■ Say Fight!! それは花寺とリリアン両学校の学園祭の終わった、とある休日。 「祐巳、英和辞典貸し……て?」 「え?」 祐麒が祐巳の部屋の扉をあけると、祐巳が髪の長い儚げな美少女に変身していた。 否、祐巳ではない誰かがそこにいた。 「あ、お邪魔してます」 「ど、どうも」 髪の長い少女は、そう言って軽く会釈をした。 祐巳の部屋にいるってことは、祐巳の友達に違いないのだろうけど、こんな人山百合会に居ただろうか。いや、祐巳にも山百合会幹部以外の友達はいるだろうから、クラスメートか何かだろう。 (それにしても、可愛い子だな) コットンのフレアスカートとシフォンキャミソール、ボレロカーディガンという着こなしは茶色を基調にした秋らしいコントラストで、あくまでも 腰までありそうな髪は、色素が薄いのか茶色がかったストレートヘアで、彫りは深くないものの整った顔立ちは美少女としか言いようがない。 山百合会幹部は顔で選ばれる、と風の噂で聞いたことがあるが、この子が山百合会入りしていないのが不思議なくらいだった。 「祐巳さんならお茶を淹れに行ってくれてるから、いないわよ」 「え? ……ああ、はい」 声をかけられて、我に返る。見詰めていたのを訝しく思ったのか、少女は小さく首を傾げた。 そんな仕草一つとってもみても可愛らしい。祐麒には女性の好みについて外見の拘りはなかったけど、これはけっこうタイプかも知れなかった。 「ところで、祐麒君?」 「はい?」 あれ、と思った。どうして初対面であるはずの人が、祐麒の名前を知っているんだろう。 しかも「さん」付けが基本のリリアンで、祐麒を「君」付け。まるで祐麒のことを知っているみたいな言い方だった。 「突っ立ってないで座ったら? 祐巳さんが戻ってくるまで、ちょっと構ってくれないかな」 いやいや、よく見てみれば会ったことがある気がする。 それに視覚ばかりに集中していてよく聞いていなかったけど、この声。聞き覚えがある。 「あの……もしかして由乃さん?」 「え、何、もしかしてって。気付いてなかったの?」 「いや、その。……すいません」 ジト目で睨むその姿は、祐巳から聞かされていた通りの由乃さんだった。 山百合会入りしていないのが不思議なくらい、とか言っている場合じゃない。もろに山百合会の幹部ではないか。 「ほら、私服だし、髪下ろしてるし」 「いいわよ、フォローなんかしなくても」 由乃さんが「はーっ」と息を吐いたのを合図に、何だか力が抜けた祐麒は、そのまま祐巳のベッドに座った。床にクッションを敷いて座っている由乃さんを、見下ろす格好になる。 (……さて) 由乃さんは構ってと言ったけど、具体的にはどうすればいいんだろう。そう考えを巡らせていると、由乃さんが先に口を開いた。 「そうそう。この前のドラマの件、本当に助かったわ。ありがとう」 「ドラマ? 俺、何かしましたっけ」 「ほら、修学旅行中に、祐巳さんに気を利かせてドラマを録っておいてくれたでしょう? あれ、後から祐巳さんに貸して貰ったんだ」 「ああ、そうだったんですか」 言われてみれば、そんなこともあった。うっかり者の祐巳が、いつも見ているドラマの録画を忘れて行ったから、祐麒が録っておいたのだ。 「ところで」 由乃さんはそこで言葉を切ると、スカートの中程をほんの少しだけ摘み上げた。 「敬語は止めない? 今は生徒会同士の付き合いじゃなくて、プライベートなんだし」 「それもそうですね。……いや、だね」 早速間違えてしまったので、祐麒は急いで語尾を改めた。さっきのスカートを摘み上げた動作は、プライベートを表していたらしい。 「あ、そうだ。由乃さんに訊いておきたいことがあったんだ」 「なに?」 「リリアンの学園祭で一緒に劇をやった細川……可南子さんだっけ? それと松平瞳子さんって、どっちが由乃さんの妹なの?」 丁度よく出てきたその疑問は、小林に以前から訊いておいてくれと頼まれていた疑問だった。劇の衣装合わせの時に、小林は同じ質問をしたけど祐巳に無視されてしまったから、ずっと気になっていたらしい。ちなみに小林は、あの後ちょっと凹んでいた。 「……どっちも私の妹じゃないわ」 「え? どっちも?」 「ええ。二人とも祐巳さんの妹候補だもの」 そう言った由乃さんは、つまらなさそうな顔をして目を逸らした。 まずい。どうやら地雷を踏んだらしい。 「……えっと。じゃあ由乃さんの妹候補は手伝いに来てなかったんだ?」 「私に妹候補なんていないわ」 とうとうツーンと口を尖らせてしまった由乃さん。 これは非常にまずい。もう一歩踏み出した所で、また地雷を踏んでしまった。両足で踏んでしまっては、もう身動きも取れない。 「私、下級生にそんなに人気ないもの」 「え、嘘でしょ?」 それはちょっと信じられなかった。山百合会幹部というのは、あの祐巳ですらファンを持つぐらい、羨望の的になる存在であるはず。学園祭で見た限りの彼女なら、ファンも沢山いると思っていたが、どうやら違うらしい。 「少なくとも、祐巳さんの追っかけほど、私を慕ってくれている後輩はないのよ。ああ、何だか自分で言っていて辛くなってきた」 由乃さんは拗ねていたかと思ったら、今度はガックリと肩を落とす。 どうやら地雷は、いつの間にか泥沼に変わっていたらしい。祐麒の言うこと全てが、空回りに終わっている。 