敗したと思っている作品を飾りたくないですし」 「えー、勿体ないよ」 折角作ったのに、飾らないなんて寂しい。そんなの、作られただけで電池を入れられなかった目覚まし時計と一緒。学校に来て友達を作らないのと一緒だ。それじゃそのぬいぐるみだって、きっと寂しい。 「じゃあ、ちょうだい」 「はい……?」 「私が大切に飾って置くから」 ちょっと、いやかなり図々しいお願い。でも瞳子ちゃんが作ったぬいぐるみなら、きっと大事にできると思う。 「ね、瞳子ちゃん」 「……嫌です。だって」 「だって?」 瞳子ちゃんの顔を覗きこんで訊ねる。する瞳子ちゃんは、蚊の鳴くような小さな声で言った。 「……だって、初めてのプレゼントが失敗作だなんて」 「瞳子ちゃん……」 相変わらずそっぽを向いたままの瞳子ちゃんが、いじらしい。それが無性に可愛くって、祐巳は瞳子ちゃんの頬に手を当てた。 「じゃあ、満足のいく作品だったら、私にくれるんだ?」 「そんなこと言ってませんわ」 「でもさっき、『初めてのプレゼントが』って言ったでしょ。それって何かくれるつもりだったから、言ったんじゃないの?」 「それは――」 「ねぇ、瞳子ちゃん」 頬に手を当てたまま、顔を近づける。祥子さまをからかっていた先代薔薇さまの気持ちが、今なら少しだけ分かる気がした。 「知りませんわ。祐巳さまのいじわるっ」 瞳子ちゃんは顔を真っ赤して、祐巳の手から逃げてしまう。そしてぬいぐるみを祐巳に押し付けて、シートから立ち上がる。 「瞳子ちゃん?」 「それは差し上げます。それでは、ごきげんよう」 そう言うと瞳子ちゃんは、祐巳を残してすたすたと歩いて行ってしまった。 ちょっといじめすぎたかな、と思ったけど、真っ赤になっているだけで、怒っているようじゃなかった。 「……差し上げます、か」 ぬいぐるみを手で包み込みながら、昨日のお姉さまの言葉を思いだした。 『天の邪鬼なところがあるのよね』 天の邪鬼。 人のいうことに、わざと反発する捻くれもの。 本当に瞳子ちゃんって、素直じゃないと思う。 「……初めてのプレゼント」 でもそこが可愛いところなんだなって、思い始めている自分がいる。 だからこのぬいぐるみの取れてしまいそうな目も、荒い刺繍も、ほつれた糸さえも。 なんだか可愛いなって、そう思えるのだ。
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