「私って、魅力ないのかなぁ」 「そんなことない!」 何かフォローしなくては――。そう思って出てきた言葉は、意識していたより幾分強い声で、自分でも少し驚いた。驚いたと言えばそれは由乃さんも然りで、彼女は目を丸くしてこちらを見ていた。 「由乃さんは魅力的だよ、十分に」 ところで祐麒は。 一体何を言おうとしているのだろう? 「由乃さんは魅力的だよ、十分に」 それを聞いた瞬間、由乃は耳を疑った。 目の前には祐巳さんの弟であり、花寺学院高校生徒会長である祐麒君。彼は由乃に向かって、魅力的だと、そう言ったのだ。 「どこらへんが?」 まあ当然、そう訊くことになる。一体祐麒君は、由乃のどこが魅力的だと言うのだろうか。それが妹問題解決への糸口になればいい。――そう思って、由乃は次の言葉に耳を澄ます。 「だって、ほら。……由乃さん可愛いと思うし」 「か、可愛い?」 まさか、そうくるとは思わなかった。 令ちゃんとか、お父さんとか、お母さんとか。親族から「可愛い」と言われることは多々あっても、同年代の男の子からそんなこと言われるのは初めてだった。 「この服が?」 多分違うよなぁ、と思いつつも、由乃はさっきしたようにちょっとだけスカートを摘んだ。この服は令ちゃんのお下がりだ。令ちゃんはよく、着もしないのに服を買っては、お下がりとして由乃にくれるのだ。 「い、いや。由乃さん自身が」 「……」 言われて、頬が少し赤くなったのが分かる。祐巳さんもそうだけど、祐麒君というのは結構恥ずかしいことを、面と向かって言ってしまえる人らしい。似た者姉弟は、こんなところまでも似ていた。 「……ありがと。でもそれを言うなら、祐麒君も格好いいわよ。花寺の学園祭の時なんか、戦国時代の武将みたいだった」 目を逸らしながら言うと負けているみたいで癪だったから、祐麒君の目を見て言った。これはお返し。そして由乃の心をちょっとだけ乱したことに対する、仕返しでもあった。 「ぶ、武将? ははっ」 ――だと言うのに祐麒君は、照れるどころか、気楽に笑い飛ばしてくれた。 「何がそんなにおかしいの?」 それが少しだけ勘に触って、軽く 「由乃さんらしいな、と思って」 「私らしい……?」 言われて、首を傾げた。 一体由乃と祐麒君が喋った機会というのは、何度あったろうか。祐巳さんの家に電話をかけると、よく祐麒君が出るけど、雑談をしたこともなければお互いのプロフィールを話したこともない。そんな祐麒君が、どうして由乃に対して「由乃さん」らしいと言えるのだろう。 「あれ、違ったっけ? 剣客ものとか好きって聞いていたけど」 「それって、祐巳さん情報?」 「そう、その通り」 なるほど。祐巳さんとこって仲がよさそうだから、そう言った話になったりもするんだろう。 「ね、それ以外に祐巳さんは何か言ってた?」 「そうだな。後はスポーツ観戦が好きで、ちょっと怒りっぽくて。……あ」 「ふーん。そんなこと言ってたんだ」 由乃はちょっと意地悪く、腕を組んで口の端に笑みをのせた。 それに対して祐麒君は面白いぐらい動揺して、顔の前で手なんか振っている。 「い、いや、違うんだって。あくまで「そういう子なんだよ」って情報なだけで、悪口みたいに言っていたわけでは……」 「うん、分かってる」 そう、分かっている。 祐巳さんはいくら由乃に悪い部分があったとしても、それを影で悪く言うような人じゃない。きっとそういう部分にだって、親しみを込めて言ってくれたんだろうって信じている。祥子さまがいくらヒステリーを起こそうが、由乃がいくら喚こうが、祐巳さんにはそれを包んでしまえる優しさと器量があった。そういう所が人気の秘密なんだろうなって、嫌と言うぐらい分かる。それは由乃に、圧倒的に足りていない部分だったから。 「……分かってるんならいいんだ。祐巳は、由乃さんのこと親友だと思ってるって言ってたよ。ありのままの由乃さんを見て、そう思っているわけだから」 だけど、祐麒君は。 「だから、もっと自信を持っていいんじゃないかな」 由乃に、エールをくれた。 可愛いって言ってくれた。 由乃がこんなんだって知っていて、魅力的だって言ってくれた。 「そう、……かな」 トン、トン、トン。 不意に階段を駆け上がる音が聞こえた。祐巳さんが戻ってきたんだろう。だからこの会話も、もうすぐお終い。 「色々大変だろうけど、頑張って」 祐麒君もそれを察したんだろう、立ち上がると祐巳さんの机から英和辞典を手に取った。それとほとんど同時に、扉が開く。 「ごめーん、由乃さん。お茶っ葉が見つからなくて――って祐麒、何であんたがここにいるの?」 「いや、ちょっと辞典借りにきただけ」 言って祐麒君は、部屋を後にしようと扉に向かう。扉のノブに手をかける前に一度だけ振り返って、「じゃあね、由乃さん」と言った。 「またね、祐麒君」 「あれ? ねえ二人とも、いつの間に仲良くなってるの?」 キョロキョロと由乃たちを見る祐巳さんは横に置いておいて、由乃は小さく手を振った。 ちょっとだけ本当の由乃を見て、いっぱい応援してくれた祐麒君に。 ちょっとだけ照れくさく、でもいっぱいの笑顔で。 心の中で「ありがとう!」って、大声で言った。
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